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1-11 村長/主

 昼のモーリ村はにわかに騒然としていた。

 これまでは月に一度姿を見せるかどうかだった村の長――アガサ・ミルラが連日、村門の前で人集めをしていたのだ。



「今日は皆様に聞いてほしいことがあって参りました。……突然のことだというのにこれほどの方々に集まっていただけたことを嬉しく思います」



 先日の半分ほどだった聴衆の前でアガサさんはそう頭を下げた。今度は黒馬の馬車も御者もなく、赤茶けたコートを纏った彼女がただひとり、そこにいる。


 人々の間には何事かと訝る声が囁かれて、モーリ村は不穏さと困惑をその玄関に掲げていた。



「……皆様、これまで本当に申し訳ございませんでした」



 深々ともう一度首を垂れる。


「またか」「聞き飽きたぞ」と失望する声が上がり、その場を去ろうとする人もいた。

 けれどある人が声を張り上げた。



「――おいおめぇら! ……どうせ帰っても女房に叱られるくらいしかやることねぇだろうよ。もうちょっと聞いて行かねぇか」



 宿の老主人だった。瘦せ衰え、とっくに漁師としては身を引いていた彼だったが、その威厳ばかりは歳を経るごとに堅く強くなっていた。その一声で多くの若い漁師は踵を返してその場に留まった。



「でもよ、爺さん! 今さら姫様の話なんて聞いて何になるんだよ? 何度も聞いた申し訳聞かされるくらいなら帰って母ちゃんに引っぱたかれてる方がまだ――」


「姫さんのあの顔が見えねぇのか。……ありゃあお小言よりはちったぁ有意義なことを言おうとしてる顔よ」



 ニヤリとして漁師を引き留めると、彼はアガサさんに顎をしゃくった。

 ……その表情が彼女を決意させたのだ。



「わ――わたしは…………わたしは、モーリ村村長、アガサ・ミルラです。皆様がどう思われるかは別として、肩書き上はそうなのです」



 ごくり、と大きな唾の塊が白く細い喉を押し通る。



「けれどわたしはこれまで、この村と、村の皆様のために何もできませんでした――いいえ、してきませんでした。その理由はひとつ。わたしにはあの崖の上の屋敷の主として本来あるべき権限がなかったから。

 ……そう思い込んで、どんな行動もしようとして来なかったからです」



 怯懦と決意に震える声が人々を静まり返らせる。



「本当は、為そうと思えばどんなことだってできたはずなんです。わざわざ人の目につかない時間と恰好で屋敷から抜け出さずとも、自分の意思でここに来られた……。仲良くなりたい人をお招きして一緒に食事をすることもできた。牛肉を取り寄せることなんかに使われていたお金を公のために使うよう指示することもできた。

 ……全ては、わたしの自覚と意思の欠落のために。〝ナガセ〟の呪いに縛られていたいがためにそうしていたのです。……呪われていれば、自分で何かを決めることなんてしなくてよかったんです」



 そのとき、村の真ん中を通る道から都合八つの蹄の音が響いた。『一ツ目の鴉』を抱いたミルラ家の馬がしじまを切り裂くように駆けつけたのだ。


 まず叫んだのは黒馬を駆る御者だった。



「あ~っ、オレのコート! たまになくなるなと思ってたらお嬢様が着てたんっすかぁ!?」

「そんなことはどうでもよかろう! 早く停めろ!」



 と続いて怒鳴ったのは執事だった。

 馬車に半身だけ乗った彼は、強行突破で屋敷を抜け出し予定外の演説を始めたアガサさんに向け、



「何をやっていらっしゃるのですか、お嬢様!」



 ひっくり返った声を上げ、急停車した馬車からよろめきながら飛び降りた。



「……何とは? わたしは村長として村の方々と交流を図ろうとしているだけです。……これまでしてこなかった分」


「困ります、勝手なことをなされては。お嬢様から目を離したなどということが旦那様に知られては、わたくしも使用人も衛兵もお叱りを受けてしまいます」



 モーセのように聴衆を割って分け入った執事の手がアガサさんを捕らえた。

 馬車の方へ強引に引っ張ろうとするその手は、しかし一秒も経たずにアガサさんによって引きはがされ、払いのけられていた。



「黙りなさいっ! ミルラ家次期当主にしてあなたの主、アガサが話している途中です!!」



 彼女はそう叫び、御者から拝借していたコートを脱ぎ棄て執事の顔に叩きつけた。


 金の髪がなびき、空色のドレスが優雅に揺れる。



 森での調査に出ていた私が帰ったのはちょうどそんなときだった。



「あ、アガサさん……?」



 ものすごい迫力と熱気を纏った猛将シンデレラの姿に当惑しつつも人ごみをすり抜けて彼女の元に馳せ参じると、まなじりをつり上げていた彼女は急に破顔した。



「サクラさん! よかった、無事だったんですね……!」

「は、はぁ……まあ。えっと……どういう感じの状況ですか?」


「全てが今、ここから始まろうとしているだけです」



 彼女は跳ねるように笑うと、私の手を取って額にくっつけた。



「ありがとうございます、サクラさん」



 私はいろんな意味で混乱しながら、彼女に調査結果を――すなわち森の奥に〝パックルス〟の群れが生息していたことを伝えた。


 すると彼女は磨かれた靴の先を翻して村人たちに向き直った。



「モーリ村村長として皆様にふたつお伝えいたします。わたし、アガサ・ミルラは昨年までの不漁の原因、そして今年のイト村の食害の原因を怪魚獣パックルスと断定し、その駆除を行うことをまず宣言します!」



 私はそれを聞いて少し肝を冷やした。

 こんなに大勢の前でここまで言い切ってしまって、もしそうじゃなかったらどうやって責任取ればいいの~……!

 ふたつの村でどれくらいの人が動くかわからないが、その人たちの時間を無駄にして身を危険に晒して……これは一生、両村で無賃労働者として奉仕するしかないかもしれない……。


 要はそんなことにならなければいいわけだが、どうしてもそう考えてしまって足がすくんだ。


 その一方でアガサさんの胆力は大したものだった。都会育ちの彼女には縁のないはずのパックルスについての情報をすぐに飲み込んでしまった。

 そこには危なっかしいほど向こう見ずな覚悟を感じたが――、


 それくらい私のことを信用してくれているのだと思うとどうしようもなく、小躍りしてしまいそうに嬉しかった。



「そしてもう一点、イト村との『取引レート』の交渉についてです。以前皆様に伺ったご意見から算出したレートはあちらから断固拒否されましたが……当然です。あれはこちらに有利すぎます」


「ええっ?」

 と声を上げたのは主に漁師たちだった。アンケートに答えた人だったりしたのだろう。



「気持ちはわかります。苦労して持ち帰った魚を安く売り渡したくはない、というのはごもっともです。ですが、去年までのレートをご存じですか? イト村の村長様は、不漁のモーリ村を慮り可能な限り譲歩してくださった上、余った作物は無償で提供してくださいました。

 ……こっそりやれ、と仰られたので皆様にはお伝えできませんでしたが」



 村人たちが互いに顔を見合わせて驚きを共有していた。



「本当かい?」「わからん……」「向こうには行ってねぇしなあ」



 アガサさんがゆっくり目を細め言う。



「……イト村に行って話を聞けば事実だと納得していただけるはずです」



 知ろうと思えば知れたこと。やろうと思えばできたこと。

 彼女の口がそう動いた。



「よって、これより新しくレート案を作成いたします。以前のものよりもずっと不利な内容になりますが、ご了承ください。不満はわたしにぶつけてください。そのご意見も伺います。でもこれだけはわかってください。

 ……モーリ村とイト村、ふたつの村が互いに協力しあうことが、この一連の食糧危機事件を最も早期に解決する方法なのです。どうかご理解ください」



『村長』は人々に向かって会釈をすると、今度は『崖上屋敷の主』として執事と御者の前に進み出た。



「まずはコートのこと……すみませんでした、勝手にお借りしたりして」

「へ、へぇ……いえいえ別にいいんすけども……。ど、どうですかい、オレの一張羅の着心地は?」


「う~ん……肌触りはいいんですが、少し臭います。もう少し丁寧に洗った方がいいかもしれませんね」



 私は後ろの方でうんうんと頷いた。確かに、あのコートには初めから若い女性らしくない埃っぽい感じがあったのだ。


 がっくりとうなだれる御者に続いて、アガサさんは執事に告げた。



「衛兵の中からパックルス討伐のための人員を募りましょう。手配をお願いします」



 それを聞くと執事はまた面食らった顔になって、



「そ、そのような……ことは……」

 と言いかけたところで、口を閉ざした。


 膝をついて恭順の礼を示す。


 彼が従うべき主がやっとこの村に現れたのだった。



「…………仰せのままに、アガサ様」



 主は花を咲かすように笑った。



「……ありがとう、じいや!」

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