第13話
こうしたことから、我が松平(徳川)家は安宅船を保有する水軍衆を保有することになったのだが、このことは私にしてみれば思わぬ波及効果を生んだ。
これと相前後して、私は(結果的と言っても過言では無いが)本願寺から安芸の本願寺門徒衆にわたりをつけて、当時の村上水軍を始めとする瀬戸内海の水軍衆が開発して愛用していた投げ炮烙を入手することに成功していた。
それによって、私は松平(徳川)家の水軍衆の武装を少しでも強化しようとしたのだ。
その結果として、松平(徳川)家の水軍衆は投げ炮烙を量産、保有することができるようになった。
(だが、その代償として松平(徳川)家としては、投げ炮烙の大事な原料となる火薬に必要な硝石を安価で大量に入手する必要が、益々高まるという事態も起きてしまった)
だが、こういった安宅船や投げ炮烙といった強力な武器を、松平(徳川)家の水軍衆が保有したという情報は、必然的に周囲の国にも流れることになった。
更にはこのことは旧今川水軍衆の去就を決めるのに大きな影響、効果が起きてしまった。
「どうする。何処に自分や部下は身を寄せるべきだろうか」
「儂も悩むが、この際は松平(徳川)家を頼るのが最良では無かろうか」
「儂も実はそう考えていた」
「何しろ武田家は山育ち故に水軍というのを知らぬ。それ故に自分達は厚遇されるやもしれぬが、裏返せば水軍と言うのを武田家は知らぬことから無理難題を押し付けられて、無理なことを出来ぬと自分達が断ったら、逆に冷遇どころか、族滅さえされる気が儂はしてならぬ」
「確かにその通りだ。それに対して、松平(徳川)家は基をたどれば今川家の準親族衆になる上、安宅船や投げ炮烙を保有する等、それなりどころではない水軍を保有している。こうしたことからすれば、松平(徳川)家に自分達は身を寄せるべきではないか」
「その通りだな」
こういった会話を交わして、基は今川(駿遠)水軍衆を率いていた岡部氏や伊丹氏が松平(徳川)家に身を寄せる事態が起きた。
(尚、主人公は知らないことなので、ここで余談ながら付言すると、小浜景隆は史実では志摩を追われた後で武田信玄の下に身を寄せ、岡部氏や伊丹氏と共に武田水軍を建設することになるのですが、この世界ではこういった事情から、武田水軍は存在しないと言っても過言では無い事態が起きました)
ともかく、こうした事態は武田信玄にしてみれば、完全に想定外の事態と言って良かった。
こういった事態が連鎖した結果、(史実に準じて)今川家の駿河、遠江支配は崩壊。駿河中西部を武田家が、遠江を松平(徳川)家が、駿河東部を北条家が抑える事態に1570年には至ったのだ。
だが、その一方で、既述だが、武田家と徳川家の仲がこじれた結果、徳川家と北条家は事実上の同盟関係となり、武田家の今川家侵攻の結果、北条家と上杉家が同盟を結ぶ事態も起きていたことから、武田家包囲網が、史実同様にできてしまった。
更に厄介なことに、この世界では岡部氏や伊丹氏が武田家では無く松平(徳川)家を頼った為に、太平洋沿岸部の制海権は松平(徳川)家と北条家に握られ、駿河沿岸部はこういった状況から武田家の支配が、ほぼ及ばない事態が引き起こされた。
「厄介なことになった」
さしもの武田信玄と言えど、この武田家包囲網の現状打破に頭を痛めることになった。
せめて(史実同様に)駿河沿岸部を抑えられれば、松平(徳川)家と北条家の連携を断ち切れるが、それは不可能な話に近い。
更にその背後には、織田信長の影がチラついて見える。
何しろ松平(徳川)家水軍の背後には。
「信濃から美濃を攻めて、信長と雌雄を決するか」
信玄は重大な決断を下した。
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