64話 命の代価
しんしんと降り続く雨。
森全体が湿り気を帯びることで、余計に土の匂いしかしなくなる。
アルとガルムは慎重に周りを警戒しながら森の中を歩いていた。
………見つけた。
ガルムが、手で合図してくる。
アルは近くにあった木をそろりそろりと登っていく。湿っていて滑りやすいが、突起が多い木を選んでいるので大丈夫だ。
ある程度の高さまで登ると、目標が見えた。
巨大な鶏だ。ただしその全身は燃えている。
茶色と緑の景色の中に、真っ赤な鳥。なんとも不思議な光景だ。よく火事にならないもんだと毎回思う。しかしそれがアル達の今の主食だった。
下でシオンが吠えた。
いつもの魔物を集めるような咆哮ではなく、まるでか弱さを演出するような声。
すると鶏はゆっくりと近付き、シオンを乗せたガルムを発見した途端に襲いかかった。
ガルムは【装備換装】で盾を取り出すと鶏を受け止める。
ゴンッとまるで岩にぶつかったかの様に鶏が跳ね返った。アルはこのタイミングを待っていた。鶏がガルムの盾によるノックバックを受けた瞬間、その動きが硬直する一秒。
木の上から鶏目掛けて飛び降りる。
鶏の頚部目掛けてかなり多くの魔力を注ぎ込んだ【斬撃】を叩き込む。
アルの短剣の三倍程にもなる黒刃が形成され、鶏の首を綺麗に落とした。
首の断面から血がぼたぼたと溢れ出ては鶏自身の炎で蒸発する。
「ふぅ。とりあえず今日の分は確保したね」
「そうだな。雨も強くなってきた。あまり無理することもないだろう」
鶏からドロップした肉を【保管】へと入れると、三人はまた周囲を最大限警戒しながら移動する。
やってきたのはかなり太い木の根っこだ。
正確には根っこの下の空間。根が密集しているため、雨も落ちてこない。そんなに広くはないが、それでもアルとガルムの二人とシオン一匹では十分だ。
先程の肉を取り出すと、三キログラムはあるだろうそれを半分にして、さらに三人分に斬り分けてそれぞれ葉っぱの上に乗せて渡す。
「いただきます」
そして皆でかぶりついた。
生肉。
と言う訳ではない。なんとこの肉。火が通った状態でドロップするのだ。
魔物の名前はフレイムバード。常に炎に包まれており、死んだ途端に全身の筋肉が焼き鳥となっていくと言う、なんとも調理要らずな魔物だった。
「あぁ。フレイムバードさん今日もありがとう」
そんな言葉が零れるほどに、この食料は貴重だった。
「感謝するのもいいが、そろそろ【保管】の水が少なかろう。この雨水を保存しておくしかあるまいの」
「そうだね。あー。クルパスの実を入れ物に使おうか?何個か外に置いてくるよ」
クルパスの身は円形の大きな実だ。中にはほのかに甘い果実が詰まっていた。その中身を食べてしまった後は捨てていたわけだが、他に水を貯めるものもない。
アル達がこの森のダンジョンで迷ってから、既に一ヶ月が経過していた。
このダンジョンのレベル帯はかなり広く、確認しただけでも33~56だ。その中でアル達が倒せる魔物は本当に限られている。
先程のフレイムバードはレベル35。
アル達が倒せる数少ない魔物の上、火を通す調理の必要がないために煙を出さないですむ。この一ヶ月お世話になりっぱなしだ。足を向けて寝られないと言ってもいいくらい。
「でもこれで三日目だっけ?よく降るね」
「そうじゃの。ところどころぬかるみが強くなっておるからの。戦闘では気を付けねばならん」
この一ヶ月。
アル達はこの魔物だらけの森の中でなんとか生き延びてきた。
それもひとえに、ガルムのレベルとシオンの嗅覚のおかげだった。
「少しずつ暗くなってきた?」
「うむ。もうそんな時間か」
「これだけ暗いと時間も分かりにくいな」
三人は寝る準備をした。火を起こす以外の灯りが無いため、暗くなると身動きが取れないのだ。
また一日が過ぎる。ここから出られるのは、一体いつになるのか。
アル達も努力はしている。
この拠点を中心に、十キロメートル圏内は見て回った。それでもまだ正しい方向は見つかっていない。なんとかその日の食糧を確保するので精一杯だ。
「食糧と清潔な寝床があるだけでもかなりマシじゃがの」
このサバイバル生活の中で、【浄化】の指輪が本当に役に立っていた。身体も清潔にできるし、寝袋や土の上に落ちた食べ物だって綺麗になる。
今日も暖かい寝袋に包まれて、アルは眠りについた。
ズン………
ズン……………
目を閉じた直後に、そんな振動に気付いた。
上半身を起こすと、シオンやガルムも目を開けていた。
横になった直後かと思ったが、外は雨がかなり強くなっているし、水溜まりが入り口近くまで迫ってきている。
「大丈夫じゃ。臭いはそんなに近くでは」
シオンの言葉は、最後まで聞こえなかった。
まるで雷が落ちたかの如く、世界を引き裂く様な音がその狭い空間に響いた。頭上の木がおちてきた。そう思った。
暗闇の中で何も見えない。
咄嗟にアルは【支配者】を使う。
するとガルムとシオンは無事だ。
手を伸ばせば届くところにいる。しかしその反対側、アルの真横。
何か壁がある。
【支配者】の範囲を伸ばせば、それが平面ではなく、太い円柱の形だと言うことが解った。
そしてゆっくりとそれは上へと動き出す。
脚だ。恐らくはアイランドタートルの。
「アイランドタートルだ!真上にいる!二人ともついてきて!」
シオンがガルムにしがみつくのを見て、ガルムの手をとって走り出した。【支配者】の範囲を最大限広げれば魔力は凄いスピードで消費するがアイランドタートルの動きがなんとか解るくらいまでは広げることが出来た。
「何も見えぬ!」
「しゃがんで!せーの!三メートル先に根っこ!せーの!」
つたない指示を出しながらも、なんとかアイランドタートルから離れようとする。しかし不運な事に、アイランドタートルはその場で回転し始めた。
「まずい!向きを変えてる!右前足がこっちに来る!」
真上にアイランドタートルの足が降りてくる。
「右に全力で跳んで!」
瞬時にその範囲を割り出し、ガルムにタックルしながら横っ飛びする。背後で露出した木の根がバキバキと踏み潰される音が聞こえた。その音に自身の下半身が紛れていないことを祈る。
三人で不様に着地すると、三人とも無事だ。
「動かないで!」
アイランドタートルの動きを予測する。
主には足の着地位置を。
ゆっくりとそこの右前脚が持ち上がると、そのまま回転方向に接地。どうやらアイランドタートルはこのままやって来た方向へと向きを変えて帰っていく様だ。アル達の存在にも気付いていない。
「よかった。大丈夫。このままここでじっとしてればもう踏まれな…っ!」
立ち上がろうとした時、片脚が滑った。
後ろに身体が振られる。
手を伸ばすが、ガルムには見えていない。
なんと言う凡ミス。そこには地面が………無い。
「そこ落ちる!」
ガルム達まで落ちないようにとそんな言葉を残して、アルの身体は宙に投げ出された。
アイランドタートルの足に気を取られ過ぎて、足場の確認が疎かになっていたのだ。
そしてもっと悪いことに。
その下にあるのは、三日三晩の大雨で水かさの増した川。
空中で何が出来る訳もなく、アルの身体は着水した。
水の勢いそのままに、アルの身体は水中を転がされていく。
上も下も解らない。ただただ水に弄ばれるだけ。
どれだけもがいても抜け出せるはずもなく、すぐに肺が水でいっぱいになった。
*
まったく、お前は弱いな
一人じゃなんにも出来ない
今回も見事に足を引っ張ったな
うるさいな………
結局どれたけスキルを得たって弱者は弱者なんだって
レベルが上がったってそうさ
結局何も一人では解決できない
そんなことない
今まではたまたま強い相手とばかり戦わされてただけだよ
ぷっ、強い相手と?強い相手とばかりだって?
世の中には君より強い奴なんてごまんといるよ
強い奴だらけさ。
それなのにそんな言い訳で片付けるのかい?
うるさいな………
これからもっと強くなって僕が一番強くなれば
そうすれば一人で何でも解決できる様になるさ
一人で何でもねぇ?
それに価値なんてあるのかい?
価値………?そんなもの分かんないよ
その時戦う理由次第だろ
そうさ………
それが君の強い所でもあるけど
理解できていないのが弱いという事なんだよ
なんだよ意味わかんないって
そもそも君は誰だよ
僕は君さ
アルは唐突に目を覚ます。
目の前に溢れる光に、まともに目を開けていられない。
「眩し……」
「おはよ」
「あ、お、おはようございます」
少し視線を上げると、そこには見知らぬ褐色の肌をした美女。
「え?誰?ですか?」
アルは横になっている。
そして真上には美女のお顔。そして頭の下にはなにやら柔らかい感触………。まさかの膝枕だ。
「なっ!?」
アルは飛び起きようとするが瞬間的に頭を押さえつけられる。
すごい力だ………!全然動けない。いや、アルが身体に力が入らないだけか?
「もうあんたはあたいのだから。逃げちゃだめだよ」
「え?何をむぐっ!?」
なんと。何が起こっているのか。
頭を押さえつけられたまま、強引にキスをされた。
強引さとは裏腹に柔らかい唇と、新緑の様な爽やかな匂い。
理性が飛びかける。男としての本能がアルの中で叫び声をあげていた。全てがどうでも良くなっていく。
そして始まりと同様に、唐突に唇は離される。
「これでマーキングは完了だね?」
「ま、マーキング?」
頭を固定した手が緩められた事で、アルは身体が起こせるようになった。
「そうだよ?ほらおいで?」
そう言って美女は両腕を広げて、首を傾げる。
その女性は、年齢はアルと同じくらい。
しかし少し離れて見ればなんと露出度の高い服装だろうか。胸と腰部分に布が当ててある以外にはその褐色の肌がほとんど露出している。
髪の毛は茶色でショートカット。肩までだが、先端で少しだけ三つに編んで紐でとめてある。
美女は腕を広げた体勢で、まるでアルが抱き着くのを待っているかのように動かない。
そのスレンダーなくびれからは考えられない程の豊満な胸に飛び込みたいのはやまやまではあるが、先程のいきなりのキスと言い、訳が解らなかった。
「いや、ちょっと待って下さいよ?意味が分からないんですが」
「あれ?マーキング出来てない?何で?」
「いや、そもそもマーキングって何ですか?」
「それは問題じゃないの。出来てないことが問題なんだから。もっかい試さなきゃ」
「いや、本当に意味が分かりません!いや、ちょっと!はなしてください!って、やっぱり力強っ!」
「あんたあたいに命を助けられたんだから、言うことくらい聞きなよ」
「いや、助けてくださったのは本当にありがたむぐぅっ!?」
顔を押さえつけられて動かせない。
そして再度のキス。
まさか仮にも命の恩人を殴るわけにもいかないがアルは全身でじたばたともがく。
「はぁ…はぁ…。ふぅ………。これだけやればいったでしょ」
何か大切なものを失ったような気持ちに、ぐったりと身体が動かせない。
この人なんなんだ一体………。
こんなのおかしいよ………。
「ほら、おいで!」
「だから、それが分からないって言ってるんだけど………」
アルは【鑑定】を使う。
この人の正体を掴むためならば仕方ない。
―――――――――――――――
名前:メリッサ・アマゾネス
職業:
Lv:36
生命力:3600
魔力:3550
筋力:3700
素早さ:3500
物理攻撃:3850
魔法攻撃:3500
物理防御:3700
魔法防御:3550
スキル:【筋力上昇Lv3】【堅牢】【受け流し】【気配察知Lv3】【マーキング】
武器:なし
防具:なし
その他:ミスリルのチョーカー【物理攻撃耐性Lv4】
―――――――――――――――
いや、やっぱり誰………?
あ!【マーキング】!
スキルの事を言ってたのか………?
でもマーキングってあの動物とかが自分の縄張りを示すためにおしっこしたりするやつ?
いや、わかんないわかんない。
なんにせよ、服従系のスキルを使われている様な気はする。アルテミスでの【魅了】事件を思い出してぞっとする。
加えて問題なのが、彼女のレベルがアルよりも上だという事だ。
「あの、僕を助けてくれたのか。それとも下僕にしようとしてるのかどっちですか?」
「両方。助けたからには下僕にしようと思って」
うーん。
理屈が通っているような通っていないような?
いやいや、駄目だ!流されるな!
「あの。下僕はなんとか勘弁してもらえませんか?僕やらなきゃいけないことがあるので………」
「やらなきゃいけないことって何?それ次第かな」
「この森には友達と来たんですが、迷ってしまって。その最中にアイランドタートルに踏まれそうになったんです。それで僕が川に落ちてしまって。無事だとは思うので皆を探さないと………」
「そうかぁ。大変だったねぇ。でも下僕を取り止めるほどじゃないかなぁ?」
「え?何でですか!?」
「あたいが助けなければあんたは死んでたんだよ?それならこれからのあんたの人生をあたいにくれても良くない?」
「いや!それは無理ですよ!何と言うか………その………」
返す言葉に困ってしまう。
確かに命を助けられたと考えれば、この身を捧げて彼女に尽くすと言うのは有り得る話なのかも知れない。でもそれって助けた人が強要するものなのか?
いやでも一生をここで過ごすのは無理だ。
何とか考え直して貰うしかない。
「代わりに!下僕になる代わりにあなたの役に立ちますので………それでなんとか許してください!この御恩は必ず返しますと言う感じで!」
美女は口をへの字に曲げて、アルを吟味する様に見つめた。
「………考えとく。とりあえずあたい等の村に連れてくとするよ。君名前は?」
「………アルです」
【マーキング】のスキルを警戒して、なるべく情報は与えない。
「よろしくアル。あたいの名前はメリッサ。ほら立って。ちょっと歩くよ」
がっしりと掴まれた腕は到底振りほどく事も出来そうに無く、アルは彼女の住んでいる村に連れて行かれることになった。
でもそれはそれで助かる。村にはきっと良識のある人もいるだろう。
その人と話せば、きっとこの美女の考えを改める事が出来るはずだ。
……………そう思っていた時が、僕にもありました。
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