第26話
私は妻と更に会話しつつ、現在の状況や今後のことを考えた。
先日、朝倉家は滅び、浅井長政殿も信忠殿からの降伏勧告を断って自害した。
浅井長政殿の嫡男の万福丸殿は、信忠殿の命令で本願寺に送られて僧侶になると聞いた。
私から言えば義理の叔母になるお市の方が、信忠殿に助命嘆願をした結果、そうなったらしい。
とはいえ、本願寺と言うのが微妙なところだ。
本願寺は僧侶と言えど妻帯して子どもを持つのを認めている。
何れは浅井家は万福丸の子によって再興されるのではないだろうか。
これによって、織田家包囲網は崩壊したと言える状況になった。
朝倉、浅井は滅び、足利義昭は殺されたことから、足利義助を第16代将軍として足利幕府を再建することにして、本願寺や三好、武田は織田家と講和したのだ。
とはいえ、織田家も信忠殿が家督を継いだばかりで、すぐに動くどころではない。
当面の織田家は、越前や北近江を完全に領土化しつつ、又、畿内周辺の諸勢力を徐々に取り込み、丹波等に勢力を扶植するのが精一杯だろう。
その一方で、武田勝頼は私の父と不穏なやり取りをしているらしい。
私は敢えて耳を塞ぐようにしているのだが、それでも情報が漏れ聞こえてくる。
駿河の武田領を徳川家に譲る代償として、対北条大同盟を勝頼は画策していて、徳川家に加担するように求めているらしい。
一昨年の末に北条は上杉との同盟を破棄して、武田と再同盟したと公式にはなっているが。
実際には停戦協定止まりといったところで、北条も武田とは長年の経緯から相互不信関係が積み重なっており、同盟とは程遠いことから、勝頼としては対北条大同盟を画策して、徳川にも参加を呼び掛けているのだ。
この武田と北条の長年の経緯というのを、私は知らなかったので、石川数正や帰参した本多正信から説明を受けることになったのだが。
第11代将軍の足利義澄が幕臣である伊勢宗瑞(後の北条早雲)に命じて、今川家にも協力させ、異母兄で堀越公方になっていた足利茶々丸を討とうとしたのが発端らしい。
尚、義澄が兄の茶々丸を討とうとしたのは、茶々丸が義澄の同母弟の潤童子を殺して、堀越公方になったためだとか。
私は骨肉の争いの醜さに、ぞっとする想いがした。
そして、茶々丸は当時の武田家当主である武田信縄や山内上杉家と手を組んで、伊勢宗瑞(及び今川家)と数年に亘って抗争し、自害することになった。
それ以来、武田家は山内上杉家と基本的に手を組んで、北条家及び今川家と対立する関係が長く続いたのだが、北条家と今川家の上下関係が徐々に崩れたことから、北条家と今川家の仲が悪化した。
そもそも論になるが、伊勢宗瑞の姉が今川氏親の母であり、叔父甥という関係に二人はあった。
そして、今川氏親の家督相続に伊勢宗瑞が奔走したことから、興国寺城等の駿河の土地を伊勢宗瑞は与えられ、ある意味では今川家の家臣になった。
だが、その後で伊勢宗瑞は伊豆や相模へと勢力を伸ばして行き、伊勢宗瑞の没後、その息子の氏綱は北条姓を名乗る等、今川家と対等だと暗に主張するようになった。
今川家にしてみれば、北条家は元は家臣ではないか、という意識がどうにもあり、北条家にしてみれば、元はそうかもしれないが、今の実力から言えば対等だ、そもそも家祖といえる伊勢宗瑞は幕臣であり、今川家も守護とはいえ幕臣ではないか、という想いがどうにもするようになった。
こうした関係が火を噴いたのが河東の乱で、今川家と武田家の修好に、北条家は激怒して、今川家を攻める事態にまで至った。
これは最終的には太原雪斎らが奔走して、武田、今川、北条の三国同盟締結で収まるのだが、ともかく武田と北条は長年不仲だったのだ。
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