1-6 アガサ・ミルラ
「本日、皆様にお集まりいただいたのは、かねてより隣村、イトと協議を行っていた今年の食品交換レートについてのご報告のためです」
村長と名乗った彼女――アガサ・ミルラという名前の女性は俯き加減にそう言ったかと思うと、金色の髪を振り乱して腰を折った。
「……申し訳ございませんっ! こちらの要求したレートでの交渉は成立いたしませんでした……っ!」
アガサさんは調子の狂ったししおどしのように繰り返し頭を下げる。
「村民の皆様から事前にいただいたご意見に基づき算出したレートをイト村の村長様に提示させていただいたところ、『その額ではこちらが飢え死に絶える』と一蹴され、それ以上の交渉は受けていただけませんでした」
なるほど、イト村に起きているらしい食害の被害は思ったより大きいみたいだ。
しかし貿易をしなかったら、モーリ村では一年間野菜が食べられないかもしれないのか……。もしかしたらビタミンの欠乏で体調を崩す人も出るかも。
私は彼女の報告を聞きながらそんなことを考えていたのだが、果たしてモーリ村の人々はどうだったのだろうか。
私にわかったのは、とにかく彼らの反応が冷ややかだったことくらいだ。
「…………」
彼らはアガサさんに何も言わなかった。残念がったり励ましたり、あるいは怒ったりということは全くなかった。
ただため息にもならない鼻息を吐いて、白けた顔つきで村門を静かに去っていくばかりだった。
私や宿の老主人と一緒に来た若者もそんな風だった。
「……ま、そんなもんか。別に元からあの人に期待なんかしちゃいなかったしな」
そう言ってさっさともと来た方へ歩いていった。老主人はというと、変わらずに腕を組んでむっつりと口を閉ざしている。
「皆様のご期待に沿うことができず、本当に申し訳ございません」
彼女がピカピカに磨かれた自分の靴に目を落としている間に、村の人々のくたびれたサンダルはどんどんと数を減らしていった。
「……村長としての責務を全うできず、本当に……」
そんな言葉を何度言ったか忘れるほど口にすると、遂に彼女は姿勢を正して、青ざめた笑顔を浮かべた。
「お手数おかけしますが、次回の交渉のためにご意見を頂戴できればと思いますが――」
言って、一歩前に踏み出すと、その場に残っていた村人たちも追われた魚の群れのように去っていく。
残っていたのは私と老主人くらいになってしまった。
「さあ、帰ろうか、カラスの嬢ちゃん」
「あの……村長さんに意見とか出さなくていいんですか?」
問いかけると、彼は腰を叩きながら言った。
「あの人に何を言っても〝大海に井戸水〟だろうよ」
釣り竿を担いで宿の方へ歩いていく後ろ姿を数秒見送ると、私は彼から視線を切った。
「……そげんな人やないと思うっちゃけど」
少なくとも私が知っている彼女は『何を言っても意味がない』なんてことを言われるような人じゃない。私はそう確信していた。
「――村長さん、少しお話ししませんか?」
そしてたったひとりで立ち尽くしていたアガサさんの方へ進み出た。
私の声を聞いて彼女はてきめんに驚いた。
「あ、あなたは……た、旅の方ですか? ようこそ、モーリ村へ――」
「今さらそんな挨拶要ります?」
ニヤニヤしながらそう言うと、彼女は昨晩のように口元を手で覆ってやや耳を赤らめた。
「さ……さすがに声でわかってしまいますよね。すみません、昨夜は騙してしまって」
……あれ? この人、もしかして私が本気でダマされていたと思ってる?
「?」
「これ思っとー顔やん……」
だったら一応、そっちに合わせておこうかな……。
「や、やっぱりあのお屋敷のお嬢様だったんですね! すっかりやられました……! そ、それと……昨日はあんな簡単なショーにお金払ってくれてありがとうございます」
「いえ……あの程度ではとても足りませんでしょうし」
実際、彼女がくれたおひねりは、立派なお屋敷に住む貴族の娘という割にはかなり少なかった。それでも、そこそこ気前のいい村の人が出してくれた分と同じ程度にはあったが。
「改めて、はじめましてですね。アガサ――み、みら、みる……」
「ふふっ、アガサ・ミルラと申します」
「み、ミルラさん……失礼しましたぁ……」
熱を帯びる顔を隠しながら、巻き舌発音は日本人には酷なのだ、と言い訳してみる。それからごほん、と気を取り直して、
「私、小野田桜です」
「……はじめまして、オノダさん」
私が右手を差し出すと、アガサさんはそれを取って自分の額にぴと、とくっつけた。
「!?」
私はヒエェと情けない声を上げてしまった。不意打ちにもほどがある。彼女のおでこの熱が何十倍にも増幅されて、収まりかけていた私の熱を一瞬で再沸騰させた。
「な、なにしてんですか……!?」
ぐるぐると目を回しながら叫ぶが、アガサさんはぽかんとするばかりで大したリアクションもしない。
「なに……と言いましても、その……『握手』を……」
「握手の概念が私と違うんですが!?」
後になって教えてもらったが、この握手は正しくは『白国貴族階級流の~』という枕詞付きの握手らしかった。
私は目の前がチカチカするのを収めようとしたが、なかなか治ってくれなかった。心臓がどきどきしすぎて呼吸まで浅くなる始末だ。それくらい、陽の光の中にいる彼女は美しかった。
……いや、別に私にそっちの気があるわけじゃないのだが。
ただ、女の子はいくつになってもこんな風に煌びやかな『プリンセス』に憧れているというだけなのだ。
そうしていると馬車のそばから御者が声をかけてきた。
「お嬢様、あんましゆっくりしてると〝じいや〟に怒られやすぜ」
そう聞くと、アガサさんの白くきめ細かい肌がさらに赤みを失った。
「…………そうですね、もう帰りましょう」
馬車に足を向けかけて、その途中で一瞬、動きを止めた。
ちら、と私の方へ視線を注いだかと思うと、駆け足で車に飛び込み、数秒してからまた飛び出してくる。
「オ、オノダさんっ! よかったらこれ、受け取ってください!」
きゅっと口を結んで、彼女は私の手の中に何かを握らせた。
「かわいい氷像のお返しです」
見ると、質のよい可愛らしい色の包み紙にくるまれた小さな飴玉だった。
「アレの代わりにこげんともらっていいとですか……?」
日本ならともかく白国の田舎ではお菓子なんてなかなか手に入るものでもないだろうし、別にお金は貰ってるし……なんだか悪いなあ。
なんてことを思うのをよそに、アガサさんは車に乗って小窓越しに擦り切れそうな声で言った。
「溶けないうちに食べてくださいね!」
「……? は~い、ありがとうございます……?」
御者が手綱をしならせると二頭の黒馬が素早く応じた。
小気味よい蹄鉄の音と共に砂煙が巻き上がり、シンデレラを乗せた馬車は村外れの崖上に続く坂道を登っていく。
私はそれを見えなくなるまで見送ると、宿に帰って焼き魚の昼食をいただき、それから部屋で飴玉の包みを開けた。
けれど、それがどんな味だったかはあまり覚えていない。確かミルク味で美味しかったはずだとは思うけど。
そんなことよりもはるかに私の心を占めてしまったのは、包み紙の裏に記された、屋敷に侵入するための『秘密の抜け道』の在り処と、
『午後四時』
というプリンセスからのメッセージだった。
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