第27話
そうしたことを考えた末、武田勝頼は北条攻めを考えているようだ、と私は判断している。
一時とはいえ、佐竹や上総武田、里見等を糾合して東関東の国衆と武田は、反北条という一点共闘で同盟を結んだことがあり、そういう縁が完全に断たれている訳ではない。
更に昔にさかのぼれば、武田は山内上杉から両(山内、扇谷)上杉と手を組んで、北条と戦い続けてきたのであり、武田信玄の最初の正室は扇谷上杉朝興の娘と言う縁まであるのだ。
(一般には武田義信の実母の三条氏が信玄の正室とされるが、細かく言えば継室(後妻)になる)
北条が元をたどれば、伊勢氏という完全な他国の存在であることを考えるならば、尚更に関東の諸勢力からすれば、北条攻めというのは合意を得やすい話と言える。
とはいえ、そうなると上杉と北条が修好するのは目に見える話になってくる。
かつて、北条と上杉が同盟を結んだ際、北条氏政の弟になる北条三郎は、人質として上杉謙信の養子になって、更に上杉謙信の姪(上杉景勝の姉)と結婚し、北条三郎は上杉景虎と名乗るようになっている。
更に言えば、北条と上杉の同盟関係が破綻した後、上杉景虎は養子を離縁されて、北条三郎に戻ると越後の国内外から見られていたのだが、未だに上杉景虎のままになっており、姪婿であることも相まって何れは上杉謙信の跡を継ぐやもと見る者も多い。
もし、上杉と北条が修好すれば、上杉謙信は上杉景虎を正式に後継者に指名して、北条家と上杉家の同盟を復活させる可能性すらある気が自分はする。
だが、その一方で、そもそも上杉謙信は独身を貫いており、実子がいない。
だから、上杉家の跡取りとして謙信は、自分の甥になる上杉景勝を養子に迎えた筈なのだ。
それなのに、上杉景虎を後継者候補として養子に迎えたことから、越後及びその周辺の親上杉の国衆は気を揉む事態が起きている。
上杉景虎は北条家出身であり、上杉家とは縁が無い。
だからこそ、謙信は自らの姪を景虎に嫁がせて、上杉家との縁を造ったのだが。
これはこれで、本来は景勝が上杉家を継ぐべき筈だったのに、主の謙信殿は何を考えて、こんなことをしたのだ、という不満を一部の国衆に引き起こしているようなのだ。
そのために却って、謙信は自分の後継者が二人のどちらなのか、明言できなくなったようだ。
武田勝頼は、そう言った上杉家の足許もそれなりに見透かした上で、対北条戦を決意したようだ、と石川数正や本多正信は、それとなく私に言ってきている。
国衆にしてみれば、基本は自らの存立が何処でも最優先なのだ。
そして、自らの支持に応える主君が誕生し、それで自らの存立が確保されるべきと考えている。
又、越後の上杉家というか長尾家は、皮肉なことに甲斐の武田家と同様に、同族争いが絶えなかった一族でもある。
だからこそ、皮肉なことに武田勝頼は越後の内情を推測して、越後の国衆に対して、様々に効果的な手を打つことができる。
私が聞くところによると、武藤喜兵衛という男が中心になって、武田勝頼の指示を受けて様々な謀略を越後の国衆に行っているらしい。
更に言えば、生前の武田信玄が、
「我が両眼の如き者」
と評した程の武士だ、と武藤喜兵衛については本多正信から私は聞かされた。
私の怪しい日本史の知識には、武藤喜兵衛という武士は存在しない。
ということは、ひょっとして、私がこの世界に転生したことで誕生した武士なのかもしれない。
ともかく、武藤喜兵衛が中心になって様々な工作を国衆に行っていることから、上杉謙信の後継者争いは水面下で過熱しつつあり、謙信が下手に後継者をどう決めた、と言えない情勢だとか。
私は数年後に大戦が起きる気がしてならなかった。
多くの読者が分かると思いますが、念のために補足します。
主人公は気が付いていませんが、武藤喜兵衛は真田昌幸の旧名になります。
(小説の趣旨から言えば、真田昌幸で登場させるべきでしょうが、それこそこの世界では長篠の戦いが無いですし、それ以前に主人公が気付かない筈が無い、ということになるので、旧名で登場させました)
ともかく、対北条戦について真田昌幸と本多正信が手を組んで謀略を巡らせるという事態が起きます。
ご感想等をお待ちしています。