第117話
そんな奮闘をカリブ諸島で私がしていると。
1616年の秋に、私からすれば異母弟になる徳川秀忠から、手紙が届いた。
その手紙の内容だが。
私の父の徳川家康が先日(具体的には旧暦の1616年4月17日)亡くなった。
父の遺言を基にして、この際に徳川家の資産を明確に分けておきたい。
そのために兄(私のこと)にも、日本本国に一度、来てほしい。
とのことだった。
私はその手紙を読み終えた後、何故か涙が溢れてならなかった。
この世界に転生したのを察したとき、私は義父の織田信長殿と実父の徳川家康に何れは殺される、と心底怯えることになったのだ。
だが、それから50年以上というか、60年近く立った現在。
このような状況になると、私は本当に考えもしなかった。
何しろ足利幕府は結果的に再興してしまった。
(足利将軍が、前世の私は全く知らなかった足利義助から足利義種に代替わりしていることは置いておこう)
義父の織田信長は、本能寺の変以前に横死してしまった。
そして、今の日本は足利幕府の下で、文字通りに太陽の沈むことのない帝国になっている、といっても過言では無い状況にある。
更に言えば、まだまだ国力を伸張させつつあるのだ。
こんなこと、私が転生に気づいた頃に、誰が考えられただろうか。
そして、私は日本から見れば地球の反対側と言っても大きく間違ってはいないカリブ諸島の一つ、キューバ島に住むことになっている。
私がこのようなところに住む等、あの転生に気づいた時には考えられもしなかった。
本当にこんなことになると、予想もできなかったな。
そんな想いをした後、私は妻子や家臣に、一時、日本本国に父の遺産分け等の為に向かう旨を伝えて、僅かな従者と共に旅立つことになった。
その路程でカリフォルニアを任せていた松平忠輝とも合流して、日本本国に私は向かった。
この旅路は、結局のところは半年程も掛かることになり、私と忠輝が最後に日本本国にたどり着く事態を引き起こした。
さて、日本本国にたどり着くと、この時点で健在な私の弟達が皆、揃っていた。
結果的にほぼ史実同様に父は男児に恵まれたことから、私のすぐ下の弟の秀康らは亡くなっていたが、それなりの数の弟が私を待っていたのだ。
そして、父の傍に付き添っていた息子として、秀忠が私達に父の遺言を示した。
「徳川家の家督は秀忠に譲る。
尚、徳川家の家領は全て秀忠のモノである」
それが父の遺言の全文だった。
そして、これを根拠に秀忠は言い出した。
「父の遺言に従い、私に全ての徳川家の領土を差し出して下さい」
その言葉を聞いた松平忠直(秀康の遺児)や松平忠輝が怒り出した。
「ふざけるな」
「父(家康)はもうろくしていたのではないか。日本本国から完全に本国外を支配できるものか」
実際、私も父はもうろくしていた、と考えざるを得なかった。
日本本国に来るのに半年もかかる程に、私の治める土地は離れているのだ。
それを全て直に秀忠に治めさせよう等、正気の沙汰とは思えない。
だが、その一方で私の心の片隅で冷めた想いが湧くのも事実だった。
要するに父、家康は日本本国外に出ていくのに反対で、このような遺言を遺したのだろう。
統治が困難な以上は放棄するしかない、そう言いたいのだろう。
実際に私が予測する限りでも、この後のこの世界の日本が、ずっと一つにまとまったままでいられるとは考えられない。
何しろ喜望峰周辺にしても、そして、南北米大陸にしても、徐々に日本人以外が移り住む土地になりつつあるのだ。
そして、この状況から日本人は徐々に少数派になりかねない気が、私もしてならない。
更にその行く末がどうなるのかと言えば。
日本の植民地と言い辛い事態が起きるだろう。
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