第107話
私というか、我々日本の面々がアカプルコ近郊に陸軍を上陸させてアカプルコを占領するまでに、スペインの陸兵は全てメキシコシティ方面に全軍退却を行っていたようだった
ようだった、というのは、私達がアカプルコ近郊に上陸作戦を断行して、アカプルコを占領するまでに、スペイン軍と交戦するどころか、スペイン兵を見かけることは皆無だったからだ。
そして、アカプルコ及びその近郊のカトリック教会を全て破却した後で、そこに取り残されていた住民達にキリスト教を棄教するか、死か、それともこの地を去るか、を私達は尋ねることになった。
それに対して、多くの住民達が棄教を選択したが、カトリックの宣教師達を主力とする一部は、
「異教徒が正当な他人の信仰に介入し、改宗させる権利はお前らには無い」
と抗弁したが、当時の考えに染まっていた私達からすれば、鼻で嗤う主張としか言いようが無かった。
「それなら、お前達がやって来たことはどういうことだ。異教徒や異宗派だから、といって容赦なく殺戮して来たではないか。それこそこの大陸の異教徒の住民達を、お前達はどのように取り扱った」
「それは誤った信仰を糺すために行った正義で、異教徒や異宗派を殺すのは正義だからだ、それに対して、正当な信仰を潰そうとするお前達がやることは悪だ」
「お前たちの信仰が正しいならば、何故に神はお前らを援けに来ないのだ」
「それは神の思し召しだ」
「ということは、お前達が棄教しない以上は、お前達は全員死んで、遺体を火葬にして無間地獄に堕ちろ、と言うのが神の思し召しだな」
ああ言えば、こう言うではないが、こんな感じで私達とカトリックの宣教師達を主力とする一部とは論争をした末に、改宗もこの地を去ることも拒んだ面々は、全員が処刑されて、遺体は火葬にされた。
21世紀の記憶がある私としては、こんなことはやりたくなかったが、そうしないと周囲の日本人の面々が収まらないのが現実だ。
何しろ、宇佐八幡宮や東大寺を焼いたのは正義だ、他の神社仏閣も全て破却して、焼いてしまえ。
又、神の子孫を自称する帝及びその一族、今上陛下と皇族とその末裔(つまり、私も含む源平の一族までも)は全員を火炙りにして殺してしまえ。
それが、この世界の唯一の神が教える、絶対の正義なのだ。
それに従わない者は、絶対の悪で彼らと共に滅ぼされて当然なのだ。
等々の主張を私達の前でも、平然とカトリックの宣教師達を主力とする一部はしてくるのだ。
これを聞いた私の周囲の者が激怒して、彼らを処刑して、遺体を火葬にしろ、と叫ぶのも当然ではないだろうか。
ともかく、こんなやり取りをして、彼らを処刑して、更にその遺体を火葬にするにも、それなりどころではない時間が掛かる。
アカプルコ及びその近郊で、彼らの処刑等には結果的に1月近くの時間が掛かった。
というか、私としては、敢えて時間を掛けた。
こういったことをすれば、必然的に周囲にこの件についての噂が広まる。
更にこの噂を聞いた面々が、どのように行動するかと言えば。
これがそれこそ1000年以上、キリスト教信仰に染まっていた欧州ならばまだしも、ここメキシコの多くの現地の住民は、どのように行動するだろうか。
更に絶望的ともいえる戦力差があることを噂で聞いたスペイン軍の将兵たちは、どのような態度を執るだろうか。
そして、スペイン軍の将はともかく、その兵の多くが外国人の傭兵奴隷と言っても過言では無いという現実があるのだ。
実際にその通りの現実が、徐々に起こったのだが。
メキシコの現地の住民の多くが、内心はともかくとして、表面上はキリスト教を棄教した。
又、スペイン軍の兵の多くが戦う前から逃亡を図った。
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