1-12 カラスと鴉とファーバニカ
「――ゴーッ!」
イト村の村長が放った号令に合わせ、私は体から汲み上げた魔力を解き放った。
両手に結ぶは『雷の印』、電撃の矢の術。親指と薬指で繋いだ輪っかが魔力を雷にして、〝パックルス〟が徘徊する巨大なコロニーの中心をぶち抜いた。
網膜を焼く閃光が瞬く一瞬。閉じていた目を開けると、腐葉土と木の根伝いに感電した数十頭のパックルスが横たわっていた。
声を持たない奴らは胸鰭を体に打ちつけたりエラをぱくぱくさせたりして驚きを表していた。
そこにさらに村長は下知を発する。
「撃えっ!!」
声が鳴るが早いか、十人弱の狩人が「待ってました!」と草むらから飛び出す。
猟銃を担いだ彼らは、統率を失って逃げ出すパックルスの尻鰭を撃ち抜き、卵が隠された巣穴を爆破して深い森を驀進した。
「魚狩りの時間だァ!!」
「稚魚一匹撃ち漏らすんじゃねえぞ!!」
「ヒッハハハハハハハァ!!」
……うわあ。
そんな素直な声が口をついて出るのを禁じえなかった。
それは私だけじゃなくて、同行していたモーリ村のミルラ家衛兵・漁師連合軍のほとんども同じ感想だった。
「…………本当に申し訳ない」
イト村の狩人の首領でもある村長は武骨な手で両目を覆った。
「ま、まあ今いちばんパックルスに恨みがあるのはイト村の人たちですし……。ね、ねえ!」
私は振り返ってカイゼル髭を生やした衛兵隊長と、銛を構えた若い漁師に同意を求めた。彼らはなんとなく頷いたが、なんだかそれはドン引きから来る首の震えに見えて仕方なかった。
「まったくあいつら、俺の目から見ても見苦しいとしか言いようがないな。最後の作戦だからって調子に乗ってやがる、後で奴らの●××●を◆■▽×になるまで×××××……」
拳をパキパキと鳴らす村長の呟きを聞くとモーリ軍の面々が一斉に青ざめた。
「わ、我らも動くぞ……。衛兵隊は掃討漏れを追い、漁師隊は息のある怪魚を仕留めよ……」
「りりりり了解っ、すよ……。ここが最後の巣なんで、みんな気合い入れてくぞ~……!」
こちら側のふたりのリーダーがおのおの持ち場に向かっていくのを見送って、イト村村長は鋭い八重歯を見せて笑った。
「冗談さ。あいつらの働きに免じて×■◆までにしておくつもりだ」
「はあぁぁぁ……怖かぁ!! なんする気なん、なにが起きると!? ばり怖いっちゃけど……!!」
人間にとって一番恐怖なのは『わからない』ことだというのが身に染みてわかったが、かといって聞き取れなかった言葉の意味を訊ねる気には毛頭なれなかった。
そんな風で、モーリ村・イト村混成軍による『パックルス討伐作戦』は何らの滞りもなく終了した。
十二に及ぶコロニーと幼体や卵を合わせて千以上のパックルスを倒すのに要した日数は約二週間。動員されたのは村長含めイトの狩人十余名、モーリの有志漁師二十名、ミルラ家付衛兵八名。
そして無所属魔法使い小野田桜氏。総勢四十を超える人員に被害は皆無だった。
さらに作戦が実行されるに従い、イト村の周囲に下りていた野生動物が姿を見せる頻度も減っていた。どうやら無事に元の縄張りに帰ることができたらしい。
人間は海からやってきた『呪い』に勝利したのだった。
少し気がかりなのは、あれほどいたパックルスを駆逐して周囲の生態系が崩れないかということだったけれど――、
「五年前まではいなかった連中がまた姿を消しただけだ。俺たちが共に生きてきたイトの地はその程度で揺らぐほどヤワじゃないさ」
パックルスの鉄臭い魚肉を飼料に加工しながら、イト村の村長はそう言った。
私はその姿を見て納得した。鼻が利く彼が言うなら間違いはないんだろうし、もしも今度何か異変があっても、彼らと――そしてモーリ村の人たちなら対処できるという信頼があった。
私はその後、焼いたパックルスの骨を砕き、畑に撒くのを手伝ってモーリ村に帰った。
「カラスの嬢ちゃん、長期にわたりご利用いただきありがとうございました」
荷物をまとめて宿をチェックアウトすると、老主人はホクホク顔でそう言った。
「うえぇ……またすっからかんになっちゃった……」
ここしばらく泥に塗れる無給仕事しかしていなかったせいで、モーリ村に来たばかりのときに稼いだお金はほとんどなくなってしまった。
「そいじゃあと一泊くらいしてくかい? 水揚げを手伝ってくれるんならお駄賃は出すとも」
「い、いえそれは……私にも使命があるので! あんまり遊んでばっかりいられないんです……!」
自分に言い聞かせるようにそう告げて、私は右手を差し出した。
一瞬、アガサさんにそうされたようにおでこに手をくっつけられるかと恐怖したが、杞憂だった。おじいさんは皺だらけだが力の強い手で普通に握手をした。
「ただの旅人さんをうちの面倒ごとに巻き込んじまって悪かったな」
「いえ、好き好んで首突っ込んでるだけですし……」
私が何か有益な情報を持ち帰るのを待っているであろう『ふたり』には申し訳なく思うが、道草を食ってしまうのは私の悪癖なのだ。
これが旅の華だ、と教え込まれているからどうしても逃げられない――サガだった。
踵を返し、ちんまりして古めかしい宿を出た。
「またいつでも来なや、一割引きしてやろう」
ケチだなあ、と苦笑しながら「行けたら行きま~す」と日本流の挨拶を交わした。
私が村を出たのは夕方近くになってからだった。
本当は早朝に出ていくのが一番効率的ではあったが、どうせなら〝ファーバニカ〟が集まる夕焼けの海岸を見ながらモーリ村を離れたいと思ったのだ。
鳥居のような村門をくぐると、狙い通り、左手の方には茜色に染まった海岸と、遠くに揺らめくクジラの影、そしてその上をオーロラのように彩るファーバニカの群れが見えた。
「…………またなんか叫んでみる?」
草の道を行きながらぼそりと言ってみるが、直後にはいやいや、と自分で否定した。
「ここから声出しても届かんし。ひとりでこげんなところで大声出すとか、はしたなかよ……」
私の中にある妙な好奇心をオトナな精神性でねじ伏せて、咳払いで蓋をする。
日本にいるときは、もう受験生なのに、
「かわいかねー、一年生?」とか地域の人に言われていた私ではあるが、ここ白国では一応『準成年』なのだ。ひとりで旅もできるし、やたらにはしゃいだりしない。
そう思って海岸をちらちら横目に見ながら進んでいると――、
「っ……わああぁぁーーーーーーーっっっ!!」
唐突に甲高い大声が私の耳朶を打った。
びっくりして飛び跳ねながら振り返ると、私の他にもうひとつ、長く伸びた影が、怒ってバチバチと色を変えるファーバニカの光に照らされていた。
「あ、アガサさん……! どうしたんですか、そんなに急いで……」
アガサさんには今朝、既に出立の挨拶を済ませていた。だから義理を果たさなかったわけでもないし、彼女が私を追いかけてくる理由はないはずだった。
彼女は普段のシンデレラドレスから白いシャツにパンツルックという出で立ちに変わっていたし、何より肩で大きく息をしていた。そこまでして追ってくるなんて、そんな重大な忘れ物でもしたかな……。
そう思って鞄をまさぐっていると、アガサさんは胸に手を当てて息を整え、静かな歩調でこちらに歩み寄ってきた。
「よ、よかったぁ……サクラさん……追いつけて」
「一体どうしたんですか? な、何か異常事態ですか? 全部のパックルスがゾンビになって復活とか……」
「いえ、そういうわけでは……! 万事、順調ですよ」
彼女は紅が差した頬を持ち上げて麗しく笑った。
かと思えば、唇を真一文字に結んで、睫毛を伏せてきょろきょろして、手を組んで指同士を絡めてもてあそんで……とにかく、どこか落ち着かない風だった。
「ほ、本当に大丈夫と……?」
「……サクラさん」
「は、はい!?」
アガサさんはきょろきょろするのを急にやめて私を見据えた。
ルビーとエメラルドの色をした瞳が無限の光に照らされて濡れていた。
「最後に……お願いがあって来ました」
「お願い、ですか?」
「わたしを旅に連れて行ってください」
――私の思考は完全に止まった。自分じゃわからなかったが、たっぷり十五秒は止まっていたらしい。
それから私は目を剥いて「うええぇぇぇっっ!?」と仰天の叫びを上げた。チカチカと近くのファーバニカが色を変えた。
「な……なに言ってんですか、アガサさん……!?」
もしかして今日は『こっち』におけるエイプリルフールか、と思ったが彼女の眼差しは極めて真剣で真摯だった。
「本気です。本気で、あなたと一緒に旅をしたいんです」
彼女はさらに進み出て、きゅっと私の手を握った。温かい――というより、沸騰するように熱い手だった。
「……この二週間、幸せでした。はじめは誰もわたしのことを信じてくれなかったのが、日を追うごとに――サクラさんがパックルスに勝つたびに話を聞いてくれる人が多くなって。今日なんて――ふふっ、ある方がわたしに笑い話を聞かせてくださったんですよ! それがすごく面白くて、楽しくて……。
この村で、多くの人とやっと知り合うことができて本当に幸せな時間でした」
「……だったら、これからも村にいた方が……」
「そうですね、それもいい人生かもしれません。だけど――本当はわたし、昔からすごくわがままだったんです」
そう言って黄昏の空に目を細める。
「欲しいものがあったら母におねだりして、普通に売ってるものじゃ物足りなかったら手作りしてもらって……。わたしの部屋にはいつも物がいっぱいでした。ここの屋敷には何も持って来られませんでしたけど」
そういえば――私も、母が若い頃の写真で着ていたワンピースを着たがったことがあって。
……結局、あの時はどうしたんだったっけ。
「どこかのカラスが鳥籠を開けてしまったせいで、わたし、その頃のことを思い出してしまいました。だから今のわたしはわがままなお嬢様です。
……あなたと一緒に旅をして、もっと多くの人と知り合って――もっといろんな色の幸せを味わいたくなっちゃったんです」
「アガサさん……」
はにかむ彼女の表情のどこにも、もう憂鬱のベールはない。
それはナガセでもお嬢様でも村長でもご主人様でもない。
今ここにいるのが本当の『アガサ・ミルラ』なのだと私は悟った。
「だから一緒に連れて行ってほしいんです、サクラさん。お願いしますっ」
ゆっくりと目を閉じて頭を下げるのを前にして、私はひどく逡巡した。
「き、気持ちは嬉しいですけど……ほら、アガサさんって村長だし、村を離れるわけには……」
「村長の称号は返上しました」
「……は?」
「お宿のご主人はもちろんご存じですよね? 彼に新しく村長として村をまとめてもらうことにしたんです。彼も快く受けてくださいました」
「…………はあっ!?」
なんだあのジジイ、なんでそんな大事なことを言わずに私を送り出したんだ!
なにが一割引きか、どうでもよかろーもんンなこと!!
「身勝手なこととは承知ですが……本来わたしが行うべき村長の仕事は彼を含めて漁師の方に、館のことは〝じいや〟につつがなく行ってもらうよう置手紙を残してきています。ほら、やっぱり土地のことはわたしのような余所者ではなく、そこをよく知っている人に任せるのが安心じゃないですか」
「う、う~~~~~ん…………」
なるほど、なかなか周到に用意してここに来ているわけだ。
もしかすると私は彼女のことをものすごく甘く見ていたのかもしれない。そう思ったのだが、それでもまだ甘かった。
アガサさんはキラリと目を光らせると、私の手を握ったまま腕を持ち上げた。
「……今わたしを連れて行ってくれたら、このカフスボタンも一緒についてきますよ。……抱き合わせで」
彼女の袖に光る〝一ツ目鴉〟の文様――ミルラ家の家紋。
「これさえあれば白国内の多くの関所は顔パスですし……」
「か、顔パス!?」
「ミルラの息がかかった土地ならタダ同然で宿を借りられるかもしれません」
「プライスレスで……!」
「それにもしかすると――」
「ま、まだあるんですか……!?」
そこでぱっと手を放して、ふふんと鼻を鳴らしながら私に背を向ける。
暮れなずむ空を拭う潮風に金の髪を揺らし、いたずらな少女の顔で舌を出した。
「これ以上はご購入いただいてから……ですっ!」
私はチィッ、と舌打ちしながら頭を叩いた。
「やらかしたぁ~……! ひどい悪質セールスマンば解放してしもうたごたーる……!!」
ぐしゃぐしゃぐしゃと髪を搔きむしり、鴉の狡猾さを恨み、私の運のなさを呪った。
「……ちょうど、ちょうど……お財布すっからかんで次の関所どうしようかなって思ってたんです。なので……まあ、そこまで……そこまでだけだって言うんならついてきてもらうのもやぶさかではありませんけど……!!」
自分でもビックリするくらい素晴らしく婉曲的な表現に私は思わず苦笑いした。
一章最終回でした。ひとまず区切りがいいところまで行けてよかったです。
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