第2話
ともかく自分が松平信康に転生していることに気づいたのは、物心ついたといえる満3歳か、4歳の頃だった。
この頃の自分だが、(私の記憶が正しければになるが)駿府に当時は住んでいたが、極めて居心地が悪い状況に陥っていた。
桶狭間の戦いの結果、今川義元は戦死してしまい、義元の後を継いだ氏真は、私の母である瀬名と結婚したことから、今川家の準親族衆になっていた私の父である松平元康を岡崎城に配置して、織田信長の攻勢に対処しようとしていたようだが。
その一方で、氏真は妻の実家である後北条家が上杉謙信の大攻勢にさらされていて、それこそ本城である小田原城にまで上杉(及びそれに味方した関東の国人衆の連合)軍が攻め寄せている状況が起きたことから、駿河で再編成された今川軍主力を小田原城救援に向かわせるようなことをした。
このことについて、今の自分の視点からすれば、氏真殿もどちらを優先して対処すべきか、本当に悩ましい事態だったのだろう、と言うしか無く、自分でも小田原城救援という決断を下してもおかしくない気がするが。
私の父の元康にしてみれば、準親族衆の自分に死ね、と氏真は暗に言うのか、と激怒して当然の事態が起きたとしか、言いようが無かった。
(実際問題として、義元の戦死はそれだけの衝撃を尾張と三河の国境の国衆の面々に与えており、これまで今川方だった国衆の一部が相次いで織田方に転じる事態が起きていたのだ)
そうは言っても、自分の置かれた立場を考慮した末に私の父は少しでも今川の勢力を温存しよう、と信長との停戦交渉を試みたのだが、悪いことは重なるもので、私の父が行った信長との停戦交渉は、氏真やその近臣からは、私の父が信長に味方しようとしている、寝返り交渉だと考えられたのだ。
そうしたことから、氏真から私の父に詰問の使者が派遣されるまでになった。
そして、後から私が聞いた話によればだが、最後には売り言葉に買い言葉みたいな感じになって。
「某は今川家のためを考えて、織田家との停戦交渉をしているだけでござる」
「その停戦交渉が信用ならぬのです。停戦交渉を直ちに取り止めて頂きたい」
「それならば、我が松平家を始めとする三河に援軍を派遣して下さるのか」
「まずは停戦交渉を打ち切って、織田家を攻めた後でならば援軍を派遣しましょう」
「散々援軍を求める使者を送ったのに黙殺されてきたのに、そんな言葉を信用しろと」
「やはり、今川家を裏切られるおつもりなのですな」
と私の父と今川家の使者は会話を交わして、とうとう私の父の松平家と今川家は手切れになった。
更に言えば、ここまでの事態になった以上は、私の父としては織田家と停戦して、今川家の侵攻に備えざるを得ないし、人質と言える状況にあった駿府の私が殺されても仕方がない、と覚悟したらしい。
この辺りは21世紀の知識がある私からすれば、そんな息子を平然と殺すような決断をされても、と心の片隅では考えるが、その一方で同時代の考えを結果的に叩き込まれた視点からすれば、父の判断も止むを得なかったと割り切らざるを得ない。
何しろこの時代ではお家(このお家というのが、自分の家族のみならず、時としては臣下や領民等までも含まれかねないのが、この時代の特徴だ)大事が当然で、そういった観点からすれば、我が子が犠牲になるのも止むを得ないのだ。
更に言えば、中国から伝わった孝の考えからすれば、親の為に子は悦んで死ね、親から子どもは虐待された末に殺されても文句を言うな、ということにもなる。
(実際、二十四孝ではそう言う話が珍しくない)
そうした状況を聞かされた私は薄氷を踏む想いがしたが、何とか父の下に人質交換で帰れた。
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