第25話
この世界の織田信長討ち死にの真相を明かすべきかもしれませんが。
主人公視点からは不明の話になるので、このような描写になりました。
どうか緩く見て下さい。
そういった背景から、この1573年秋時点では足利義助を第16代将軍に据えた室町(足利)幕府再構築が進みつつあるという現況があり、それを織田家や三好家、徳川家等が協力して推進していた。
だが、そういった現況に全ての人が納得がいく訳が無いのも現実だった。
「本当のところ、父の死の真相は何処にあるのでしょうか」
「(私の義兄で自分の兄の)信忠殿の主張に納得がいかないのか」
「それを言われるとつらいのが、正直なところですが」
「それなら無理にでも納得しろ。自分は納得した」
妻の五徳と会話しつつ、敢えて妻を突き放す言葉を自分は発した。
本音を言えば、自分も全く納得していない。
だが、この辺りは永遠の闇の中としか言いようが無いのが現実、と私は割り切らざるを得なかった。
私なりに情報収集に努めた結果、義父の織田信長殿を討ったのが、足利義昭の下に当時はあった幕府奉公衆なのは間違いない話で、更にその幕府奉公衆を「上意(足利義昭の意思)」の名の下で主導したのが、明智光秀なのは間違いないのだが。
明智光秀を誰が動かしたのかが分からないのだ。
明智光秀が「上意」といった以上、足利義昭が明智光秀に命じたと考えるのが素直なのだが。
それにしては、足利義昭の動きが、私なりに考えると不自然すぎるのだ。
何故に武田と戦うために、奉公衆を義昭は義父の下に送ったのか。
偶々、義父が自らの旗本に奉公衆を組み込んだから、上手くいったようなもので、私が義父の立場ならば、忠誠心を確かめるために、絶対に奉公衆は先手に置いて武田と死闘をさせるだろう。
もし、そうなっていたら、義父が死ぬことは無かっただろうし、武田は義昭を敵と認識する筈だ。
更に考えれば、長良川河畔の戦いの後すぐには足利義昭は挙兵しておらず、明智光秀の背後に足利義昭がいたという噂が広まった後で、足利義昭は挙兵したのだ。
ある意味では噂に追い詰められて挙兵した、と足利義昭は言える話で。
そう言った意味でも、おかしい気が私はしてならない。
となると、東美濃の明智一族を介して、武田信玄が明智光秀に内通をそそのかし、その結果として、明智光秀は奉公衆を率いて、義父を討ったと考えるべきなのだろうか。
(実際のところ、妻の五徳はそれが真実だと信じているようで、折に触れて私を責めてくる)
だが、それならば、何故に明智光秀が義父に襲い掛かった際に、武田軍は動かなかったのか。
この辺りは、武田信玄の深謀遠慮に因るモノと考えるべきかもしれないが、私はおかしい気がする。
普通に考える程、明智光秀率いる奉公衆が、私の義父の信長を攻めるとは、武田軍は全く考えてもおらず、そうしたことから、虚を衝かれて動かなかったと考えるべきだろう。
そう考えると、明智光秀なりに、足利義昭と義父の仲が険悪になりつつあるのを忖度して、義父を襲ったと考えるのが、一番無難なのかもしれない。
今ならば、信長を討ったという功績から、武田軍は自らを庇護するだろう。
更に信長を討てば、岐阜城(及びその周辺)の織田軍やその同盟軍(松平や水野等)も、その衝撃から完全崩壊せずとも、まともに動かなくなるだろう。
そうなれば、武田軍は瀬田に武田菱の旗を容易にたなびかせる事態が起きて、武田信玄の下で足利義昭を将軍とする室町(足利)幕府が再興されるとまで、明智光秀は考えたのかもしれない。
だが、私が奮闘したことで、明智光秀は討たれてしまい、更には武田信玄は岐阜城から西進することができないままに信濃へと撤兵して死ぬことになってしまった。
そう考えるのが正しい気がして、私はならないが。
この辺りは、永遠の歴史の闇と考えるべきなのだろう。
私はそう考えることにした。
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