97話 不条理
シオンが風雷石を使い始めてから丸三日が経った。
その間の彼女の様子としては、冬眠のような感じだった。朝も昼も夜もずっと丸まった姿勢で動く気配は無く、眠っているみたいだ。
アルはと言うと、初日にシェイラをナディア教国へ連れていって、無事に入国を果たすと、手近な宿の一室を借りた。そしてそこからすぐに【空間転移】でエルフの里へと戻って来た。ちなみにどうしても行きたいと言うクレイさんをナディアへ送って行ったりもした。
それ以降はずっとエルフの里にいる。里を離れるとしてもナディアに定時連絡を受けに行っているくらいだ。朝晩決まった時間にナディアの借部屋へと【空間転移】で向かい、シェイラとクレイさんが調査した内容の報告を受ける。そしてそれをラウルさんに伝える。それ以外は、何をしなければならないと言う事もない。
エルフの里の皆は、それなりに忙しく動いていた。森を調査していたエルフの戦士達も戻って来て、ナディアの攻撃に対して警戒している最中だ。
アルはその空いた時間を、里の皆と話して過ごしたり、エルフの子供達と遊んで過ごしたりした。子供達と言っても、実際はアルよりも年上の事が多い。少し複雑な関係だ。
アルがエルフの子供達と遊ぶ事にいやな顔をするエルフの大人達はいなかった。一度打ち解けてしまえば彼等は本当に親切で、まるでアルの事をエルフの同胞であるかの様に扱ってくれた。夕食に招かれたり、今までの冒険の話を聞きたがったりした。
その他にしている事と言えば、ガルムと二人で里周辺の魔物を狩ったり、組手をしたりだ。組手はシオンとは何回かした事があったが、ガルムとは始めてだった。ガルムとの組手はエルフの人達からお借りした木刀でする事が多かった。
ガルムとのレベル差は未だに5もあるが、ガルムに言わせればもはや戦闘での差は無くなっているらしい。しかし実際にはアルは何度やっても、いくら攻めようとも、彼から一本も取れていなかった。
ガルムが得意とする武器は、一番が槍、二番目が弓、剣は三番目だ。もしも彼我の戦闘での差が無いのであれば、剣を使うガルムには勝てるくらいでなければならないのではないか。そんな焦りの様な感情を感じていた。
「アルは対人の戦闘に慣れていないだけだ。もちろん、人を全力で攻撃する事も含めてな。もしも手前が41レベルの魔物であれば、こうはならないだろう」
アルがガルムに助言を求めたときのガルムの言葉だ。
人を全力で攻撃する。数日前の様に。
確かに、そう考えただけでも、アルは気分が悪くなった。人を傷付ける、殺しても良いと思うくらいに本気で戦う事に、アルはまだ慣れていない。
ナディアの兵を殺した事でさえ、ここ数日はその夢ばかり見て、夜中に何度も目を覚ますほどに引きずっていた。おかげで最近はあまりぐっすりと眠れていない。寝るのが少し怖いと思う程には疲れていた。朝までぐっすりと眠れていた頃の事が嘘の様に思える。
しかしこの気持ちも、いずれはマシになっていくはずだ。
時間をかければ、また平穏を感じられる様になる。そして、次にそうしなければならない時には、多少覚悟が出来ているはずだ。
そう思うしかなかった。
しかし、時間は待ってくれない。
世界はそんなアルの思惑など知る由もなく動き続けている。
そしてそんなアルの覚悟が試される時は、思っていたよりもずっと早く訪れたのだ。
四日目の朝だった。
外がまだ暗いほど朝早く。アルは定時連絡のためにナディアの借部屋へと【空間転移】したが、そこにはシェイラはいなかった。
「あれ?シェイラはどうしたんですか?」
ソファに寝転んでナイフを弄っているクレイさんに尋ねると、クレイさんはこちらを見もせずに言った。
「知らねェ。確かにいつもなら帰ってきてる時間だがな…」
クレイさんはまだ起きたばかりなのか、ベッドに寝転がりながら欠伸をした。彼も少し不満が溜まっている様子だった。ナディア教国内での行動はかなり制限された物となる。彼にとっては相当なストレスだろう。
シェイラの事は特に心配してはいなかった。何か問題に巻き込まれている可能性は低い。シェイラはかなり高レベルの上、良スキルも多い。問題に巻き込まれたとて自分で対処できるだろう。
そう思ってアルも椅子に腰掛けて三十分ほど待つ。
まだ朝早い上に十分に寝れていない事もあって、気付かないうちにうとうととしていると、どたばたと言う足音と共にシェイラが部屋に転がり込んできた。
「ん?…あぁ。シェイラ、まだ朝早いんだから他の人の迷惑に…」
「昨日の夕方頃にナディアが出兵していたわ!数は五百!方向的にエルフの里に向かったと思われるわ!」
シェイラが息を整える暇もないとまくし立てた。
「え!?昨夜…!?」
「間違いないわ!里に早く知らせないと手遅れになるわよ!」
「おらァ坊主!早く連れていけ!」
アルはクレイさんとシェイラを連れて、エルフの里へと【空間転移】する。
「うげぁぁぁ!!!」
「きゃあああああ!!!」
転移してからすぐに、遅かった事が分かった。
エルフの里はまだ薄暗く、視界はすこぶる悪かった。それでもすぐに【支配者】を使ったアルには、すでに里の中にナディアの兵達が入ってきている事が分かった。【支配者】で把握した百メートル範囲内だけでも数十人のナディア兵がいた。エルフ側も侵入には気付いており、剣や魔法が入り乱れている。
「もう攻め込まれてます!僕はシオンの所へ!御二人は…」
「是非もねェぜ!」
「早く行きな!ここは任せな!」
二人の返事を聞いて、アルは全速力で聖霊樹の元へと向かった。
聖霊樹の場所は、スキルを使わなくてもすぐにわかる。暗闇に包まれた里の中で最も明るい場所。それが聖霊樹だ。
アルは他には目もくれず走った。
途中で何人かナディア兵の気を引いてしまったが、それも関係ない。とにかくシオンの元へ行くのが最優先だ。
到着する寸前にアルは走りながら【保管】から火竜の双剣を取り出して装備する。
聖霊樹の光の元へと躍り出ると、そこにはシオンがいた。
駆け寄ると………よかった。無事だ。
シオンはそのままの様子で風雷石と共にいた。
聖霊樹の光が照らし出す場所には、とりあえずナディアの兵はいない。彼等の闇に紛れて雪崩れ込む作戦故に、他より明るいこの場所は後回しになったのかもしれない。とにかく助かった。
後はガルムがどこにいるのか分からず心配だが、ガルムがやられるとは考えにくい。いざとなったら【竜化】もある。
敵の数は五百人とシェイラは言っていた。走ってくるまでに見かけた敵兵のレベルは35前後。
対してエルフの人達の人数は五十人。魔法攻撃を主体としている人が多く、レベル的に勝っていても暗闇の中の近接戦闘では分が悪いだろう。
助けに行かなければ。
しかしこのままシオンを置いていく事も出来ない。
どうする…
ガチャリ。ガチャリ。ガチャリ。
しかしアルに選択肢は無かった。
アルの来た方角から、規則的な金属音が近付いてきたのだ。
聖霊樹の明かりに照らし出されたのは、白い甲冑。
その兵士はアルを見てかなり驚いていた。しかしそれはこちらも同じだった。その兵士は、ここに来るまでにアルが無視した内の一人だ。
つまりアルがここまで連れてきてしまったのだ。
「君!人間がエルフの里で何をしているんだ!?」
その人物はアルがエルフでないのを見て、敵対とも友好とも分からない様子で叫んだ。その兵士は青年だ。二十代半ばくらい。
「来ないで!」
シオンを背に庇い、威嚇する。
しかし彼からも、風雷石と共に淡く発光するシオンが見えてしまった。
「そ、それは魔物か!?貴様!そこをどけ!!」
青年が剣を抜く。
しかしアルも火竜の双剣を抜き放ち、抵抗の構えを取った。
青年のレベルは34。アルの方が上だ。
「手を出すなら容赦しません!」
アルの方がレベルが上だと感じ取ったのか。それともアルがエルフでない、加えてまだ成人もしていないだろう事に躊躇いを感じたのか。青年は無理に攻めようとしてこなかった。
数秒の睨み合いの後、青年は指を輪にして口に加えて笛の様な音を出した。
それを許したのは間違いだった。攻撃を躊躇っていたのは青年だけでは無かったのだと気付いた。
その音を聞き付けて、十五秒もかからない内に兵士が五人程やって来てしまう。
「何か見つけたか!?」
「魔物が何やら怪しげな事を行っている!彼は人間の子供だ!」
「おい貴様!そこで何をしている!?隠さず答えねばエルフと同罪として処刑する!」
中年の兵士は青年と違って、アルが若かろうが人間だろうが関係ない様子だった。
兵士達の剣には血がべっとりとついていた。
間違いなく、エルフの人達の血だろう。それに激しい怒りを覚えつつも、彼等と戦うことにまだ躊躇いを感じている自分が情けなかった。
「こいつは関係ありません」
苦し紛れに言った言葉は、鼻で笑われる。
「それは我々が決める事だ。我々の目的に差し支えるならば、放ってはおけん」
「目的…?あなた達の目的は何だって言うんですか………」
「決まっているだろう、我々の目的はエルフの殲滅だ」
アルの愚直な質問に、一人のナディア兵が答えた。
「女子供一人残らずな」
その兵士は何と………笑っている。
アルにはその感情が理解できない。
今度こそ躊躇いの感情を押し退けて頭に血が昇っていくのが自分でも分かった。剣を持つ手に力が入り、腕が震える。
兵士達の持つ剣には血が伝い、それが地面に滴り落ちる。
つい今しがたまで誰かの身体を満たしていたそれは、今やこのエルフの里をキャンパスに、凄惨と言う絵を描いていた。
アルの視界がぐるぐると回り始めた。
その血は、一体誰の血だろうか?
ガルムかもしれない。リアムさんかもしれない。クレイさんかもしれない。シェイラかもしれない。ジェロームさんかもしれない。ラウルさんかもしれない。エルフの子供達かもしれない。
誰かの親かもしれない。誰かの子どもかもしれない。兄弟かもしれない。夫かもしれない。妻かもしれない。隣人かもしれない。友人かもしれない。恋人かもしれない。
僕だったかもしれない。
シオンだったかもしれない。
もうアルには、何が正しいのかすら分からない。
正しいとは誰が判断するのか。誰が正しいと言えばそうなのか。それとも多数決で決めるのか。そうなれば正しいとはただの意見の過多なのだろうか。
そもそも正しい事をしないといけないのだろうか。正しくない事をしては何故いけないのか。正しいことばかりをして生きる事が正しいのだろうか。
わからない。もう何がなんだかわからない。
わからないけど。
ただ、はっきりしている事がある。
そこにいる男は誰かを傷付け、もしくは殺して、そして今、笑って、そこに立っている。
これは、不条理だ。
正しいとか、正しくないとか。
そんな事はもうどうだっていい。
「ここに来るまでに何人のエルフを殺しましたか?」
「そんなもの、いちいち数えてられん。殺した魔物の数をいつまでも数える奴などおらんだろうが。いいから早くそこをどけ。弓兵、いいから殺ってしまえ」
カンッ。
そんな小気味良い音を立てて、飛来した弓を双剣で弾いた。
【支配者】を発動させれば、六人の兵士達の身体状況が手に取る様に分かる。心拍は穏やかで、全身の筋緊張は程よく緩んでいる。明らかにアル一人に対して気を抜いている。
地面を蹴った。
この距離で【瞬間加速】を使えば、相手からはまるで消えた様に見える。そしていつの間にか目の前に立っているのだ。
弓兵が次の矢を装填しようとしている最中だが、到底間に合わない。アルの紅に輝く剣は、その革製の胸装備を貫いて、胸部へと刺し込まれた。
「ぐあぁぁっ!」
ゆっくりと剣が埋まっていく。その感触を味わう様に。
そして穏やかに拍動する心臓へと到達する。
何が正しいとか、何が良いとか悪いとか。どうだっていいんだ。
この世界には結局、傷付ける人と傷付けられる人がいる。傷付けた人は笑っていて、傷付けられた人はそこでおしまい。
それなら僕が、傷付ける側の人達を傷付けても、悲しまなくて良いって事だよね?"後悔"しなくて良いって事だよね?
そうか、それなら。
殺すことを悔やむ必要なんてない。ただ、魔物にそうする時と同じ様に、楽しめば良いんだ。
手に伝わる鼓動が無くなった。
ぐったりとした兵士から、ずるりと剣を抜く。普段は紅く輝く火竜の剣は、血で真っ黒に染まっていた。
「解ったよ。人を殺す時って、笑うのが正解なんだね」
更新がとびとびになってしまい本当にすみません。
気ままにやっていく感じになりそうですが、気長にお付き合いいただけますと幸いです。




