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学歴ロンダリング   作者: 酒井 漣
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大学4年生

 大学4年生になり、卒業するために必要な単位は、卒業論文のみになっていた。卒業に必要な単位は、大学3年生までに取り終えていた。学科200名のうち、1/3くらいは、私と同じ状態だったと思う。


 その他、教員免許を取得するために、教育実習の単位が必要だが、なくても卒業はできる。実際に私の友人で、脅威免許関係の単位は全て取得したが、教育実習に行かず、教員免許取得を断念した者もいた。私は、色々あったが、地元の高校で2週間の教育実習を受け、単位を取得した。

 

 大学4年次の単位履修票を提出するにあたり、大学院の授業科目も4年次に履修できる制度があることが判明した。他の学生のように、慌てて必要な単位を取得する必要もない。

 

 私は、K研究室の教授が授業を行う大学院の授業を受講することにした。その頃には、K研究室にほぼ毎日入り浸るようになっていた私は、、教授からも顔を憶えられ、その授業中も、特別違和感なく、受講していた。やはり、教授の話は面白く、ためになった。特に最後の授業で、まだ達成していない目標を語られている時は、こんなに偉くなっても、問題意識を持ち続けているのは、やはり凄い方だと、得心したのを憶えている。

 

 K研究室での卒業研究が始まったが、最初は、研究で使用するソフトウェアに慣れるため、教授自らが問題を作成し、指導して頂いた。大学院進学で進路を決め、成績が上位であることに天狗になっていた私は、少しおかしかったのだろう、出された課題を自己流に解いてしまうという、暴挙を行ってしまった。教授の指導は週1だったが、得意満面に課題の成果を教授に見せた私に、教授は、

「だいぶ違っているよ。」

の一言をくれただけであった。人間、謙虚さを忘れてはいけない。そこから、私は自分の行動を改め、教授が指導して頂けるペースに合わせて、課題を進めていった。それなりにではあるが、研究で使用するソフトウェアにも慣れてきた。


 教授の指導は2ヶ月程度続き、6月に卒論の研究テーマを決定することになった。その年K研究室に配属された学生は12名で、2人1組になり、6つのテーマで卒論研究を行うことになる。テーマは、教授から複数個提示され、研究室のホワイトボードに達筆な文字で記載されていった。分類すると、古典制御の分野から6テーマ、現代制御の分野から6テーマ、選出されていた。現代制御のテーマを希望した場合、K研究室出身で、その年の3月に国立大学の博士号を取得した方から、個別に指導を受けられるとのことだった。その方の名前の頭文字とって、K.Kと記載することにする。この話を聞いて、私の知的好奇心は、膨れ上がった。現代制御の最先端理論を卒論で研究できる、しかも現役の研究者からの指導が受けられる。今、考えれば卒論のテーマは無難に選び、卒業することに集中する手もあったが、その時は、学科で成績上位者である自分の能力に自惚れた。もう1人、現代制御を研究したい同級生がいたので、その同級生と組んで、卒論のテーマを現代制御の理論研究にすることになった。翌週くらいにK.Kさんから我々2人に、研究テーマの参考になる英語の文献を渡された。私以外では初めて聞いたが、前述の同級生も、他の大学の大学院を受験するそうだ。2名が院試に集中できるよう、研究テーマの本格的な始動は、院試が終わる9月中旬以降となった。この研究テーマの選択を、私は数カ月後、かなり後悔することになる。


 研究テーマが決定した頃、東京のT工業大学で、大学院入学生向けのオープンキャンパスが開かれることを、情報として掴んだ。神奈川の横浜の郊外にあるキャンパスまで、自宅から2時間近くかかるが、オープンキャンパスに参加することにした。横浜の郊外にあるT工業大学のキャンパスは、やはりビル群のような建物が並んでおり、まさしく理系の研究棟、という感じを受けた。オープンキャンパスは、その日の午後から開催されたが、私は、第1志望の研究室と、第2志望の研究室、両方を見学させて頂いた。どちらの研究室も、タイプは異なるが、優秀な方が研究をされているな、と私の質問に対する受け答えからそう察した。T工業大学の場合、学部が私立大学でも私の大学よりもレベルの高い大学の学生が、授業料軽減とより高い研究レベルを求めて、大学院を受験する傾向があるようだ。その部分では、個人的に居心地が悪かった。第2志望の研究室では、オープンキャンパス後、私的にパーティが開かれるようであったが、夕方からバイトを入れていた私は、パーティに参加することなく、キャンパスを後にした。


 東北地方のT国立大学と、東京のT工業大学の2大学に志望を絞り、それぞれの大学院入試の要項を確認したところ、不思議なことが判明した。2校とも、他大学からの修士過程への入学であっても、特別推薦枠での入学が可能とのことであった。特別推薦枠への受験するための条件は、大まかに言うと、現在所属する大学で成績が優秀であること、現在の指導教官から推薦を頂くこと、その2点であった。私の大学では、大学4年次に就職する学生向けに学科内で1番~200番までの成績順位が付けられ、その順位は教授陣に伝達されていた。私は、成績順位が1ケタの上位にいることをK研究室の教授から伺っていた。


 1つめの条件は、クリアできる。もう1つの現在の指導教官からの推薦は、私の粗相もあり、多少のご迷惑をかけたが、K研究室の教授から推薦頂けることになった。受験の条件をクリアしたことにより、特別推薦枠で受験申し込みし、審査が通れば、入学試験が免除され、当日の面談により、合否が判定されることになる。しかも、特別推薦枠の面接は、通常の院試の前に実施されるため、仮に特別推薦枠で落ちても、通常の院試の受験が可能になる。

端的に言うと、受かる確率が2倍になった、ということだ。私は、この制度を知り、素直に2大学に感謝した。ここ3年間の努力を、試験以外の方法で見てくれる、こんな機会は多分ない。当日の面談が心配ではあが、チャンスは多いほうがいい。2校ともに、特別推薦枠での大学院入試を申し込んだ。

 

 7月になり、大学院の特別推薦枠の試験日がやってきた。日程的に、東北地方のT国立大の特別推薦試験の方が、日程が早かった。私は、前日に仙台入りした。前日は、仙台の旧友宅に泊めてもらった。この旧友は、高校時代、クラスが一緒だったことから仲良くなり、彼は陸上部で短距離の選手として活躍した。学業も優秀で、現在、医学部の5年生で、大学の部活で陸上も続けているそうだ。少しでも宿泊費を安くしたい私は、旧友の好意に甘えた。試験当日、指定された研究棟の2階に向かうと、会議室の前に椅子が準備されており、そこが控室代わりになっていた。自分の順番が来るまで、特別緊張することなく、淡々と待ち続けた。今回で大学院が決まればそれでよし、駄目なら再受験、緊張するより、素の自分を出したほうがいいと、開き直っていた。

 

 事務員の方に呼ばれ、試験会場に通されると、右手にホワイトボード、左手に教授陣3名が並ばれて座っており、その前に椅子が1つだけ置かれていた、事務員の方は私の背後にある席についた模様で、私は一礼し、よろしくお願いしますと、挨拶をした。

 

 ます、第1志望の研究室の教授から、古典制御の安定性に関する質問があった。その分野は、常日頃から何度も復習している分野だ。私は、ホワイトボードを使い、できるだけ丁寧に説明を行った。説明の最中、質問された教授は、何度もうなずき、説明が修了した後、

「素晴らしい」

と一言頂いた。専門分野に関する口頭試験は、この1問だけであった。後は、志望動機等、事前に準備した想定内の質問が教授陣から投げかけられ、私は、特別慌てることなく、的確に言葉を選びながら、質問に答えていった。時間にして約20分程度で面談試験が終わり、私は会場を後にした。試験が終わった後は、専門分野に関しては、想定していた問題を聞かれ、ヤマがあたったことに少し感動し、それ以外の部分では、自分の思っていることを全て教授陣に伝えることができたので、安堵していた。自身も忙しい中、1泊させてくれた旧友には感謝しながら、もう1拍は流石に失礼と思い、日が高いうちに東京行きの新幹線に乗り込んだ。


 10日間くらい日を開けて、東京のT工業大学の特別推薦試験の試験日となった。私はその日、5時起きで電車に乗り、2時間かけて、神奈川のキャンパスに着いた。着いてみると、学生が沢山おり、東北地方のT国立大学とは、だいぶ様子が違っていた。後で知ったことだが、T工業大学では、成績優秀者の内部進学の面接試験と、特別推薦枠の面接試験を同時に行っていたらしい。私は、内部進学の面接試験が終わるまで、3時間程、用意された席で待たされた。トイレに行く以外は、ただただ座って時間を潰した。内部進学の学生は、当然、面識があるらしく、声は大きくないが、待ち時間に雑談などもしていたようだ。普段起きない時間に起きた疲労感と、長時間待たされたことにより、私の体力は、2,3割、削られていた。試験が進み、ようやく私の順番になり、試験会場に通され、すぐに圧倒された。


 20人近くの教授陣が、机を囲んで、こちらを見ているのだ。右手にはホワイトボードがあり、申し訳程度の椅子がある。これが噂に聞く、圧迫面接か、内心、私はつぶやいていた。前回と動揺、一礼後、挨拶をして着席すると、第1志望の研究室の教授から、現在取り組んでいる卒業論文の研究の内容を説明するよう、質問があった。しまった、卒業研究は、簡単な説明を1時間だけ受けたが、9月以降に本格的に取り組むことになっているから、内容を頭に詰め込んで来なかった。ホワイトボードでそれらしい図を書き、しどろもどろに説明すると、教授は呆れてしまったようだ、もういいです、と言われてしまった。これは、印象が最悪だ。第2志望の研究室の教授からは、研究テーマを英語でホワイトボードに記載して下さい、と質問を受けた。遠い記憶を思い出し、研究のキーとなる単語だけは記載できたが、そこから先、英文にならない。ホワイトボードの前で立ち竦んでいると、その教授からも、分かりました、と言われてしまった。その後は、志望動機等をなんとか答え、私の面談試験は終了した。どうやら、私が最後の受験者だったらしい。教授陣が散会していく中、第1志望の研究室の教授は、退席する私に、今でも忘れられない一言を言い放った。

「これだけ好成績を残しているのに、なぜ卒論の説明ができないのか、理解できない。」

私は、先生、それはまだ卒論に手を付けていないから答えられないですよ、と言いたいところをグッと堪え、教授に一礼して、試験会場を去った。多分これは落ちたな、と帰りの電車で思いながら、自分の未熟さに肩を落とした。


 T工業大学の特別推薦試験の終了後、数日後に、東北地方のT国立大学の特別推薦枠での試験結果が発表される日となった。最近では、合格発表は、インターネットで行われるらしい。合格発表時刻になり、少し過ぎてから、合格発表のサイトにアクセスした。すぐに、自分の受験番号を合格者名簿の中に発見した。この時は、本当に嬉しかった。


 面談試験が上手くいったとは言え、私より優秀な人間がいたら合格できない世界である。しかし、私は、合格できた。これまで努力したことが実を結んだことは確かだが、指導教官や受け入れ先の教授、全てに恵まれたことが、要因のように思えた。私はこの時、すごく運がよかった、実力以上の力を本番で発揮できた、と素直に思えた。両親は共働きなので、夕方、合格したことを伝えると、とても嬉しそうだったことを記憶している。日を改め、K研究室の教授にも合格とそれまでの対応の御礼を伝えた。教授も喜んでくださった。


 T国立大学からの大学院入学の必要書類が届くのと同時にT工業大学から、特別推薦枠での試験の不合格通知が届いた。T工業大学の大学院進学は諦め、T国立大学に進学することが、正式に決まった。正式にT国立大学の大学院への進学が決定すると、私の気持ち野中でも、全国で上から数えた方が早い大学の大学院で研究できる喜びが、徐々に湧き上がってきた。とにかく、嬉しかったことを憶えている。


 東京から仙台に引っ越すことになり、大学の卒業式では、都落ちみたいな事を言う同級生もいた。しかし、私はそうは思わない。研究施設さえしっかりしていれば、全国どこでも研究はできる。仙台は東北の中心都市のため、普通の都市生活を行うにあたり、手に入らないモノはない。私は、新しい場所での新しい生活に胸を踊らせていた。

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