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第14話

 この辺りは私なりに史実を調べた結果を結果的になぞっていますが。

 史実とそう違わない状況にあるということで、どうかご寛恕を。

 実際に私が調べる限りは、この辺りは史実同様でもおかしくない、と考えます。

(転生者がいる以上は史実と全く異なって当然、何で史実同様に動いているのだ、と叩く人がいるもので)

 尚、この辺りの詳細を当時の私は知らず、後になってから様々な伝手によって知ることになった。

 そのために実際に武田信玄の侵攻作戦が起きた際に、私は驚き慌てる羽目になった。


 ともかく武田信玄は、1571年初め頃から織田信長を直に攻撃する方針を固めたらしい。

 そのために用意周到な準備を信玄は裏で進めることになった。


 まずは、自らの宿敵と言える上杉謙信対策だが。

 信玄は本願寺顕如に依頼して、加賀の一向一揆衆にも協力を求め、越中の一向一揆衆を越後に共闘して攻め入らせようという姿勢を示させると共に、越後の揚北衆の一部に不穏な形勢アリとの噂を越後やその周辺に撒き散らした。

 この為に上杉謙信はどうにも身動きが取れなくなった。


(本願寺顕如の妻の如春尼は、武田信玄の継室のいわゆる三条氏の妹であり、そういった縁から武田氏と本願寺は元々友好関係にあったという背景があった。

 とはいえ完全な同盟というには程遠い上に、本願寺門徒が完全に顕如の指揮下にあるとは言えず、そうしたことから、私は本多正信を筆頭とする旧三河衆の本願寺門徒から、それなりの便宜を受けられる事態が起きてはいたのだ)


 何しろ越中の一向一揆衆と上杉謙信の間には、1506年の上杉謙信の実祖父になる長尾能景が戦死した般若野の戦いを始めとする何十年にも亘る因縁がある。

 その為に越後では一向宗は禁教と為景も謙信も長年定めており、この頃でも一向宗は禁教に越後ではなっているという現実があったので、謙信は一向宗の動きを警戒せざるを得なくなった。

 更に揚北衆が叛服常無いのは、この頃では常識レベルである。

 幾ら謙信が名将でも、こうなっては越後から謙信が動けなくなって当然だった。


 更に同族の誼等までも唱えて、長年に亘って北条氏と敵対していた上総武田氏や佐竹氏等の東関東の有力国衆との連携を信玄は図って、反北条の一点共闘からそれに東関東の有力国衆が呼応した。

(この背景には、駿河方面の戦況を好転させようとして、1569年に信玄が碓氷峠を越えて上野から武蔵、小田原城へと急襲した上で甲斐へ帰還した作戦の影響もあった。

 それを間近で見せられていたこともあって東関東の有力国衆は、これまで共闘関係にあった上杉氏を見限って、新たに武田氏との共闘を決断したのだ)


 更に小田原城を武田軍が攻撃した際に上記のような事情があったとはいえ、上杉軍が動かなかったことは、北条家中において上杉との同盟には実効性が無いとして反対する声を高めることになった。

 こういったことから、1571年12月に北条氏康が没したこともあり、北条家は武田家との単独停戦に応じることになった。

(北条家にしても、東関東の有力国衆との今後の対決関係を見据えて、武田家と東関東の有力国衆を切り離したかったのだ)


 ともかくこうした流れから、武田家包囲網は瓦解したと言っても過言では無く、信玄は1572年初秋には総力を挙げて織田家との決戦を挑める態勢を築くことに成功した。

 尚、この間にも信玄は三河や遠江の国衆に止まらず、美濃や尾張の国衆にも切り崩し工作を行い続けていたらしい。

 そう言った情報が噂レベルで入っていた私は、必然的に武田軍は遠江へ、更に三河へと史実通りに侵攻して来ると予測していたのだが。


 既述だが、実際には信玄は松平(徳川)家ではなく、織田家と雌雄を決することで武田家の勢力を拡張しようと図っていたのだ。

 尚、皮肉なことに私の義父の信長も父の家康も信玄の侵攻方向を誤って判断していた。

 こうしたことが、織田、徳川連合軍が武田軍の侵攻作戦に速やかに対処できない事態を引き起こすことになってしまった。

 本当に私にしてみれば、臍を噛むしかなかった。

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[気になる点] この作品って、主人公の「自伝」ですか? 『尚、この辺りの詳細を当時の私は知らず、後になってから様々な伝手によって知ることになった。』 [一言] この作品が「自伝」の形式を取ってるからな…
[良い点] 歴史のIFに挑戦するのすごく面白いと思います! [気になる点] 六分儀を南蛮人に見せるのはかなりリスキーだと思うので、ここは小浜さんをやる気にさせるための酒井さんのハッタリだったことにして…
[良い点]  歴史と変わらぬ武田包囲網の瓦解と歴史とはズレて行く武田軍西上ルート、変わらぬ部分はいまだ初陣すら済ませていない信康さんがタッチできぬ政治的戦略的な面によるモノで、変わって行くモノは信康さ…
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