大学3年生
キャンパスが変わって2年目となり、だいぶキャンパスにも慣れてきた。3年次からは実験等の実習は減っていき、後期に研究室への配属がある。研究室への配属は、基本は希望を取り、研究室の受け入れ人数よりも希望者が多かった場合は、成績順に配属が決まるそうだ。
大学で行われる研究というものに興味があった私は、できるだけ早く、研究室に配属してくれないか、と思っていた。また、教育課程の授業は、2年時でほぼ取得ができ、3年時は1単位だけだった。つまり、大学1、2年時よりも、時間に余裕ができることになる。
私は、週1のバイトと、単発のTOEICの試験官のバイトをしながら、また授業の予習と復習に明け暮れた。また、2年時に講義を受けた現代制御工学を担当していた教授室に何度か顔を出し、面白い専門書はないか、あった場合は、お貸し頂けないでしょうか、とお願いをして、何冊か学術書を読んでみた。その教授は、東京大学の教授を定年退職されてから、私の大学に赴任された教授で、制御工学の世界では、重鎮にあたる方であることを、後に知った。当時は、怖い者知らずというか、授業料の元を取りたいと言う貧乏人根性が勝ったのか、時間を見つけて、教授にコンタクトを取っていた。その教授は、とても東大で教授をされていたとは思えない程、物腰が柔らかく、一介の大学生である私の問いかけにも、真摯に受け答えして頂いた。学術書を読むことで、世の中では、私の知らない所で、様々な学問がいろいろな方法で研究されていることを知り、私の知的好奇心に少し明かりが付いた。そうか、大学院に行けば、今の受け身型の授業ではなく、研究という手法で、学びを続けることができる。大学院に進学することに、少し気持ちが動いた時期でもあった。
2年時に単位を落とした確率論を再履修したが、大学側も単位取得者の少なさを考慮したのか、前回教えていた教授ではなく、講師の方が授業を担当していた。教室は、2年生と3年生が受講したため、席から人が溢れる程の大盛況だったが、今回は、高校からの基礎の発展ということで、初学者でも十分ついていける講義内容だった。明らかな天才がいない大学の場合、学ぶことに問題があれば、大学側でも考慮してくれる。再履修した確率論は、無事、単位を取得でき、教員免許取得を諦めなくともよくなった。
その他の授業に関しては、やはり、予習と復習を繰り返すことで、授業の内容をほぼ完全に理解することができ、基本、期末試験でも単位を落とすことなく、大学3年の前期を無事に終えた。
弟との共同生活は、基本、大学が異なり、生活時間帯も異なることから、多少の揉め事はあったものの、実家にいる時よりは数倍過ごしやすく、日々を過ごしていた。バイトの家庭教師も、担当した生徒が、暗記が苦手のため、特に英語の点数が伸びないのは問題点だが、それ以外は順調に進んでいた。
大学3年の夏休みになり、来年の夏休みは、進学するにしろ、就職するにしろ、きっと何もできない事に気づいた。進学する場合は、大学院の受験が夏休みの間にあり、その間、多分、試験勉強漬けになる。就職する場合は、内定を得た場合は、その会社から、何らかの課題を与えられるかも知れない。3年の後期には、研究室配属になり、春休みも研究室でなんらかの活動があるだろう。そう考えると、遊べるのは、3年の夏休みしかない。
そんなことを考えていると、電気店の店先で、有名なRPGの新シリーズの発売のチラシが目に入った。そのRPGソフトを実行するゲーム機は、弟が持っている。私は、ここぞとばかりにRPGソフトを購入し、帰宅後から10日間、ゲームに没頭した。優先順位はRPG、食事はコンビニ、バイトだけはしっかり行ったが、それ以外はずっと画面にかじりついて、眠る時は気絶するように床に横になった。10日後、そのRPGをようやくクリアすることができ、達成感に満足した。これでゲームは遊び納めだな、と当時は思ったが、その後、社会人になってからも、たまにゲームにハマる時期はある。
3年の夏休みは、ゲームに熱中した以外は、バイトをし、空き時間に本を読み、偶に力を落とさないように勉強をして過ごした。3年の後期には、研究室の志望を決めなければならないが、これまで受講してきた教授陣の人間性、研究分野を考慮して、第1志望として、制御工学の理論系を専門としている、前述の教授の研究室を志望することにした。制御工学がどういった学問か、明確なイメージはつかないが、あの教授の元で学ぶことでプラスになることはあっても、マイナスになることはない、と判断したからである。また、これこれを制御する、と動詞で使われる制御の理論を学んでおくことで、他の分野への応用も効くのでないかと考えたのも、志望した一因である。
酒癖は相変わらず悪いが、弟が同居しているという事で、外の居酒屋で羽目を外す回数は、減っていった。同級生もそれぞれ忙しく生活しており、全員が集まるのは、期末試験終了の日くらいに減っていた。短くなる夕焼けを見ながら、後期からの日々を考えていた。
3年の後期になり、はじめに研究室の希望調査が行われた。私は、前述のとおり、制御工学の理論系の教授の研究室を第1志望で記入した。確か第3志望まで記入する欄があったが、第2,第3志望にどの研究室を記載したかは、忘れてしまった。その年の12月くらいに、研究室配属が決まり、私は、第1志望である制御理論を研究する教授の研究室に配属になった。その研究室は、教授の名前から、K研究室と呼ばれていた。私は、その研究室の1員になることができ、素直に嬉しかった。3年の後期で、研究室への配属は決まったが、3年時では、授業のからみもあり、一緒に配属になった10数名と、研究に関する英語の論文を読む、輪講があるだけとのことだった。ある程度、取得単位に余裕がある私は、早く研究という行為をしてみたかったのを憶えている。
3年の後期も、授業に関しては、予習と復習を繰り替えし、講義内容をできるだけ完璧に理解するように心掛けた。しかし、この時期から、以前応募していた塾講師の会社から、バイト採用の連絡があり、家庭教師のバイトに加え、塾講師のバイトもすることになった。
やっと普通の大学生っぽい生活になってきたが、バイトもやりながら授業を完璧に把握できるほど、私は器用ではなかった。できる限りの努力はしたが、3年後期の成績は、それまでと比べ、明らかに落ちるものであった。希望していた研究室に配属になったことも、学習面で油断を生む一因だったのかも知れない。ただ、単位は1つも落とさなかった。
授業の空き時間や週末、時間がある時に、つらつらと考えていたことは、大学院進学を考えた時、今の大学の大学院を軸にして、他の大学の大学院を受験する手もあるな、ということだった。
他の大学の大学院候補としては、まず、国立大学であることが必須である。前にも言ったとおり、私立大学の理系と国立大学の理系では、学費に2倍以上の差がある。仮に親に大学院の学費まで出させるとしても、出費はできるだけ抑えた方が良い。
もう1つの条件として、今のK研究室よりレベルの高い研究または、K研究室で学んだ事を応用した研究ができることであった。仮にK研究室を学部で卒業し、大学院から他の大学に移るにしても、K研究室よりレベルの低い研究をするのでは、意味がない。また、大学受験で、自分の好きなことを深堀りせずに迷走し、複数の大学に落ちた経験がある。K研究室で学んだことを応用でき、自分のやりたいことと合致する研究室を探さなければならない。K研究室の教授に素直に相談したところ、相手はやはり元東大の教授、小さいことは言わずに、私の他大学への大学院受験を容認してくれた。大学院で自分のやりたいことを深堀りした結果、福祉ロボット、創発システム、という単語が最後に残った。ロボット関係は元から興味のある分野であったが、ただの機械いじりであれば、K研究室で理論を研究した方がいい。自分なりに考えた結果、ロボットを福祉に応用している研究室を受験し、ロボットの制御に制御理論を適用して、社会に貢献する姿が浮かんだ。その観点からインターネットで検索を重ねると、東北地方のT国立大学で、そのような研究が行われていることが判明した。東北地方のT国立大学は、全国で7校ある旧帝国大学の1つで、東北出身の私にも聞き覚えがある大学である。私の出身高校から、毎年、約30人単位でその大学に合格者を出している。東北地方のT国立大学に受かれば、家賃も都内より安くなり、親の負担もだいぶ軽減される。まず、候補の1つとしてチェックした。
創発システムとは、東京にある国立大学のT工業大学のある研究室の教授が提案していたシステムで、K研究室の教授から借りた学術書でその名前を初めて聞いた。生命活動を含めた、新たなシステムを創発し、定式化していくことか、その本には書かれていた。大学受験で生物を選択し、生命関係についても学びたいと考えていた私にとって、生命活動のシステムの定式化は、知的好奇心をくすぐる内容であった。キャンパスは、神奈川になり、家賃は高いままだが、こちらも候補の1つとしてチェックした。
個人的には、他の大学の大学院を受講する場合、東京に拘るつもりはなかった。大学院修了後の就職で、関東圏での就職を考えており、活動に支障のない土地であれば、地域に関係なく、受験するつもりだった。実際の移動距離を考慮して、東は宮城、西は愛知、その圏内で自分の志望にある大学院を探した。東北出身の私には、関西圏は異国に感じたので、候補から外した。探した結果が、前述の2校の研究室になる。
また、K研究室の教授から、UniversityとCollegeのち外について、教えて頂いた。日本語で言うと、文理両方ある総合大学がUniversity、専門性が高い単科大学をCollegeと言うそうだ。前述の2校のうち、東北地方のT国立大学がUniversity、T工業大学がCollegeにあたるそうだ。K研究室の教授のお話では、東北地方のT国立大学に進んだ方がいいとのお言葉を頂いた。1つの指針として、ありがたく頂戴した。
現在住んでいる場所が東京なのに、なぜ、東京大学の大学院を受けないのか、不思議に思った方もいるかも知れない。理由は、大きく2つだ。1つめの理由は、大学受験での失敗が尾を引いており、いきなり日本でトップクラスの大学の大学院に進んで、自分が研究していけるか、確信が持てなかったことだ。この3年間でだいぶ学力はついたが、トップと争って対等に渡り合えるか、まだ分からない。そうであれば、その次の大学群で研究を行い。自分の力を試してみるのがいいのではないかという結論に達した。もう1つの理由は、私のやりたいことが、東京大学で見つからなかったことだ。インターネットを駆使して探しても、福祉ロボットや創発システムに関する研究を行っている研究室はなかった。東大というブランドだけを追って、やりたくもない研究をして修士を修了しても、何もいいことはない。左記2つの理由で、東京大学の大学院の受験は、諦めた。
お金のことを考えれば、大学4年で卒業し、就職する手もあったと思う。しかし、3年間、大学で勉強してきて、社会に出て、即戦力となる能力は、結局、身に付かなかった。私の大学ですら、全体の1/3は、大学院に進学する。多分、私は、大学内では成績上位にいると推測されるので、配属されたK研究室に残るのであれば、無試験、面接のみで大学院進学が叶うはずであった。私の大学の場合、大学院に進んでも、修士課程を修了した時点で就職を選ぶ学生が多いが、その就職先の名前だけをみても、大手企業が多く列挙されており、大学院進学のメリットは、増すばかりである。私が大学院に進学することを決めた9割は、本当に真面目な理由だが、残り1割は、大学院1年生の時に、日本で初めて、サッカーワールドカップが開催されることにあった。日本と韓国の共同開催ではあるが、オリンピックに並び立つビックなスポーツイベントが、自国で開催されるときに、社会人1年生で試合を観られないのは、残念で仕方がない。そんな気持ちも、私の大学院進学を後押しした。
上記をまとめ、私は、大学院に進学予定であること、国立の2校の大学院入試を受け、両方落ちた場合は、今の大学のK研究室に残ること、そのために最低もう2年、仕送りをお願いしたいことを、両親に申し出た。両親の反応としては、すでに2浪しており、就職してお金を稼ぐ道もあると言われたが、私の意思が固いことを知り、大学院進学を認めてくれた。それまで、バイト代にはほとんど手を付けていなかったが、大学院進学が明確な目標となったことで、バイト代を大学院での生活費に充てることにした。
大学4年生になる前の春休み、東北地方のT国立大学の希望する研究室の助手の方に、メールで研究室見学の希望と、見学可能な日程について、連絡を差し上げた。私の大学では学生1人1人にメールアドレスを付与してくれていて、大学の計算室にある共用PCからメールの送受信は可能であった。実習等でPCの基本操作はできるようになっていたが、メールの設定まで深く学んでいなかった私は、故意ではないとは言え、先方に大変失礼なメールを送ってしまったらしい。後日、電話にて助手の方とお話させて頂いた際、指摘を受け、何度も謝ったことを憶えている。助手の方は、間違いを指摘し、改善を求めただけであって、それ以外は、突然の連絡にも関わらず、丁寧に対応頂いた。研究室見学の当日、私は、前日から泊まっていた友人宅から公共機関を使って、大学の研究棟まで足を運んだ。T国立大学のキャンパスは、仙台市内に分散しているが、工学部系の大部分は、青葉山という山の上に集結しているらしい。青葉山には、その他にも、理学部棟、薬学部棟が青葉山の上にあり、巨大な研究施設になっているらしい。私立大学の工学部で、キャンパスとは名ばかりのビルの中で過ごしている私にとって、その光景にただただ圧倒されるだけであった。研究室は、研究棟の5階の3部屋と、実験棟の実験、工作室に分かれているそうだ。助手の方は、それぞれを周り、私に丁寧に説明してくださった。特に実験棟に関しては、見るのが初めてな工作機械が置いてあり、私に扱いきれるのかな、と少し不安になった。助手の方に研究室を一通り案内頂き、私の好奇心は、十分に満たされた。ここで研究できたら、凄い研究に携われるかも知れない。心からウキウキした。大学院の入試、通常、院試に関し、助手の方にお話を伺ったところ、事務係があるので、そちらで聞いて欲しいとのことであった。
見学させてもらった御礼を述べ、私は事務係の方がいる棟に移動した。事務係の方に院試について伺うと、過去問があるので、それはコピーしていいとの回答を頂いた。院試の過去問をコピーさせて頂き、事務係の方に御礼を述べ、T国立大学を後にした。
大学4年生になる前の変化として、もう1つ、家庭教師のバイトで、担当する生徒が1人増えた。教える先は、今の自宅から自転車で通える範囲だ。週1から初めたいとの申し出だったため、私も快く引き受けた。初日、生徒の家に行って、事前の説明を行う必要があるのだが、居間に通されて、少し驚いた。中学生くらいの男の子が2人、小学生くらいの男の子が1人、金髪ボブのお母さんが1人、おじいさんが1人、居間で私を待っていた。バイトの内容は、生徒に勉強を教えることだから、家族構成は関係ないのであるが、子持ちのお母さんが金髪ボブには驚いた。ヒアリングをしたところ、長男の方が4月から中3で受験に入るため、勉強を教えて欲しいとのことだった。最初、多少の警戒感を持って金髪ボブのお母さんと話をしていたが、途中で煙草を吸い始めた以外は、至極一般的な話をされていた。喫煙者だった私は、お母さんの申し出に甘え、煙草を吸いながら、これからの授業の進め方について、家族全体に向けて話していた。担当になった長男も、勉強が苦手な以外は、サッカー部に所属していることもあり、素直で、親しみやすい性格をしていた。大学4年時には研究活動があるが、家庭教師のバイトを1つ増やしても、研究はできるだろうと、その時は思っていた。