72話 獄炎石
耳元でキングガリーラの【咆哮】が響く。
圧倒的な音の暴力に身体が一瞬硬直するが、すぐに翼を広げて距離をとる。
ガルム達とキングガリーラの戦闘は十五分が経過していた。
樹上にいた戦士達も含めてほとんどが既にこの場から離脱している。残るのはガルムとアマゾネスの戦士達だけだ。
「あんた達ももう離脱しな!最後はあたいとコウモリが残るよ!」
「コウモリではないドラゴンだ!それなら早くせねばあと五分も持たぬ!」
ガルムはキングガリーラの頑丈さ以上に、エヴァの戦闘力に舌を巻いていた。
基本的にガルムは逃げ回っているだけだ。隙があれば攻撃を入れるが、レベル差もあるためほとんどダメージは入らない。
しかしキングガリーラがガルムに注意を向けているうちに、エヴァの攻撃は止まることがない。キングガリーラの左肩に陣取って、左腕がまともに上がらないくらいまで痛め付けている。
「最後はあんたが上に飛んで逃げれば集落の方向もわかりゃしないだろう!」
「承知した!」
アマゾネスの戦士達がバラバラと逃げるのを確認しつつ、キングガリーラの右腕を避ける。
片腕になったとは言え、その威力は健在だ。その風圧だけで飛ばされそうになる。
あおられる度、高度を上げる度に、翼や背筋が悲鳴を上げていた。
【竜化】自体にも魔力を消費していくが、そろそろ底をつきそうだった。
しかし事態はそれよりも深刻だった。
キングガリーラは戦闘中もしっかりと周りが見えていた。
ガルムに注意を取られながらも、エヴァの方を牽制していた事等からもその視野の広さは窺える。
キングガリーラはアマゾネスの戦士達が逃げた後を追い、集落の方向へと歩き出した。
「こやつ!何故!」
エヴァの攻撃が一層苛烈となるが、足を止める事はできない。
ガルムも腕を躱しながら削る。しかしキングガリーラは何かに突き動かされた様にずんずんと進んでいく。
エヴァが動いた。
左肩から首筋を伝って頚部へと迫る。
何度かチャレンジしていたが、目敏く攻撃してくるため踏み切れなかったその部分に、ガルムでさえ完全には捉えきれない程のスピードで接近する。
ドゴォッ!
そんな激しい接触音がした。
キングガリーラの右腕が、エヴァの動きを予知していたかの様にクリーンヒット。
エヴァは蹴鞠の様に弾き飛ばされ、激しく大地に叩きつけられる。
既にガルムは真っ直ぐエヴァの元へと向かっていた。
キングガリーラの追撃が来ると解っていた。片脚を振り上げ踏み潰そうとした所を間一髪で拾い上げる。
「あんた………男前な事するじゃないか………。惚れちまいそうだよ」
「手前の相手は四百年早い」
呼吸がおかしい。ダメージはそこそこ深そうだ。
「ったく………どいつもこいつも子供扱いしてくれるね………。それよりもあれをどう止めるかだね」
キングガリーラはこちらを気にしつつも集落の方向へと向かっている。その後を懸命に翼を動かして追いかける。
「一縷の希望に賭けるしかないかね。あいつのおできを狙うよ。奴の上から前に出ておくれ!」
「承知した」
高度を上げてキングガリーラの頭上に位置取ると、たしかに首筋に何か見える。しかしそれは握りこぶし程度の物で、キングガリーラの巨体から考えると"ニキビ"程度の物だ。そして確かに、それはキングガリーラの身体全体から見て、酷く違和感を感じさせた。
ガルムがキングガリーラよりも前に出たところで、エヴァが飛び降りた。
エヴァは真っ直ぐ地上へと向かうが、その先には巨木が一本。
………ぶつかる。そう思ったのはガルムだけだ。
エヴァは巨木を掠めながらその小さな短剣を一閃。
すぱっ、と小気味良い音を立て、直径十メートル以上もあろうと言う木を一刀両断して見せた。それはキングガリーラの進行方向へと倒れ込む。
「天晴れ!」
ガルムもエヴァを追って急降下。
キングガリーラは倒れてくる巨木に足を止めるが、すぐに腕で振り払った。
ガルムはそいつの眼前で滞空すると、大きく息を吸う。
酸素を体内で魔力と混ぜ合わせ、一気に吐き出した。
それは灼熱の火焔。
炎の【息吹】。この【竜化】している時にのみ使えるスキル。噴出された炎は餓えを満たす様に拡がり、キングガリーラの顔面を焦がす。
そのキングガリーラの背後では木を駆け登っているエヴァが見える。
「うぐっ!」
突然、炎の中からキングガリーラの顔が迫ってきたかと思ったら、そのまま頭突きをかまされた。なんて剛胆な行動だ。いや狂ってるのか。
身体中の骨が小枝のごとく音を上げた。
たった一撃。しかも単なる頭突きで、ガルムは致命傷を受けた。
痛みを感じる間もない程の衝撃。
先程のエヴァよろしく弾き飛ばされる。
そして、【息吹】で 魔力が底をついた。
もう飛ぶ力も無い。
キングガリーラが、頚部へと跳躍したエヴァを迎え撃つのが見える。
人のためにと動いてみたが、こんなに苦しくて、痛くて、辛いことだったとは。
戦えば戦うほど、その意味を見失う。
何故、自分がこんなに身を粉にして戦わなければならないのか。
まぁそれももう終わった。
初めてにしてはこんなものだろう。
あまり役には立てなかったが、これだけレベル差もあれば健闘した方だろう。
アルからの頼みにも一応顔が立つ。
頭に彼の少年の顔が浮かぶ。
リヴァルを追うと言っていたが、今もきっと彼には関係の無い事で走り回っているのだろう。
この状況。彼ならばどうするだろうか。
仕方ない。
そう言うだろうか。
否。
きっと、自分の出来る事を最大限にやろうとするに違いない。
顔が立つ?腑抜けた事だ。
人を助けるのに体裁を気にしてどうする。
さぁ、まだやれる事があるだろう。
翼に力を込める。
尽きていたと思った魔力も、やれば絞り出せる物だ。
全力で加速する。
今度こそ魔力を根こそぎ費やして、真っ直ぐにエヴァとキングガリーラの衝突点へ。
「【装備換装】」
持っていた剣が消え、大盾が現れる。
その盾に身体を密着させると、その身を一つの弾丸と化す。
空中にいるエヴァを完璧に捉えたキングガリーラの右拳に、側面からぶち当たった。
またしても何かが身体の中で砕ける音かした。
そしてその成果は、たった数十センチ。
たかが数十センチ、拳の軌道を逸らせただけ。
しかしエヴァの小さな身体にはそれだけで十分だ。
「見事だよ」
そんな言葉が聞こえた気がする。
正真正銘、全ての力を使い果たしたガルムは、盾も手放して自由落下が始まる。
ゆっくりと視界が回る中で、エヴァがキングガリーラの首筋に一太刀入れたのが見えた。
途中で何度か木にぶつかりながら不様に背中から着地すると、キングガリーラが集落とは反対側に逃げていくのが分かった。
「コウモリ、あんたの勝ちだよ」
身体は普段まで萎みきってしまい、指一本力が入らない。
首の角度を変える事すら難しい中で、エヴァの声がした。
「何度も言わせるな。我等は誇り高き竜だ」
*
「適合者とは、なんとも大層な名前の組織ですね」
「まぁね。誰が考えたのかは知らないけど、そこそこ気に入ってるよ。今回キングガリーラをここの人達にけしかける事が出来たのも組織のアイテムがあったからだし」
アイテム………?まさか普段森の奥にいるキングガリーラが出てくるようになったのもこいつの仕業だったのか?
「ところでアルフォンス君。話を戻すけど。
……………何故人を殺してはダメなんだい?」
両手を広げて大袈裟に演説ぶるその態度はまるで講師だ。
当たり前の事を説く様な話し方が鼻につく。
「その人が例え善人だって悪人だって、今までに何をしていようと関係ない。誰だって必死に生きてるはずです。そしてその人を大切に思う人もいるはずです。それなのに、一方的にその人達の未来を絶ってしまう事が悪いことでないはずがない」
「まぁ…。大抵の人はそう言うだろうね。でもそれこそ人が作り出した"ちゃち"な考え方だ。でもそこをリセットして、まっさらな気持ちでこう考えてみてよ。もともと人は殺し合う様に創られた存在なんだってね?」
「まさか。そんな訳ないでしょう」
すぐに切って捨てる。
しかしリヴァルは意に介していない。
「そうかな?そう言えば君は、アマゾネスの女に気に入られていたね?今回この獄炎石を手に入れることが出来たのも君をダシに使ったからで、お礼を言わないといけないんたけど。それは置いておくね。
………ところで彼女とはもうヤッたかな?」
予想の範囲外、それも場外レベルの質問に、一瞬気が抜けそうになった。
「ヤッ……!?てるわけないじゃないですか!?それとこれとがどういう関係があるんですか!?」
リヴァルは剣を弄びながら、ニヤリと笑った。
「あるよ。交尾と言うシステムは実にシンプルだよね?多くの場合はその行為に快楽を伴う。つまり、そこに快楽を感じるようにすることで種の繁殖を促しているのさ。
男の頭の中なんてもっと単純だろ?初対面で女を一目見ると、まず最初に何を考えるか。その女とヤりたいかどうかだ。大体の正常な男ならそうだ。
もしそれが無意識だとしても、確実に考えている。だから後に友人に"あの女とヤれるもんならヤりたいか?"と聞かれた時に、悩む事はない。何故なら初対面で女だと思った瞬間に、既に結論は出てるからね。それくらい生殖の本能は脳に刻まれている。
しかし快楽と言う欲求を付随する事で得られる種の繁殖と言っても、それは無限ではない。何故ならこの大地が有限だからね。土地も、資源も、食糧も。我々の無限の欲望と反して上限は必ず存在する。
ならどうする?
ほら。もう答えが出たような物だ。同じ種の中でも殺しあっていかなければならないのさ。強い者が勝ち、弱い者を喰らう。そうすることでより強い種となり、生き残っていく為に………、ねっ!」
意表を突いたリヴァルの再度の接近に、慌てて【盾】を展開する。
気を抜いていた訳ではない。
彼の極端な理論に、少しだけ意識が割かれていた。
「魔物を殺すより人を殺す方が経験値が美味いのだってそうさ!この世界が!殺し合って強くなれと示している!」
流れる様な剣と盾の攻撃。その持論を力ずくで証明する様な猛攻を、紙一重の所で堪える。
「それが強さだ!ヒトと言う種の中で、同族を殺して己を強化していく!それが出来る事こそが強さ!」
「ちが…う!」
「何が違う!君はヒトを殺した事がないんだろう!?だから分からないだけさ!今までの人生やその目の光が失われる瞬間!命を奪い我が力となる感覚!さぁ!君も俺を強くしてくれ!」
リヴァルと比べてアルには対人戦闘の経験が少ない。
しかし魔物との戦闘経験が全く役に立たない等と言う訳がない。
動きのパターンを理解し、太刀筋を見切る。多種多様な魔物達を相手に何百、何千と動作を分析してきたのだ。それが人型になっただけだ。
この数分間の打ち合いで、リヴァルの動きは頭に叩き込んだ。
奴が楽しくお喋りしている間に、その剣の振り方を目に焼き付け、盾の受け流し角度を理解した。
―――――そろそろ反撃開始だ。
「あなたの言う強さは間違っている」
「それならば証明して見せなよ!」
リヴァルの剣が上段から振り降ろされる。
アルはくるりと背を向けると、背面でそれを受けた。
通常なら力負けする体勢だが【盾】を使えば別だ。
そこから身体を半回転。
リヴァルの持つ小さな盾に向かって両手の剣を叩き付ける。
その角度は盾に対して垂直。受け流しのためにはある程度の角度が必要だが、今回はそれをさせない。
激しく打ち付けられた双剣により、リヴァルが後方へと煽られる。
「なっ!?」
追撃。
体勢を崩している所に追い討ちで斬りつける。
「それは甘いよ!」
リヴァルは素早くバックステップ。
アルの剣は宙を斬った。あと数センチの所で届かない。
狙い通りだ。
「【斬撃】!」
斬撃が飛ぶ。
数センチの所で放たれた黒い斬撃に反応できる訳もなく、リヴァルの左肩が深く裂ける。
このタイミングを待っていた。
「ぐっ!?」
無防備な所への一撃により、傷はかなり深い。
攻撃を堪え忍んだ甲斐があった。油断を誘い、相手の動きを分析する。全ては飛ぶ【斬撃】と言う奥の手によって、奴にこの一撃を与えるための布石。
チャンスはここしかない。回復薬を使う暇も与えないように攻める。
息つく暇もない猛攻。
やはり左腕の傷はかなり深い。鎖骨から大胸筋にかけての裂傷だ。盾の受け流し角度が乱れているし、力も入っていない。
それでもようやく互角。
アルの魔力はあと残り三割と言った具合だ。それが無くなり魔法が使えなくなれば万事休す。それまでに決めるしかない。
「まさか…!斬撃を!飛ばせる!とはね!一杯食わされたよ!」
剣と剣、剣と盾の応酬。
ここにきての盾捌きは見事だ。先程の様な繊細な角度調整こそ無いものの、タイミングを完璧に捉えられている。
アルの攻撃はさらに勢いを増す。
もう剣を振る腕の持久力も限界を迎えつつあるが、それはリヴァルも大して変わらないだろう。仕切り直させなどはしない。
「このまま決める!」
「いや!悪いね!もう時間切れだ」
リヴァルがアルの剣を盾で弾くと、盾から何かがポロっと落ちる。
空中で回転しながら落ちるそれは、何かの青い玉だ。
次の瞬間、玉が破裂して眩い光が辺りを覆い尽くした。
ダメージは、無い。光だけだ。
それが理解できると同時にアルはリヴァルとの距離を詰めた。
例え視界が奪われようとも、【支配者】により把握できている。リヴァルはそれを知らない。
リヴァル自身は盾で光から顔を遮りながら、逃げようとしている。絶好のチャンスだ。
距離を詰め、がら空きの胴体に横薙ぎに双剣を振るう。
「なんだと!?」
しかし、溢れていた光が直前で止まり、アルの剣に反応される。数センチの所で盾が降りてきて剣を弾いた。
それも予想内。アルのもう一方の剣が次いで迫る。
これは決まる。
そう思った直後。
リヴァルの胸元から何かが出てきた。
首から提げられた紐にぶら下がるそれは、紅い結晶。
リヴァルの驚いた表情が見える。アル自身も攻撃を止められない。
アルの剣が、獄炎石に接触した。
「え!?」
「なっ!?」
二人の挙動が一瞬止まる。
獄炎石が激しく発光し始めた。先程の青い玉程ではないが、それは膨大なエネルギーを彷彿とさせるような荒々しさを見せた。
"キングガリーラを木っ端微塵にして、一キロ圏内を更地にする程度の威力はある"
背筋が凍りついた。
どうしたら良いのか解らず、アルは硬直してしまう。
しかしリヴァルは違った。
首から繋がっていた紐を素早く切断すると、それを遠くへと放り投げる。
「残念だが幕切れだ!楽しかったよ!」
そして反対側へと逃げ出した。
追いかける…いや、獄炎石を………、いや石はもうどうにもできない?逃げる?もしもアマゾネスの村まで被害を被る程の威力だったら?少しでも遠ざけなければ!
体感で数秒。悩んだ後、アルは獄炎石へと走り出した。
森の中に投げられたが、石の発光はさらに強くなっており、場所はすぐに解る。
「アル!逃げるのじゃ!」
その時、横から声がした。
シオンだ。横にはメリッサさんと数人のアマゾネスがいた。
そしてシオンの声は、アルにとって逆効果だった。
アルはさらに加速する。
いつ爆発するか分からない石へとどんどん近付いていく。
その距離、二十メートル。
石の光が色を変え始めた。
白っぽい色から徐々に赤色に。
残り十メートル。
全力で【盾】を張ったとしても、到底耐えきれる物では無いだろう。
残り三メートル。
石がブルブルと震え始めている。
どうする………!
すぐに拾って投げる………?
石の回りに【盾】を何重にも重ねてみるか………?
いっそのこと【斬撃】で両断するか。
残り一メートル。
ついに石自体が変形し始めた。
まるで焼き餅が弾ける様にひび割れ、中からまたもや白い光が漏れだした。
もう時間がない。
アルは手を伸ばす。
石に指先一本が触れた瞬間。
思わず叫んだ。
「【保管】!」
ゆっくりと目を開けると、そこには石の形に焦げ付いた大地が残っているだけだった。
アマゾネス編がやっと一段落…!