第113話
幾ら何でも、と叩かれそうですが。
史実では、それこそ18世紀の欧州では領主の私腹を肥やす為に、領民が容赦なく奴隷として売りさばかれたという実例がある現実が。
更に奴隷貿易が横行していたアフリカ大陸では、これがデフォルトだったというネット記事さえ、私は見つけました。
そうしたことからすれば、十二分にあり得る話という事で、緩く見て下さい。
ともかく日本人の移民及び自然増加では、現地住民の減少が補えないのが、カリブ諸島にいる私達の現実問題として、重くのしかかってきた。
更にこの問題を深刻にしたのが、メキシコやペルーでも似たような事態、人口増加が中々追い付かない事態を引き起こしていることだった。
そのためにメキシコやペルーの銀山の採掘が、遅々として進まない状況に陥った。
勿論、スペインやポルトガルがやったように、人が足りなくなれば、容赦なくアフリカから奴隷を運んで来れば問題無い、と割り切ってしまえばよいのかもしれないが。
それは人間としての良心を完全に捨て去ってしまう気がする。
そんな風に悩んでいた私や周囲の迷いを減らす屁理屈が、何時か立つのも現実だった。
時が少なからず戻るが。
喜望峰周辺の日本の植民地が広がり、日本の統治に服する現地住民を含めれば約50万人となった1600年頃、日本は現代で言えばアンゴラ、コンゴといった辺りのポルトガルの拠点を征服していた。
これはこういった拠点が、喜望峰周辺の日本植民地に対する海賊行為の本格的な拠点になるのを防ぐためで、島津義弘らが主導して行った。
実際に、私がまた聞きする限り、そういった海賊行為が喜望峰周辺では散発していたらしい。
そして、こういった拠点を放棄するという選択肢もあったが、島津家等にしてみれば、折角、征服した拠点を放棄するのを惜しんで、又、ポルトガルが再び拠点化するのを防止するという視点からこういった拠点を領有することにしたのだ。
だが、そうなると地元のコンゴ王国等が、奴隷の売り込みを日本に対して図る事態が起きた。
この当時のコンゴ王国等は周辺との戦争で捕虜にした住民を奴隷としてポルトガルに売ることで、莫大な利益を得ており、ポルトガルの代わりに日本に奴隷を買うように求めてきたのだ。
奴隷を買わなければ、彼ら彼女らを殺すというので、流石にそれはどうか、ということで買うことにしたが、かといって島津家等にしても、彼ら彼女らに無駄飯を食わせる余裕はそんなに無い。
そんなこんなから、喜望峰周辺の日本の植民地の更なる開拓活動等に彼ら彼女らを農奴等として、島津家等は使う事態が起きたのだ。
私はそれを聞いて、時代が違うとはいえ、奴隷の押し売りというのがこの世界にあるとは、と呆れる想いがしたのだが。
島津家等がしたことは、悪事千里を走るではないが、いつの間にか世界に噂で広まっていった。
そして、そういった噂を聞いて、ガリポリ海賊達は私達も同じことをするのではないか、と考えたらしい。
それこそ、こちらから奴隷を購入しにガリポリに行った訳でもないのに、欧州で奴隷として攫ってきた面々を彼らはカリブ諸島まで売り込んできたのだ。
彼らに言わせれば、イスラム教において戦争の際の捕虜は男女を問わずに奴隷にしても良いのであり、そして、転売するのも問題ないので、カリブ諸島にいる我々の下に奴隷を売りに来たというのだ。
勘弁してほしい、と私個人は考えたが、人手不足で頭を痛めている私の周囲にしてみれば、渡りに船に近い事態だ。
向こうから人手、奴隷を売り込みに来たのだ。
奴隷を買い取らなければ、再度、大西洋を渡る羽目になり、その間に死ぬ可能性がある。
買い取るのは、人を救うことになるのでは、という者まで私の周囲から出だした。
私は散々に悩んだが、確かに買い取らずに奴隷に再び大西洋を渡らせるのは気の毒だし、売り物にならなかったとして、奴隷が殺される可能性すらある。
周囲からの圧力もあって、彼らを年季奉公人という形にする折衷案を私は取ることにした。
年季が開ければ彼らは自由人になれるのだから、と私は自分の良心に言い訳をした。
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