6
「ジェン。お前、今度はパン屋の女の子に告白して駄目だったそうだな?」
「うっせぇネス。これには浅くて狭い事情があるんだ!」
昨日振られたジェンジーはディリクレ子爵が持つ鍛錬場で組手相手であるネスと共に鍛錬をしていた。
「浅くて狭いなら大したことがないじゃん。」
「だからうるせー!お前も超絶美少女ちゃんの夢を視れば、俺の気持ちが理解できるってーの!」
少し前にジェンは世にも美しい天使を夢で見た。
男の理想を現実にしたような超絶美少女。
その天使にジェンジーのハートは見事打ち抜かれ、頭から離れない。
その所為か、別の女の子にアプローチをしても天使を思い出してしまい、アプローチが出来ず振られてしまう。
『くそー!どうみても夢だよな…?あんな兎フードの天使ちゃんが世にいるなら大騒ぎだ。存在そのものが貴重過ぎて、ぜってー聖女として祭り上げているはずだもん。』
微笑むだけで世の男のハートを射貫くレベンス。
ジェンジーは夢の存在として一生懸命割り切ろうとしている。
実際は夢ではなく現実なのだが…。
「そういえば、王族に絶世の美女がいると話を聞いたことがあるぞ‥‥ジェン、隙あり!」
ネスは感傷に浸っているジェンジーに奇襲を仕掛ける。
「馬鹿!お前の考えは丸見えだっつーの!」
ネスの攻撃を躱しジェンジーは拳を彼にの腹に入れる。
ネスは防げず拳を受けて床に倒れた。
「…いってー!ジェンは容赦ねーわ。」
「あたり前だ。ほら、受け身はとっているだろ?ほら手?」
ジェンジーは起こすのを手伝うようにネスに手を差し伸べた。
その手を掴みネスは起き上がる。
「流石は将来のディリクレ師範。もう俺はお前の相手になれねーな?」
「馬鹿言え。それ言うと親父に瞬殺されるぞ?一番弟子がそんな弱気だと、また親父の地獄コースだ。しかも連帯責任で俺までやらされる。それだけは勘弁してくれ?」
ネスはジェンジーにとって兄弟子。
アポロン男爵家の次男で、師範ジェイフ・ディリクレ子爵の一番弟子である。
そんな彼にジェンジーはいつも稽古をつけて貰っていた。
他の兄弟弟子よりもジェンジーは彼を慕っている。
「くくっ、お前は特に特別コースだよな?だってこの前、師範の大事な酒を割っただろう?」
「へ?…ちょっと待て?何でネスがそれを知っているんだ!?」
隠していた事がネスに知られていた。
ジェンジーは酷く動揺する。
「あはははっ、何故知っているかって?それは…。」
「そんなの俺が教えたに決まっているだろう?」
楽しそうにネスは笑って教えようとしたら鍛錬場の入り口から野太い声が遮った。
その声を聴いたジェンジーは飛び上がる。
「…ぁ…おやじぃ…いや、オトウサマ、ナンのコトでショウ?」
「誰が気色悪い声でなにが『お父様』だ?この馬鹿ウリ坊。お前の悪さなど、とうにわかっとるわ?」
ドスの利いた声が鍛錬場に響く。
白々しくジェンジーは知らないふりをしても相手が悪い。
父親であるジェイフの大きな手がジェンジーの頭を一瞬で掴みギシギシ言わせている。
「いてててっ!めっちゃっ痛てーよ?この馬鹿親父、やめれ!!」
「お前の頭が賢くなるようしっかりと良い念を入れているのだ。ありがたいと思え?」
「この馬鹿力にどこがいい事があるんだ!?ふざけんなよ?」
「ほう。父に生意気な口が叩けるとは大きくなったものだ。この俺が折角、色呆けに囚われた息子を助けようとしているのに、これは更に治療が必要だな?今までのコースでは物足りないだろう?スペシャルコースで行こうではないか?」
「やめろー!!このくそ親父!」
相変わらずの光景にまわりの弟子たちは「また始まった」と無視して各々稽古していた。
それぐらいにこの二人のやり取りは日常茶飯事。
一人大笑いしていたネスは次第に大きなため息をつく。
「ジェンの悪さもいつもの事だけど、師範もそう変わらないけどなー?この前、同じような理由でお袋さんに叱られていたのを見たし…武家の中でも名門と言われたディリクレ子爵当主と子息がこうも猪だとは…威厳がないというか、またあの家に足元を見られる気がする。…どうしたものやら…。」
やれやれとネスは肩をすくめる。
この後、余りにも二人のやり取りが過激化して大喧嘩となり、最終的にディリクレ夫人こと『お袋さん』が出てきて二人をフライパンで沈めた。
・・・・・
「くそー!俺の整った頭にたんこぶを作るなんて、お袋は容赦ねーわ!?」
ジェンジーは結局父親のスペシャルコースをやらされた。
そして何とか事が終わり、夜の庭で大の字になって休憩を取っている。
「この後、メイリンちゃんのお手伝いもあるのに…身体が上手く動かない…くそー、問答無用に鬼コースを用意しやがって、あの馬鹿親父!!」
どうやら、またジェンジーは気に入った女の子にアプローチをする為に出掛けるようだ。
だけど父親から容赦なく扱かれて身体が上手く動かない。
ふと静かな夜にジェンジーは空を見つめる。
「…本当にあれは夢だったのかなー?」
どんなに激しい鍛錬も、どれだけ可愛い女子に声を掛けても、離れられないあの時の夜。
ジェンジーは自分の手をあげて見つめる。
この手はあの時の温もりを教えてくれていた。
「考えても仕方ないし、行くか?」
飛び起きて身なりを整い、ジェンジーは王都まで向かった。
ジェンジーはいつも通りの足通りで王都の裏通りに辿り着くと、何かを目撃する。
「あれメイリンちゃん?」
一人の女性が誰かを待つかのように、店と店の間で一人立っていた。
ジェンジーは近寄ると女性は気づき急に笑顔になる。
「俺を待っていてくれたのか?やはり優しいなー。振られた時に励ましてくれたのもメイリンちゃんだけだったし…。」
女性は笑顔で手招くとジェンジー喜んで向かっていく。
でも、途中で女性は怯えた顔してジェンジーを待たずに建物の間の奥へ行ってしまった。
「?急に様子が変だったような…どうしたのだろう?」
ジェンジーは女性の元へ急いで向かった。
建物の間を通り抜けるとそこには水路。
細い道で誰もいない。
「メイリンちゃん…!?」
水路を挟んだ反対の場所で女性はガラの悪い男に捕まっていた。
「おい!?その子を離せ!」
「てめえに用があるんだよ!この女が惜しいなら大人しくしろ!」
男はジェンジーを脅す。
「くっ。」
場所が狭いとはいえジェンジーなら何とか出来る。
『メイリンちゃんには怖い思いをさせるかもしれないけど、やるしかない。』
「おい、大人しくしろ!」
後からもガラの悪い男が道を塞ぐように立ち塞がる。
「けっ。揃いも揃って熱いおっちゃん達だな?そんな熱烈なアピールはしなくていいって言うの?」
「なんだと!?」
ガラの悪い男はジェンジーの挑発に簡単に乗る。
『やっぱりこいつら、この前の仲間っぽいな?皆、馬鹿丸出し!』
男が近づくとジェンジーはすぐさま足を使い、後ろの男達を蹴り飛ばした。
「おい!こいつが目にはい‥!?」
「バーカ!」
ジェンジーはそのまま前に大きくジェンプして、目の前の男に飛び掛かる。
女性を掴む男の顔を思いっきりぶん殴った。
男達はあっけなく倒れる。
「弱っちいの!って、それよりも!」
男を倒した衝撃で女性も一緒に倒れていた。
ジェンジーはすかさず女性を起き上がらせる。
「メイリンちゃんごめん、大丈夫?」
「…。」
女性は怯えているようだが、怪我もなく大丈夫そうだった。
でも、何故か女性から変な匂いがする。
それでもジェンジーは気にすることはなく、大事に女性を支え立たせた。
「怖かったな?もう大丈夫だ。俺がいるからな!」
出来る男をアピールするかのように格好つけるジェンジー。
女性はそんなジェンジーに抱きつく。
女性の温もりにジェンジーは激しく動揺した。
『おおっ!これはヒーローが助けた時のお決まり展開!?』
歓喜余って有頂天なジェンジーは女性をそっと抱きしめる。
『ヒーローは美味しいな!…さっきから変な匂いが邪魔をするけど…ま、いいか!』
慰めるように女性の背を撫でようとしたら突然女性が顔を上げた。
「ん?もう大…」
女性はすかさず手を動かしジェンジーの口元に何かを当てる。
先程の変な匂いが強烈になった。
「な…」
ジェンジーは考える間もなく意識が遠くなっていく。
そしてジェンジーの身体は崩れた。
「ふふふ…」
女性はジェンジーを見て怪しく微笑んだ。
・・・・・
一方その頃のレベンス達は。
「ニルキア。そちらの状況はどうですか?」
民族の避難をしていたニルキアにレベンスは問う。
既に出発の準備ができており、馬を連れて最後の確認を行っているようだ。
「問題ない。先に通達していたから民族たちも半数以上移動している。特に揉め事もなく済んだのは幸いだな?」
「それは良かった。この地は国からかなり離れているとはいえ、国へ攻め込む為には絶好な通過点です。それに先住民がいることによって略奪し敵陣の拠点として作り変えることが出来る。目に見えない場所ほど都合がいいのでしょうね…ミロンが説得してくれて助かります。」
騎士団が動く前にレベンス達は仲間に通達し民族たちに伝えていた。
いつもこうして先回りをして被害を最小限に抑えている。
仲間達が居なければ、出来ない事だ。
そう、レベンスは彼らに絶大の信頼と感謝をいうとニルキアは苦笑して頷く。
「あいつは民族の中でも強者だからな?でも、ミロンはお前の名を出しただけで、説得が出来たと言っていたぞ?それに族長も『戦神様が舞い降りたなら、きっとこの地を守ってくださる。』だと言っていた。お前の噂はどこも行き届いている。流石は英雄様だ。」
揶揄うニルキアにレベンスは頬を膨らませる。
「揶揄わないでください。…でも、そろそろ時が来ましたね…?」
王都からこの地に来て既に10日間経っている。
既に敵陣は国境を近くまで迫ってきていると偵察隊から通達があった。
「いくか?」
「ええ、ここからは私一人で行きます。ニルキアは戻って団長と共に軍隊の指揮をお願いします。既に各拠点地には軍隊が配置されているでしょう。各隊長たちも例の件を行うのに時間が掛かります。フォローをお願いします。」
優秀な彼らでも今回は骨が折れる。
元総大将であるニルキアなら、彼らの大きな支えになるだろう。
「あちらにいる大将も総大将並みの実力を持つという話だからな…分かった。俺が行こう。お前も決して無理をするな。必ず帰ってこい。分かったな?」
馬に跨るレベンスは普段の可愛らしさとは違い、凛々しさがにじみ出ている。
漂う雰囲気は既に戦士だ。
「勿論です。私は負けませんよ。必ず貴方の元に帰ります。」
“私の居場所はニルキアの元だけ”
そう言いレベンスは微笑んだ。
「当然だ。…行ってこい、奴らを殲滅しろ。」
「はい。参ります!」
手綱を慣らし馬が鳴く。
そして馬を走らせてレベンスは敵陣へと向かっていった。
総大将自らが前線で戦うなど、本来はありえない。
だが、どの屈強な戦士達を束ねて襲い掛かったとしても、レベンスはたった一人でいとも簡単に薙倒していく。
どんな不利な状況でも子兎は易々と片づけることが出来る。
まるでレベンスに戦神が降臨したかのよう…
レベンスの後ろ姿をみてニルキアは思った。
今回も“戦神”によって容易く終わるだろう。
ニルキアはそっとため息をつき自身の馬に跨る。
そして自身の役目を果たす為に馬を走らせた。
数時間後、国境付近で大きな狼煙が上がる。
開戦を知らせる狼煙…いや、これは爆薬によって敵軍を巻き込み発生した狼煙だ。
これにより敵軍は予定よりも早く行動を動かすことになり、大きく士気が乱れることになる。
そして敵軍の陣地へ一人向かったレベンスは…
まさか攻め込む側が逆に襲撃を受ける、この状況に前線にいた敵軍隊は困惑をしている。
一人の敵兵士が叫んだ。
「な、なぜ?ここにいるのだ!?誤情報を拡散したはずなのに…しかも総大将自ら来るなど…!!?」
「そうですね?でも、これが結果です。」
男の後ろにレベンスが現れ一瞬で男を倒す。
「で、で…出た!?ヴァロンの総大将…レベンス・フォン・ヴァロン!!」
「嘘だ。この女がヴァロンの英雄!?」
「こ、殺せー!こいつを殺せば我が軍の勝ちだぞ!?」
目と鼻の先にいるレベンスに敵軍は一斉に叫び襲い掛かる。
「…では始めましょう?この愚かな戦いを終わらすために…。」
絹の様な上品で長い髪が戦場の風に舞った。
レベンスが少し動いただけで、周囲の兵士は一瞬で絶命する。
敵兵は何が起きたのか分からず後ずさるが、レベンスは彼らに詰め寄り剣を振り上げた。
そしてまた多くの敵兵が地に崩れる。
どんなに大量の弓で仕留めようとしても、どんなに体格のいい兵が力技で押し込めようと、レベンスは綺麗に躱して相手を沈めていく。
「ひぃっ!何故、我々の攻撃が当たらない?たった一人なのに何故!?」
一人の指揮官が叫ぶ。
目の前のレベンスが恐ろしいのか、敵兵達は後ずさりをする。
だが、それも虚しくレベンスが先に動き敵兵を薙倒していく。
援護する為に他の敵軍隊がレベンスに向かって来るが、彼らは来ることは不可能。
突然、後方に大きな爆発が起こり援軍を飲み込んでいった。
それもいくつかの場所で大きく広がり、煙で視界を塞がれ混乱に導く。
「有難う。あなた方は彼らを誘き寄せる餌でした。これで半数ぐらいは足止めができそうです。」
大きな爆発は敵陣営に多大な影響をもたらす。
多くの騎兵隊は馬という足を失い、自らの足で立たなければならない。
それをうまく使いレベンスは生存者を次々と倒していった。
『どんなに策を練って大軍で攻めて来たとしても、この地の本質を理解できない者はこの地に呑まれるでしょう。だからこそ愚かなのです。』
この地を知る者と知らぬ者とでは、どんなに屈強な存在だろうと差が出る。
レベンスはこの地をよく理解し、出来るだけ最小限の被害で敵軍を片付けるように手を打っていた。
『さて、敵大将が早々とお出ましの様です。…早くこんな虚しい事を終わらせましょう?』
少し離れた先には今相手した軍とは違い、比べようのない大軍が現れた。
国の旗を背負った軍隊は言わずとも敵の総大将軍を意味している。
『既にここだけではなく他の場所も始まっていますね?ニルキア達がいるから安心していますが、私も早く終わらせて手伝いに行きましょうか…。』
既に各地で騎士達が戦闘を始めている。
大半はレベンスの策で用意した罠が彼らの戦力を大幅に減らしていたが、やはり全てを片付けるには難しい。
「でも、私達は決して負けません!」
強い眼差しは既に勝利を確信している。
戦神の宣告は現実となり、この後もレベンスは何万人の敵軍を圧倒し無事勝利した。
たった2日でザラシンド軍隊を制圧できたヴァロン軍は更なる名を馳せることになる。
総大将の帰還に多くの民が称えるが、ニルキア達がいる軍と合流したレベンスはそれどころではなかった。
「ニルキア、どういうことですか?」
「…うーん。恐らく仲間がまだ残っていたというべきだろう。」
ニルキアの元に伝言鳥が舞い降りある知らせを受けた。
どうやら手紙の主はニルキアが使いを出していた仲間からのようだ。
その手紙には、この前の事件を起こした主犯格がある民を襲い連れ去ったという情報が書かれていた。
「闇市場にいる仲間は大方、ノルン達が対処してくださっているでしょう?…港以外に隠れていたお仲間も捕獲が出来たと思っていましたが…まだいたのですね?ある意味、今回の敵大軍よりも頭がいいのではないでしょうか?」
「…レン…お前も言い様になったな?」
素直に感心するレベンスにニルキアが肩を落とす。
敵国から攻めて来た総勢7万人の屈強たる軍隊よりも、たった100も満たない底辺の狼藉者が賢いなど、誰が聞いても誉め言葉ではない。
「今回、お前のお眼鏡に敵った事で彼を調べていたが…まさかこんな風になるとは思わなかったな?」
「そうですね…。ニル、騎士団の現状からみると負傷者もそこまでいなくて、残るは片付けのみでしょう?私は先に切り上げても宜しいでしょうか?」
すでに残党も片づけられ死体の処理のみ。
かなり掃除に時間が掛かるが、騎士団に任せられるだろう。
「馬鹿。また団長を怒らせるぞ?…それに居場所が分かっていても、相手がどれだけいるか不明だ。罠かもしれないし、王子自らを行かせるわけにはいかないだろう。」
「ニルキアもよく言います。総大将軍を相手していた私にどれだけ人数がいたとしても、どれだけ罠を張っていても効果はありません。それに私には死神様がいますもの。…一緒に来てくれるでしょう?」
レベンスは首元に掛かっている例の札をニルキアに見せつける。
魅惑的な笑みで微笑むレベンスに、再びニルキアは肩をすくめた。
「全く、この仔兎は甘え上手だ。仕方ない…救出しに行くか?」
「流石ニル。嬉しいです!」
承諾を貰って嬉しそうに兎姫は跳ねた。
「だが少し待て。どうせそちらにも片付け隊が必要になるだろう。カイロスの軍を呼ぶ。」
「はい。そちらはお任せします。私はカイナン団長に後の事をお伝えしましょう。」
二人は救出に向かう為に準備へと取り掛かう。
そして滞り終わり再び馬に跨った。
「では行きましょう!」
「ああ。」
二人は馬を走らせる。
向かう先はとある廃港。
そこで囚われたジェンジーを救出するために向かった。
お読み頂き有難うございます。