第115話
こうした状況から、カリブ諸島やメキシコ、ペルーは徐々に様々な人種が混淆する事態が起きた。
何しろ元からいる現地の住民に加え、日本人が住むようになり、更にガリポリ海賊が運んでくる白人や黒人の奴隷では無かった年季奉公人も住むようになったのだ。
(後、言うまでもないが、日本が侵攻する前からいて、私達の要求を受け入れてキリスト教を棄教したスペイン人達も住んでいた)
奴隷では無く年季奉公なので、年季奉公人は年季が明ければ、それこそ故郷に帰ろうと思えば、自由に帰れるのだが。
年季が明けた年季奉公人の殆どの者が、帰郷を拒む事態が起きていた。
何しろ故郷に良い思い出の無い者が、年季奉公人の殆どを占めていたからだ。
年季奉公が明けた白人にしても、黒人にしても、自らの記憶にある故郷は、奴隷狩りの襲撃が絶えないとまではいわないまでも、それなり以上の奴隷狩りの被害を受ける故郷だった。
そういった故郷に何とか帰っても、又、奴隷として攫われるのではないか、と危惧を覚えたのだ。
こういった元年季奉公人の考えを想えば、この地に残りたいという彼らの希望を、私やその周囲は拒む訳には行かず、このまま彼らの殆どはカリブ諸島やメキシコ、ペルーに住み続けることになった。
その一方で、彼らがこの地に住み続けても、問題が余り起きないのも、又、現実だった。
農地の開拓等に従事した年季奉公人は、これまで自分が耕してきた農地を引き続き小作人として耕す事態が、ほぼ当然のように起きていた。
何故なら、それこそ開拓可能な土地の割に人口が希薄なのが、この当時のカリブ諸島やメキシコ、ペルーでは当たり前に近い現実があった。
だから、年期奉公人を受け入れては、更なる農地開拓を試みるのが、日本人の間では当たり前と言って良い事態が起きていたのだ。
このために年季奉公人が開拓した農地について、年季が開けた奉公人が小作人として引き続いて耕作等を行うのも当たり前になったのだ。
そして、銀を始めとする鉱山関係でも似た事態が起きた。
年季奉公人として勤め上げたら、そのまま監督人等として、新たな年季奉公人を指導等するのが当たり前のように起きたのだ。
何故かと言えば、この当時の鉱山の仕事は様々な意味で過酷としか言いようが無く、技術的な問題もあって事故が多発していた。
それに鉱山の坑道では粉塵が舞っていることが多い等、鉱夫の健康面でも様々な問題を起こしがちというのも現実で、病死者も多かった。
そのために年季が開けるまで、鉱山労働に従事した年季奉公人で、無事に生き延びられる年季奉公人は半分もいないのでは、と囁かれるのが現実だった。
こうした状況で、少しでも事故を減らす等の対策を講じようとすると、年季が開けた元年季奉公人を監督人等として改めて雇用して、新たな年季奉公人を指導監督するのが妥当ということになる。
そして、自由な身になった彼らを雇うとなると、それなり以上の賃金を払うのが当然で。
そうしたことから、鉱夫だった元年季奉公人が、鉱山で監督人等として働くことになったのだ。
そういった現実の中で、カリフォルニアから呼び寄せた妻子と共に、カリブ諸島で奮闘することになった。
尚、カリフォルニアには異母弟の松平忠輝を結果的に呼び寄せて任せることになった。
更にこの際に言えば、伊達政宗が松平忠輝と会った際、痛く異母弟を気に入って、長女の五郎八姫の婿にしたい、と言い出してしまい。
断る理由は無いし、と私は考え、又、忠輝も政宗の娘婿になって構わない、というので、この縁談を受け入れることになった。
だが、私は父の家康から叱りの手紙を後で受け取った。
この結婚を父の意向を聞かずに勝手に決めたからだ。
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