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1-9 ナガセ……?

〝ファーバニカ〟の群れが去り、海風と共に波が岩壁に押し寄せるようになった頃。アガサさんは髪を解いてなびかせ、打ち捨てた靴を履いて夜を見上げた。



「――わたしは村の方々から〝ナガセ〟と呼ばれています。もちろん直接言われたことはありませんが……それくらいわたしにもわかる」



 アガサさんは崖の先に立ち、私は岩の腰かけにもたれて手を組んでいた。



「ナガセは、この地域に伝わる伝承における怪物の名です」

「怪物……」


「その名は『海魔』を意味し、その姿は竜か、あるいは巨大な海獣の類とも言われます。いずれにせよ共通することは、その者は海の流れに逆らって泳ぐということです」


「逆らって?」



 彼女は背中越しに頷く。



「翼のようなひれを打ちつけ、潮の流れをかき消して進むのです。かき消したままナガセは泳ぎ去り……後に残った流れなき海は濁り、澱み、棲むものを鏖殺おうさつする死の世界に変わる」


「…………酷い」



 金の髪が揺れた。肩越しに見えた微笑はひどく虚ろだった。



「わたしはナガセです。村に不漁の厄災をもたらし、人々が苦しむのをここから見下ろすしかできなかった呪いの権化。村にも、屋敷にも居場所がないのは当然の帰結ですね」



 ……確かに、仕方ないのかもしれない。

 生活の中心である漁が上手くいかなくなるのと同時に見知らぬ貴族の娘がやって来て……人々がそこに恐ろしい怪物の姿を重ねてしまうのは無理からぬことだったかもしれない。



「自分にもできることを、ってイト村ともいろいろ交渉して……。結局、向こうにも飢饉の芽を伝染うつしてしまいましたけどね」



 今にも泣きそうに潤ませた目をそれでも細める。


 その言葉を聞いて――私は、『違う』と思った。



 彼女は手を伸ばし、宇宙に光る夜光虫の残滓に触れた。



「せっかくなら……あなたたちの居場所にわたしも連れて行ってくれたらいいのに」



 駆け出した私は虚空に伸びたその手を掴んだ。驚きの目と視線が交錯する。



「……オノダさん?」

「アガサさん……ファーバニカが用意できるのはファーバニカのための場所だけですよ。あなたがあっちに行っても仲間にはしてもらえない」



 この言葉が憂鬱に沈んでいた表情をきっ(・・)と作り変えさせた。



「――わ……わかっていますそんなことは! わたしはファーバニカでもクジラでもない、どっちにも連れて行ってもらえません! でも、だったらわたしはどこにいればいいんですか!?」



 私の手を叩きつけるように振り払い、髪の束を振り乱し、二色の瞳に紫色の炎を燃え盛らせて叫ぶ。



「……〝ナガセ〟に居場所なんてないんです。迷惑をかけないように閉じこもろうにも、あの家には従順な〝お嬢様〟のための部屋しかない。……今のわたしが眠るためのベッドはありません」



 天を突かんばかりだった怒髪が力を失い、彼女はうずくまり顔を覆った。



「もうどこにもいられない……どこにも行けない。わたしは呪ってるんです、海と野とわたし自身を呪い続けてる。

 居場所のない『海魔』がファーバニカにほんの少しの夢を見ることがそんなに悪いことですか……?」



 指の間から零れ落ちる雫が岩肌を暗く染め、しゃくり上げる声はクジラの遠吠えみたいにいやに遠くまで響いていた。

 だけどこんな崖の果てから海鳴りに混ざって抜けていくその小さな悲鳴は、恐らく村や崖上屋敷の誰の耳にも届いていなかっただろう。


 聞いているのは私だけだ。私が投げかけるしかなかった。



「――本当にそう思ってるんですか?」

「…………は?」


「本当に自分のことをふたつの村を危機に晒した呪いの元凶だって、海魔ナガセだって、そう思ってるの?」



 私は半分以上睨みつけるようにして訊いた。アガサさんはその表情を見て少しびくりとしたかもしれない。けれど、それくらい「違う」と言ってほしかったのだ。


 だって違うのだから。



 ――〝ナガセ〟は潮の流れを殺すことで魚を減らしてしまう怪物だ。それはわかったし、納得感がある。一億歩譲って彼女にそういう呪いの力があるとしたら、このモーリ村に来てしまったことで災害級の不漁が起きるのも宜なるかな、と言えないでもない。


 しかしナガセの力があるなら、逆にひとつ確かなことがある。

『アガサさんにイト村の動物食害を引き起こすことはできない』ということだ。


 だってナガセはあくまでも海の魔だ。野生動物を使って農作物を食べさせるなんて甚だしい越権行為じゃあるまいか。


 だから彼女は違うのだ。ただ運が悪かっただけ。私はそれを確信として感じていた。



「…………わたしが悪いの。きっと小さい頃、家で大人しくしていなかったせいでお父様はわたしを嫌って……×△▲●の呪詛と一緒にわたしを――」



 私は彼女の前にしゃがみ込んだ。彼女は私よりずっと背が高いはずなのに、目線を合わせるのが困難なくらい小さく見えた。



「ねえ、お姉さん」

 とそう呼んで、



「私、この村のみんな、誰ひとりだって知らない遠い国から来たんです。だからここの言葉もまだよくわかんないし、文化にも馴染めてないし、みんなのセンスにもぜんぜんついていけなくて……。

 へへ……それで困ることもよくあるんですけど」


「…………」



 そこで私は少し考えた。

 できるだけ他人行儀な言い方……いかにも日本人らしい、遠回りにお伺いを立てて、相手の気分を害さないような、他人事の言い方を選びたかった。

 そっちの方が、目の前で泣いている白国人は気が楽だと思った。


 滞在歴半年の拙い白国語で、できる限りのそんな言い回しを。



「……私はワタリガラスです。明日には……顔も名前も、忘れちゃっていい人だと思います。だから――そう、そういうヤツにだから話せることもあるんじゃないですか?」



 涙で濡れて白く褪せた手を取って私の体温を分ける。



「教えて、本当の気持ち。……お願いやけん」



 その言葉は彼女にはわからないはずだったけれど――なんだか、いけるような気がしていた。

 言葉じゃなく、言葉の持つ意味を伝える魔法が私たちの手の中にあるのだと信じていた。


 そして、そんな魔法がきっとあったのだ。

 アガサさんは震えるように頷いて、私の手の甲をぴたりと自分の額に寄せた。



「わたしは…………悪くない……!」

 キリキリと軋むような叫びが分厚い天蓋を切り裂くように、食いしばった奥歯のさらに奥から言葉が溢れ出す。



「わたし何もしてないっ! ナガセなんか、呪いなんか知らないっ!! 知らないわそんなこと、何もわたしのせいなんかじゃないっ!!

 ただわたしは……こ、こんな見ず知らずの土地にひとりっきりでいて……心細かったの……。だから、せめて……お屋敷の窓から見えるあの人たちみたいに、誰かとお話しして…………た……『楽しいね』って言いたかった、だけなんです……」



 滝のように声が流れるのと一緒に、彼女の宝石のような目からはこれまでに流した分の何倍もの涙が落ちた。澄んだ雫は私の手から肌を伝って肘まで流れ落ちる。

 熱い涙。


 私はこっちまで泣きそうになるのを懸命に堪えた。危ない危ない……私まで泣いちゃダサくて仕方ない。



「だったら……やりましょう! アガサ・ミルラはナガセなんかじゃないって――わからず屋のこの村の奴らに『間違ってるのはお前たちの方だ!』って教えてあげましょうよ!」


「教えるって……それは、わかってほしいですけど、でも……どうすれば」



 私はニヤリとして答える。



「本物の犯人を見つければいいんですよ」

「……本物の、犯人?」



 私が思いついた作戦はシンプルだった。


 五年をかけて形成された『呪われた名ばかり村長アガサ・ミルラ』に対するイメージはもはや言葉での説得でどうこうできるレベルじゃない。



 だから証拠を示すのだ。不漁の原因も食害の原因も彼女ではなく、()()()()()()()とハッキリ言うことができればモーリ村民だって考えを改めざるを得なくなる。

 少なくとも〝ナガセ〟という伝説と結びついた悪評はなくなるはずだ。


 そうすればあとはどうにでもなる。アガサさん自身の力でどうにでもできるはずだった。



「魚が捕れなくなったことに――別の原因が? ほ、本当にそんなことがあるんでしょうか……?」



 ある、と強く頷いた。私は目の前にいるこの女性のことを信じているから、私自身の根拠薄弱なこのアイデアも信じることができる。

 あとは彼女が自分自身を信じることができれば、必要なものはそれだけだった。



「でも……オノダさんも知ってるでしょう? わたしは、夕食にどこの何を食べるかも決められないのに。そんな人に一体何が――」


「なんでもできますよ」



 肩を貸して支えながら言った。



「私が聞いた話じゃ、アガサ・ミルラっていう人はこの村の〝村長さん〟で、あの立っっっ派なお屋敷の〝ご主人様〟らしいんで。そんなエラい人が何かやるって決めたら、それを阻止できる人なんてこの村にいるのかなあ」



 空とぼけたそのセリフを聞く間、アガサさんはぽかんとしていて。だけど私の言うことを否定することもできなかった。

 だから結局、彼女は私の肩を借りずともしっかり立てるようになるしかなかった。



「……村長として、主として、今までできなかったことを――して来なかったことを為さないといけないんですね」



 私の腕に熱い指先が触れてそっと払いのけられる。高く見上げると、そこにあるふたつの瞳には夕日のような清閑な熱が光っていた。



「籠に鍵なんてなかったのね。……わたしが押せばいつでも戸は開いたんだ」

 ぽつり呟いて、泣き腫らした双色の目でこちらを見据えた。



「やります、◎×〇と我が◆△〇に誓って自分は無実だと証明してみせます。

 だけど――もう少しだけ助けてください、オノダさん。わたしにはまだあなたが必要なんです」



 そんなストレートな言葉に少しドキリとしながらも、わたしはキザを気取って口元を歪めた。


 残念ながら十五の私はまだ中二病気質が抜け切っていなかったのだ。



「桜ですよ、アガサさん」

「えっ?」


「私の名前。小野田(オノダ)は名字で、サクラが名前ですから。そう呼んでくれるのなら……手伝ってあげようじゃないですか」

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