第111話
そんなことがペルー方面で起こっている一方で、私はそれなりとしか言いようが無かったが、メキシコの統治機構を整備し、又、カリブ諸島や北米大陸東南部への海路による侵攻準備を図った。
以前からスペインが見事な統治機構をメキシコに築いていたならば、それを適宜に換骨奪胎して、メキシコの新たな統治機構にしても良かったのだが。
そんな状況にメキシコが無かった以上、一から統治機構を造るのに近い事態が起きるのは当然で、私は心底、苦労しながら、メキシコに新たな統治機構、植民地政府を造ろうとすることになったのだ。
そして、その合間に大規模な造船所をベラクルスに建設した上で、輸送船団を建造して、カリブ諸島等への侵攻準備を整えようという、酷い泥縄をすることになったのだ。
そんなことから、カリブ諸島等に侵攻する準備が私達に整うのは、1604年になってからと言う事態になってしまった。
尤もこれはこれで、私にとっては有難い事態と言えた。
ペルー方面の制圧がほぼ完了したことから、一部の兵力(といっても補給部隊も合わせて1万余りという、私からすれば何とも微妙な規模だった)がペルーから、カリブ諸島制圧のために赴ける余裕が生じることになったからだ。
それにこの間に、スペインを筆頭とする中西欧諸国の情勢は更に悪くなっていた。
レパントの海戦で大敗したとはいえ、オスマン帝国の海軍は速やかに再建されていた。
とはいえ、あれ程の海戦で敗北を喫した以上、オスマン帝国の艦隊が大規模な決戦を積極的に挑むのを避けるようになるのも当然だった。
さて、その一方で東アジア等からの産物が紅海ルートに集約されたことは、オスマン帝国に交易による富を大幅に増す事態を引き起こしていた。
そうしたことが組み合わさったことから、オスマン帝国は予てからの友軍だったバルバリア海賊に対して資金や物資の援助を行い、西地中海や大西洋で暴れ回らすことで、地中海沿岸諸国を疲弊させようという戦略を採ることになった。
又、バルバリア海賊もこうした動きを歓迎した。
何故ならスペインが最も多かったが、中西欧にいたイスラム教徒やユダヤ教徒の多くが、宗教的迫害から逃れるために、バルバリア海賊の本拠地である北西アフリカに逃亡してきており、彼らは故郷を追放した者達に対する報復のために様々な資金や技術面等の協力を惜しまなかった。
そして、彼らの報復の叫び声が、バルバリア海賊を積極的に煽る事態が起きてもいたのだ。
その一方で、地中海沿岸諸国の海軍は、宗教的対立から来る国内の混乱から、戦力を大幅に落とさざるを得なかった。
まずは国内治安維持のために陸軍を優先する必要がある以上、これは当然のことだったが。
海軍の戦力が低下することは、バルバリア海賊の跳梁を阻止する手段が低下することに他ならなかった。
かくして、西地中海に面したイタリア、フランス、スペインを中心にして、バルバリア海賊の本格的な跳梁が引き起こされることになった。
「キリスト教徒は板切れ一枚、俺達の許可なくして、浮かべることが出来ないようにしてやる」
が彼らの合言葉になった。
その激しさは、例えば、マルタ島が孤立してしまい、マルタ騎士団が自給自足生活を事実上は強いられる有様に成るほどだった。
予てから和戦両様で、オスマン帝国と対峙してきたヴェネツィア共和国にしても、商船をシチリアから西に送るのを諦めざるを得ない程だった。
バルバリア海賊が、オスマン帝国の友軍ではあるが完全な統制下には無い以上、ヴェネツィア人も襲撃されて、その交渉となるとヴェネツィア共和国政府にとっても大変なものがあったのだ。
こうしたことがカリブ諸島の防備を低下させていた。
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