95話 風雷石
ナディア教国の弓兵を全滅させた後、アル達は残りの兵の掃討にも加わった。アルとクレイさんによって挟撃を受けた敵兵は目に見えて動揺し、戦線が瓦解するまでに時間はかからなかった。
そしてアル達の活躍もあって、なんとか敵兵全てを倒し切ると、エルフの皆からは喝采が巻き起こった。それの大半は弓兵を倒したアルとクレイさんに向けられた物だ。
クレイさんは舌打ちしながら照れると言う不可思議な態度だったし、アルはとてもそんな精神状態ではなかったので、その喝采に勇躍として応える事は出来なかった。それでもジェロームさんが近寄ってきて、謝罪され、さらには握手を求められた時には、その手を何とか握り返すくらいは出来た。
「ありがとう。私達は貴殿方へのこの恩を忘れない」
「いえ、何より里が無事で良かったです」
「君達にした無礼を許して欲しい。また後で改めて謝罪と礼をさせて欲しい。私は先に仲間の治療に当たらねばならないので」
ジェロームさんは、アル達に笑顔とも何とも言えない顔を向けてから、怪我をしたエルフの様子を見に行った。
「無事か?」
「あぁ、シオン…。来てたの」
いつの間にか来ていたシオンは、アルの頭の上によじ登ると、普段とは違った優しい声音で話しかけてくれた。本当は優しい言葉をかけられて泣きそうになりながらも、アルは見栄を張った。
「大丈夫だよ、大丈夫。………見てた?」
「…うむ。途中からな」
アルの姿は、シオンの目にはどう映ったのだろうか。
漠然とそんな事を考えていると、少し離れた所から猛スピードで近づいてくる人がいた。
「ありがとう、アルフォンス君!君のお陰で私達の里は守られた…!」
リアムさんが涙ぐみながら抱きついてきた。
ただでさえ高レベルの上に背の高いリアムさんだ。思い切り抱き着かれて腰が反対側に折れそうだったが、咄嗟にガルムが支えてくれた。
「リアムさん…。僕は大したことはしてませんよ」
「何を言っているんだ…。君はセシリアの命を救った上に、私の故郷まで救ってくれたんだよ。僕達はこれから君に足を向けて寝られないよ」
「大袈裟ですって」
冗談混じりに笑ったリアムさんの顔を見ると、ほんのりと罪悪感が溶けていく様だった。
この人達の笑顔を守ることが出来た。これで良かった。
間違ったことは何もしていない。良かったんだ。
「そもそもあやつ等は何者だったのじゃ?」
「あぁ、シオンさんは御存知ないのですね。こいつ等はナディア教国の者です。少なくとも服装や装備の感じはナディア教国軍の物です。ちょっと待っていてください」
リアムさんはそう言うと手近な死体を一つ引っ張ってきて、装備と上着を脱がし始めた。なんとなくその手付きは荒々しい。
兵隊の肌が見え始めてアルはぎょっとした。いや、正確に言えば肌がほとんど見えない事にぎょっとしたのだ。その男の上半身には、びっしりと刺青が彫ってあった。
「少なくともこの男はナディア教国の者ですね。どの刺青部分にも瘡蓋なども無く綺麗ですので、彫ってから二年は経過していますね。これが全員にあるとすれば、ほぼ間違いなくナディア教国の者と見て良いでしょう」
「では何故ナディア教国が攻めてくるのじゃ?彼等は宗教的な訴えに来ていたとラウルは言うておったが」
「詳しい話は長老の所に戻ってからにしましょう。ここでは出来ない話もあります」
リアムさんに促され、アル達はまたラウルさんの所に戻った。
そこではジェロームさんがいち早く報告に来ており、アル達は入れ違いで中に入る。
「あぁ、さて。皆様方。どうぞ腰かけて下さい」
入るなり、ラウルさんに座るよう促される。室内には所々に椅子が置いてあったので、それを引っ張ってきて座る。そして全員が座ると、ラウルさんはベッドの上に座ったままの姿勢から、深々と頭を下げた。
「まずは今回の襲撃について私から御礼を言わせていただきたい。皆様のお陰で、私の里は九死に一生を得たと言っても過言ではない」
「ラウルさん!?どうか頭をお上げ下さい…!」
「その通りだ。そんなに改まる必要はない」
「俺等はしてェようにしただけだ」
ラウルさんは頭を上げると、穏やかに微笑っていた。
「誰もが貴殿方の様な人達であれば、今頃この里はもっとエルフ以外の人で賑わっておるでしょうなぁ…」
「ラウル。それはそうと、先程と話が違うぞ。ナディア教国は宗教的な事で訴えに来ている程度と言っておったではないか」
「そうだと思っておったのです。現にナディア教国の兵が攻撃してきたのは、約十年前にユグドの木を焼かれた時以来となります。私達の…、いえ私の認識の甘さが招いた結果でございます。貴殿方がおられて、非常に幸運でした」
十年ぶり…。それが今日?
まさか、こんなタイミングで。本当に"幸運"だっただけなのだろうか?
「ナディア教国の人間達はそもそも、何故エルフの里を攻撃してくるのだ?」
ガルムが発した疑問はもっともだった。
ラウルさんは目を閉じて大きく息を吐き出す。しかし彼の口が開く前にその質問に答えたのはリアムさんだった。
「彼等の信仰が関係しているのです」
「ナディア教じゃ、魔法は邪悪な物って位置付けらしいぜェ。ナディア国内では魔法を使うと極刑になるってェ話だ。だから魔法に長けると言われるエルフの里が国の近くにあるってのは、まさに目の上のたんこぶって奴だ」
クレイさんのその説明で、ガルムの質問に対しての答えは十分な気がした。彼等の中には魔法を使っている人はいなかった。それに、なんだかエルフの人達に対して憎悪の様な物を感じる節があった。
それも信仰上の話なら仕方ないだろう。
「そんな犬猿の仲が、こんな近くに住んでるなんて皮肉ですね…」
思わず口走ってしまう。
その言葉に、今度こそラウルさんが口を開いた。
「いや、この情勢は起きるべくして起きた事なのですよ。遠い昔。私達エルフは、人間よりも秀でた魔法の力を使って、ナディア領土から幾度となく略奪を繰り返してきた歴史がある。その結果、ナディアの人間達は魔法を敵対視し、ナディア教と言う教えが出来たのだ」
ラウルさんが遠い昔と言うくらいだから、本当に大昔の事なのだろう。しかしその大昔の遺恨が、未だに互いを苦しめているのだと思うと、なんだかやりきれない気持ちになってしまう。
ラウルさんは話を続けた。
「もしや、彼等が"我等は一つ"と言っていたのを耳にしたかも知れませんね?彼等は我々を攻めるにあたって、魔法を排するが故に魔法に対して効果的な防御策を持たない。彼等の唯一の戦法は、燃ゆる同胞の屍を踏み越え敵を討つ。それに尽きる。"死してなおその魂は同胞の力となる。我等は一つ。永久に共に有らん"。それがナディア教です。故に彼等は手強い」
ラウルさんの言葉には、エルフとナディア教国の歴史を感じた。
それはきっとアルには想像も出来ないくらいに、根深い物なのだろう。
「十年前のナディア教国の侵攻の時も、圧倒的な兵隊の数で押し込まれてしまい、ユグドの木を焼かれる事になったのです」
アルはその話が何となく、ひっかかった。
何かは分からないが、頭の端っこのほうがもやっとする。
「ナディアは何故ユグドの木を燃やしてしまったのじゃ?自分達が使おうとは思わなかったのか?」
「それにもナディアの教えが関係しています。ナディア教皇は魔法を悪としていますが、それは魔法に類するもの、つまり錬金術も含まれるのです。ナディア教国軍の強さとは、生に執着しない兵隊そのものにある。よって万病に効くとされるユグドの葉を使った調合薬など、存在させてしまえば国の教え自体が揺るぎかねないと思ったのでしょう」
あ、そうか。それだ。
何が頭の中にひっかかっていたか分かった。
ユグドの葉についてだ。
「………ごめん少し話が逸れるんだけど、ちょっと待って。ナディアの人達はユグドの木を燃やし尽くしたって言ってるけど、もしかしたらいくつか持って帰った可能性もあるんじゃないかな?」
アルの話はその場を静まり返らせた。
数秒後にクレイさんが呆れた声を出す。
「お前ェ。話聞いてたか?ナディア教の教えではユグドの葉は邪悪なんだぜ。だからわざわざ焼きに来たんだろォが?」
「いやクレイ、待ってくれ。可能性は無いとも限らないと思う。兵隊の信仰にも深浅あるはずだ。信仰の浅い者が燃やす時にくすねた可能性もあるし、より権力を持った位の高い者が、保身のためにいくつか持ち帰らせた可能性はあるかも知れない」
「うむ、確かにの。今やどこに存在するやも分からん木を探すよりは、よっぽど現実的じゃ。しかしあの国の誰かが持っているとして、そやつも最大限の策を講じて隠しているはずじゃ。持っているだけで極刑となればな。探し出すのは難しいかも知れんぞ」
アルの話に同調したのはリアムさんとシオンだった。
二人も可能性はあると考えたみたいで、急に心強くなる。
「いや、少し待って欲しい。そうなれば、ユグドの葉を持っている可能性があるのはナディアだけでは無いかもしれない………」
そこでリアムさんは思い付いた様にラウルさんの顔を見た。
二人だけにしか分からない目だけでのやり取りの後、ラウルさんはリアムさんに頷いて見せた。
「実は十年前の事について、里のエルフ達は知らない事実があるのです。以前に少し話したかも知れませんが………。あの時、ナディア教国の侵攻は、ある集団に煽動された物だったのです。その集団こそが、セシリアに重傷を負わせた"ファントム"。その男がリーダーを務める闇ギルド"玉兎"です。単純にユグドの葉を持っている可能性だけで言えば、彼等の方が高いでしょう」
その話は前にセシリアさんの傷付いた経緯を話して貰った時に、少し聞いていた。ここでまたしてもそいつ等の話が出てくるとは思ってもみなかったが。
「煽動した目的自体が、もしかしたらユグドの葉を手に入れることだったかも知れないと言う可能性もありますよね?それならそいつ等を探す方が確実と言う事になりますね」
「そうなりますが、彼等を見つけ出すのは至難の技です。私がこの里を出た理由も、そいつ等を見つけて復讐を果たすためなのです。今回見つけたのも、本当に偶然に過ぎない」
リアムさんが里を出た理由が、復讐?
つまりその闇ギルドを見つけて、殺す?と言う事なのだろうか。
そのために冒険者となって、旅をしてきた…?
アルはリアムさんの目の奥に、初めて憎悪と言う感情を見た気がした。そしてそれを怖いと思った。
「里の他のエルフ達に話してないのは何故なんですか?そのせいで、リアムさんが侵攻直後に里を見捨てたって認識されてるみたいでしたけど…」
「それは私から長老に頼んだんだよ、アルフォンス君。どちらにしろナディアの軍隊に侵攻された事には代わりない。その後で恨みの対象を増やしても、傷が癒える訳ではないからね」
そういう物なんだろうか。
アルはそこまで人を恨んだことはない。
ただ、今回セシリアさんの事でファントムとやらにはかなり腹が立っている。もしファントムが誰かからの指示を受けてセシリアさんにあんな事をしたのであれば、確かに怒りは膨れ上がるのかもしれないと感じた。
「話が逸れたの。とりあえずこの里は今後どの様な対策を取るつもりじゃ?」
「えぇ、まずは早急に、里の外にいる者達を連れ戻しましょう。今後は教国がさらなる人数の軍隊を送り込んで来るやもしれませぬ。ブルドー帝国にも今回の件をお伝えし、政治的にも助力して貰わねばならぬでしょうな」
「うむ。それでは妾は予定通り、風雷石を使う準備に入るとする。その間はアルとガルムはここに滞在してくれるか?………よし。お主等はどうする?」
リアムさんとクレイさんは話を振られて互いに顔を見合わせた。
先に宣言したのはクレイさんだった。
「俺等は一日も無駄に出来ねェ。ナディア教国に行くぜ」
「待って下さいクレイ。エルフである私はあの国には入れません」
「それなら一人でも構わねェ。ここからならあの雪車に乗って一日もあれば着くだろうよ」
「それはパーティーリーダーとして許可できません。君の性格は潜入にはいささか向いていない」
「うるせェな!俺しかいねぇだろうがァ!?」
「しかし君一人では到底無理です!」
二人は言い合いを始めてしまった。
言っていることはリアムさんが正しいと思った。クレイさんは潜入とか、隠密とか言う行動には不向きだとアルも感じたからだ。でもクレイさんの気持ちも分かる。可能性があると言われて、じっとしているのも辛い。
「確かに、お主の性格では潜入は無理じゃろうな。ましてや人が隠している物を探し出してこっそり盗むなどはもっての他じゃ。そこら辺のゴロツキ盗賊を引っ張ってきた方がまだ上手くやるじゃろう」
「なんだとこのネズミがァ!?」
「だれがネズミじゃ!」
シオンの言うことは、的を得ている。クレイさん一人では絶対無理だ。捕まってしまう気さえする。
しかしそんな盗賊まがいの事に慣れている人を雇おうと思っても、そんな人に信頼がおけるはずがない。しかもその盗む物と言うのが、失われた万能薬の材料だ。金に目が眩まない確証もない。
盗賊を雇うのは無理だ。
かと言って知り合いに適任がいるはずもない。
いるはずが………ない………?
んー………?まてよ?どこかにいた様な………?
「あ…」
いつかの様にとぼけた声を出すアルに、全員の視線が集まる。
そしてその意味をいち早く理解したリアムさんの顔が輝き出すのだった。




