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学歴ロンダリング   作者: 酒井 漣
3/5

大学2年生

 2年時から通うキャンパスは、新宿から中央線で20分くらい立川方面に進んだ所にある。吉祥寺、三鷹といった街から電車で2,3駅だ。都会の一駅なので、自転車でも十分、吉祥寺まで行くことができる。吉祥寺などの華やかさと比べると、キャンパスのある駅は、どちらかと言うと住宅街だ。住宅街を10分くらい歩くと、急に5階建てのビルが出現する。


 そこが、キャンパスになる。キャンパスとは名ばかりで、5階建てのビルが研究棟、2階建ての建物と講堂とが教室になっており、2年、3年生の間は、主に教室で授業を受けることになる。理由はよくわからないが、地下にも建物が伸びており、地下2階ぐらいまで、何かしらの研修施設が入っていた。私立大学とは言え、一応、工学部、機械系や土木系もあり、そういった学部での研修で使う施設だと、誰かが言っていた。


 キャンパスの雰囲気は変わったが、生徒が変わる訳ではないので、大学2年生の授業が始まっても、相変わらず、生徒のおしゃべりは盛んで、講師の先生方の授業は聞こえづらい。私も、いい加減、諦めればいいのだが、邪魔されている感覚が強く、煙草の量が増えていく。仕送りをもらっているのに煙草とは、いい身分だと思われるかも知れないが、当時は煙草が1箱20本入り、250円くらいで購入でき、私は2日に1箱のペースで煙草を吸っていた。体に悪いのは十分承知しているが、既に左足が言うことを聞かなくなっていて、時より頭痛もする、壊れかけの体に気を使って何になるのか、という思いが強かった。大学側も喫煙所での喫煙を認めている時代で、キャンパス内の至る所に喫煙所があり、私はよく利用していた。


 2年生になって変わった事と言えば、専門色が強くなり、学科に所属する教授陣の方々から、直接、授業を聞く機会が増えたことだ。教授陣は、基本、このキャンパスに研究室を持っていて、日夜、研究に励んでいる。一部の例外を除き、片道1時間以上かけて、前のキャンパスに通って授業を行う方はいなかった。専門性が高くなっても、教授陣は、学生のレベルを熟知しており、導入部は必ず高校レベルから初めてくれた。お陰で、ほとんどの授業で内容を理解することができない、という事はなかった。


 ただ、2年の前期の授業で、確率論だけは理解できなかった。元々、確率は、高校生のときも苦手にしていた分野で、事前配布された講義資料はできるだけ読んでから授業に臨んでいたが、教授の頭が切れ過ぎるのか、宇宙人との会話をしているような授業であった。これはやばい、と本腰を入れて研鑽を重ねたが、期末試験では、見事、玉砕した。大学で狙って単位を取りに行って、初めて単位を取れなかった。その年、単位を取れたのは学科200人中、10名だけだったらしい。専門科目で代替が効く単位であれば、私も諦めもつくが、確率論は、教員免許の専門課程に紐付いている。確率論の今年の単位取得は諦め、来年、取り直す事にした。


 その他の授業は、授業内容をほぼ全て理解することができ、時々ストレスで深酒をしつつも、予習復習に励み、順調に期末試験を突破した。大学2年になると、現役で大学生になった友人は20歳になり、大学生活にも慣れたということで、自動車免許を取ることが話題になった。私は交通事故の経験があるので、車に乗るのも本当は嫌だったが、両親から、就職した時、免許がなくて車に乗れない場合、仕事に穴を開けるつもりか、と諭され、自動車免許を取得することにした。免許合宿で短期での免許取得を目指す友人もいたが、私は、夏休み期間、実家に帰って、地元の自動車教習所に通って、免許を取ることにした。当時はすでにオートマ車が普及しており、オートマ限定の免許でも仕事には事足りる状態だったが、入社した会社の車がマニュアル車だった場合を考慮して、マニュアル車での教習を受講した。マニュアル車の運転は初めてである。クラッチを繋ぐことに、とにかく苦労した。マニュアル車では、半クラッチといって、左足でクラッチを半分踏んだ状態で、エンジンをかけたり、ギアを変更したりする必要がある。私は、左足首が事故でいかれているので、半クラッチの感覚を掴むのに、非常に苦労した。あまりに教習で落ちるので、オートマ車への免許変更も考えた。しかし、震える左足で何度も練習し、なんとか半クラッチの感覚を掴んだ。そこから先は、仮免試験の実地の際、S字で脱輪したため。1回不合格になった以外は、順調に合格を重ねた。結局、入校からちょうど1ヶ月目に、免許センターで筆記試験を受け、無事、自動車免許を取得できた。その後、大学生、大学院生の間に、車を操作した記憶はない。完全なペーパードライバーとして、都市圏で生活していた。大学2年の夏休みは、自動車学校の実地と試験に明け暮れたので、大学で習った授業を復習する機会があまり無かった。しかし、無いなら無いなりに、復習は続けていた。大学2年の後期、授業についていけなくなったら、目も当てられない。大学受験での失敗と後悔が、私を支えていた。

 

 大学2年の後期になり、授業が再開された。やはり、学生間の私語は無くならない。本当に、出席を取ったら、どこかに行って欲しいと、切に願った。大学のカリキュラムにも依ると思うが、私の大学では、2年時も体育があった。1年時の体育は、出席番号順で区切られ、様々な協議を行った。高校までサッカー部だったため、サッカーの授業では、それなりに熱が入った。2年時の体育は、4競技から選択でき、私はサッカーの次に好きだった野球を選択した。私は運動神経がいい方ではないので、サッカー以外の競技は全くできなかった。しかし、私の大学の野球部は、全国でも有数の強豪校で、その野球部の監督が授業を見てくれるとのことだったので、軽く心躍った。私はどのみち自転車で帰るだけなので、体育のある日は、通常授業もジャージのまま受けた。もちろん、授業は真剣に受けた。うるさく騒いでいる同級生達への当てつけの意味もあったと思う。個人的には、ジャージでの生活が長いので、ジャージの方が、授業に集中できた。

 

 大学2年の後期の授業で、現代制御工学という専門科目を受講した。何が古典で、何が現代か、当時の私は分からなかったが、その授業を担当していた教授の話は、他の教授陣と比較しても、機知に富み、非常に楽しかった。ただ、教授の話は面白いのだが、教授の字があまりに達筆すぎて、授業を受けた後、何をノートに取っていたのか、分からなくなってしまった。話は面白いのだが、内容が全く理解できないまま、時間が流れ、この授業の期末試験は、残念ながら落としてしまった。その年、この単位を取れたのは学科200人中、10名だけだったらしい。この授業は、専門科目のため、他の科目でも代替が効くので、次回の取り直しは諦めた。ちなみに私が大学在籍中に狙って単位を取りにいって、取れなかった単位は、前述の確率論と、現代制御工学の2科目だけである。


 その他の後期科目に関しては、予習・復習を繰り返したことと、その場で教授陣に不明点を質問し、明らかにすることを繰り返したことで、授業内容をほぼ理解することができ、試験も突破できた。この時点で、取得した単位数は、100に近づいていた。

 

 大学生活も2年が過ぎ、残り2年となった訳だが、個人として、飯を食えるだけの技術がついたとは、到底思えなかった。その点では、非常に焦りを感じた。東大に受かるような人は、私が4年かけてやることを、1年で終わらせるのだろう。それは能力の差があるから、仕方がない。でももし、私が4年間、今の努力をし続けたら、どういう景色が見えるのだろうか。大学3年になる春休みに、そんな事を考えていた。

 

 春休み中の変化としては、1つ目に、弟が大学受験で東京の大学に受かり、共同生活をすることになったことだ。弟は、大学浪人はしたものの、浪人時、兄のよく分からない理系への執着にあきれたのか、私立文系に科目を絞った。その結果、センター試験で好成績を収め、センタ入試利用で、私が2回落ちた大学に、すんなりと入学することができた。私が理系で授業が多いことは、両親に伝えてあったので、私が自転車で大学に通え、弟が電車等で大学に通え、かつ家賃が安いところを両親と共に探した。結果、京王沿線の穴場で、たまたま家賃が安い物件が見つかった。私は以前よりは通学に時間がかかるが、自転車通学圏内であるその場所をいたく気にいた。両親にも了解がとれ、2DKの部屋に弟と同居することとなった。私は1年で、大家に押し切られた少し狭い住居から転居することになった。


 2つ目の変化としては、家庭教師のバイトが決まった。転居前に住んでいた住居からは徒歩圏内の一戸建ての家庭で、中学2年生の学力向上を担当することになった。私も、初めての家庭教師のバイトで、多少緊張することはあったが、徐々にその家庭に慣れていった。バイトで得た賃金は、生活費に回すことなく、まずは、貯金することにした。両親からの仕送りでも、生活自体はすることができる。用途が明確になるまで、いったん貯金をすることにした。

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