73話 義理
アルとシオン、それからアマゾネス達は、急いで村へと走った。
結局逃げ出してしまったリヴァルの行方は分からず、無闇に追うわけにもいかないので一度村に戻ろうとなったのだ。
アマゾネスの村に到着すると、既にほとんどの戦士達は村に戻ってきていた。
キングガリーラとの戦いに駆り出された人達もだ。しかしその中にはエヴァさんとガルムの姿はない。
「すみません………!エヴァさんはどこですか!?あと全身が鱗に覆われたトカゲみたいな男の人知りませんか!?僕の大切な仲間なんです!」
「長は最後までキングガリーラと戦っていたよ…。多分あんたの言うトカゲ男も、長と最後まで残って飛び回っていた」
アマゾネスの一人に詰め寄るとそう教えてくれた。
飛び回っていた………?
しかしトカゲ男は間違いなくガルムだ。まだキングガリーラと戦闘しているなら、すぐに行かなければ。
「場所はどこですか!?」
「もしかして行く気!?ダメよ!死にに行く様なものよ!」
青ざめたメリッサさんに肩を掴んで止められる。
アルは剣を抜かんばかりにそれを振りほどいた。
「エヴァさんが死んでしまっても良いんですか!?」
アルには今、爆発し損なった獄炎石がある。
最悪、それでキングガリーラを止めることが出来るかも知れない。
辺りの森は大破壊を免れない上にアル達の命すら危ういが、助ける方法があるのなら何でもする。
しかし、いざ走り出そうとしたアルを止めたのはまたしてもメリッサさんだった。その顔は怒り、そして悲しみで歪んでいる。
「ちょっと!馬鹿言わないで!キングガリーラは格が違うって言ってたでしょ!?中途半端なレベルだと長の足を引っぱるだけかもしれない!長が逃げ切れるチャンスまで潰しちゃうかも知れない!
………いい!?何より撤退は長の命令なのよ!一番状況が把握できてる長が、他の皆に逃げろって言ったんだよ!?村に戻れって言ったんだよ!?だったら次のあたい等の役割はこの村を全力で護ることなの!他の集落の連中からだろうがキングガリーラからだろうが知った事じゃない!例え長が戻って来なくても、護り続けないといけないの!だからあたい等はこの村からは出て行かない!あなたもみすみす死にになんて行かせない!」
目一杯に涙を溜めたメリッサさんの言葉は、その決断の重さを表していた。彼女にとってエヴァさんは祖母だ。大義のために身内を見捨てると言い切った彼女の気持ちはアルには分からなかった。
しかしアルにも譲れない事がある。
メリッサさんに言い返す。彼女の、この森の様に深い緑色の瞳を見据えて。
「メリッサさん。それでも僕達は行きます。ガルムは大切な仲間です。彼はここの人達のために命をかけて戦っているはずです。彼を助けに行かせてください」
メリッサさんと睨み合う。
この時間すら、無性にもどかしい。
いっその事、強行しようかと思ったその時。
森の中から声がした。
「良く言ったね、あんた達」
その声は、かなり疲弊した物だった。
「それにしても………やれやれ。やはり女は恋をすると変わるもんだね」
そこにはエヴァさんが立っていた。
曲がった腰で、倍の体格ほどもあるガルムを担いでいる。
「おばあちゃん!」
「ガルム!」
最初に叫んだのはメリッサさんだった。
アルもすぐに駆け寄ってガルムをゆっくりと降ろすと、彼はどうやら意識がある様だった。
「え、何!?ガルム起きてる?大丈夫なの!?」
「大丈夫と言えば大丈夫だが。しかし身体がピクリとも動かせぬ状態なのだ」
「いったいどう戦えばそんな事に!?」
「話せば少し長くなる」
ガルムは本当にピクリとも動かなかったが、その表情を見ると、とりあえず命の危険は無さそうで安心した。
「その御仁は良くやったよ。今回の一番の功労者だ。………さて。状況を整理したい。アルフォンス達と、それからメリッサ。あたいの家に来てくれるかい?」
エヴァさんは身体を少し引きずりながら、村へと入っていった。
その声と後ろ姿は、アルに初めて、彼女の年齢を感じさせたのだった。
*
「あー、よっとこしょ………。
まったく。あんなデカブツと戦うのは二度と御免だよ。次にこっちに顔出すとしたら、あたいが死んでからにして欲しいね」
「何言ってんのお婆ちゃん。まだあと五十年は生きるでしょ?」
「これメリッサ。お婆ちゃんではない。長と呼ぶんだよ」
「分かってるよ」
何気ない会話から、メリッサさんの安堵が伝わってくる。
エヴァさんへの深い愛情も。
「さて、まずは状況の整理だね。キングガリーラと言う脅威はとりあえず去ったとて、また何がここを襲ってくるか分かったもんじゃないからね。まずあたい達の方から話をしようか」
エヴァさんはアル達にも椅子に座るよう促しながら、話を進めた。
キングガリーラから多くの民が逃げ延びたこと。ガルムが変身したこと。キングガリーラの頚部にある異物を攻撃したら逃げていったこと。ガルムを担いで帰ってきたこと。
「へ、変身………?」
糸の切れた操り人形の様に椅子に座らされているガルムと、目だけが合う。
「………話せば長い」
「それで身体の方はどうなってるの?」
「身体中の骨がバラバラに砕かれてしまったが、アルから提供された回復薬で恐らく快方に向かっているだろう。身体が一つも動かせないのは手前のスキルの反動だ。それも数日で回復する」
「そうなの、良かった………」
「さぁ、次はあんた達の番だ」
今度はアルが、あった事を話す。リヴァルを追って行ったこと。彼が獄炎石を手に入れていたこと。彼は魔人だったこと。適合者と言う殺人組織を名乗ったこと。その組織がキングガリーラを操っていたと言うこと。攻撃が獄炎石に当たり白く発光し始めたこと。獄炎石を【保管】に入れたこと。
「まさか【保管】を使うとはの。よくもまぁ咄嗟に思いついた物じゃ」
「それについては僕自身も驚いてるけどね。だけど、妙な気分だよ。自分の中にいつ爆発するかも分からない爆弾を抱えてるって言うのは」
「誰しも心の中に爆弾の一つや二つ抱えておる。お主にはそれが少しばかり分かりやすいというだけじゃ。ただ今後間違えて引っ張り出さぬ様にだけ気をつけてくれれば良い」
リヴァルがメリッサから獄炎石を奪った方法は、アルへの想いを逆手に取ったらしい。彼はアルの命が危ないと思い込ませ、石が必要だと説得した。
普通であればそんな話には引っ掛からないが、それが【アマゾネス】の呪いと言う事なのだろう。
「さて、キングガリーラもリヴァルも去ったと言う事ならば、今回の件は一段落したと言う事かね?では、少し休むとしよう。お主らもその状態ではすぐにどこへ行こうと言う事もないんだろ?今夜は盛大に宴を開くとしようかね」
そのエヴァさんの言葉に、アルは酷く悪寒を感じた。
夜の宴には、あのメリッサさんに襲われそうになった日以来一度も参加していない。
それに色んな人がいつも以上に酔っぱらって大変な事になりそうな気しかしない。
「いえ、せっかくですが僕達は…」
「何を遠慮してるんだい。確かに外の料理には劣るだろうが、食べられない程ではないだろう」
「アル、妾は腹いっぱい食べるぞ」
「手前も数日は動けぬ。世話になろう」
「いや、その………」
「決まりだね」
まさに有無をいわさず。
そしてその夜は、アマゾネスの村で盛大な宴が開かれた。
キングガリーラの脅威は去り、負傷したアマゾネス達もエルサ特製の回復薬でたちまち回復。
全員がいつも以上に高揚しており、皆の前には森の中で獲ってきた魔物の肉や酒がふんだんに並べられて、飲んで食べての大騒ぎだった。
ちなみにちゃんと言っておくと、アルは参加すること自体にかなり抵抗した。
繰り返す様だが初日にメリッサさんに襲われて以来、一度も夜宴には参加していない。
しかしシオンは食べ物目当て、ガルムは持ち前の好奇心から、どうしても出たがった。
そしてアルの経験通り、夜と酒、そしてアマゾネスの組み合わせは危険だった。
「彼等の助けがなければ、この村は今ごろキングガリーラに踏み荒らされているか、もしくは跡形もなく吹き飛んでいただろう。彼等はまさに我らアマゾネスの救世主と言う奴だね。あたい達にとって強い遺伝子は大歓迎だ。是非とも彼等にはしばらくいてほしいと頼んだんだが、どうやら身体が回復し次第、明日にでもここを立つらしい。………あんた達、分かってるね?」
エヴァさんにそう紹介されるや否や、ガルムとアルはすぐに若いアマゾネス達に"もみくちゃ"にされたのだ。
それにご立腹だったのがシオンで、アルにくっついてくるアマゾネス達に次々と噛み付いた。
ただ、ガルムの方まではシオンも手が回らなかったらしく、特にガルムの活躍を間近で見ていたらしいアマゾネスの戦士達から熱烈な歓迎を受けていた。
ガルムの身体中に取りつくアマゾネス達は、キングガリーラとの戦闘を彷彿とさせる物だった。
「アル…!助けてくれ…!」
「ごめんガルム!自分の身を守るので精一杯………!」
「貴様等!これ以上は妾も許さぬぞ!」
「うわっメリッサさん!ちょっとここで脱がないで!」
「大丈夫だよ?あたい達以外には誰もいないから?」
「何言ってんの!?うわ!酒くさっ!」
「アルフォンス!体が動かせぬのだ!」
「こら!この女狐が!妾の主に何をする!」
「アルフォンス!不味い!どこかに連れていかれる!」
「やばいガルムが!」
「ほら、アルも脱いで?」
「シオン!祭場だ!あそまで逃げ切れば!」
「よせそなた達!おいアル!」
「シオン逃げよう!ガルムも!」
「どこ行くのー?」
「あんた達!獲物が逃げるよ!」
「逃がすな!」
「アル!急げ!」
「アルフォンス!」
案の定。
ガルムとシオンを担いで、全力で逃げ出す事となったのだった。
*
そしてなんとか逃げきった、その翌日。
バァァァァァン!!!!!
もはや慣れっこになったその音を聞き流しながら、アルとシオンの二人は"エルサのドキドキドリームワークショップ"の敷居を跨ぐ。今日も景気の良いことだ。
「エルサー?」
いつも通りカウンターの奥の扉の方に声をかけるが、珍しく今日は返事がない。最近はどたばたと走って現れる事が多いのに。
「エルサー………?」
…………………やはり反応なし。
「もしや、研究のし過ぎで死んでおるのではなかろうな」
「そんな馬鹿な。って言い切れないところがあるのが怖い。出掛けることはまずないって言ってたし、様子を見に入って行っても良いのかな?」
アルはカウンターを回り込み、奥の扉へと初めて入った。
すぐに上へと続く階段があって、二階に通じているみたいだ。肩に乗っているシオンと一度目を合わすと、ふわふわの耳を折り曲げて"進め"と促される。
「エルサー?いるのー?大丈夫?………上がるよー?おじゃましますー…」
上がりきった所には、いかにも研究室と言った部屋があった。
いろいろな実験の器具が雑多に並べられており、床にも本や書類が積み上げられている。
所々で血の様なものが飛び散っていたり、机の角が熔けていたり、見たこともない変な植物が生えていたり。
彼女の白衣がカラフルに染まっているのなどまだマシな方だったんだと思い知る。
「アル!」
シオンの声に飛び上がると、条件反射的に【支配者】を使ってしまう。
すると部屋の中央に置いてあるテーブル、その奥にエルサが倒れているのが感知できた。
「エルサ!?」
慌てて駆け寄ると、どうやら意識がない。
全身がだらんと脱力していているが、胸部は上下しているためとりあえず息はありそうだ。
「早く回復士の所に…!」
「待て!アル…待て!大丈夫じゃ。恐らくこやつ、失神しておるだけじゃ」
「え?失神………?」
「うむ。"魔力切れ"による失神の様じゃな」
「魔力切れ………?自分の研究室で?」
戦闘中でもないのに、という疑問は残るが、確かにシオンの言う通り他に身体の異状は認めなかった。別に誰かと争っていた様子も無いし。部屋はかなり散らかってるけど、たぶんこれはもともとこんな部屋なのだろう。恐らく。
エルサには彼女自身から買った精神回復薬を飲ませ、【保管】から取り出した寝袋を敷いて寝かせる。
そして待つこと数分………。
アルの心配を余所に、彼女は穏やかに目を覚ました。
「ふわあぁ…よく寝た………」
気持ち良さそうに伸びをする彼女は、てんで不調には見えなかったが、何やらいつもと雰囲気が違う気がした。声が何段階も低くてハスキーだし、叫ぶ以外の発声を初めて聞いた気がする。
「いやいや、ちょっと。心配したよ」
「え?………あぁ、アルじゃない。驚いたわ。どうしたの?」
………え?やっぱり誰?
その様子は普段と比べて、やっぱり落ち着いている。うん、そうだ。落ち着いている。普段が"落ち着いていない"を極めている程に落ち着いていないのだが、今のエルサはなんだか、まともだ。
「だ、誰ですか?」
「…私?何よ?私を忘れてしまったの?それにそんな物言いは貴方らしくないわね。貴方、もしかして偽物?」
まさか偽物説を先に言われてしまうとは…。
「いや、僕は確かにアルフォンスだし、君は僕の事知ってるみたいだったから、きっとエルサだよね?そっくりさんとか双子の片割れとかでもなくて………。そうだったらごめんね。何て言うかいつもと雰囲気が違うからさ?もしかして何かの実験に失敗したとか?」
彼女は胡乱げにこちらを見つめているが、少しアルとシオンを見つめた後、考えるのを止めたように視線を逸らした。
「私って寝起きは低血圧で。特に今は"錬成"の直後だし。満足感って言うか、欲が充たされたみたいな感じになるのよね。一種の賢者タイムみたいなものよ。分かるでしょ?」
「いや、全然わかんない」
「まぁよい。こやつの言う"錬成"について、少しは理解もできた」
シオンの言うエルサの錬成について、シオンは前々から彼女に疑問を持っていた。
アルは他の錬金術士と今までに出会った事がないため分からないが、シオンが言うには、彼女の場合は錬成するアイテムが桁外れに強力で、腕が良いとかそんなレベルの話では無いらしい。
しかしその秘密はやはり彼女の持つ特別なスキルにあった。
その名も【禁断錬成】。
シオンも知らないスキルらしい。恐らく状況から見て、魔力を消費する事で通常では出来ない錬成を可能にするのではないか…との事だ。それなら【禁断錬成】を使った研究に没頭し過ぎて魔力が欠乏、意識消失なんてのも頷ける。まるで人格が変わったかのような今の様子も、もしかしたらスキルの反動なのかもしれないけど。
「まぁそれは置いておいて、お願いがあるんだけどエルサ。回復薬の作り方教えてくれない?とある民族に拉致されそうになって、解放してもらう交換条件で回復薬の作り方を教えるって言っちゃったんだよね。他に頼れる人がいなくて………」
「嫌よ。貴方の事情なんて知らないわ。それより食べ物持ってない?お腹がすいたの」
丁寧に頼むが、彼女からは予想外の言葉が飛び出した。
いや、彼女の返答は至極当たり前な物で、おっしゃる通りなんだけど…。
なんとなく普段の彼女であったら、"いいよー!!"とか二つ返事でオーケーしてもらえそうだと勝手に思っていたのだ。
確かに今回は完全にアル達の事情な訳で、彼女にそんなことしてもらう理由もない。そうだ………思い返せば、彼女にはもういろいろとお世話になってるし、手前勝手なお願いだった。最近は彼女に頼りすぎていた部分も反省しなければ。
そんな事を考えていると、後ろで研究室の扉が開いた。
そこから入ってきたのは誰あろう、エルサの助手のギャニングさんだ。
「あ、ギャニラドグス。食べ物持ってない?」
「ギャニングです先生」
まるで普段通りに会話しているギャニングさんを見たら、このエルサ低血圧モードはいつもの事なのかもしれない。
ギャニングさんはと言うと、両手に買い物袋を提げており、どうやら買い出しに行っていた様だ。その袋からはネギやら大根やらの他に、絶対食べられそうにない様な生き物の脚みたいなものも見えていた。
食料品と錬金術の素材を一緒に入れるのはどうかと思ったが、そこに突っ込みを入れている場合でも無かった。
「アル君シオンさん、いらっしゃいませ。研究直後の先生は雰囲気が違って驚かれた事でしょう。ところで、何か御用でしたか?」
あぁ。常識人ってやっぱり良いわ。
買い物袋の詰め方なんて些細な事だったんだ。
そこでギャニングさんにお願いについて説明すると、なんとギャニングさんが協力してくれる事になった。
幸い回復薬の製法はかなり種類があり、効果の程は様々ながらも色々な植物から作れるらしい。ロウブの森の植物でも恐らく作れるだろうとの事だ。ギャニングさんにお礼はどうしたらいいかと尋ねると、【空間転移】でアマゾネスの森に連れていくというのが条件だった。
実際にどんな植物があるか見てみないと分からないし、何より【空間転移】を体感したいのだとか。
こうして、無事アマゾネスに義理を果たしたアルは、晴れて自由の身になったのだった。