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1-7 お嬢様?

 崖上屋敷の三階、その端っこにある部屋に彼女はいた。

 安楽椅子に腰かけたアガサさんのそばには白髭を蓄えた老紳士が立っていて人の好さそうな微笑みを浮かべている。



「お嬢様、お夕飯の◎◎◇は肉と魚、どちらにいたしましょうか?」



 執事であるところの老紳士にそう訊かれると、アガサさんは胡乱な目で問い返す。



「……肉があるんですか、このモーリ村に? イト村からは何もいただいては――」

「オルブから取り寄せた牛肉がございます」


「…………そうですか」



 アガサさんはうなだれながら「お魚をお願いします」と答えた。それからしばらくの間髪をかき上げて、悩みながら低く言う。



「そのお肉……村の方々に配れませんか?」


「そのようには致しかねます」



 執事は人の好さそうな笑顔のまま軽く頭を下げた。



「ご勝手なことをなさっては旦那様にお叱りを受けてしまいますよ、アガサお嬢様」


「……この屋敷の主人は、モーリ村の長はわたしではないのですか?」


「あなた様でございます。それには一縷の×●△●もございません」

「では何故――」



 声を荒らげそうになるのも一瞬、アガサさんはかぶりを振って息を飲み込むと『もう下がって』というジェスチャーをした。



「それでは、御用があればお申し付けくださいませ」



 恭しく礼をして執事は部屋を退いた。



「っ、はぁ……」



 くずおれる風に背もたれに体を預けると、彼女は目の周りを覆って長い息を吐いた。



「…………あの人の主は今でもお父様、かぁ」



 その声に紛れて私が室内に入り込んだことには彼女は気づかなかった。



「なんかカンジワルイ人ですね~……。『執事って実在するんだ!』って思ったのに……ちょっと幻滅しちゃうかなあ」


「!?」



 はっと振り向いて私の姿を認めると、アガサさんは一気に起き上がって私の手を握った。



「オノダさん……! よかった、来てくれたんですね! 見張りに見つかりませんでしたか?」



 やや潤んだ瞳が急に近づいて、どぎまぎしてしまう。私は機械みたいにこくこく頷いた。


 私が村から屋敷に忍び込むまでの経路は全部、飴玉の包み紙に記された通りのルートそのままだった。

 塀の穴を通って枯れ井戸を進んで裏庭を回って……その通りにすれば、表門にたくさんいた槍を持った衛兵さんたちにも、幾何学庭園の掃除をしていたメイドさんたちにも見つからずにやって来られた。



「あの道、わたしがいつも村に下りるために使ってるんです。ああ、上手くいってよかった……」



 私は部屋の奥の椅子に座らされ、テーブルにはすかさずティーカップが差し出された。

 コーヒーのようなてらてらした黒い飲み物だったが、香りは果物のように甘い。ひと口飲んでみると、匂いに違わず酸味を含んだ甘みが口に広がった。美味しいのだが、なんとなく温めたコーラみたいだなと思った。



「……オノダさん、いきなりあんな形でお呼び立てしてすみませんでした」


「あ、いえいえ。私もなんだかスパイになったみたいで楽しかったですよ、ミッションインポッシブルみたいな!」



 言いつつピストルを構える真似をしてみたが、ミリも伝わらなかった。当たり前だ。



「え~……で! ど、どうしてあんなことをして私を?」



 彼女も謎のフルーツティーをひと口飲み、重厚なドアの向こうを透かし見ながら言う。



「こうでもしないと、誰かとゆっくり話したりなんてできないと思って」

「……あの執事さん、厳しいんですか?」


「さあ……どうなんでしょうね。彼が特別そうというわけではないのかもしれませんが……とにかく、わたしがここに村の方々をお招きすることはあまり好ましくないこととされています」


「もしかして夜中に出歩いてたのも同じ理由?」


「そうですね。わたしは〝じいや〟に断りなく屋敷を出られませんし、頼んだとしても正当な理由がなくては彼は認めてくれません」



 それを聞いて私はややむっとした。いくら立派なお屋敷に住んでいても自分の意思でそこを出られないなんて監禁と変わらない。


 ……実は私は、『異世界』に来てから数か月の間監禁されていた。アガサさんにシンパシーを感じたのはそういうわけからだった。



「でもそんな規則はどこにも設けられてないんです。『外出する際は私に許可を取りなさい』なんて彼も一度も言ったことはない。ただ――わたしと一緒にやってきたミルラの鴉が、知らず知らずに鳥籠を編んでいたんでしょうね」



 純白の生地でできた服の袖を撫でながら彼女は呟いた。そこに縫い付けられたカフスボタンには、ここに来るまでに何度も目にしたミルラ家の家紋――〝一ツ目の鴉〟の文様が刻まれていた。



「わたしはここに来た時、十四歳でした。ある日、父から突然、ひとりでモーリ村の別荘に越すように言われたんです」



 十四というと、私よりひとつ下だ。それが五年前のことだから……今のアガサさんは十九か二十か。

 目がぱっちりした顔立ちは彼女を実年齢よりもう少し幼く見せていた。



「父はこの屋敷をひとから買ったそうです。……『モーリ村・村長』という称号と抱き合わせで」

「えっ? そ、そんなことあるんですか……?」


「あったみたいですね、どうやら。……結局、村長どころか村の仲間らしいことすら何もできてないんですけどね」



 複雑な苦笑を押し流すみたいに彼女は黒いお茶を一気にあおった。

 口元を拭う表情はとても美味しそうには見えなかった。


 しかし、なるほど。これでいろいろと繋がってきたぞ。



 貴族の娘として都会で過ごしていたアガサさんはある時いきなりモーリ村に送られてしまい、その上お屋敷とセットでついてきた『村長』を名乗ることになった。

 当時は彼女ももっと幼かったし、それを当然に受け入れていたのかもしれない。


 しかし突然の事態は彼女だけじゃなく、村の人たちをも困惑させた。当然、彼らは幼い『村長』を簡単には認めてくれなかった。

 それに加えて、高貴な身分である彼女は自然と行動が制限され、安易に村に下りることができない。そんな状況が続いては彼女に心を開いてくれる人が現れるはずもない。


 村に来て五年を経ても、彼女は屋敷の主としての権限を掌握できず、牛肉を取り寄せるか否かの決定すらできないまま。これでは村のために行動するなんて、とてもじゃないができることではない。

 その結果が村の人たちのあの冷ややかな態度と深い失望……ということだった。



 私は冷めたお茶をちびちびと飲みながら、口の中いっぱいに広がるやるせなさをどうしようかと考えていた。


 アガサ・ミルラは運が悪かったのだ。もし彼女が小野田桜の立場でこの村を訪れたのなら、こうはならなかったに違いない……。


 しかしここまで理解しても、私にはまだわからないことがあった。日が傾き始めた海を背にする彼女に投げるように訊く。



「――村の人たちがあなたのことを言って〝ナガセ〟って呼んでたんですけど、これってなんのことですか?」



 その言葉を聞くと、アガサさんは薄っすらと作っていた笑顔すら吹き消して沈黙した。


 しばらくあって、はっと外を見ながら言う。



「……そろそろたそがれ時、〝ファーバニカ〟がやって来る時間ですね。……いいスポットがあるんです、ご案内しますね」

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