第16話
「成程な」
私は内心でそう呟いた。
信玄というか武田軍としては、遠江、三河に大軍を侵攻させるとなると、補給路を確保、充実させる必要があるのは必須の話になる。
ある程度の現地調達は止むを得ないが、最初から現地調達のみで軍隊を長期に亘って養おう等は愚の骨頂と言って良い話になるからだ。
だから、補給という事を考えねばならないが、駿河から遠江に侵攻するとなると東海道沿いに補給路を確保せざるを得ない。
(勿論、青崩峠とかを越えて信濃から三河、遠江に侵攻することが不可能と言う訳では無いが、そういった峠を越える街道は細道で、私が知る限りでは万を超える軍勢が進んでは補給困難な事態が起きるのは自明の理と言って良い。
そう言ったことを考える程、甲斐や信濃から遠江へ三河へと侵攻作戦を発動するならば、東海道沿いに進軍していくのが当然ということになる)
だが、武田軍がそういった侵攻作戦を展開できるのか、というと駿河から尾張に至るまでの太平洋沿岸部の制海権を織田、松平(徳川)水軍が握っているというのが大問題としてのしかかってくる。
それこそ東海道沿いに松平(徳川)水軍に遊撃戦を展開されては、武田水軍が存在しないと言っても過言では無い以上は、武田軍に対処は不可能だ。
(史実では小浜景隆や岡部氏等が武田水軍を編制していて、駿河や遠江沿岸部の制海権を握っていたが、この世界では小浜景隆や岡部氏等は松平(徳川)水軍に与しているのだ)
下手に東海道沿いに武田軍主力を進軍させては、松平(徳川)水軍の遊撃戦による補給困難から戦わずして武田軍主力が崩壊する事態が起きかねない。
それ故に信玄は信濃から美濃への侵攻作戦を決断したのだ。
史実でもこの路は東山道が古来から通っており、大軍の行動が東海道ほどではないが容易に行えるという利点がある上、この路だと織田、松平(徳川)水軍の優位が全く生きない路になる。
更に美濃へ速やかに武田軍が侵攻した場合、長島一向一揆の面々等が呼応して美濃を制圧できる公算がそれなりに高いという利点まであるのだ。
ともかく信玄が史実と異なり、美濃に侵攻作戦を展開した理由は分かったが、私はどうすべきだろうか。
私の怪しい記憶によれば、間もなく信玄は病死する筈だが、かといって松平(徳川)家がこの信玄の侵攻作戦は自国に対するモノではない、と傍観しては、後々で信長は私達に難癖を付けてきて、史実より早く自分は殺されかねない。
「是非もナシ」か。
「父(の徳川家康)に使者を送れ。義父(の織田信長)の苦難を見過ごせぬ故、岡崎衆五千を率いて美濃に部下と共に私自らが義父の救援に赴きたいとな」
「余りにも無謀な話では」
私の言葉に石川数正は即答し、平岩親吉らも同旨の発言を相次いでした。
だが、私は敢えて賭けに出る決断をした。
どうせ人は死ぬ運命なのだ、それを想えば戦場で死ぬるを本望と腹を括って行動するしかない。
「義父を援ける必要がある。それにどうせ何れは皆、死ぬ運命ではないか」
私がそう言うと、本多忠勝が言った。
「よくぞ申されました。槍の師として先鋒を務め、松平家の誉れを諸国に轟かせましょう」
忠勝がそういったことから、その場の空気が変わった。
「和子様がそこまで言われるならば止むを得ません。我が弓勢を戦場にて示しましょう」
平岩親吉が言った。
「いざとなれば、私が咎を受けましょう。主(の徳川家康)には後で承諾を受けましょう。岡崎衆に総動員を掛けて兵を集め、信長殿の救援に赴きましょう」
石川数正までも最後にはそう言った。
「皆、よくぞ言ってくれた」
私は頭を下げて言った。
数え14歳の身で初陣とは、しかも相手が信玄殿。
死後に良き思い出になるだろう。
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