第11話
石川数正と小浜景隆のやり取りは、それなりに順調に進んだ。
(私は裏に引っ込み、陰の護衛の一人に紛れて二人の会話に聞き耳を立てていた)
尚、小浜景隆を始めとする志摩水軍の一部が私の下に来るようになったのは、上泉信綱殿を介した様々な縁によるものだった。
私の剣の師匠は奥山休賀斎だが、奥山休賀斎は上泉信綱殿に師事したことがあり、又、上泉信綱殿は北畠具教に剣を指導したことがあるのだ。
私は奥山休賀斎からその話を聞き、上手くいけば位の感じで、北畠具教殿を介して志摩水軍の一部を三河に招きたい旨、父に話をして、父は織田信長の内諾を得た上で、志摩水軍を招くことにした。
(信長にしても、志摩水軍の一部が根強く九鬼嘉隆と戦う位ならば、自分の同盟者である徳川家の家臣になった方が良いと判断したことから、父の動きに賛同した)
そして、父の動きに合わせて、奥山休賀斎にも動いてもらい、北畠具教も織田家と交戦する中で徐々に劣勢となっていたことから、この縁を使って、味方の志摩水軍を少しでも救おうとし、結果的に小浜景隆は安宅船に乗って、三河に来ることになったのだ。
更に言えば、この安宅船に色々な点で私は魅了されることになった。
この際に横路に入るが。
正直に言って、元海上自衛官としての視点からすれば、この安宅船は欠点だらけとしか、私には言いようが無い代物だった。
確かに巨船で姿だけでも周囲を威圧する力があり、又、多数の櫓櫂を備えたガレー船で小回りを見た目以上に機敏に行うことができ、船上には矢倉が組まれていて、百人単位の乗員を防護して、それこそ弓や鉄砲の援護射撃の下、敵船に対する接舷戦闘を展開することができる軍船だ。
それこそ戦艦に対するには戦艦しかなかった時代のように、安宅船に対するには安宅船しかないと謳われるのも当然の軍船なのだ。
だが、安宅船にはキール(竜骨)が無いし、隔壁も無いという大きな欠点がある。
こうしたことから、船を直にぶつけて行う衝角戦法がほぼ不可能と言う問題がある。
更に言えば、浸水にも極めて弱く、一か所に穴が開けば、あっという間に沈没することさえある。
(この点において、隔壁を備えたジャンク船の方が遥かに優秀である)
そして、ガレー船である以上、外洋に赴くことは不可能に近い。
だが、その一方で、これだけの巨船を製造する技術を、この時代の日本が持っているとは。
南蛮のガレオン船や、明等のジャンク船を参考にして、この時代に合わせたキールや隔壁を備えた日本独自の帆船を建造することは不可能ではないな、と私は胸を高鳴らせることになった。
話が逸れすぎたので、石川数正と小浜景隆の会話に話を戻すと。
「これを見聞きしたことはありますかな」
「確か四分儀という代物では無いですかな。南蛮の船乗りが陸地が見えない海を渡る際に使っていると聞いたことがあります」
「流石、志摩海賊にその人アリと謳われた小浜殿、御存知と推測してはいましたが、本当に知っておられましたか」
「はは、いきなり何を示されるのか、と驚いたのが正直なところです」
「それでは、こちらは」
「それは初めて見ますな」
石川数正は小浜景隆に、この時代に造られた四分儀(象限儀)に続けて、私なりに考えて作った六分儀を示していたのだ。
「四分儀を本願寺を介して入手しましてな。私の知り合いがこの方が使いやすいのでは、と改良したのです」
数正は嘘を交えて説明した。
実際に四分儀は本多正信ら本願寺にいる旧知の者を頼って、入手したので嘘ではない。
そして、それを参考にして前世知識も使い、六分儀を私は作らせたのだ。
更に数正は景隆を誘うように言った。
「これを使って明などに行っていただけませんか」
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