Alcohol! Alcohol! Alcohol!
ビールを飲んだ。僕は幸せになる方法を見つけたのだ。プラスチックのコップだ。ガラスのボトルは緑。ビールはレモンイエロー。仲間たちは店員を呼び止める度にこう言った──ビールをもう一つ、さっきよりもっと冷えているものを!そしてウェイトレスが注文を受けて持ってくるビールのボトルは、その前に持ってきたボトルよりも確かに冷えていた。そんなことが九回繰り返された。
僕たちはつまらないゲームをたくさんした。誰かが百より小さい適当な数字を紙に書いて、それを隠してしまって、それから残りの人たちが順番に好きな数字を言う。紙に書いてある数字と同じ数字を言ったら負け。負けたらなんでもいいから酒を飲む。そういうルールだった。だが大概は全員で仲良く一杯飲んだ。数字が書かれた紙をどこに隠したか、忘れてしまうからだ。僕は毎回ビールを飲んだ。店は狭く、うるさく、どこかのテーブルで誰かが乾杯の歓声を上げると、周りの客も負けじと声を張り上げて乾杯と叫んだ。汗をかくほどではなかったが、暑かった。扇風機は壁に錆び付いていて、背の高い空気清浄機の羽は角度が変えられないように洗濯ばさみが挟んであった。“さっきよりもっと冷えているもの”が運ばれると、僕はそのボトルに手の甲を押し当てて、熱いアルコールが流れる血管がピクピクと痙攣する様子を楽しんだ。
午後十時四十九分五十二秒に僕は仲間たちと別れた。彼らはデザートを食べに行く予定で、僕はもう遅いからと言って断った。あと八秒経っていればきっと僕は彼らに着いてどこへでも行ったかも知れない。8?彼らは数字をこんなところに隠していたんだと僕はひとりで笑った。彼らにも教えようと思ったが、夜には沈黙が素晴らしく心地よかった。通りは灯りひとつなく、僕たちがさっきまでいた食堂はたくさんの不景気や競争を生き抜いた英雄なのだとすぐにわかった。僕は大きな口を開いて客を飲み込み、吐き出し、そればっかりやっているさっきの店に敬意をおぼえた。他はどの店もシャッターが降りていて、鮮やかなピンク色の紙が貼ってあった。そこには電話番号と地主の名字が書いてある。しかし暗い上にかなり乱暴に破かれていて、僕は「Fr」までしか読めなかった。このFr氏というのが、夢を与えるのも奪うのも担当している。
しばらくは仲間たちと一緒に歩いていたが、角に差し掛かると彼らは手を振って、あっという間に見えなくなった。僕はそのまま真っ直ぐ行って横断歩道を渡った。タクシーが僕を轢こうとして突進してきた。しかしそれがわかったのも、フロントガラスのところに「空席」という字が点滅していたからだ。辺りは真っ暗だった。僕には二つの黄色いランプが真っ直ぐに滑ってくるようにしか見えなかった。それが面白くて、僕は笑いながら走って車を躱した。とても素早く身軽に動けた。黄色いランプの双子が舌打ちをした。彼らが不具合を起こせばご主人は永遠の休暇をいただけるのだ。
踊るように僕はバス停のポールが置いてあるアーチの下に駆け込んだ。このアーチの白い天井の上が賓館になっていて、名前は忘れたが、朝食が無料だということをよく売り出していた。
薄黄色の賓館の壁にもたれかかって僕はバスを待った。壁は西洋風で、時々白いペンキで何も無いところを四角に囲ってある。この壁の黄色はビールとは違う──もっと淡く、そして周りの白と相まって、歳を取った鶏が産んだ卵を使った目玉焼きを思い浮かべた。そういう想像は僕を楽しくさせた。卵を平らなところへ置いて転がすと、卵は勝手にどこかへ転がっていかず円を描いてから中心に戻ってくる──母鶏はそれを知っている。だがある日、何かの全くの偶然で、遺伝子構造が突然的な変異を起こし、卵が丸くなってしまったら?卵が転がっていき、母鶏はいつもみたいにすぐ帰ってくると思っているのに、卵は転がり、それから世界の縁に辿り着き、落ちて……目玉焼きにすらならない。母鶏がそれを見てどう思う?
ふいに、今なら、視界にいる誰と寝ても構わないと思った。カビが生えた柱に寄りかかってタバコを吸う赤ら顔の中年でも、横断歩道を渡るピンク色のカーディガンを着た母親でも、その腕に抱えられた卵より無力な赤ん坊でも、その後ろを獲物を狙うみたいにとぼとぼ追いかける痩せた野良犬でも、誰でもいいと思った。そしてその考えで僕は愉快になったので、僕は安心した。そうなると何もかもが愉快だった。とにかく走り出して、また何度でもタクシーを躱して、窓を割って運転手の隣に滑り込んで彼と車内で抱き合いたいと思った。大声で笑いたくて、そしてそれを誰かと一緒にやりたくて仕方がなかった。ビールは僕の血液の中で、丸い卵のことを僕と一緒になって笑ってくれないのだ。
そう考えていると、折良くバスが来た。バス停の近くには街灯があったので、僕は今度はバスをちゃんと認識できた。
バスに乗り込むと、僕は急に自由になったという気がした。そればかりでなく、最初から自由だったということにも気がついた。運転手の顔は見えなかった。顔が無かったとしても僕は気づかなかった。運賃を払い、バスはあっという間に動き出したので、僕は揺れに任せて車内の奥へよろけるように進んだ。乗客が何人かいた。僕は彼らみんなにキスをしたくなった。進行方向とは逆に向けられた座席に座る男が白いイヤホンをつけていた。横を通り過ぎる時、とても良い匂いがした。僕のアルコールだ。
僕は一番後ろの席に座った。着ていたシャツのボタンを、普段は二つしか外さないのだけれど、三つ目を外した。それだけですべての最高を手に入れた気がした。僕は何か口ずさむことにした。それしか思いつかなかったので、エルヴィス・プレスリーの『恋に落ちずにいられない』を二回繰り返した。歌っている間、僕はずっと友人の顔を思い浮かべていて、そして歌っている間、僕は確かにその友人と恋に落ちずにいられなかった。僕は彼のために涙を流した。恋人がいるのに、彼と恋に落ちずにいられない自分のために涙を流した。乗客には聞こえていないようだった。彼らはみんな、自分の頭で口ずさんでいる曲があるのだ。
歌い終えると、窓の方を見て、僕は目の焦点を合わせてそこに反射した自分の姿を見つめた。それからふいに思いついて、カバンの中を探ると、リップクリームを取り出した。窓に映る自分をじっと見て、僕は唇にチューブを押し付けた。バスが乱暴に揺れるので、上手くいかない。カバンの中ですっかり溶けたクリームが下唇に滴った。
映画で観るようにやった。頭に思い浮かべたのは名前も顔も知らない女優で、真っ直ぐな髪を肩に垂らしていて、寝間着姿だった。彼女は口紅を右手に持ち、上下の唇をなぞった後、端まで描きやすいように口角を上げた──僕も同じようにした。窓ガラスに映る僕は笑顔になった。唇が濡れて真っ赤に見えた。血のようだとまではいかないが、生肉の色だった。それからバス停に着くまで、僕は自分を見ていた。
バスを降りる頃には土砂降りになっていた。いつから降っていたかはわからない。僕は始め、カバンを頭の上に掲げて雨を凌ごうと思ったのだけど、意味が無いことがわかったので近くの雨避けの下に滑り込んで策を考えた。カバンの中からハンカチが出てきた。折り畳まれていても頼りない薄さだったが僕はそれをちょっと広げて、両手で頭の上に持って自宅へと走った。
頭は濡れなかった──僕の脳は守られた──だが肩と脚が濡れ、僕はますます急いだ。しかし雨の雫がシャツの広い襟から僕の背中に入り込むので、すぐになんだかどうでもよくなってしまって、僕はまた笑った。急いでいる人たちは他にも何人かいたが、彼らは傘を持っていても急いでいて、誰かが迎えに来るとわかっていても急いでいて、雨宿りをしようと決めていても急いでいた。
何度か、通行人が傘の影から僕を見つめるのがわかった。それがとても面白かった。『雨に唄えば』を僕は小さい声で歌った。僕は歩いて帰った。信号を渡る時に少し小走りして、それがいけなかったのか、僕は何かを落とした。僕はカバンの底に手を突っ込み、家の鍵があることだけを確認すると、そのまま歩き続けた。
そして自宅。賃貸で、くだらなくて、大家が勝手にシャンデリアを取り付けたリビングルーム。シャンデリアは金メッキで出来ている。藁で編んだ籠の形をしていて、籠の底に電球がぶら下がっていて、そして籠の中には金色のコスモスがたくさん挿してある。全部メッキだ。これは滅多にスイッチを押してやらない。僕には明るすぎるからだ。リビングは電気を点けないで、僕は真っ直ぐ寝室に向かった。
床にシャツを脱ぎ捨てると、僕は随分お世話になったハンカチを椅子の背もたれに掛けた。乾かしてから洗うつもりだった。僕の寝室には色々なものがあった。木製の細長い机、木製の椅子が一つ、真っ黒な鏡台、クローゼットとたくさんの紙袋、埃が積もった本棚、ドライフラワー、首を振れない青い扇風機、それから──たくさんのカンヴァス。すべて自画像だ。壁に立てかけてあったり、鏡台に置いてあったり、壁に掛かってたり、机に投げ捨ててあったり、どこを見ても自画像があった。そして全部が描きかけだった。僕はとても飽き性なのだ。何故すぐに飽きてしまうのか僕にはわからない。
たくさんの自分に見つめられて僕は着替えた。ここ最近はずっとそうだった。そして僕が自画像を燃やさない限り、僕は永遠に自分に視姦され続けることになる。それでなくとも狭い寝室では、僕はいつでも鏡の中の双子に見つめられている。今日はその双子に違和感があった。すぐわかった──右耳のイヤリングが無くなっている。彼は落胆してみせた。僕は彼を慰めた。多分、信号を渡る時に落としたんだ──でも、そんなのどうだっていい。僕たちは幸せになる方法を知っているんだから。双子は微笑み、肩をすくめた。唇と、目と、頰が赤い。彼はとても諦めが良く、前向きで、明るい。
そして僕はジーンズを脱ぎ、それはシャツと一緒にすぐに洗濯機に入れた。そこで思いがけない奇跡が起きた。キッチンのタイルを金属が弾く音がして、僕が足元を見下ろすと──あった!落としたと思っていたイヤリングが!僕がどこかのアクセサリー屋で買ったものだ。ピンクと赤の綺麗なマーブルが金の輪っかの先に付いている。短く嘆いた時に思い浮かべた姿ともちろんそっくりそのまま同じだ。どうも、ずっとジーンズのベルトに引っかかっていたらしい。
とすると、僕が信号のところで落としたのは別の何かということになるが、しかし、やはりどうでもいいのだ。思いつかないなら、たぶん大事なものでは無かったのだろう。
適当なパジャマの上下を見つけて、それを着た。壁に取り付けた扇風機をつけて、それから頭上の白い蛍光灯を消すと、僕はベッドに倒れこんだ。
それから僕は、たくさんの自画像とキスをする夢を見た。カンヴァスの上で、それは全部、確かに僕であって僕が意図してそうしたに違いないのに、どこかが僕と決定的に違った。鼻の形、目、唇、鎖骨、まつげ、眉。僕は一つずつ、時間をかけて丁寧にその違和感の正体を探った。それから僕は気づいたのだ。それらは全て僕の友人のものだった。僕の友人の鼻や、目や、唇が、たくさんある僕の顔の中に一つずつ存在していた。
それに気づいて僕は安心した。他の誰でも無いとわかったからだ。僕は絵に顔を擦り付けた。アマニ油の、湿気った倉庫みたいな匂いがした。埃っぽい、コンクリートに囲まれた僕の全てを嗅ぎとった。目を閉じたので、今度は聴覚が研ぎ澄まされた──それから聴こえた。『恋に落ちずにいられない』が確かに、隣のキッチンから、いやそれよりもっと近く、僕の左手がべったり押さえつけている自画像の唇、友人の唇から歌声が漏れ出ていた。彼の唇で僕は歌った。
ここにいてもいいのだろうか?
君と恋に落ちずにいられないのは罪だろうか?
なんて素晴らしい歌詞だろう。そしてそれを僕は友人のことを考えながら友人の唇で歌って、友人の耳で聴いて、友人の鼻でアマニ油の匂いを吸って、そのすべてを友人の目で見つめている。恋人がいる僕の中で彼はすべてを知っていて、僕もまた恋人ではなくて彼を僕のうちに住まわせている。たくさんの顔に見つめられ、その全てが自分であるのに彼がその中で息をしている。それはなんて愉快で、楽しくて、素敵なことなんだろう。
顎を上げて僕は笑った。僕は笑い、転倒し、暗闇から迫ってくる二つの黄色いランプに衝突して、暗転した。友人の目の中で僕がまた笑い、僕は転倒して、暗転とまたやってから、それから、終わりだ。