96話 後悔
その日の晩。
ラウルさんの御厚意で、アル達は里に滞在することを許され、客人用の家屋を貸してもらえることになった。そこはラウルさんがいた建物と同じ石造りで、明らかに賓客用だった。
すっかりと夜の帳が下りた頃。アルはと言うとその建物の屋上に飛び乗って夜空を眺めていた。
聖霊樹の恩恵で暖かいエルフの里も、夜はやはりそこそこに冷えた。
だが、そんな多少の温度差など今は全く気にならない。先に寝てしまったガルムの【保温】のコートを勝手に持って着たので全然快適だった。
「アル………少しいいか?」
「え!?あぁシオンか。ビックリした」
「油断しすぎじゃぞ」
シオンはコートの中にもぞもぞと入ってきて、襟もとから顔だけ出した。
「ぬ、これはなかなかのもんじゃの」
シオンが【保温】スキルに感動していた。
そんな様子にほっこりとしながら、アルも引き続き新鮮な空気を楽しんでいた。
「寝れぬのか?」
「うん」
「お主が人を殺したのは二回目となるな…」
シオンの言葉は直球だった。
彼女はもともとややこしい言い回しや気遣いをする方ではない。それが彼女の良いところだと思っている。
「そうだね。でも僕自身が殺意を持って殺したのは初めてだよ」
今日のアルは別に混乱していた訳でも、焦っていた訳でもない。今でもはっきりと思い出す。殺さなければ。そう思った事を。
「それは間違っておる。必要にかられて殺しを決断したのが初めてと言う事じゃ」
「一緒だよ」
「一緒ではない」
シオンはそう言ってくれたが、アルには一緒に思えた。
月明かりの中で、シオンはアルを見つめていた。
「アル。妾がお主にいくつか隠し事をしておるのは既に気付いておると思う。それについて、謝罪せねばならぬ。しかし理解して欲しい。その事について、妾はとんでもなく愚かで、度胸がなく、臆病になっているのだ」
「シオンが?臆病?」
「うむ。妾は今のお主が消えてしまうのがどうしようもなく怖い」
シオンの言っている意味はよく分からなかった。
しかし彼女がアルの事を心配し、他の誰でもないアルのために隠し事をしている事は分かっていた。
彼女はいつだってそうだ。アルの事を一番に考えてくれる。
「ねぇシオン。何でシオンは僕の事そんなに心配してくれるの?」
「それは、好きだからじゃ」
え?
「ここの食べ物も、生活も、お主と一緒に戦うのも、冒険するのも、この温もりもな」
あぁ、そう言う事か。
そりゃアルに何かあれば、シオンは本当の世界に戻される訳だもんな。
「いつか、話してくれる?シオンが怖がってることや、隠してること」
シオンはまだアルを真っ直ぐ見ていた。
「今回、風雷石を使って元の姿に戻ったら、全てを話そう」
*
その翌日。
アル達は風雷石の所に案内された。
それは、アルの予想よりかなり小さかった。と言っても、アルの頭と同じくらいの卵形の石だ。それなりに大きいと思う人もいるだろう。アルが勝手にどでかい物を想像していただけだ。
つまり率直な感想としては、"石"って言うくらいだもんな、まぁこんなものか、と言った程度だ。
シオンは"後の事は任せたからの"とだけ言い残して、石に背中をつけて地面に丸まると、目を閉じた。
きっと何かが始まったのだろうが、特に外見的な変化は無い。皆で数分そこに立ち尽くしてみたが、やはり何も変わったことが起きないので解散となった。
そしてアルはナディア教国へと出発の準備をする。
そしてそこからさらに三時間後。
「さささささ寒い寒い寒い寒い!ここんなのきいきい聞いてない!!!」
雪原を疾走する雪魚車の上でぶるぶると震えるのは、何重にもコートを着込んだ女性だ。赤みがかった茶髪と、うるうるとした瞳。その色白の肌は、この白銀世界の中でも一際白く見えるほどだった。
彼女はシェイラ。別名は盗賊ウィード。以前にゴールドナイツと言う歓楽街でアルが捕らえた小悪党だ。その時は、道行く男達から持ち物を盗んでいた。投獄される代わりに、今はゴールドナイツの領主、ローリ・ナイツさんの元で諜報員として働いている。
この度、ナディア教国内でのユグドの葉探しと、国内情勢の調査にローリさんから借り受けたのだ。ローリさんには、以前に殺されかけた事があると言う物騒極まりない"貸し"があったので、二つ返事で了承してもらえた。
「ひひひさ久しぶりに、あい会いにきてくれたかとおお思ったら!せめてナディアに、つつ着いてから迎えにえに、来てよ!!!」
「クレイさんはそれでも良いとして、シェイラは一緒にいてもらわないと困るんだよ。どこにナディアの人達がいるか分からないからさ。僕だけだと何か言われた時に上手くごまかせないから」
彼女のレベルは当時39だったが、そこからさらにレベルは上がり、今はなんと42。頑張ってるんだなぁと言う感心と、ローリさんにこき使われてるんだなぁと言う同情を感じる。
ちなみにアルが今寒くないのは、ガルムがリアムさんに貰った【保温】のコートを着ているからだ。
これがなくとも、エルフの里は比較的暖かいためガルムもなんとか耐えられる。震えてたけど。
よって嫌がる所を半ば強引に借りてきて、五分交代でシェイラと使っている。不思議なもので、本当に同じ時間だと思えないほどに、その五分は体感での長さが違った。
相対性理論って奴だ。
なんて考えていると、突然シェイラが何重にも重ねたコートを脱ぎ出した。
「あぁぁ!もももう!無理!!!」
「うわっ!ちょっとシェイラ!?何してるんだよっ!」
「そそそれだけ大きいんだから、ふたふた二人で入れるでしょ!」
シェイラはアルの羽織っている氷竜のコートの前をがばっと開くと、アルが座っている膝の間に潜り込んできた。
そしてアルの胸に抱き着いてきた。
「うわぁ!?ちょっとシェイラ!?」
「ああああぁぁ。あああったかいいい。ちちょっとこのままでいさいさ、いさせて…」
ガルム用にかなり大きなコートなので、どうやら二人ともが【保温】の恩恵に預かれた様だ。
しかしコートの中はあまりに恥ずかしい体勢になっているので、アルは彼女の柔らかい感触を意識しない様にするので大変だった。
そのまま五分程したら、シェイラはコートから顔をひょっこりと出し、アルの脚の間に座った。アルのすぐ目の前にシェイラの頭がある状態だ。昨日のシオンとの状態と少し似ている。
「寒っ!?早く!前閉めて!」
「え!?あぁはい!いや、さすがにこれじゃ閉まらないんじゃ…」
「寒い寒い寒い!」
寒さから逃れようとしたシェイラの身体がアルの身体に完全に密着する。シェイラがアルの胸にもたれかかっている状態で、やっとコートが閉まった。
まるで、アルが後ろから抱き締めているみたいな体勢になった。
「あぁ、快適。最初からこうしとけば良かったんだね」
「まぁそうだね」
「きゃっ!」
「え!?何!?」
「ちょっと喋らないで!耳がくすぐったい!」
「いや、そんな事言われても」
「ちょっとやめてって!ヤバいって!くすぐったいモードに入っちゃったって!?きゃー!寒い!」
そこからシェイラが落ち着くまで十分は、アルは無言のまま曇天を眺めていた。時間はお昼頃だろうか。お腹空いたな。
ナディアへは、真っ直ぐ行けない。
エルフの里側と魔人国側は、警備がかなり厳重で、基本的にそちら方面から来た人は入れないらしい。
だから南側から回り込んで、ロザリオ王国方面から入ろうとしているのだ。よってスノービークルがどれだけ速くても、半日はかかるらしい。
「あーもう大丈夫。何か話してみて?」
「シェイラって何歳なの?」
「………はぁ!?いきなりそれ!?」
「いや、そう言えば知らないなと思って」
「………二十八よ!年増で悪かったわね!」
「二十八って年増なの?」
「あんたと比べたら年増でしょ」
「そうかな?若く見えると思うけどね。二十前後かと思ってた」
「え?そ………そうかな?」
「そうだよ」
「…そう。あ、そう言えばね、ローリ様がよろしくだってよ」
「あの人のよろしくはちょっと怖いな…」
「同感。未だに【戦闘狂】は健在だし」
「そりゃそうだよね」
他愛のない話が続く。
久しぶりに落ち着いて話している気がする。テンゴールにいた時から半月も経っていないのに。やはり、セシリアさんの事があってから、常に頭の片隅で彼女の事を考えている気がするのだ。以前の様に、ただ自分の強さを求めていけばいいだけの生活とは大きな違いだった。
もう何時間たったのか分からない。時々お尻が痛くなってふたり一緒に立ち上がったりもしたが、シェイラとの二人きりの時間は苦痛ではなかった。
身体を密着させていると、シェイラの体温が伝わってくる。
うとうとしてしまいそうだ。
しかしアルは寝るのが怖かった。別に寒いからではない。【保温】で体温は保たれているので、眠ったからと言って死ぬわけではない。
アルはシェイラに聞きたいことがあった。
誰にでも聞けるような事ではない。彼女とは一緒にローリさんに命を狙われた、いわば戦友のような存在だった。そして、嘘偽りない意見を言ってくれそうな人でもある。
他愛のない話が途切れてから、数分の沈黙が続いた。
アルは勇気を絞り出してその質問をしてみた。
「シェイラはさ。人を殺した事あるって。言ってたよね?」
アルは言ってから後悔した。
シェイラの身体が少し緊張したのが伝わってきたからだ。
「そうだね。そんな事も。あった…かな」
「………後悔してる?」
彼女の表情は見えない。
「うーんどうだろ。あたいが殺した奴等は悪人だったし。あー、悪人ってずるい言い方だよね。少なくともあたいから見たら悪い奴だと思ったし、今でもそう思う。だからその人の人生を終わらせてしまった事に関しては後悔してないよ」
「後悔して…ない?」
「うん。してないよ。後悔する様な半端な気持ちでやっちゃダメだと、あたいは勝手に思ってるからさ。だからあたいは、後悔しないと納得できる殺ししかした事はない。でも間違えちゃいけないのは、後悔しないって事は、忘れる事とは違うってこと」
彼女の意思は強かった。
アルの腕の中にすっぽりと収まってしまう程の華奢な身体からは考えられない様な強さだった。
「昨日、何かあったんでしょ?話してみなよ」
「………昨日さ。エルフの里を襲撃してきたナディア軍の兵隊を殺したんだ」
「何人?」
「………十一人」
「じゃあ大丈夫」
「何が大丈夫なの?」
「人数よ。ちゃんと覚えてる。君はちゃんとその人達について考えてるし、これからも向き合っていける」
シェイラの言葉に涙が出た。
彼女はそんなアルの頭を撫でてくれたのだった。
「アル。見て」
それからどれほど経ったか分からない頃、シェイラが唐突に指差した先には高い塀に囲まれた街がぼんやり見えてきていた。
それも吹雪の先なのではっきりとは見えないが、しかし恐らくあれがナディア教国の首都、グロリアだ。
「入り口はかなり厳重だね。これは一筋縄では行かないかもしれないよ」
塀の一部に、巨大かつ重厚な門が存在する。
昨日エルフの里に攻めてきた様な、所々が白く装飾された装備を纏った兵が大勢詰めていた。アル達が門の目の前までいくと五人ほどが武器を構え、一人が近付いてくる。
「何者だ!?」
「ロザリオから来た冒険者です!こちらは雇い主で商人のタマラと言います!」
ここに着く直前に、【保温】のコートをシェイラに着させ、自分は別のコートを羽織っている。
そしてタマラと呼ばれたシェイラは、今は小太りの中年女性に【変装】していた。その完成度は非の打ち所が無く、【変装Lv5】は伊達ではない。
「わざわざロザリオから薪を運んできてんだよ!!何してるんだ!早く入れておくれ!こいつが湿気ちまっても知らないよ!春まで使い物にならなくなっても良いのかい!」
シェイラの演技は一級品だった。
口うるさい中年女性そのものの態度で兵士達を威嚇する。
「薪なら春のうちに十分な在庫を買っているはずだ。誰からの依頼だ?」
「あんた阿呆だね!誰からでもないよ!寒けりゃ薪が必要だろうに!商売で来てんのさ!特に魔法を使わないあんた達は薪がないと凍り付いちまうだろうが!?」
「チッ。入国したければとっととステータスを見せろ。魔法スキルがあった場合は残念ながら入国は出来ない」
「何だって!?まったく、何を言い出すかと思ったら!あんた等はあたいにここで丸裸になれって言ってんのかい!?」
「いや、裸とは一言も言っていない。ステータスを見せろと言ったんだ」
「それが同じ事だと分からないのかね!?一体どういう教育受けてんだい!?あんたんとこの母親連れてきな!あんたの母親がステータスを見せたらあたいも見せようじゃないか!」
「なんだよ、面倒だな。ステータスを開示出来ないなら入国は認められないぞ。この国の法だから仕方ない」
そこからまた少しぐちぐちと言ってから、シェイラはステータスを開示した。その駆け引きがまた本当っぽくて、シェイラにお願いして良かったと実感する。
アルも同じくステータスを開いて見せるが、ステータスを要求してくるくらいは想定済みだ。アル達のステータスは両者とも【隠蔽】スキルで改竄された物だった。
「行っていいぞ。通せ!」
「坊主、よくあれと旅して来れたな…」
労いの言葉さえかけてもらいながら、アルとシェイラはナディアへと潜入した。
「チョロかったね?」
【変装】を解いたシェイラが、悪戯に笑った。
久しぶりに投稿します。
こんな作品を読んでくださった皆様、そしてまさかいないとは思いますが、大晦日(投稿日現在)にも関わらずこんな作品を読んで下さっている皆様。
良いお年をお迎えください。




