第22話(武田家視点)
1573年春に信濃まで戻ったところで、武田信玄の命は尽きようとしていた。
「何とか甲斐に帰りたかったが、もう無理なようじゃ」
「何を言われます。もう少しで甲斐に戻れますぞ」
「気休めを言うな。自分の身体のことだからこそ分かる。もう甲斐には帰れまい」
信玄は息子の勝頼とやり取りをしていた。
「儂が死んだら、速やかに喪に服せ。さすれば、上杉も織田も松平も我が武田を暫く攻めまい。喪中の家を攻めるのは義に反すると言ってな。その間に我が武田家をまとめるのだ」
「はっ、その通りにします、と言いたいですが、上杉はともかく、織田や松平は攻め寄せませんか」
「家康に書簡を送れ、武王丸(後の信勝)の妻に、信康殿の娘を迎えたいと。又、改めて織田家には修好を図り、お前の妹の松を信忠に娶せたいと伝えよ。そうすれば信康は武田攻めを躊躇うだろうし、家康も息子の反対があっては、武田を攻められまい。そして、織田家は家中の立て直しに追われており、こちらの申し入れを受け入れるだろう」
「確かに」
「何か織田や松平に言われたら、全部、儂を悪者にしておけ。後のために悪名は儂が背負ってやる」
「分かりました」
父子の会話は進んだ。
「瀬田の大橋に武田菱を掲げることを夢見たが、信康がおっては無理だろう。信長さえ討てれば、と考えたが、あのような婿がいたとはな。あの者は欲が無い。無欲でかつ有能とは本当に厄介な者よ。謙信の若かりし頃のようだ。最も謙信と違って、女好きのようだが」
「そのようですな。(数えの)15歳で2人目の子ができそうとは」
父子は少し軽口を交えながら、語り合った。
「ともかく信康は速やかに岐阜城から退去して、岡崎城に戻った。普通ならば、岐阜城に居座って、織田家乗っ取りを策しただろうにな。あの時に速やかに岐阜城の軍勢をまとめ上げた手腕からすれば、義兄(信忠)を祭り上げて、信康が織田家を事実上は抑えることは充分に可能だったろうに」
「私もそう考えましたが、信康は無欲で岡崎城に戻ったようですからな」
「武田単独の力では、厄介な信康がいる織田と松平にはとても勝てぬ。お前は無理をするな。織田、松平と手を組んで、武田の力を伸ばすことを考えよ」
「分かりました」
父子の会話はそれで終わり、勝頼は父の下を辞去した。
その少し後、馬場や高坂ら、更には小山田や穴山らといった重臣、親族衆を集めて、同様の趣旨のことを遺言として信玄は述べ、重臣や親族衆はその遺言に従うことを誓った。
遺言を伝え終わった後、信玄は改めて考えた。
信長を討てば、織田家は混乱して、武田が天下を取れると考えていたが、まさかあのような娘婿がいるとは、儂の予想外だったな。
離間の計等で信康と周囲の仲を裂くべきかもしれぬが、失敗する可能性が高すぎる。
そうなると織田、松平、武田の三国同盟で当面はやっていくべきだろう。
信長の死は義昭の仕業ということに、織田家ではなったようだしな。
そして、数日後に信玄はこの世を去り、勝頼は甲斐の恵林寺にて父の葬儀を行った。
快川紹喜を大導師として父の葬儀が行われている中、勝頼は改めて今後のことを考えた。
自分は所詮は庶子の身であり、小山田や穴山のような親族衆からは、勝頼は諏訪の人間だとして、快く思われていない。
そういった中で自分の実力を発揮して武田の当主に自分を認めさせる方法となると、やはり戦場での功績ということになるだろうが、父に背伸びをするな、織田や松平と戦うな、と戒められた。
実際、信康のあの手腕を考えるだに、その判断は正しいだろう。
となると、この際に自分が将来を見据えて取るべき行動は何か。
勝頼は父の遺言を受け入れつつ、今後の武田家の行動を決めた。
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