58話 決着
竜の着弾場所は、アル達冒険者ではなかった。
伝説の生き物は、迷うこと無く。真っ直ぐマンティコアを強襲したのだ。
高速で落下してきた大質量の激突によって生まれた衝撃は凄まじく、激しい振動と共に辺りを土煙が覆う。その一秒後に、風に乗った砂が激しく顔を打った。
「いででで!?」
「な、何が一体!?」
「どうなってやがる!?」
土煙はすぐに晴れた。突風が吹いたかと思えば、竜が翼を動かす風圧だ。何が起こっているのか理解できない。
そこには滞空する竜、対、それを見上げるマンティコアの構図が出来上がっていた。
上空からの奇襲で、マンティコアは負傷している。
魔法の斉射により所々は傷付いていたのだが、それとは比べ物にならないくらいの深い傷が首筋に出来ていた。
―――――――――――――――
名前:赤竜
Lv:34
スキル:【炎の息吹】【物理攻撃上昇Lv3】【魔法攻撃上昇Lv3】【物理攻撃耐性Lv2】【魔法攻撃耐性Lv2】【上昇Lv1】【素早さ上昇Lv1】【魔力飛行】【気配察知】【遠視】【火耐性】【毒耐性】【酔耐性】【直感】【解体】
武器:なし
―――――――――――――――
「もう乱入者は勘弁してよ………」
アルの口から思わず愚痴、と言うか泣き言が零れた。
その竜は、赤竜と言う名の如く、その竜は全身を赤い鱗に覆われていた。四足と尾があり、姿形は、言ってしまえば翼の生えた蜥蜴だ。ただその体長は、翼を広げるとマンティコアよりかなり大きい。
その猛禽類の様な鋭い瞳は、マンティコアだけを見据えていた。
宙から見下ろす竜と、それを見上げる獅子。
そんな構図に、アル達冒険者は動けない。目の前の状況がまだ理解できない。ここからどういう展開になるのかも、全くの未知数だ。
しかし明らかに、竜の目的はマンティコアだろう。
と言うことはこれから始まるのは、自然的な縄張り争いだ。
「まさかあの竜がこの街の上を飛んでたのって………」
「分からんが、もしかしたらマンティコアの存在を何かしら察知しておったのやも知れん」
両者が動いた。
と言っても尾を痛めているマンティコアに、頭上への攻撃方法は無い。空中にいる赤竜がマウントを取っているに等しい。
赤竜の攻撃は翼の無い者を置き去りにする。
攻撃の初動は常に、上空からの急降下。後脚で相手を押さえつけた後、何度か噛みついて蹴り飛ばし、また空へと逃げていく。
マンティコアも何度も押さえられながらなんとか応戦しようとするが、体重でのし掛かられながらではその爪は赤竜まで届かない。
「何て戦いだ………」
「こんなの初めて見たぜ………」
赤竜が炎の息吹を浴びせかけた事で、数分に渡る勝敗は呆気なく決した。赤竜の方がレベルは低いのだが、もともと多少なりともダメージを受けていたマンティコアに対しては、圧勝と言う結果だった。
「「「うおぉぉぉぉぉおおおおお!」」」
「「「勝ったぞぉぉぉぉぉ!!!」」」
マンティコアの敗北に、全員で歓声を上げる。
思わぬ援軍ではあったが、助かった事にはかわりない。
「いや………、そうではない………」
シオンの言葉は大歓声の中に溶けてしまい、隣にいるアルにしか届かなかった。
赤竜の目が、騒がしいとばかりにこちらに向く。
大きく開口し、その口の中に赤い火花の様な物が見えた。次の瞬間には炎の息吹がこちらに向かって放たれていた。
「うぁぁぁぁああああ!!!!」
「熱いッ熱いぃぃぃ!!!」
「誰か!水を!水を!魔法でも何でもいい!」
地獄絵図の再来だった。
炎の息吹によって、あっと声を出す暇もなく冒険者達数十人が、炎に飲み込まれた。アル達が立っている十数メートル離れた所。
炎が止んだ時、その場には黒焦げになり、ぷすぷすと煙を上げる冒険者達が転がっている。生きているのか死んでいるのか定かではない。
叫んでいるのは、いや、叫べているのは直接息吹には当たっていない、そのそばにいた連中だ。それでも皮膚が露になった所は重度の火傷を負っているのが分かる。
竜はその結果に、一つ咆哮を上げた後、手当たり次第に息吹を撒き散らし始めた。
「何でだ!」
「あいつ!どういう事だ!」
「味方じゃねぇのか!?」
「糞が!もっと厄介だぞ!」
「逃げるしかねぇ!」
「馬鹿言え!戦うんだ!」
「避難所に息吹されたら終わりだぞ!」
「どっちみち逃げ場なんかねぇんだよ!」
そんな叫びを聞きながら、アルは思考が停止していた。
炎に倒れた冒険者達を見ながら、なんとも言えぬ喪失感や、絶望感すら抱く。
全く動けなかった。もしも反応出来ていたなら、彼等の前に立ち【盾】で軽減できたかもしれないのに。
でももしかしたら、まだ生きている人達がいるかもしれない。【保管】から回復薬を取り出して走り出そうとする。が、すぐに袖を掴まれ、シオンに引き留められた。
「そんな余裕は無い!それは生きている者に取っておけ!今すぐ距離を詰めて戦うか逃げるかせんと妾達も炎に焼かれるぞ!」
さっきまで一緒に戦い、勝利の喜びを分かち合っていた人達だ。それが、たった一瞬でやられてしまったんだ。助けないと………。
「おい!ジュリア!お主魔力はまだあるか!手を貸せ!」
「少しならあるけど、【土槍】でもあと二十本が良いとこ………!」
「あの竜と戦うしかないが、飛ばれていたら手が出せん!少しでも降ろさせろ!」
シオンとジュリアの言葉を意識の遠くで聞きながらも、頭の中は白紙のままだった。
視界が揺れる。いや、片腕を引っ張られていた。
誰だ………?
「アル!こらアル!燃やすな!」
そこにいたのは、シオンでも、ジュリアでもなかった。
カラフルな服が目に入る。
それはまさかのエルサだった。必死に赤竜の方を指差しながら、何か言ってる。燃やすな?それは僕じゃなくて赤竜に言ってくれ。
「燃やすな!毒袋!」
「何言ってるのか分かんないよ!」
「マンティコア!薬!作れない!」
マンティコア?
確かにマンティコアの亡骸も、赤竜からのとどめに浴びた息吹によって燃えている。………薬?
全身に電気が走る様に飛び上がった。
そうだ。赤毒病の治療にはマンティコアの素材が必要だ。ここで燃えてしまえば次に現れるのは、最悪、何百年後。
アルはマンティコアの元へと走り出した。
そのすぐ横では赤竜が炎を盛大に吐き出しているが、時間がない。
「アル!?どこに………!」
シオンからの制止の声も振り切り、【瞬間加速】を使って最速で向かう。
数秒で辿り着くと、アルは燃えているマンティコアの亡骸に迷わず剣を突き立てた。皮膚が焼けるのも気にしない。
毒袋がどこの部位にあるのかは知らないが、とりあえず腹を開くしかない。可能性として高いのは下腹部だと思った。牙や爪には毒はついておらず、尾から発射される棘に毒がついていたからだ。
しかし、思い切り剣を振り下ろすが全く刃が通らない。
当たり前だ。死んだからといってその毛や皮膚の防御力が無くなる事はない。
「くっ、くそ!くそ!【斬撃】!【斬撃】!」
【斬撃】の連発で、なんとか強靭な皮膚を切り取る。皮膚を切り取っても、そこには分厚い筋肉があった。皮膚の数十倍の厚みがあるだろうが、皮膚より柔らかい。
【斬撃】を細かく使いながら、必死に掻き分ける。
………あった!これだ!
そこにはどす黒い紫の色をした巨大な袋があった。大きさは子供程もある。さらに掻き分けると、袋から伸びる管が尾の方へと向かっている。【鑑定】スキルも、これで間違いない事を教えてくれた。
管の部分を斬って雑に結ぶと、【保管】へと収納した。
早く離脱し………ない………と…
生臭い風が背後からアルの全身を撫でた。
ゆっくりと振り返ると、巨大で黄ばんだ目玉が二つ。
その鼻先は手を伸ばせば触れそうな程に近い。遠くから見てもかなり大きかったが、この距離で見ると本当にでかい。口なんて、アルでさえ丸呑みに出来そうだ。
不思議そうにこちらを見ている。
いや、怒っているのだろうか?それとも好奇心の目か?到底読み取れるものではない。
その瞳が細められる。
口が縦に大きく開く。臭い………。獣特有の口臭に加えて、アルコールのような刺激臭が鼻をつく。
喉の奥に火花が見えた。
頭の中を選択肢が駆け巡るが、だめだ。どれももう遅い。
炎が生まれた刹那。
視界に銀色の何かが割って入った。
赤竜の口がバチンと強制的に閉じられる。
行き場を無くした息吹が、竜の口の両側から漏れた。
銀色の巨大な四足獣だ。
赤竜と並ぶほどに大きいそれは、竜の口を塞ぐように噛み付いている。突然の乱入に驚く竜は、翼を乱暴に動かしながら乱入者を前脚で蹴り飛ばし、あっという間に中空へとエスケープする。
銀色の獣は、アルを護るように竜の前に立ち塞がった。
ふさふさで柔らかそうな、大きめの尻尾がこちらに向けられる。この尻尾。もしかして狐………?
「……………シオン?」
それは、ほぼ一年前に見たきりの、シオン本来の姿だった。
*
目の前の光景に、ジュリアは今日何度目かにして最大の衝撃を受けていた。
ジュリアと背丈の変わらない可愛らしい女の子が、たった数秒のうちに巨大な魔物に姿を変えたのだから。
狐の様なその姿は、神々しく銀色に光り輝いていた。
そして今にも炎で溶かされそうなアル様を、すんでの所で助けたのだ。
まさか、あれがシオンだと言うのか。
確かに先日ダンジョンから逃げる際にも、狐の姿になっていた。"かなり珍しいが、動物に変身できるスキルもある"。そうシオンは言い張っていた。
しかし、違う。きっとあれが本来の彼女の姿なのだ。何故かは分からないがそう思った。
空中に逃げた赤竜と対峙するその姿は、まるで、子を護る母親の様にも見える。
そして赤竜を警戒しながらも、その巨大な狐はこちらを一瞬見据えた。
ジュリアの身体が僅かに強ばるが、その視線により姿は変わってもシオンとしての自我があること。それからジュリアへの訴えを理解できた。
「"土よ。その恵みを以て哀れな者に大地の慈悲を"」
これが正真正銘。最後の魔法。
「【土槍】!」
僅かながらに回復していた魔力を消費して、二十の槍を待機させる。魔力が底をついた事で、目は回り嘔吐しそうになるが堪えた。
それでもたかが二十本で、あの竜を落とせるのか。
どう使えばいい。この二十本で最大の効率を叩き出すには。
シオンと赤竜の戦いの火蓋が切られた。
赤竜の急降下に合わせて、シオンが飛び付く。互いの首を牙で狙いつつ、必死に爪を立てる。
シオンが大地を踏みしめる度、ジュリアの場所まで振動した。
竜の動きを分析する。しかし、その動作は大きく、狙った場所に当たる確率はかなり低い。顔や脚ならまだ上下に動いているだけなので当てられるかもしれないが、理想は飛べなくすることだ。
もともと竜は魔法に強い耐性を持っていると聞くし、そんなに簡単には魔法が………。
そこまで自問してジュリアは思い出した。
あの日の父親との会話を。
それしかない。
狙いを定める。
「ここ!」
【土槍】を放つ。
一直線に放たれた槍は、上空から降下してきた赤竜の胴体にヒットする。僅かにこちらを睨み付ける様な反応を見せるが、その軌道すらほとんど変えられない。
ジュリアの狙いは外れた。
恐らくあの竜の起こす風で着弾が乱れているのだ。
その分を頭の中で修正する。
撃っては修正し、撃ってはまた修正する。
シオンのダメージが増えていく。それに少し焦りつつも、分析は冷静に、時間をかけて行う。
残り十本となった時、ようやく狙っていた箇所に一発命中する。
翼の根元の部分だ。大きく動いている翼より、幾分か狙いやすいそこは、他と比べて魔法防御が低いと父様から聞いていた。
そして確かに手応えはあった。
地面から十数メートルの所に滞空していた赤竜が、槍が当たった右の翼を一瞬折り曲げ、がくっと高度が下がる。
「このジュリア様を、いつまでも見下ろさないで!」
そこに追い討ちをかけるように残り全ての槍を撃ち込んだ。
二本外れて七本が命中した。
高度が下がった所にシオンが飛び付くと、竜はついに地に堕ちた。
「「「うおおおおおおお!!??」」」
冒険者達の歓声が上がる。
ここぞとばかりに上に飛び乗るシオン。容赦なく頚部に食らいつく。
赤竜も負けじと転げ回り、建物を薙ぎ倒しながら上へ下への揉み合いだ。互いに傷が増えていく。竜の強靭な鱗状の皮膚にも亀裂が入り、シオンも所々を大きく斬り裂かれて白銀の毛が血に染まっている。
「お、おい!なんだかやべぇぞ!」
「ここから離れた方がいい!」
後ろで冒険者達がざわつくが、ジュリアは拳を握り締めてその攻防から目が離せない。
「シオンー!頑張れー!」
思わず叫んでいた。
こんなちっぽけな応援が、あの巨大な二匹の勝敗に左右するとは到底思えないが、ジュリアにはもう叫ぶことしか出来ない。
「シオン!!!勝てー!!!!!」
遠くでアル様も声を張り上げている。
「狐ェェー!!!」
「翼をもぎ取れェ!!」
「押してるぞォォ!」
「首を狙え!首を!」
「死んでも勝てー!」
「負けんじゃねぇぞォォ!!!!!」
ジュリアの後ろから野太い声がした。
ベルモンドを始めとして冒険者達が声を張り上げてシオンを応援している。まさにこの最終決戦を、冒険者一丸となって応援する。
そして。
ついに、シオンが竜を捩じ伏せる。
首に喰らい付き、うつ伏せに押さえ付けた所を両翼を上から脚で固定する。竜も必死で抵抗するが、首と翼を押さえられて上手く身体が動かせない。
そしてシオンの身体から靄の様な何かが立ち上ぼり始めた。白銀の毛にそっくりな色の、銀色の何か。
あれは………もしかして、魔力だろうか?
可視化できる程の濃密な魔力など、生まれて初めて見た。
でもちょっと待って………これなんかまずいかも。
「離れて!皆、早く離れて!………ってえぇ!?」
ジュリアが後ろを向きながら叫ぶと、すでにそこには誰もいなかった。既に十メートル以上も遠くを全力で逃げている。
「お嬢ちゃん!早く逃げねぇと巻き込まれるぞ!」
「なんて薄情者!」
ジュリアも急いで二匹から離れる。魔力切れで足元がふらつく中、なんとか距離を取ろうとする。
背後でシオンの咆哮が響き渡った。
振り返ると、視界が白く染まる。同時に世界が割れた様な断裂音。
雷が落ちた。
視界は真っ白に染まり、耳は鼓膜が破れたと思った程に耳鳴りがした。
何秒間かの後にやっと視界の明滅と耳鳴りが治まった時、赤竜はぷすぷすと煙を上げており、びくびくと痙攣していた。シオンはその上に未だ陣取っており、赤竜の頭部をくわえて持ち上げると、一捻りする。
はっきりと、色々な骨が折れた音がした。
それにより赤竜の痙攣は止まり、その瞳からは光が失われていく。
動かない竜をぼぅっと見つめること数秒間。
勝った。
その言葉がようやく頭に浮かんでくる。
勝った………シオンが。私達が。
そう思った途端に、膝の力が抜けた。
「「「「「「うおおおおぉぉぉぉおおおぉぉぉぉ!!!!!」」」」」」
冒険者達の雄叫びが響き渡る。
シオンも一度大きく咆哮をあげると、みるみるうちに小さくなり見えなくなった。アル様が慌てて駆け寄っていく。
何はともあれ、生きている。
何百年に一度の災害を、ダンジョンの罠を。
冒険者一丸となって乗りきったのだ。
天に昇る冒険者の雄叫びは、それから夜遅くまで止むことは無かった。




