94話 悪い予感
「久しいの」
「ご無沙汰しております。またお会いできる日が来ようとは思ってもみませんでした。私ばかりがこのように老けてしまいまして、お恥ずかしいばかりでございます」
その何だか親しいやり取りに一同は困惑してしまう。
そしてアルの他には誰も何も言えない様子だったので、代表して口を挟んだ。
「え?え?え?ちょっと待って!二人は、その。………知り合い?ですか?」
どちらにと言う訳でもなく聞いたのだが、少しの沈黙の後、ラウルさんが答えてくれた。
「ユキ様と以前にお会いしたのは数百年前になりますな。当時この里の周りには狂暴な魔物が多く跋扈しておりましたが、ユキ様達の尽力により、この辺りは平安を得ることが出来たのです」
「うむ。懐かしい話じゃの」
つまりは、シオンと前の召喚主がやって来て、この里に何らかの貢献をしたと言う事らしい。しかしそれでも、シオンが以前にも召喚されていたと言う事実を知っているのはアルだけだから説明しておかないと。
「ちょっとだけ、すみません!あの、実はシオンは数百年前にも一度違う方に召喚されておりまして、きっと御二人はその時の知り合いと言う事だと思います」
クレイさんは全く興味が無さそうだったが、リアムさんとガルムは好奇心を刺激された様子だった。
「あれからもう何年経つやら。歳はとりたくないものですな。あの時、ユキ様はそれはそれは見目麗しい女性といらしておりましたな。確か名前は…?あぁ。そうだ、ア」
「ラウル。その話はよせ」
その場の雰囲気が変わった。
小さいシオンのさらに小さい目からは、明らかに威嚇的なものが発せられていた。ラウルさんも思わず口をつぐんだ。
シオンはアルと同じレベルなのでこの場では一番レベルが低い事になるのだが、その気配は間違いなく高位の魔物のそれで、シオンの本来の姿である大狐に睨まれた時の事を思い出した。
「ラウルとは積もる話もある。風雷石の事も含めて二人だけで話したい。すまんが席を外してくれるかの」
そう言ったシオンの声音は普段と何ら変わらない物だったが、言葉には有無を言わせぬ力があった。シオンはアルの手の上から飛び降りると、ラウルさんのベッドに飛び乗った。
そしてこちらを振り返ると、片耳をバタつかせて退室を催促した。
「何か訳ありの様な感じでしたね」
「シオンのあのような様子は初めて見たな」
「興味ねェ」
外に出るとジェロームさんが立っていた。
彼にシオンとラウルさんが古い知り合いで、二人で話したいと言っていた事を伝えると、アル達は別の場所に連れていかれる様だった。リアムさんが言うには、あまり里のエルフ達に姿を見られて揉めない為だろう、とか。
「アルフォンス君はシオンさんの前の召喚主と言う方の話は聞いているんですか?」
「いえ、あまりシオンは話したがらなくて。僕も無理に聞こうとは思わないですし」
「確かに普通の人間の方で数百年前であれば既に亡くなっておいででしょうから、楽しかった思い出ばかりと言う訳でも無いのかも知れませんね」
カンカンカンカン…。
遠くでそんな鐘の音が聞こえたのはそんな時だった。
アルは何の音だろうと思いつつも、あまり気にならなかった。もしかしたら時間を知らせるような物なのかもしれない。
そんな悠長な事を考えた程だ。
しかしジェロームさんと、少し遅れてリアムさんが慌て始めた。
「まずい…!あなた方は避難を!」
ジェロームさんは端的にそう言い残すと、鐘の音の方へと走って向かって行った。
「避難?どうかしたんですか?」
「分かりません…!高レベルの魔物が迷い込んで来たか、もしくは……………。すみません、私は応援に行きます!」
リアムさんも、いてもたってもいられないと言った様子でジェロームさんを追いかけた。
「リアムが行くなら俺も行くぜェ!」
「有事の様だな。手助けが必要かもしれぬ」
「…うん!僕らも行こう!」
結局全員で音の鳴る方向へと向かった。リアムさんとクレイさんはさすがのスピードで先に行ってしまうが、十数秒遅れでその現場に到達する。
そこは既に戦場だった。
「何と言う事だ………」
先に着いていたリアムさんがぽつりと溢した。
里を襲ってきていたのはどこかの兵隊だった。白く装飾された甲冑を身に纏った人間達と、エルフの戦闘部隊が交戦している。
そして里の外には軽装備を着ている集団がいた。森と里の境界線に横一列に並び、絶えずこちらを弓で攻撃してくる。近接戦闘をしているのが三十人程度。弓矢を放っているのが二十人程度だ。
「里が襲われてる!?」
「あの人間達はナディア教国の奴等だ!またしてもこの里を!」
その時のリアムさんの表情はかつて見たことが無い物だった。普段から穏やかで、どんな状況でも冷静沈着な人だが、その時ばかりは怒りに我を忘れている様子だった。
「おい!待てリアム!お前ェの魔法は火だろうが!無闇に撃てば森が火事になっちまうぞ!おい!アルフォンス!敵弓兵のレベルはどんなもんだァ!?」
アルが固まって動けないでいると、クレイさんに怒鳴られた。
「え!?えぇーっと、40レベルを越してる人はいません!」
「それならお前ェのスキルで俺を弓兵の所へ連れていけ!お前ェとガルムと三人で奇襲かけて、まずは奴等からぶっ殺してやらァ!」
アルは逡巡する。
しかしそんな時間すら残されてはいない。
エルフ達は完全に押されている。近接戦闘をしているエルフとナディア兵の数は同等。しかし近接戦闘をしているエルフの中には、明らかに魔法が専門の人が多い。一人、また一人と、エルフが倒れていく。
「………行きます!ただ前線が持ちそうにないからガルムはそっちの援護を!」
「承知した」
「いつでもやれやァ!」
アルは詠唱する。
「いいかァ!?絶対に躊躇うんじゃねェ!助ける余裕まではねェからな!?」
転移する直前、クレイさんはアルに念押しした。
瞬時に景色が変わる。
場所は並んでいる弓兵達の列の真ん中ほど。さらに言えばその二メートル上空。
クレイさんと共に落下する。
それぞれが兵隊の真横に着地した。
アルの近くに立っていた弓兵は、頭から地面に崩れ落ちる。剣の柄で殴ったのだ。敵はアルとほとんどレベルは変わらないが、無防備な後頭部への一撃であれば意識を刈り取るのは可能だ。
クレイさんの隣に立っていた敵兵は、まだ立ったままだった。
しかし彼はもう戦えはしない。確実に。アル達の着地から少し遅れて、ドサリと音を立てて彼の頭部が落ちてきた。
その頭越しに、クレイさんと目が合う。
彼は周囲に降り注ぐ鮮血を浴びながらも、その瞳を外さない。
躊躇うな………。息の根を止めろ。
言外にそう訴えかけていた。
隣の敵が気付いた。動き出す。
「敵だぁああ!?」
アルとクレイさんは互いに背を向け走り出した。
アルは矢を装填中の敵の懐に潜り込むと、顔面を全力で殴り飛ばす。
レベル差はほとんどないため、殴っただけではそこまでダメージを入れられない。その敵は森の方へと弾き飛ばされるが、なんと空中で矢を射ってきた。驚くべき事に、アルに殴られながらも装填を中断していなかったのだ。
飛んできた矢をアルは転がって回避する。上腕に裂傷を受ける。
「我等は一つぅ!うおおぉぉおおお!!!!」
そこに別の敵が腰の剣を抜き、斬りかかってくる。近接戦闘はあまり経験がないのか、ステータスに任せて愚直に剣を振り回すだけだが、アルの攻撃に怯える様子が全く無く、あわよくばカウンターで相討ちを狙っているかの様だ。
そうしている内に他の敵がアルに気付き始めた。敵が次々とエルフ達からアルに標準を変え始める。
まずい………!このままじゃ…。
一振りのナイフが飛んできた。
それはアルに向けて今まさに矢を放とうとしていた敵の腕に命中し、狙いを大きく逸らした。
クレイさんが、向こうで戦いながら投げた物だった。
頭の中にいつかの誰かの声が響いた。
"人を殺す時は躊躇うな"
アルが中途半端な事をすれば、アルだけでない。クレイさんも、エルフの人達も命を落とすかもしれない。
セシリアさんの姿が過る。アルが弱いせいで、彼女みたいな人が増えてしまうかもしれない。最悪、命を落とす。アルのせいで。
吹っ切った。
そんな事は絶対に許さない。
そこに立っているのは、もはや魔物と何ら変わりない。
【瞬間加速】で手近の敵の前に移動すると、彼等は到底反応できない。当たり前だ。彼等は今までそう言う世界で戦ってきていない。しかも手にしているのは弓。
アルの双剣は易々とその喉を斬り裂いた。
ごぽりと、裂傷と口からどす黒い血が溢れる。
「死んでもそいつを止めろ!我等は一つ!!!」
噴き出る返り血を浴びるよりも早く、次の敵に接敵していた。
弓を弾けば、何も護るものはない。咄嗟に庇った腕ごと頚部を一閃。矢の軌道上に、入らなければ良い。常に敵を挟む。そうすれば当たらない。さらには、近付いてしまえば二秒もかからず仕留められる。
淡々と頭の中で効率的な倒し方がプログラムされていく。
簡単だ。
下手な魔物より全然柔らかい。
次々と命を奪いながら、アルは自分の目から涙が流れる事に気付かない振りをした。
*
時は少し遡る。
アル達を追い出したシオンは、ラウルと一対一で話をしていた。
「まさか風雷石を奉っておるとは夢にも思わなんだぞ」
「そうでしょうな。あの時に貴女がたが里を去った後、落ち着きを取り戻した森の中で見つけたのです。そして森の安寧を祈願して、奉る運びとなりました」
「まったく。お主らは勘違いしておる。あの石には何の御利益もないどころか、森が荒れる元凶じゃ。最近また森が騒がしくなってきたのではないか?」
「…おっしゃる通りでございます。して根本的な元凶とは?」
「あの風雷石は、空気中の魔力を徐々に蓄積していく特性を持っているんじゃ。そして蓄積された膨大な魔力は、魔物を狂わせる。現に四百年前のあの時も、妾達は森の中に石の気配を感じ、その蓄積された魔力を解き放ったに過ぎん。そして妾達が掘り起こした石を、たまたまお主等が見つけたと言う事なのじゃろう」
風雷石は別に珍しい物と言う訳ではないが、ミアからこの里にあると聞いた時には本当に驚いた。その時に四百年前の一件を思い出したのだ。
「なるほど、そうでしたか。それではこの度、風雷石を使うとあの少年が言っていたのは…?」
「同じじゃ。四百年前と。今回は妾が元の姿に戻ると言う目的も含まれているがな。お主等にとっては同じ事じゃ」
「そう言う事でしたら私達も助かります。ここ数年は森の魔物が酷く荒れておりましたので。それに加えてナディア教国の連中も度々来てはあれこれ言って帰っていくので、里全体がかなりピリピリしているのです」
ラウルは安心した様に息を吐いた。
実際に魔力を放出するには二、三日はかかる。その間滞在させて貰う事も了承して貰えた。これでようやく元の姿に戻ることが出来る。
この無力なミニシオンの身体にも嫌気がさしていた所だ。
「ところで、最近はあの少年と旅をしておるのですか?」
「うむ。アルフォンスと言う。素直な良い子じゃ」
「その様ですな。あの黒髪と言い、儚げな雰囲気と言い。どこか似ておられますな。さぞ人を惹き付けるでしょう。………アリア様の事は話しておられないので?」
カンカン………。
ラウルの言葉は耳が痛い物だった。
里のどこかで、鐘の音が鳴っている。おやつの時間でも知らせているのか。
「あやつが言っておった通り、以前にも召喚された事があると言う程度じゃ。あやつも無理に聞いてはこんしの。それに最近のアルは少し危うい所がある。アリアの二の舞にはなってほしくないのじゃ」
何故話さないのか。それはシオンにも正直な所は分からない。きっと、いや確実に今後、アリアの名を耳にすることになるだろう。彼女がどんな道を選んだのかと言う事についても。
それならばシオンの口から話しておく方が良い。
分かってはいるのだが、なんとなく話すのが辛かった。きっとシオンの中で、まだ折り合いがついていないのだろう。四百年経った今でさえ、棘が刺さったみたいに、ちくちくとシオンの心を痛め付けている。
「あの子の事、さぞ大切に思っておられるのですな。
しかし、分かっておられるとは思いますが、あの年頃の子は話して貰えないこと、教えてもらえない事を裏切りと取る事もあります。そしてこれは私の経験からですが、ちゃんと話し合っておけば、例え紆余曲折が有ろうとも、最悪な事にはならない」
「………覚えておくとしよう」
「申し訳ありません。歳を取ると説教臭くなってしまう物なのです」
「それも、耳が痛い話じゃの」
カンカン…。
「すまんラウル。さっきから鐘の音がカンカンカンカン鳴っておるが、何の音じゃ?」
「鐘の音?………まさか、大変じゃ!ユキ様!連続した鐘の音は戦闘中の意味です!どうかすぐにお連れ様を連れて避難してください!」
シオンは建物を飛び出した。
外に出ると風に混じって、確かに血生臭い匂いがする。
そしてアル達の匂いも同じ方向だった。
シオンは嫌な予感がしながらも、まっすぐ鐘の音の方に走った。
心臓は近づいてくる鐘の音よりも早く胸を打ち付けている。
そして血生臭い戦場に到達した時。
シオンは嫌な予感が的中してしまった事を知る。
思わず、その場に座ってしまった。
戦場の一番奥。
シオンから最も遠い場所にいたアルは、その幼さの残る顔を苦しみに歪めながら、淡々と人を斬っていた。




