表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

1-8 ファーバニカ

 アガサさんは私の手を引き、屋敷の窓から外に出て裏庭の奥に続く断崖絶壁に向かった。


 メイドさんの手で整美されていた表側の庭園と違い、背中側は荒れていた。

 長く手が加わっていないのだろう。ぼうぼうと草が生えまくっているかと思えば、岩場に出るとぺんぺん草も生えなくなる。転がる古いレンガは割れ、枝切りばさみみたいなものは赤錆に固められている。

 もしも私が親なら、ここでだけは絶対自分の子を遊ばせたくない、と思いそうだ。


 崖の舳先にたどり着くまでの道のりは旅慣れた私でも歩きにくかったが、しかしアガサさんはその尖った岩石の上をひょいひょいと跳んで、あっという間に自然の展望台めいた広場に上ってしまった。


 彼女の華奢な体から見れば、その速さはなかなか驚異的だったが、私はあまり驚かなかった。

 結局、こういう足場の悪い場所を効率よく進むために最も必要なのは、筋力じゃなく慣れなのだ。私が一歩進む間にアガサさんが五歩進めるのは、彼女が私の五百倍もこの場所にやってきているからに他ならない。



「気を付けて来てくださいね!」

「は、は~い……!」



 一歩足を踏み外せば切り立った岩肌に真っ逆さまな道を通っているんだから、どのみち気を付けないなんて選択肢はなかったわけだけど。


 とにかく、大岩の向こうから聞こえる声に従って私は進んだ。


 そうしてやっとの思いで岩道を踏破した。石垣のような段差を乗り越えると足元が平らになった。今まで道なき道を通ってきたのがウソのように広々としたデッキが西の海に向かって突き出している。


 アガサさんは、腰かけ状に抉れた石に背中を預けていた。伸ばした指の先に、磨かれた革製の靴を引っかけていたが、私を認めるとそれをその場に捨てて、裸足でこっちまで駆け寄ってきた。



「どうですか、ここ! 綺麗じゃないですか?」

 手を広げ、踊るように一回転する。



 展望台の先に広がる海を見て私はため息を漏らした。


 昼間はあれほど青かった海は、夕凪の時間を迎えてオレンジ一色に染まっていた。一日の役目を終えようとする太陽が最後の元気でとびきりの光を放ち、全てを自分の望むように染め上げているようだった。

 海も雲も岩壁も砂浜もモーリ村の家々も、私の黒い髪さえもその時は鮮やかな橙に変わっていた。



「〝ファーバニカ〟を見たいときはいつもここに来るんです」

「わあ、いいなぁ! 特等席じゃないですか~!」


「ふふふ……あの館に住んでいてよかったって、唯一思える時間です」



 ……それだけ太陽の力が強くなっても、彼女の瞳にはまだくらさが残っていた。そんな色をふっと吹き消しつつ彼女は指をさす。



「――あっ、クジラが来ました!」



 見ると、沖合の海に巨大な影が映し出されていた。全長十数メートルのクジラが頭を覗かせ、水柱を上げて沈みゆく太陽を洗っていた。


 私は誰にでもなく拍手喝采をしていた。水族館以外でクジラを見るのだって初めてだったのに、いきなりこんなに景気よく潮を噴いてくれるなんて感動ものだった。


 そんなことをしている間にも浮かんでくるクジラの数はどんどんと増えてきた。はじめは沖の方にしかいなかったのが、気がつけば私たちの足元の、浅瀬のところにも何頭ものクジラが浮かんで地鳴りのような鳴き声を上げている。


 これだけでも十分にモーリ村を訪れた価値はある、と言える光景だったが、本番はこれからだった。


 数十のクジラが集まり、揃って潮を噴き上げていると、それはどこからともなくやってきた。


 オレンジ一色に染まった空の一角に青みが差したのだ。私たちはそれに気づいてはっと顔を上げる。



「ファーバニカ!」



 私が上ずった声で呼ぶのに応えるように、ぼんやりとした青い光が勢いを増した。


〝ファーバニカ〟――その名を日本語で表すなら『飛夜光トビヤコウ


 体長は一センチにも満たないごく小さな翅虫。だけど繁殖期の彼らは自分の体よりもずっと大きな光を放つことで知られている。

 その光は夜光虫のように鮮やかな青白い輝きをもって海の代わりに空を彩るのだ。


 キラキラと輝く水しぶきで体を洗うように、ファーバニカのシアンの光が夕空にちりばめられていく。



「すごい……壮大、ですね」

「最初に村に来た時からずっと大好きなんです。この光に――命を感じて。わたしじゃない他者が、わたしと同じ世界で生きている証明を感じられて」


「……私、モーリ村に来てよかったです」



 ちらりと横顔を向けると、向こうも横顔に微笑みを浮かべて返す。



「なんたって、ファーバニカは村の宝ですから。――でも、まだここからですよ」



 私が首をかしげるのと同時に、大きなクジラが今日いちばんの水柱を立ち上らせた。


 その瞬間、青白く発光していたファーバニカが不意に色を変えた。

 潮を浴びたところから、筆で塗るように緑の光に変わっていったのだ。



「うわぁ……!」



 少しずつ暗くなりゆく空が優しい色で覆われていく。夜が近づいているのなんてまるっきり忘れてしまうほどの輝きで、彼らは空を行き交っていた。


 すると突然、アガサさんはお腹いっぱいに息を吸い込んだかと思うと、



「わぁーーーっっ!!」

 と叫んだ。


 いきなりなんだ、とびっくりする私を制するように、彼女は海を見つめ続ける。



 すぐに気づいた。彼女の声が遠く響いていくと、それに共鳴するようにファーバニカの光がさらに様子を変えたのだ。


 赤、黄、緑、紫、白、金や銀に至るまで、およそ人間が考えられる全ての色があるんじゃないかと思うほど多様なパターンで瞬いていた。


 ――ファーバニカのエネルギー源はクジラが噴き出す潮に含まれるわずかな『魔力』だった。宙に浮かぶ水滴に混じったそれを捕まえ、吸収するときに彼らは光を放つ。つまり、あの光は――



「――ファーバニカなりの『魔法』なんです。そこにちょっと意地悪をすると、怒っていろんな色で光るんですよ」



 アガサさんはいたずらな表情をして教えてくれた。



「オノダさんもやってみませんか?」

「わあ、いいですか!? ……んんっ、それでは失礼して……」



 私も彼女にならい大きく肺を膨らませ、一気に叫ぶ。



「そげんことゆーたっちゃどげんもならんめーもーーーんっ!!」



 花火が弾けるように、夢のようにチカチカと光が揺れた。

 空と海との間に横たわるなだらかな水平線が虹色に輝いていた。


 アガサさんはクスクスと笑って言う。



「それどういう意味ですか?」

「別に意味はないんデスケド……な、なんとなく」



 方言の解説を自分の口で、なんて恥ずかしい真似はいくら異世界でも御免被る。


 それから私たちは交互に何か意味のない言葉を叫んで、ファーバニカをたっぷり怒らせた。でもその分だけ私たちの心には『魔法』の輝きがしみ込んで、降り積もって、満ち満ちていった。



「ここに案内してくれてーっ、ありがとうございまーーーすっ!!」


「わたしも、あなたと一緒に見られて嬉しいーーーーーーっっ!!」



 海にクジラはなく、空が光を失うまで私たちは叫んでいた。

よければブックマーク登録、評価をいただけると嬉しいです!

感想、ご指摘もお待ちしています!博多弁で返信します!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ