第103話
だが、こういったやり取りを日本本国と行い、実際に艦隊等が日本本国からカリフォルニアにまで送られてくるとなると、それこそ2年掛かりの話になるのは止むを得なかった。
そのお陰で、カリフォルニアの開発は更に進むことになり、(史実の)サンディエゴ周辺に築かれた港は戦争景気を見越した、目端の利く商工業者が日本から赴く事態が起きて、流石に大砲は無理だが、鉄砲等は現地で生産可能になって、私としては対スペイン戦争に自信を持つことになった。
そして、1601年春を期して、対スペイン戦争を発動しようと粛々と準備を、伊達政宗らと協力して私は進めたのだが。
その準備の間に、インド洋方面から日本本国を介してカリフォルニアに到着した艦隊の乗組員等がもたらした最新の欧州情勢は本当に酷いもので、私は驚かざるを得なかった。
日本が南シナ海からインド洋へと進出した結果、スペインはマニラ等を失陥する程度で済んだが、ポルトガルはインド洋や東南アジアに築いていた拠点を全て失った。
そして、インド洋から喜望峰を介して大西洋を経て、スペインやポルトガルを結んでいたアフリカ航路は閉鎖状態になった。
更に日本とオスマン帝国の同盟は、アジアの産物が欧州にもたらされる交易路を、事実上は紅海ルート1本に集約する結果をもたらし、日本とオスマン帝国に莫大な交易利潤をもたらす一方で、スペインやポルトガルの商人を相次いで破産させる事態を引き起こした。
その一方で、ヴェネツィア商人は対オスマン交易で莫大な利潤を挙げることになった。
このことは西欧において、急激な排外主義の高まりを引き起こすことになった。
それこそ中近東から東欧に掛けて、オスマン帝国は東方交易を事実上は日本と協調して独占することで膨大な利益を上げるようになり、大量の金銀が欧州からアジアへと流れる事態が起きた。
その一方で、イベリア半島を中心にして西欧では東方交易が途絶したことにより、不景気風が暴風となって吹き荒れる事態が起きたのだ。
史実だと、オランダやイングランドといったプロテスタント諸国が、東方交易に参入してポルトガルの牙城を崩し、インドネシア(つまり蘭印)やインド亜大陸に拠点を築いていくのだが。
この世界では、一時的なカトリックとプロテスタントの妥協があったことから、所詮は同じキリスト教徒だとして、日本はプロテスタント諸国の商人がインド洋に入ってくるのを認めなかった。
このために西欧の不景気風は酷くなる一方となった。
例えば、スペインのいわゆるアルマダ、無敵艦隊の遠征が財政難から無期延期になる惨状だった。
こうなると古今東西で起こることがある。
それは、こうなったのは彼奴の陰謀だ、彼奴が陰で暴利を貪っている等の陰謀論から来る他者に対する大規模な迫害である。
イベリア半島では元イスラム教徒や元ユダヤ教徒でさえ、国外追放になる事態が起きた。
当然、イスラム教徒やユダヤ教徒に至っては、公然とキリスト教徒、カトリックから女子どもといえども命を狙われ、官憲も積極的にカトリックに加担する事態が起きたために、数十万人単位の犠牲者が出る事態となった。
だが、このことは負のスパイラルを引き起こした。
このように治安が不安定になっては、ますます不景気になって当然で、富裕層は身の危険を感じるようになって、一部は国外に自発的に逃げるようになった。
又、ピレネー山脈の北では、カトリックとプロテスタントの対立が、再び激化するようにもなった。
イベリア半島と似たような事情から、宗教人口が優勢な側が劣勢な側に文字通りに攻撃を加えて、それに劣勢な側もテロで対抗する、血で血を洗う事態が西欧では起きてしまったのだ。
幾ら何でも、と言われそうですが、最近の日本でも弱者叩きが蔓延っていますし、又、1929年の世界大恐慌時以降の世界で弱者、ユダヤ人等への迫害が起きたことを考えれば、このような事態が起きるのもおかしくない、ということでお願いします。
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