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7.トーマは思春期

前回までのあらすじ:デートに誘われてフィオナをめっちゃ意識してしまったトーマは眠れない夜を過ごした。

 食事を終えてベッドに入り、今さらながらに気付いてしまった。

 明日の予定はデートというものではなかろうか。

 思えばこの一か月、ずっとバタバタしていた。

 最初の一週間はグレンの家に寝泊まりしつつ仕事を検討した。冒険者メイン、マギの手伝いをすると決めてからはどれくらいの頻度で依頼を受ける必要があるか計算し、計算結果が実現可能なものか試行を重ねた。

 チート的な身体スペックのおかげで金を稼ぐのは簡単だった。いくらか貯蓄したところで始めたのは物件探しである。

 物件を決めるのは難航した。トーマが当初出した条件に合う物件が多過ぎたのである。前世の新聞の折り込み広告で見た家賃を相場に考えたが、シャングリラの家賃は冗談のように安かった。そのうえ空き物件が山のようにある。結局、ファミリー向けアパートの二階の一室を借りた。

 引っ越ししたら落ち着くかと思いきや、生活環境が目まぐるしく変わったことによるストレスで毎日疲れていた。働いて帰ったら飯食って寝る、というかつてない日々を送った。ひと月前には中学生だった人間が送る生活じゃねえと思った。

 生活のリズムを掴めてようやく余裕を持てるようになった。

 もしかするとフィオナはもっと前にチケットを入手していたが、トーマに気を遣って今日誘ったのかもしれない。そう思うと情けなさとありがたさをしみじみ感じる。


 そんなことを考えながら隣のベッドを見てしまった。そこではフィオナがすやすやと眠っている。

 冷静に考えてみると、どうして女の子と同棲しているのだろう。しかも別のベッドとはいえ同じ部屋で寝ている。物件選びの時に寝室が二つある部屋を借りたはずなのになぜ。

 これまでは気にする余裕がなかった。ミオに同衾させられたせいで耐性が出来たのかもしれない。

 一度意識するともう駄目だ。なんかいいにおいがする。

 トーマは眠れない夜を過ごした。


 翌日、目をしぱしぱさせたトーマは普段より濃いめに淹れたコーヒーをがぶ飲みしていた。演劇中に寝てしまったら劇団の人に申し訳ないし後の話題にも困る。何より普通に楽しみなので寝落ちしたくない。

 キッチンを見るとフィオナが鼻歌を歌いながら料理している。いつになく機嫌がいい。かわいい。まて、落ち着け俺は今冷静さを欠こうとしています。

 家事全般はフィオナが取り仕切っている。フィオナもサクラの店で働いているのだが、トーマが家事をしようとすると不機嫌になるのだ。年齢のわりに家事ができると自負する身としては忸怩たるものがあるが、トーマが稼いでフィオナが家を守るってちょっと昔の夫婦みたいだよねと思考がそっち方面に逸れる。

 向かい合って朝食をとる。今日の朝食の味がどうとか、劇の演目についてとか取り留めないことを話しているのに不整脈気味で困る。


「公演は何時くらいだっけ」

「午後二時からの予定ですよー」


 意識しないよう違った話題で話しかける。ちょっと間延びした口調がかわいいなーと思ってしまうから末期だ。


「ちょっと出かけるわ」

「? でも今日はお休みなんですよね」

「ちょっと頭を冷やしに行ってくる。一時半くらいに広場で待ち合わせにしよう」


 トーマは逃げ出した。このままではデートどころではない。頭がバグった状態で観劇することになってしまう。

 フィオナは首をかしげながらもいってらっしゃいと手を振った。


「本格的に頭を冷やさないと」


 共同生活が根本から崩壊する。

 デートすると考えただけでこれだ。デート後の着地を失敗すれば今後ずっとフィオナを意識しながら生活することになる。

 哺乳類の一生の心拍数は決まっていると聞いたことがある。このままでは早晩トーマの寿命が尽きるだろう。


 行く当てはない。こういう状態で頭を冷やすにはどうすればいいのだろうか。

 いっそエロいお店にでも行けば解消できるのかと思ったが、デート前に風俗行くのは最低どころではない。そんな度胸はない。そもそもそういう店に行ったことがないので入店のハードルがあまりに高い。

 どこか風通しのいい場所へ行こうかと歩いていると、見知った顔が歩いていた。相手もトーマに気付いたようで手を挙げていた。


「スカイ、おはよう」

「おはようさん、今日はずいぶん早いな」

「休みだから遊ぶ予定が詰まってるんですよ」

「そりゃ忙しいな」


 スカイはくくっと笑った。

 スカイもまた転生者である。トーマより一か月ほど早くシャングリラで生活を始めていた。トーマより年上なこともあり「先輩風吹かせたいんだよ」と世話を焼いてくれる。

 ちなみにトーマは他の冒険者に比べて動き出す時間が遅い。他の冒険者なら朝一で依頼に出かけるが、トーマは移動速度がおかしいので遅めに動いても日帰りできる。奪い合いが発生しづらい高難度の依頼を請けているので依頼探しものんびりである。


「そういうスカイはのんびりなんですね。いつもならその辺飛び回ってる時間じゃないですか。町中にいるって珍しい気がする」

「休みだからな」

「そっか、アオだって飛びっぱなしじゃ疲れるもんな」


 スカイの腕には羽が生えた深緑色のトカゲが張り付いていた。

 トカゲの名前はアオという。スカイの騎竜である。大きさを変更する能力を持っており、街中では普通のトカゲ大になっている。

 スカイの能力は魔獣と心を通わせることと、搭乗した対象を強化すること。強化能力は無生物が相手でも有効だが、無生物に乗るのは気が進まないらしくもっぱらアオに乗っている。


「せっかくの休みなのにフィオナちゃんと一緒じゃなくていいのか?」

「一緒に過ごす予定なんですけどちょっと気まずくて」

「ほう。よし、お兄さんがコーヒーをおごってやるから話してみなさい」


 言われて大人しくついていくトーマ。誰かに話して気持ちを整理したかった。

 話相手ならいつも暇そうにしているグレンでもよかったのだが、グレンは確実に冷やかしてくる。デリケートな話題を振るならスカイの方が良い。不思議なくらい親身になってくれる。


「というわけで、今日デートなんですけど妙に意識しちゃって困ってるんです」

「なんつーか……甘ずっぺー……」


 話をするとスカイは喫茶店のテーブルに突っ伏した。思いのほか青春な話題が効いたらしい。

 スカイの外見は二十歳前後、黒い短髪の男性である。さっぱりした見た目で恋愛経験も豊富そうだが、恋愛経験値と青春耐性は違うらしい。むしろ初々しいのを見ると共感性羞恥に似た感情が発動していた。

 相談する相手間違えたかなーと思っているとスカイが顔を上げた。


「ところで疑問なんだが、ちょっと突っ込んだこと聞いてもいいか」

「ちょっと待ってください。……腹をくくりました。どうぞ」

「どうしてこんなにも据え膳な状態でフィオナちゃんに手を出さないんだ」

「ぶっ」


 深呼吸して落ち着いたのに肺からいっぺんに空気を吐き出してしまった。コーヒーを飲んでなくてよかった。


「……俺、スカイはそういう冷やかしはしない人だと思って相談したのに」

「冷やかしに聞こえたなら悪い。でも純粋に疑問なんだよ。今、同棲してるんだろ。フィオナちゃんからトーマへの好意は傍から見ても明らかだ。話を聞くにトーマだって興味ないわけじゃないんだろ。責任取っても内縁の妻から内縁が取れるだけで生活は変わらないだろうし、手を出さない理由が分からないんだ」

「内縁て、妻て」


 スカイの顔に冷やかしの色はなく、疑問に思う気持ちに嘘はなさそうだった。

 トーマも考えたことはある。たとえば昨日の夜、フィオナのベッドに入り込んだとしてもフィオナは怒らなかっただろう。

 行くところまで行ってしまえば逐一これほど動揺することはなくなるかもしれない。きっとフィオナも拒まない。

 なのにトーマは二の足を踏んでいた。


「……自分でもよく分からない。ただ、今は手を出しちゃいけない気がする」

「フィオナちゃんが嫌がりそうってことか?」

「フィオナは多分受け入れてくれる。俺が嫌なんだ。フィオナが嫌っていうんじゃなくて、なんかこう引っかかってるというか」


 本音をぶっちゃければすごくやりたい。思春期男子にとってオールオッケーぽい美少女との同居生活は刺激が強いというレベルじゃない。疲れている時には本当に襲ってしまおうかと考えたこともある。

 そのたびに猛烈な忌避感に襲われて思いとどまっている。


「その引っかかりの正体が重要そうだな。大したことじゃないと分かれば関係を発展させることもできるだろうし、重要なことだと分かれば理由に応じた対応ができる」

「けど理由が分からないんですよねー」


 今度はトーマがテーブルに突っ伏した。

 スカイが言うことはもっともだ。理由が分かれば対処できる。対処が困難であっても今ほどもやもやしないで済む。分からないから厄介なのだが。


「とりあえず差し当たっては今日のデートを落ち着いて乗り切るために頭を冷やしたいです」

「なるほど、じゃあ頭が冷える話題だな。……前世の死因の話とか?」

「すっげぇ物騒ですね」

「げんなりするだろ」

「確かに」


 なんならトラックに轢かれた直後の自分の姿を想像するだけで食欲が失せるまである。

 気分が落ち込まないよう注意する必要はありそうだが、落ち着けるにはいいかもしれない。


「俺の死因の話はしましたよね」

「トラック転生だよな。聞いた時に胃が痛くなったからよく覚えてる」

「スカイも交通事故って言ってましたけど、具体的には聞いてないですよね」


 初めて顔を合わせた時に自己紹介を兼ねてお互いに話した。その時には「車に轢かれて気が付いたらこの世界にいた」と言っていた。

 トラック転生仲間かと思って色めきたったら相手が乗用車と聞いてちょっとがっかりした。

 ちなみに転生直後にアオの卵を拾い、孵化から育てたらしい。


「相手は乗用車だったんだけど、信号無視してアホみたいな速度で突っ込んできたんだ。撥ね飛ばされた上にもう一回轢かれて、そこで死んだんだろうな」

「それはまた……いっそ一撃で仕留めてくれって感じですね。想像するだけで痛そうです」

「衝撃はすごかったけど痛みは記憶にないんだよな。ダメージが大きすぎて痛覚壊れたのかもしれない」

「痛覚は危険信号らしいですからね。脳みそが終わったと思ったら痛覚も仕事しなくなるんでしょうか」

「そうかもしれない」


 スカイは笑った。

 それきり訪れる沈黙。周囲の声は遠く感じるのにコーヒーにミルクを入れて混ぜる音がやけに響く。


「……この話はやめますか」

「…………ああ、げんなりし過ぎるな」

「活気がある話しましょう。スカイはもとの世界に戻りたいと思うことはありますか?」

「元の話題から離れきれていない気がするがまあいいか。ぶっちゃけあんまり無いな」

「意外です。突然死んだんだと心残りとかありそうだと思ってました。もしかしてスカイも前世の記憶があいまいなんですか」

「いや、前世の記憶はあるよ。ただ、家族は俺よりよっぽどしっかりしてたし、恋人なんかもいなかったからな。今の生活も充実してるし。あ、でも俺を轢き殺して逃げてったジジイは一発ぶん殴りたいな」

「え、ひき逃げだったんですか」

「意識が薄れてく中でエンジン音聞いたからな。救急車呼ぶなら止まるだろ」

「うーわ。なんというクソジジイ」

「ほんとな。あのジジイは許さん。……まあこの話もいいや。そういうトーマはどうなんだ? さっきの口ぶりだと記憶がぼんやりなのか?」

「そうなんですよね」


 スカイに学校でのことは覚えているが家庭のことは覚えていないことを話した。


「記憶を取り戻すのは長期目標の一つです。記憶の混濁は珍しいことじゃないって聞いたのでのんびり思い出そうと思ってます」

「そうらしいな。よく考えれば俺も学校生活のことはイベントごとくらいしか覚えてないや。もしかすると前世で彼女がいたんじゃないか? それが引っかかり――」

「それはない」


 スカイの言葉を遮り断言した。

 目の前のスカイは目を見開いている。トーマがこれほど強硬な態度を取ったことはない。驚いていた。

 一方でトーマも驚いていた。なんでとっさに強い口調が出てきたのか。記憶があいまいなのに断言できるのはなぜなのか。

 再び訪れる沈黙。トーマもスカイも思案顔になる。


「……もしかすると、前世で何かあったんじゃないか?」

「何かって……トラックに轢かれてこの世界に来たことは分かってるんですけど」

「その前の話だよ。もしかすると何か嫌なことがあって、その部分の記憶を無意識に思い出さないようにしているんじゃないか? マンガでそんな話を読んだ覚えがあるんだが」

「…………」


 トーマは黙って考え込む。

 視線を落とすとコーヒーとミルクが中途半端に混ざりらせん模様を描いている。

 スカイの言葉を反芻する。

 嫌な記憶を自ら封印しているかもしれない。ありそうな気がしてきた。

 小学校時代は決して楽しいものではなかったが、中学に入ってからは友達をたくさん作った。充実感があった。それなりに詳しく記憶がある。友達の輪の中にいる自分の姿を容易に思い出せる。

 一方で家庭の記憶は母親の名前を思い出せないほどあいまいだ。逆に父親は顔を思い出せないのに名前を憶えている。

 スカイの説が正しいとするなら家庭で何かあったのだろうか。これ以上問題が起きる要素はなかった気がするのだが。

 それとも学校の外で何かあったのだろうか。思えば休日に出かけた記憶はあるのにどこへ出かけたのか覚えていないし――


「トーマ? おいトーマ、しっかりしろ」

「っ!」


 スカイに肩を叩かれて喫茶店に意識が戻ってくる。

 無意識にかき混ぜていたのか、コーヒーのらせん模様はなくなり茶色く冷め切っている。ソーサーに少しこぼれてしまっている。


「大丈夫か。俺も何か根拠があって言ったわけじゃない。グレンが言った通り転生したばっかりで混乱しているだけかもしれない。あんまり思い詰めるな」

「はい、すみませんボーっとして」

「別にかまわんよ。それにあれだ、トーマみたいに明るく素直な性格のやつが闇深いトラブル抱えてる確率は低いだろうから気楽に構えとけ。きっとそのうち思い出して、悩んで損したって思うから」


 ポンポンと肩を叩いてくるスカイ。そう言われると大したことは起きていないと思えてくるから不思議だ。


「そろそろ頭も冷えたか?」

「……あ、冷えました。冷えっ冷えです」


 今さら家を出た理由を思い出してきた。

 考え事で頭に血が上った気もするが、思春期的な熱は完全に引いている。逆にさっきの方がまだデートに適した状態だったんじゃないかと思うくらいの醒めっぷりである。


「フィオナちゃんとの待ち合わせは昼過ぎなんだよな。なんか食ってくか。サクラさんの店も今日は休みだよな」

「明日は朝から営業なんですけどね」

「そういえばトーマはサクラさんとこの常連だったな。たまには違う店の食事もいいんじゃないか。ここのサンドイッチは旨いぞ」


明日で第一章終わりです。

ブクマ&評価でモチベーションくれても良いのですぜ。

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