1-4 小さなショー
左手の親指と薬指を曲げて輪っかを作る。その他の指はピンと立てて平行に保つ。それができたら、水を流したホースの先をすぼめるみたいに勢いよく指先に向けて魔力を放つ――。
地面にかざした私の手の周りにバチバチと電光が閃くのを見て、コートを着た女性は声を上げた。
「うわあ……! これが魔法ですか……!」
「『雷の印』です。時間も時間なんで、しょぼいやつですけど……」
私は暗い路地裏にしゃがみ込んでいた。もう少し奥には件の女の人がいて、中腰になって私のささやかなショーをまじまじと覗き込んでいる。
「い、痛くはないのですか……?」
「これくらいの出力なら全然ですよ~!」
もう反対の手で『火の印』を振るいつつ返した。
「もっと強い力で発動するときは別に保護用の魔法を使わないといけないんですけど……静電気やろうそく程度の火力でケガはしないですよ!」
「へえぇ…………」
レモン型の黄色い月から隠れるように居る彼女は、あまり私と目を合わせようともせず、表情を隠すようにしていた。けれど、紅碧の瞳が魔法の光を浴びてキラキラと輝いているのはハッキリと見える。
やっぱり綺麗な目だ。虹彩が二色の白国人は多いが、両色共にこれほど澄んでいて、しかも絶妙なバランスで混ざり合った瞳の人は未だ知らない。
「お姉さんもやっぱり、魔法を見るの初めてなんですか?」
今度は『水の印』にマイナーチェンジを加えた魔法で『氷』を生み出す。その様子を期待のまなざしで見ていた彼女は、私の問いにしばらく気づかなかった。
「ねぇ?」
と訊きなおすと彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
「す、すみません! 年甲斐もなく夢中になってしまって……。ええと、そうですね。見たくても見せてもらえなかったので」
「へー……」
純水でできた氷を削っていく。はてさて何を作ろうか――と考えると、真っ先に頭に浮かんだのは〝ロック魚〟のぶちゃいくな顔だった。思考汚染も進んできたな、という観がある。
『風』や『火』の力で氷像を削り出しつつ、私はさりげなく訊ねる。
「お姉さんって出身はどこなんです?」
「出身ですか……? それは、ここ、モーリ村ですが……」
彼女は困惑気味にそう言ったが、私はウソだと思った。
モーリ村出身の人なら魔法について「見せてもらえなかった」と言うのはちょっと違和感がある。その言葉は『誰かの許可があれば見られた』立場の人が言うことだ。
それに、彼女の言葉は綺麗すぎる。
モーリ村は西の隣国、『錬国』に面する地域にあって、人々の言葉には錬国の風味が混ざっていた。その一方、彼女の言葉は私が学んだのと同じ標準白国語だった。ある程度の期間を都市部で過ごした人間じゃなければ身につかないイントネーションなのだ。
そんなことを考えるのをきっかけに、私は少し意地悪な気分になった。
「あー……なんか疲れてきましたね」
「……へっ?」
「いや~急に疲れがどっと……。不思議ですね、今までは楽しかったのになんか……ウワーキツイ」
細い尻尾だけが彫り出された氷塊をコロンとその場に転がすと、私は腰を叩きながら立ち上がった。
「た、旅人さん……?」
「イタタタ……腰痛がヤバいっす……」
「大丈夫ですか……?」
「あ~、私のふるさとじゃ『腰痛の特効薬は真心』って言われてたなぁそういえば~……。あーあ、どこかに正直な人がいれば治りそーなのになー」
「!?」
彼女はわかりやすい驚きの声を上げて軽く後ろにのけ反った。
ちなみに日本で本当に腰痛に効くのはサロンパスだ。
それからしばらく「帰ろっかなー、どうしよっかなー」と独り言でもない独り言をつぶやいていると、遂に彼女は渋々口を開いた。
「……し、出身はここではありません……」
「う~む、痛みが引いてきたようなこないような?」
「わたしは……外からここに越してきたのです。もうかれこれ……五年になりますね」
「五年?」
氷塊をひょいと取り上げながら、私は頭の中がピカッと光る感覚を覚えた。
私が彼女について知っていることは多くないが、推測できることはいろいろとあった。若い女性で都会育ち、そして五年前と来れば――。
この小さな田舎町にこれほど多くの共通点を持つ人がふたりいるだろうか?
「あの、もし変なこと言ってたらごめんなさいなんですけど……お姉さんってもしかして崖上のお屋敷のお姫さ――――」
「ななななな、なに言ってるんですかそんなわけないじゃないですか!! あり得ませんよそんなこと◎×〇と我が◆△〇に誓ってあり得ませんっ!!」
……思い切って訊いてみた反応がそんな風だったので、私は思わず吹き出しそうになった。これほど正直にされたら腰の痛さなんて綺麗に吹き飛んでしまう。
「で、ですよね……ごめんなさい」
「滅多なこと言わないでくださいっ!」
「かわいかぁ」
意味がわからないのをいいことにそう言いつつ、私は氷像を彫るのを再開した。女性の方は顔を背けて手で口元を覆っていたが、私がまた魔法を使い始めたのを認めると、またその手元にじっと目を落とす。
「……旅人さん」
「はい?」
「旅人さんはどうしてこちらにいらしたんですか? 外から人が来るような村でもないのに」
私は一瞬、手を止めて迷った。半分だけ説明しようか、それとも全部説明しようか、と。
私が巻き込まれ事故のような形で『異世界』に来てからかれこれ半年。未だ日本に帰国する術は見つかっていないが、だからこそ私の目的は一貫していた。
元の世界に帰って――そして両親や友達にこの『異世界旅行』のことを自慢する。それだけだ。
だからこの村に来たのも帰還の手段を探すため、と答えるのが一番正直な回答だったけれど……。
こっちの世界の一般市民も日本人と同様、他世界の存在を知らない。私のこともせいぜい、遠い国から来た人としか思っていないだろう。その中でこんなことを説明しても果たして事情を理解してもらえるかどうか。
だから私は、とりあえずもうひとつの副次的な目的を言うことにした。
「〝ファーバニカ〟っていうのを見に来たんです」
その名を聞くと、女性はわっと声の調子を軽くした。
「なるほど、そういうことでしたか!」
「やっぱりこの辺じゃ有名なんですか?」
「はい、もちろん! ファーバニカはモーリ村の宝ですから!」
これはいいことを聞いたとにんまりした。地元民のオススメスポットというのは得てして大外れはしないものだ。遠路はるばるここまで来て「なんか違うな……」なんてことになったら目も当てられないと思っていたが、杞憂に終わりそうだ。
「もうご覧になられましたか?」
「まだなんですよね~、それが」
「でしたらお早めにご覧になった方がいいですよ。ファーバニカは夏から秋に変わるごく短い期間しかやってきませんから」
そうだったのか、と私は肝を冷やした。村でしばらくのんびりしてもいいかも、なんて思っていたが、そんな悠長にしていたら見逃してしまうところだった。危ない危ない……。
「どこに行けば見れます?」
「黄昏時の海辺ならどこでも見られると思いますよ」
言って、彼女はやや声色を沈めた。
「できることならわたしがご案内したかったのですが……」
「?」
「いえ……なんでもありません」
ちらりと彼女の方に目を向けると、闇に浮かんだ瞳が伏せられた長い睫毛に覆い隠されていた。今夜は綺麗に晴れているのに、そこだけがまるで紗がかかったようにぼやけている。
自分の手元に目を戻すと、通算四尾めの〝ロック魚〟が過去最高の出来でそこにいた。
「……お姉さん、もし要らなかったら――っていうか多分要らないと思うんで海に帰してもらっていいんですけど……これよかったら……」
予防線を張りつつ不細工な氷の魚を彼女の足元に置くと、彼女はそれを取り上げるなり言った。
「うわあ、何を作ってるんだろうと思ったら〝ヘーヴンカリス〟ですか! クールでキュートですね!」
あなたもそっち側なんですね……。
郷に入っては郷に従え、とは言うが、その感覚にはどうにも合わせられなさそうだと思った。
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