77話 新たなダンジョン
青い空。
白い雲。
アルの視界一面にはそれしかない。
月並みな表現だが、かれこれ数時間もの間それしか視界に無いのだから、もはやそれ以外に言い回しもない。せいぜい、あ、あの雲なんとなくミニシオンに似てるな…とかだ。
昨日まで訪れていたイージスと比べると、ここは遥かに暖かかった。そんな気候も、思考力を低下させている原因だろう。
例の如く、アルはまた荷馬車の天井に寝そべって空を眺めていた。
アルのお腹の上では小狐姿のシオンが丸まって寝ている。そうは言っても少しずつ肌寒い風に、シオンの温もりが心地良い。
ガルムはと言うと荷馬車と並んで歩きながら、マルコムさんの所で修繕されたばかりの武器の数々を取り出しては入れ替えて、その感触を確かめていた。
「うむ。良い」
この数十分は、ガルムのその声だけが一行のBGMとなっていた。
横目でチラリとガルムを見ると、武器の試し振りが三周目に突入している。
「ねぇ、Aランクになるのってギルドのポイントを稼ぐだけじゃだめって言ってたよね?」
「うむ。良い……。あぁ、適正試験があるとかミア嬢が言っていたな」
今度は槍を取り出して振り回しながらガルムが答えてくれる。シオンは起きているのか寝ているのか、反応はない。
昨日のギルドマスターの会議。
その中でルイさんは、首脳会談までの八ヶ月でAランクに上がった者がいれば、その護衛に関する勅命依頼を受けることができる様に交渉していた。
ちなみに勅命依頼とは、依頼主が国または国王からの依頼を指す。高ランク冒険者にしか与えられず、基本的に拒否権はない。
しかし今回のそれはどうやら、アル達のためらしい。
ルイさんの考えでは、この勅命依頼に参加する事が出来ればアル達の将来にとって必ず有益となる…とか。
「適正試験か。冒険者ギルドとしても、高ランクに認定した者に対しての管理責任は大きい。手前が考えるに、倫理観やギルドへの忠誠心等を確認するのではないだろうか」
「うーん。まぁ十分に有り得る話だよね………」
「今から行くファレオ共和国にはAランクのパーティがいるのだろう?彼等に聞けば良いではないのか?」
「あ!そうか!セシリアさん達も試験受けてるはずたもんね!ガルムは流石だなー。何のアドバイスもくれないシオンとは大違いだよ」
果たして起きているのかどうかも分からないと思っていたが、シオンの耳が素早く動いたかと思うとパチッと目を開き、アルをじーっと睨み付けてきた。
「まったく。何も分かっておらんの。適正試験の内容が倫理観やギルドへの忠誠心、ひいては国や人民への忠誠心を試すような物であると言う点には妾も同意する。しかしその試験の内容を教えてはくれまい。それを口外しない事こそが倫理観や忠誠心となるからの。それに今からそんな試験の事を意識する必要はない。妾ならまだしも、そんな試験でお主達二人が落ちるとは思えんからの」
一度けなしておいて最後は持ち上げる………。
怒られてもなお気持ちいい…。こいつめ、どこでこんな話術を身に付けたんだ。
「どうでもいいけんど、ちゃんと辺りは警戒しといて下せぇよー?」
アル達の無駄話に少し不安になったのは、護衛依頼の依頼主の商人だ。アルの体勢に加えて緊張感のない会話に、ちゃんと護衛してもらえているのかと心配している。
「あ、すみません。ちゃんと辺りは警戒しているので大丈夫ですよ。今までの道中で二つ程、盗賊と思われる集団がこちらを見ていましたが、ガルムが武器を振ってるのを見て手を出してきませんでした。なので安心してください」
「えぇぇぇえ!?」
実際、ガルムはなかなかの速度で武器を振り回している。レベルが低い人には武器が霞んで見える程だろう。しかしどの武器もかなり熟練した扱いで、アルとしてはたとえ真横で振り回されようと、安全だと理解している。
しかし襲う側の盗賊から見ればそうは思わなかった様だ。
「そもそもが八ヶ月でAランクと指示されるのも気に食わん。別に妾達はギルドランクを上げるために旅しているのではない」
「それは一理あるよね。この八ヶ月間ギルドランクをずっと気にしながらってのもしんどそうだし」
「だがルイ殿は腐ってもギルドマスター。何か考えがあるのではないだろうか?」
「その考えと言うのも想像がつかんこともないが、奴と奴のギルドの利益も多分に含まれていそうだしの。今回も都合よくイージスからアルテミスまで運ばされたのだろう?」
「え?想像ついてるの?それに運ばされたって………。間違ってないけど。別に魔力を使うくらいなんだから、そんなに気にしなくていいと思うけど。ついでに病み上がりのシャルロットさんも送ってあげたし。
で、ルイさんの考えって何?」
「その程度自分で考えろ。人に聞いてばかりで、そのおつむには何が詰まっておるのじゃ?はて?いつから【空間魔法】は頭の中を無空間にする魔法になったのじゃ?」
「むきーっ!お前もう人の上から降りろー!」
「うむ。良い」
「冒険者さん…。ほんとにおねげぇしますよ?」
思えば、こんなにのんびりした旅路も往路だけだ。
一度、目的の街に着いてしまえば【空間転移】で一瞬で往来出来てしまう。それはそれでやはり便利なのだが、このゆっくりした時間も、とても大切な時間に思えてくるのだった。
そしてアル達は約五日間をかけて、ファレオ共和国、鉱山都市テンゴールへと到着する。
*
「なんかちょっと、イメージと違うかも?」
テンゴールという街は鉱山都市と言うだけあって、鉱山に囲まれた土地に栄えていた。街の周囲をぐるっと、山々が取り囲んでいる。鉱山と言うと、土や岩が露出して茶色や灰色の山なのかと思いきや、しっかりと緑が覆い繁っている。
テンゴールの街自体の規模は、アルテミスと同程度でかなり大きい。ロザリオ王国からファレオ共和国の首都であるトニトルスに行こうとすると必ずといって良いほどこのルートを通るらしく、両国にとって貿易の要の一つだからだ。
常に冒険者や商人がやってきては、一泊もしくは数泊して去っていく。
日内で行ける範囲には、他にゆっくりと休めるような街もない。よって彼等はこの街でそこそこのお金を落としてから去っていく事になる。それにこの街で採れる鉱石の利益も加わって、金銭的にも裕福でかなり活気付いた街………と聞いていたのだが。
「思った程でもないな」
ガルムのぽつりと溢れた言葉に同意せざるを得ない。
確かに行商人や冒険者など、"旅の途中です"みたいな人達はそれなりにいる。しかしここに腰を落ち着けている様子の冒険者や、本来いるはずの街人等の姿はほとんど見えない。
「何か起きておる様じゃな?」
「とりあえず冒険者ギルドに向かってみようか?」
冒険者ギルドの建物も、アルテミスのそれと同程度には大きかった。しかしなんとなく、その建物自体も廃れて見える。ここに来るまでの街の様子がそう見せているのか。
中に入ってみると、その作りも今まで見てきた冒険者ギルドと大差無い。しかし手前の、言ってみれば"居酒屋スペース"にもほとんど冒険者はおらず、カウンターの奥のギルドスタッフも退屈そうにしている。
「こんにちはぁ………」
そろーっと声をかけて、一人のスタッフがようやくこちらに気が付いた。
小柄な女性スタッフだ。
例に漏れずギルド受付のスタッフは相変わらず美人だ。
肩までのウェーブがかった髪の毛は薄く青みがかっており、かけている藍色の眼鏡とよく合っている。なんとなく気だるそうな表情とジト目。一見すると幼そうに見えるが、その口から漏れた落ち着いた声を聞くと意外とそうでもないかもしれない。
「ようこそ…。テンゴールの冒険者ギルドへ。何か用ですか?」
「こんにちは、初めまして。僕はアルフォンスと言います。こっちはガルム。それで頭に乗ってるのがシオン」
「よろしく頼む」
「これはどうも丁寧に。私はアナと言いますです」
アルとガルムの挨拶に、アナと名乗った女性はのんびりとした所作で頭を下げた。
「すみません。僕達、人を探していて。"烈火"と言うパーティなんですけど………」
「"烈火"の方々でしたら、確か三ヶ月ほど前に出ていかれましたです」
「あちゃー、やっぱりですか。ちなみにどちらに行かれたとか………は教えてもらえないですよねぇやっぱり。ははは………」
アナさんのジト目が疑わしい目つきに変わったのを見て慌てて言葉を濁す。そこまでは教えてもらえないよね。
「ここのダンジョンについて教えてはもらえないだろうか?」
今度はガルムの方をじとっと見つめるが、彼を見てもほとんど動じることはなかった。たいていの人はガルムの外見にギクリと後ずさるか、急に謝りだすか、突然失神する人なんかもいたりするのだが。さすがは多人種国家のファレオ共和国と言ったところか。
「大丈夫ですよ。このテンゴールを囲む山の中は、坑道の様なダンジョンが縦横無尽に張り巡らされていますです。他のダンジョンの様な階層と言う概念は無く、階段もありません。坑道は常に傾斜しており、深部に行きたければ下り坂を降りていけばいいだけですます。一般的なダンジョンで言う十階層分程の深度はあると聞いてます」
ですます………?
なんとなく語尾と言うか敬語が気になるが、あまり触れないでおこう。
「なるほど。入り口はどちらになりますか?」
「テンゴールダンジョンの入り口は無数にあります。適当に山に近づいていけば入れます。ここら一体の入り口は中で全て繋がっているとされていますですので、特に決まった入り口とかはありませんです」
へぇ、入り口がいっぱいあるダンジョン。
逃げ帰るのには困らなさそうだな。
「ありがとうございます。レベル帯は28から36でしたよね?」
「そうですます。もしダンジョンに行くのでしたら、ドロップしたものがあれば当ギルドに報告して欲しいです」
「えぇ、わかりました。ありがとうございました」
お互い丁寧に頭を下げ合ってからギルドを後にする。
まだ日はそれなりに高いため、三人は宿を取ってから早速ダンジョンへと向かうことにした。宿はどこも比較的安く、なんだか昼食弁当の無料サービスとかのキャンペーンをやっている所も少なくなかったので選び放題だった。
ちなみに"烈火"がいなくとも、ここのダンジョンでレベルを今の32から36まで上げると言う事は事前に話し合っている。だいたい二ヶ月ほど滞在する予定だ。テンゴールのダンジョンは儲けやすいとの事なので、資金作りも出来るだろう。
街を出てから山まで真っ直ぐ行くと三十分ほど歩く。
他に冒険者の姿などはないし平野が続いているだけなので、全然山が近づいてこない様な錯覚に見舞われたが、実際にはそんな事はなかった。
運良く。真っ直ぐ歩いた山の麓に、いかにもな大穴が開いていた。
そばまで行って覗き込むと、松明があるわけでもないのに坑道のそこそこ奥まで見通せる。ダンジョン特有の明るさだ。
足を一歩踏み入れると、確かに少しだけ傾斜している。言われてみれば…程度の物だが、この傾斜で十階層分も潜ろうと思ったらどれだけ歩かされるのか不安になった。
「………なんじゃ?」
「え?何?」
頭の上のシオンから不思議そうな声がする。
ひくひくと鼻を効かせているのが視界の上端に見えた。
「このダンジョン………、何かおかしい」
「え?何?何なの?シオンさん?」
「なんじゃわからん」
「ねぇねぇ?もう少し嗅いでみたら?またマンティコアみたいな奴が出てくるのは嫌だよ?」
クープでの一件が悪夢のように蘇る。
「マンティコアが出てくるのであれば手前は興味深いがな。手前ら竜人の寿命をもってしても、果たして会えぬかも知れんのだからな」
「そりゃ僕だって、あの時ガルムがいてくれたらって心から思うよ?でもそれよりもシオン?何なの?怖いんだけど?」
「うぅむ。わからん、とにかく進め」
シオンに髪の毛を引っ張られながら、しぶしぶ前進する。いつかの様にダンジョンの奥から急に棘が飛び出してくるのではないかと心配しながらも、深く深くへと潜っていく。
どうやらこの坑道の傾斜も一定ではなく、傾斜が強い所もあれば緩い所もあった。
ハッキリと階段があれば今は何層にいると言うのが分かりやすいのだが、坂道ばかりを進んでいるとどの程度の深さに来ているのか全くわからなかった。
そして数分も経った頃、どうやら最初の会敵だ。
それが進行方向から顔を出した時、アルは一瞬竜だと思った。しかしすぐに全身が顕になると、それが岩蜥蜴だと分かる。
体長は明らかにアルよりでかい。
岩やら鉱石やらを身体から生やしたそいつは、四足で地面を這って接近してくる。
確かこいつのレベルは30。
基本攻撃は引っ掻きや噛みつきなど。特殊な攻撃はしてこないが、全身が硬く、攻撃が有効な箇所が限られている。
「結構数もいそうだね」
のっそのっそと出てきたロックリザードは三体、まだまだ奥から出てきそうだ。
"火竜の双剣"を引き抜くと、ダンジョンが放つ灯りに共鳴するように剣身が瞬いた。
隣ではガルムが槍を取り出している。
「面白い攻撃が見れたら良いのだが…」
「ほどほどにね」
ガルムの好奇心に釘を刺しながら、アルは群れに突っ込んだ。




