82話 玉兎《ムーン・ラビット》
残酷表現少しあります、ご注意下さい。
セシリア達は冒険者ギルドから出ると素早く周囲を確認し、二十メートル程離れた建物の陰に入る。
全員が隠れるとセシリアはすぐに尋ねた。
「で!?どうだった?」
「あァ。バッチリだぜ。買取カウンターの前にいた二人組が怪しい。デカイのとノッポ。他はキョロキョロと周りを見回してたがそいつ等だけはじっとセシリアの事を見てた。獲物はデカイのが盾と斧、ノッポは弓だ」
「セシリア、この方法はいささか強引だと言ったはずだが…」
リアムの小言が始まった。
この方法とは、あえて大声で裏奴隷についての演説をして、その反応から関係している者を炙り出す方法だ。今回に関しては、裏奴隷に関係していない者であれば回りの反応を窺う様な素振りを見せるのが普通だ。しかし少しでも関係している者や心当たりのある者は、挙動不審になるか、逆に動作が少なくなったりする。
「大丈夫よ。残りは数人だし、私達なら出来る」
「で、どうするの?」
「大丈夫よ、きっとそんなに待たないわ。………ほら!」
遠目で、冒険者ギルドの扉が開いたのが見えた。
中からは巨漢とノッポの二人組がそそくさと出てくる。
「わぁお。さすがセシリアたん。それと、さっきの可愛い子ぶった演技もなかなかだったよ?また今度アルフォンス君に会ったらやれば?」
「イザベラ!余計なこと言わないで…!」
セシリアはすぐに【鑑定】するが、戦闘関連のスキルがいくつかあるだけだ。
「レベルは35と38。察知系のスキルは無し」
「よし。静かにやろう。これ以上の騒ぎは我々にマイナスにしかならない。いいね?」
リアムの言葉に全員が頷いた。
ギルドを後にして歩き出した二人組は、なんとなく周りを警戒しながら夜道を進んでいく。それを感付かれないように息を忍ばせながらついていった。
宿へと向かっているかと思いきや、どうやら向かっているのは奴隷市場やスラム街の方だ。
「こりゃアタリかもしんねェな…」
夜もかなり遅いが、奴隷の店が建ち並ぶ市場はまだ多少の賑わいを残していた。酔っ払った冒険者や貴族が酒の勢いでふらりと奴隷を買いに来る事があるらしく、商人達はいつでも揉み手を出来るように構えているのだ。
今回の二人組もそっちの可能性はあるが、少し様子がおかしい。
奴隷店の前を通ると、必ずと言っていい程にその店主に声をかけられる。向こうも商売だ。彼等の呼び込みは一種の名物となっているほど。
しかし、店主達はその二人組には声をかけるどころか、見向きもしない。
"烈火"の面々が店の前を通ると確実に呼び込みで尾行がバレてしまうので、仕方なくすぐ横のスラム街へと迂回した。
こんな場面では、クレイの【追跡】スキルが抜群に役に立つ。
対象に存在を察知されていない事が条件だが、五百メートル範囲内の足跡が辿れる様になり、五十メートル範囲内では壁や建物越しでも対象の位置が把握出来る。
クレイを先頭にして五分ほど歩くと、彼から手で止まるように合図が出る。
「建物に入りやがった。ここから向こうに三つ程奥の建物だ。上に上がってる。多分二階」
セシリアはすぐに跳んだ。
【空歩】のスキルを使って空中を足場にすると、すぐ側の建物の屋上に着地する。
屋根伝いに進むと、その建物の窓から先程の二人に似た姿が確認できた。板のような物が打ち付けてある様で、その隙間からなんとか見える程度だが、クレイの【追跡】の情報と合わせるとほぼ間違いないだろう。
セシリアは三人の所に戻ると、見た事を報告した。
「では数日様子を」
「突入するわ!」
リアムの言葉を掻き消す様に断言する。
「三人はクレイを先頭に階段から。罠に気を付けて。私はタイミングを見て窓から奇襲するわ」
「いや待てセシリア」
「もう待ってられない!もし当たりなら拷問でもなんでもして吐かすくらいの覚悟は出来てる」
セシリアは有無を言わさず、また屋根へと登った。
*
反論も聞かず屋上へと登って行ったセシリアを見上げながら、リアムはため息をついた。
彼女は基本的には冷静なのだが、頭に血が昇ると極端な行動に出る時がある。今回の様な場面においても、戦闘中においても。
しかしそれが彼女の良さでもあり、若いと言う事でもある。
二百歳を越えているリアムには、それはまるで青春の様に尊い物に感じるのだった。
「まったく、私も甘いな…」
「確かになァ。ただどうするか決めるしかねェな。俺等が動かなければセシリアも諦めると思うぜ?」
「諦めるかな?私達を置いて一人で乗り込んじゃうと思うけど」
「仕方ない。クレイ先行して下さい。真ん中にイザベラ。殿は私が」
リアム達三人も、建物へ向けて動き出した。
二分ほどで建物の一階入り口に三人が到着すると、セシリアも頭上の建物屋上へと位置取っていた。
【罠解除】のスキルも持っているクレイが慎重に入り口を調べている中、リアムは手でセシリアに合図を送る。意味は二つ。魔法先行。同時に。
入り口に罠は無かった様だ。
クレイが扉から少し覗いた後、一階に人はいない事を伝えてくる。音を立てないように入ると、そこはほとんど廃墟の様だった。
すぐ近くに階段があり、またクレイを先頭に進むと二階に到達。
一階はワンフロアだったが、二階にはいくつか部屋があり全て扉は閉まっていた。
クレイがその内の一つを指差すと、そこだけ扉の下の隙間から灯りがチラついている。
セシリアとタイミングを合わせて突入する手筈だが、その瞬間を決めるのはリアム達三人ではなく、屋上にいるセシリアだ。
三十秒ほど待つと、クレイからカウントダウンが始まった。
彼には【追跡】スキルでセシリアの動きが把握できている。つまりセシリアが屋上で魔法を準備し始めたと言う事だ。
その瞬間が次第に近づく。
リアムはその時間から、セシリアの動きをイメージする。
魔法の詠唱が完了。
屋上から下を見下ろす。
飛び降りた。
地面が迫る。
だが宙は彼女の味方だ。
【空歩】のスキルで、一瞬の滞空を得る。
その高さは二階。目の前の板が打ち付けられた窓に向かって魔法を放つ。
「来るぜ!」
この場面でセシリアが選択するのは、恐らく【水魔法】の【水刃】。そこそこの威力があり、扉の外にいるリアム達まで巻き込まない指向性を持った魔法。
一瞬の揺れと轟音が建物を襲う。
リアム達に被害はない。
セシリアはすぐに【空歩】で部屋へと突入するだろう。
クレイもそれを分かっており、扉を蹴破って中に入った。
部屋の中はガラスやら家具やらが散乱していたが、視界は良好だ。
敵は男五人。
窓から入ってきたセシリアとの間に三人、セシリアの向こうに二人。
手前の三人は【水刃】の衝撃でまだ転倒している。
奥の二人はセシリアに任せて、リアム達は手前の三人にそれぞれ迫った。
リアムの相手は、武器を装備しておらず素手だった。
素早く立ち上がると殴りかかってくる。迷いのない素早い動きだった。恐らくレベルは40以上。リアムの服装と持っている大杖から、リアムが魔法職であるとすぐに判断したのだろう。武器を持っていないにも関わらず、間髪入れず近接戦闘に持ち込んできた。判断力、そして思い切りも良い。
たが甘い。
リアムは男の右ストレートを左腕でガードすると同時に、右の拳で腹部を打ち抜いた。
「ぐふぅぉっ!」
「魔法使いの拳の味はどうですか?」
その一撃で男は埃だらけの床に突っ伏して、腹の中の物を床にぶちまけた。
「行儀が悪いですよ。舐めて綺麗にしておきなさい」
リアムが一切の容赦無く頭を踏みつけると、男は自ら嘔吐した汚物の中で意識を失った。
それを一瞥して振り返ると、クレイは勿論、イザベラも見事にそれぞれの敵を無力化していた。
「リアムん、せっかく杖があるんだから、杖で殴ればいいのに」
「私にとって杖は命です。この様な輩を殴るのに命を磨り減らす訳にはいきません」
「そう?私は触るのも嫌だったけど」
「どっちでも構わねェ。殺れりやァな」
「いや、殺してないし」
「二人ともその辺にしてください。この騒ぎが黒幕へと届かぬ内に行動しなければ。さっさとまだ寝てない奴からさっさと聞き出すとしましょう」
いつもの二人の軽口を止める。
ここからは時間の勝負。早く奴隷にされた人達の足取りを聞き出して向かわなければ、その人達の命すら危うい。
幸運にも奇襲により完全に先手を打ち、完璧と言って良いほどに事が運んだ。セシリアも敵二人の内一人の意識を既に狩り取っており、残るは一人だけ。
あとはそいつを尋問して情報を吐かせる。それだけだ。
しかしその人物を見た途端、リアムは妙な感覚にとらわれる。
何故だか、一筋縄では行かないと感じた。理由は分からない。しかし長年冒険者として培ってきた経験が、この人物は危険だと警鐘を鳴らしている。
その人物はフードを深く被って、顔は見えない。部屋の端に置いてある穴だらけのソファに腰を降ろしたまま、まるでこの惨状に気付いていないかの様にマグカップを口元に運んでいる。
セシリアがそのフードの人物をあえて最後の一人に残したのか、そうせざるを得なかったのかどうかは分からない。しかし張り詰めた緊張感がその二人の間にはあった。
そして謎の人物はマグカップをソファの肘掛けに置くと、唐突に話し出した。
「まったく、予想外だったよ。まさか、こんな所で。いやはや、再会はもっと劇的に演出したかったのにな。真夏にいきなりサンタさんが来てメリークリスマスと言ってきたらこんな感じなのかも?」
それは男の声だった。
やけに甲高いその声音には、まるで緊張感が無い。
その態度はあたかも、親か友達に向けられた物のように朗らかだった。
「ねぇ、この人何を言ってるの?」
「ワケわかんねェ」
イザベラとクレイが不思議なものでも見るような声を出す。
しかしリアムは違った。
自然と手が震え始めていた。
……………彼を、知っている。
彼の言った"再会"と言う意味。
この緊迫した状況でのフザけた態度。
くだらない例え話。
「まさか………。"幻影"………!!!」
「やぁ…エルフのお兄さん。久しいね」
そのやり取りに意表を突かれたのは他の三人。
「なんだァ?リアム。こいつ知ってんのか?」
膝が微かに震えているのを感じる。
しかしそれ以上に、拳は怒りで震えていた。
「えぇ、忘れもしない…。このファントムと言う男こそ。私が冒険者となった原因。つまり、約十年前………エルフの森に侵略してきたナディア教国軍。そこに座っている男こそ、その扇動者だ。
君達も聞いた事があるはずだ。闇ギルド"玉兎"。史上最悪のテロリスト集団。奴はその頭領だ」
セシリア達の緊張感が一段と増す。
それはこの部屋を押し潰さんばかりの圧となって奴を襲っている筈だ。しかしそれでも、ファントムは全く意に介していなかった。
「そうだよ。玉兎をよろしくね。エルフのお兄さんも覚えててくれたんだね。あれは大仕事だった。ナディアの奴等と来たらとんでもない石頭でさ?おっと、僕だけを恨むのはお門違いだよ。あの時は既に目標を達成してたんだ。僕は撤退を進言したのに、それを無視して火を放ったのは奴等の暴走さ。あの猪突具合はワイルドボア以下だったね」
「あの侵略で多くの同胞が殺されたことに変わりはない。貴様が現れるまではあくまで政治的にバランスを保っていたのだ。それに"目標"だと…?貴様はあの時、一体何を得たと言うのだ?」
「何…?何って、そりゃあ。そうさ。あれだよ。何だっけ?あー………そう、たしかナディア教からたんまり報酬を貰ったんだったよ。
それにしても思い出すね?"我等は一つ"!なんてね?」
"我等は一つ"。
その言葉であの時の光景がフラッシュバックする。
燃えるユグドラシルの木。その炎に照らし出された、大地に散乱する仲間の死体。そしてあの剽軽な笑い声。
「もういい!!!【火球】!!!」
リアムの杖から突如として上半身ほどもある火球が出現し、杖の合図でファントムに飛び付いた。【魔法詠唱Lv5】の恩恵により魔力消費の少ない魔法であれば詠唱を短縮できる。リアムの最大限の奇襲だった。
【火球】は見事に着弾。
身体を一メートルほど後退させる程の爆風に耐えると、ファントムが座っていたソファごと、部屋の一角が吹き飛んでいた。奴の姿はない。
「おい!リアム!」
「奴は危険なんです!全力で潰さねば危ない!まさか跡形もなく消し飛んだはずがない!警戒す
「リアム後ろ!!!!!」
セシリアの声に背筋が凍り付く。
咄嗟に手首だけで大杖を引き上げると、鋭い金属音と衝撃がリアムを襲った。
衝撃に逆らわずごろごろと床を転がり、すぐに身体を起こす。
スープの皿をひっくり返した用な量の血がぼとぼとと床に溢れる。右腕を深く斬られた。まだかろうじて腕が付いているのは、杖での防御のおかげだろう。
「へぇ?意外と接近戦もできるんだね?僕みたいに魔法剣士でも目指してるの?」
リアムの前にセシリアが躍り出る。
「火球を避ける時の奴の動き、全く見えなかった…!リアム!何か知ってるなら教えて!」
「奴は"消える"…!!!【光魔法】の使い手だ!」
「なるほどね!ルイ・グラナスと同じ!【光魔法】の【鏡像】を使っていた訳ね」
【鏡像】は対象に間違った視覚情報を与える魔法だ。詠唱が必要で、発動中はほとんど動けないと言う弱点がある。
つまり、リアム達が突入した直後からすぐ詠唱・使用して、リアム達が虚像と会話している間にゆっくり部屋の反対側まで進んでいたのだろう。
「それなら先程の一撃でリアムを仕留めるか人質に出来なかったのが失敗ね!魔法使い!」
セシリアが飛びかかる。
また再度【鏡像】を使うには詠唱が必要だ。それにファントムは魔法使いだと分かった。近接戦闘でセシリアに敵うわけがない。
セシリアのレイピアがファントムを貫いた。
空間さえ貫くかの様な全力の刺突。
「だから、僕みたいな魔法剣士。って言ったじゃん。ちゃんと聞いてた?」
陽炎の様に空間が歪み、刺突を喰らったファントムが消える。そしてセシリアとリアムの間に再び姿を現した。
それと同時に、セシリアの背中から血飛沫が舞った。
「な、何故…!」
ファントムは倒れ込むセシリアに近付き、剣を持った腕を踏みつける。
「あ"ぁぁあ"あ!」
剣を取り落としたセシリアの髪を掴んで強引に上半身を起こさせると、その首筋にナイフを突きつけた。
「はーい、動かないでね。別に動いてもいいけど、この美人が死んで、そっちのコドモが代わりになるだけだから」
「誰が子供だァ!?てめェ!セシリアに何かしてみろ!殺してくれって懇願するまで苦痛を味わわせてやるからなァ!!?」
「はいはい、そう言うの要らないよ。コドモ君。
だいたいさ、僕の魔法を【鏡像】なんかと一緒にしないでよ。もし【鏡像】だったら、声のする場所でバレちゃうでしょ?
おっと、コドモ君?武器、捨てて。それから床に這いつくばって。ついでに床舐めてて。………早く」
「ぐあ"あ"ぁぁあ"!!」
ファントムのナイフが、セシリアの喉に食い込んだ。
そのナイフが離れるとリアムの比で無いほどの血が噴き出た。
セシリアも奴の腕を振りほどこうとしているが、ファントムはよほど高レベルなのかびくともしない。
「ほーらほら、まだ片方だから大丈夫。ほら大丈夫だよ?動かないで。頚動脈は左右にあるからね。今ぐらいの出血ならあと三分は持つよ。おっと、そこのグラマラスな獣人も回復魔法の詠唱は待ってね?ほら反対側もあと一センチ動かせば頚動脈に届く。だから美人さんも暴れないでってば。残り三分が短くなるよ?」
「ぐぅっ………ぅぐっ」
「分かった分かった!」
クレイは慌てて武器を捨て、床に這いつくばった。
「それで良いんだよ。ところで床も舐める約束だったよね?ほら。早くしなよ。僕もあんまり気が長い方じゃないけど。あと二分半くらいしか待てないよ?」
「あ"ぁ…」
「分かった!舐める!分かったから!」
「あぁ…。そうそう。それで良いんだよ。コドモはコドモらしくしてないと」
「何が望みなんだ!早く言ったらどうなんだ!」
セシリアの血は既に彼女とファントムを浸す程に流れ出ていた。既に意識が有るのか無いのかも分からない状態だ。
このまま奴がセシリアを殺す気なら、一か八かでも動かなければならない。
「望みなんて無いよ。ただそこの惨めなコドモが、苦痛がどうとか言ってたから。苦痛ってどんなものかなぁと思って」
セシリアの身体から力が抜けて、ぐったりとした。
早くイザベラとタイミングを合わせて行動しなければ。
「ちょっと待ってよ。別に僕は君達を殺したい訳じゃないんだ。…まだね?だいたい襲ってきたのは君達だろ?だから僕は今日の所は大人しく逃げたいだけなんだ。
そうだ、こうしよう。この美人さんはこの部屋を出た廊下に置いていくよ。僕が去ったら彼女を助ければいい。それまで誰も追ってこないでね?
わかる…?これは慈悲なんだ」
「わかった!それでいい!わかったから!早く行ってくれ!」
意識が朦朧としているセシリアと目が合う。
「頼む…」
リアムの懇願に、ファントムはニタリと笑った。
その直後。
ファントムのナイフがセシリアの首を貫いた。
「じゃあ、またね。エルフのお兄さん」
「セシリア!」
「嘘だ!!!」
リアムは再び姿を消したファントムなど目もくれず、セシリアへと駆け寄る。
両側の頚動脈から血が溢れ、彼女の身体は冷たくなっていた。抱き抱えて首元を押さえるがぐったりとして生気が感じられない。
「ダメだダメだダメだ!!!」
「イザベラ!」
イザベラは既に回復魔法を詠唱していた。
きっとナイフが見舞われた直後から。彼女が使える最高位の回復魔法を。
その永遠にも永く感じる詠唱を聞きながら、リアムはセシリアの身体を抱き寄せる事しか出来なかった。




