第109話
「あれがスペイン軍が立て籠もる城塞か」
「その通りです」
「全く見事、と礼賛すべきなのだろうが」
私は物見の者(忍びと言うべきかも)に対して、直答のやり取りをしながら、更に言った。
「彼奴らは正気なのか」
「彼ら自身は正気と考えているのでしょう」
伊達政宗が、何処か楽し気に私に横から進言して来る。
更に言えば、自分以外の他の面々も政宗と同様の考えのようで、自分の周囲にいる全員が、政宗と同様の表情を浮かべている。
私は溜息を吐きながら命じた。
「それならば、ひたすらに攻囲を行え。合間に砲撃を加えて、降伏を勧告せよ」
「仰せの通りに」
政宗は何処か瓢げた口振りで即答した。
他の面々も、ほぼ同様の答えをした。
さて、何でこんなやり取りをしたのか、というと。
後方、アカプルコとの連絡線を維持する必要がある以上、ある程度の治安維持の為に必要と考えるだけの部隊を残置して、私は日本の軍勢をメキシコシティに向かわせることになった。
だから、メキシコシティを強攻できるだけの軍勢となると、約1万程になるのが当然だった。
だが、その一方で、私達がアカプルコからメキシコシティに向かう途上で、キリスト教徒に対する大弾圧と言って良いことをやってきたことから、メキシコシティを守るべきスペイン軍の兵の多くが敵前逃亡を行ったという事態が起きたのだ。
スペイン軍の将、というか指揮官の多くが、
「日本軍を打ち破れ。我々には神の加護がある」
と兵を鼓舞したが。
その一方で、万が一の際というか、日本軍に敗北したときには、
「お前らは処刑されて、遺体は火葬にされて、無間地獄に堕ちるぞ。だから、勝たねばならぬ」
と指揮官の多くが、兵を脅していたとか。
だが、現実問題として、日本の大軍勢にスペイン軍に勝算が立つか、というと。
私達が目にしているメキシコシティの城塞に立て籠っているスペイン兵は、千以下らしい。
それ以外の兵は、敗北したら、自分達は無間地獄に堕ちる、それならば、逃亡兵として最期の審判を受ける方が遥かにマシと考えて、実際に行動したとのことだった。
つまり、結果的に実戦力にしても約10倍の軍勢でメキシコシティを攻めることになったのだ。
私は溜息を内心で吐いて、こめかみを思わず揉みながら、考えざるを得なかった。
スペイン兵を少しでも助命したいが、どう考えても無理だな。
そんなことを公言しては、周囲の面々が激怒するだけだ。
実際に、その通りの事態が起きた。
損害を局限するために、私が率いる日本軍は1月余りの攻囲戦、兵糧攻めを行った。
これにスペイン軍も懸命に抗戦したが、約10倍の兵が攻囲していては、攻囲を破って、兵糧を運び込むのは不可能と言って良く、スペイン軍は最終的には全滅と言っても過言では無い事態が引き起こされたのだ。
そして、このような状況に至るまで抗戦したスペイン軍の将兵に対する扱いも、過酷というしかない事態が起きて当然だった。
私は棄教か、殉教するかの二者択一を、生き残っていたスペイン兵に対して選択肢として示した。
そして、生き残っていたスペイン兵の極少数は棄教した上での助命という路を選んだが。
しかし、ここまで抗戦を続けて生き延びた面々の多くが狂信者といってもよく、その大半は皆が処刑されて、遺体が火葬にされるのを甘受する事態が起きたのだ。
私は改めて考えた。
この話、噂が広まれば、更に多くの土地で宗教に対する熱狂が起きるのではないか。
そして、それに自分達が対処する方法がどうなるかと言えば。
本当に血で血を洗い、相手の宗教の信徒を皆殺しにするまで終わらない事態が起きるやも。
取り敢えず、コメの採れる土地を抑えるだけに徹しないと本当に酷い事態が起きるな。
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