山で
『タベテ』
甘い匂いがした。
花の甘い匂い。
生き物を魅了する匂いが。
『タベテ』
遭遇したのは偶然だった。
ただの偶然。
偶然だが僕にとってそれは幸運だった。
そう。
幸運。
死ぬ寸前だったんだ。
これを幸運と呼ばずに何と言おう。
「僕は運がいい」
運が良いやつは普通は遭難しない。
誰かが見ていたらそんなふうに指摘するだろう。
誰かが居たら。
居たらだが。
キャンプの帰り道。
僕は迷った。
遭難したとも言う。
というかキャンプ場ではない山に泊まった当然の結果だ。
普通に馬鹿の行為である。
だが言おう。
それでも自然そのまままの大地でキャンプをしたかったのだ。
雄大な自然を感じながら朝のコーヒーを飲みたかったのだ。
『タベテ』
甘い匂いを嗅ぎながら。
それで遭難してれば世話ないが。
念のために地図とコンパスを持ってキャンプしたのだが普通に迷った。
やはり方向音痴はアウトドアに合わないのだろうか?
そんな戦慄すべき驚きの事実に震えながら歩いていた。
家に帰るために。
状況は絶望的だ。
だが諦めるものか。
スマホで遭難したことは伝えた。
捜索隊は派遣してくれると言っていた。
だが捜索にどれぐらい掛かるか分から無いと言われた。
だから分かる範囲で目印を教えてくれと言われた。
というか最近のスマホはGPSがついている筈だが……。
この機種は付いてないのだろうか?
とはいえだ。
太陽光の充電器は有る。
万が一は無いだろう。
それに遭難したときのために多少多めに米は持ってきてる。
だがそれも節約して三週間。
それに万が一の場合に備え食べられる野草辞典を持ってきた。
だから更に持つだろう。
水は恐らく大丈夫。
念のために携帯型の濾過器を持ってきたから。
ろ過した水を念のために煮沸する道具も有る。
クッカーやメスティン。
それにシングルバーナー。
山中で体力を温存する為の道具は有る。
テントに寝袋マット。
これで体力の消耗を防ぐ。
生きて家に帰るんだっ!
なんか遭難してるんだかキャンプしてるんだか分からないな~~。
まあ~~良いが。
この季節の花かな?
いい匂いがする。
本当にいい匂いだ。
『タベテ』
◇
三週間後。
「やべえ~~腹減った」
ただいま遭難中。
未だに救助が来ません。
米が無くなりました。
バーナーに使うガスが切れました。
食い物が無いです。
幸い野草は採れるのが救いだな。
だが……。
キツイ。
精神的にキツイ。
「肉食いたい」
タンパク質がないとキツイです。
動物性のタンパク質がないとキツイ。
というか食える野草が少ない。
なので空腹で死にそうです。
『タベテ』
いい匂いがする。
甘い匂い。
甘い。
甘い匂い。
食べ物の匂いだ。
何の匂いだ?
なんでも良い。
食えるなら。
それは眼前の大きな花から臭う。
とてつもなく大きな花から。
いつの間にか現れた花から。
甘い。
甘い匂いがする花。
『タベテ』
人より大きな花。
巨大な花から。
ラフレシアよりも大きな花から。
僕は花の中に招かれてる気がした。
花の中に。
甘い匂いに招かれた。
そう招かれた。
『タクサンタベテ』
僕は獲物として招かれたのだ。
そう獲物として。
「沢山食べて」
眼前の花の中に居る女性に。
全裸で花の中に居る女性。
その体には沢山の生クリームが付いていた。
◇
一年後。
「というのがAV女優の仕事をしていた彼女との馴れ初めです」
「「間違いなくお前は私達の血筋だ」」
僕の言葉に間髪入れず答える両親。
「うるさいわ」
それにノータイムで返す僕。
いや本当に。
「いや~~ん」
赤面する僕の横で羞恥心で悶える女性。
一年前花の中に居た女性だ。
「僕が生クリームと彼女を2つの意味で食った所為で撮影にならんかったけど」
「大丈夫よ用意していたAV男優は置き去りだけど撮影は続行されたから」
「え? 本当に?」
「監督褒めてたよエロかったって」
頬に手を当てクネクネと動く女性。
「それ褒めてるの?」
まあ~~いいが。
どうりでAV撮影を邪魔して損害賠償の請求が来ないと思った。
一年越しの謎が解消された。
というか教えて欲しかった。
「という訳でその時に孕ませたので結婚します」
「「本当に血筋だな」」
「本気でやかましいわ」
両親の言葉に怒鳴る僕だった。
前作『夜道』の続編。
息子が主人公ですW