57話 魔術師の意地
「遅いぞ!何をしておったのじゃ!妾を殺す気か!」
「ごめん!エルサが見つからなかったんだって!はいこれ回復薬!精神回復薬は?」
到着早々に、シオンからの愚痴が飛ぶ。
アルはそれに謝りながら、一度距離をとったシオンに近づく。
しかしそれも仕方ないだろう。マンティコアと一対一なんて、どれだけ精神と身体が削られることか。
「どっちもじゃ!五分程度じゃがキツかったぞ!」
かなり怒っているシオンに瓶を二つ渡す。
「【風鎧】を一分毎にかけ直してやる」
「分かった。僕が前に立つからシオンは後ろからあの尻尾をなんとかして!被害が増える一方だし」
アルは【風鎧】を付与してもらうと、マンティコアへと走り出した。
「おいアル!一人では無理じゃ!」
「大丈夫一人じゃないよ!僕らには心強い魔術師がいるから!」
*
アルとシオンの背後で、一人の魔術師が杖を掲げた。
ジュリア・アレクサンドリアである。
ジュリアの目の前には、獅子の容貌をした巨大な魔物がいる。
マンティコア。ジュリアが冒険者となってから六年間、ずっと探し続けてきた魔物。しかし迷宮主と対峙した経験のないジュリアにとって、ここまで大きな魔物を相手にするのは初めての事だった。
レベルはシオンから聞いたところ36だそうだ。
ジュリアのレベルは26。10レベルの差は、ジュリアがこの魔物に挑むには五年早いことを物語っていた。
それでもジュリアはやらなければならない。
睨まれただけで失禁しそうになる瞳を睨み返し、どれだけ威嚇されようと、こちらも牙を剥いて唸り返す。震えて今にも膝をつきそうな脚をなんとか突っ張りながら、勇気を奮い立たせる。
二本の剣を構えたアル様が特攻する。
彼の言葉が頭に響いた。
"心強い魔術師がいるから"
アル様とマンティコアが衝突する。
速い………!前回と違って体調が万全のアル様は、ジュリアよりレベルが一つだけ上とは思えない程の動きでマンティコアと渡り合う。シオンから付与魔法をもらったのも、何か身体能力をアシストするものなのは想像できた。
しかしやり合えている様に見えても、レベル差は圧倒的だった。敵の攻撃力は高く、アル様にとっては些細なミスが全て命取りになる。まるで薄い氷の上を歩いているかの様な綱渡り。今にも呆気なく殺されてしまうのではないかと思ってしまう。
しかし、あの人は信じてくれた。このレベルの闘いで、私の魔法が使えると。私の力が必要だと言ってくれた。
それなら私も全力で応えなければ。
ジュリアはいつもよりゆっくりと、ゆっくりと詠唱を始めた。
魔力変換効率を考えると、詠唱はゆっくりと丁寧にした方が、同じ魔力でも効果は大きくなる。
「"土よ"」
私にだって意地がある。
ジュリアは冒険者だ。
六年前に冒険者ギルドの門を叩いてから、アレクサンドリアの名は冒険者としては使わないようにしている。
それでも幼いジュリアが冒険者になるためには、高価な装備で身を固め、パーティメンバーもお金で雇う。それしかなかった。そのやり方に批判や中傷も多くあった。当時まだ十二歳だったジュリアにとって、それは辛いものだったが、冒険者をやめることはなかった。
特に最近は、父親の調子が良くないことも気付いていた。毎朝と夕方は気丈に振る舞ってはいるが、父親の手が少しずつ細くなっているのにも気付いている。この一年は焦りもあった。
「"その恵みを以て"」
遠距離の攻撃役は、パーティ内において一番楽だと言われる職だ。
後方から魔法をぶっ放す仕事。敵との直接的な駆け引きがあまり要求されない私達魔術師は、火力馬鹿や経験値泥棒と陰では呼ばれている。しかしそれでも、ジュリアに出来るのは魔法スキルでの遠距離攻撃でダメージを与える事だけだ。
しかしその簡単な仕事にも、前衛職には分からない苦労や技術、そして駆け引きがある。
「"哀れな者に大地の慈悲を"」
詠唱が完了した。
しかしそこからジュリアは魔法を起動させない。
アル様とマンティコアが繰り広げる高速の戦闘を、じっと見つめて動かない。
アル様とマンティコア、そしてシオンが行う、一挙手一投足の動きを脳内に刷り込む。目線の位置、身体の使い方、脚の運び。動きの意図や、戦術、その結果を必死に考察する。
「ジュリア!早うせい!」
そのまま一分経った頃、シオンから催促が飛ぶ。
マンティコアは後方から攻撃しているはずのシオンの動きにも反応しており、レベル27とは思えないほどの実力を持った二人でもやはりかなり厳しい。
まだだ、もう少し………。
アル様は何も言わない。
ただマンティコアの前に立ち、その牙と爪を懸命に躱し続けている。時にはあの不思議な魔法で防いで、時には反撃に剣を振るっているが、その倍以上の回数を弾き飛ばされている。それでもすぐに立ち上がり、巨獣へと向かっていく。
その目は、まっすぐマンティコアを見ている。こちらには見向きもしない。ジュリアを当てにしていないのではない。
信頼してくれているのだ。私はやれると。
よし………いく。
「【土槍】」
ジュリアの頭上に、三十本もの【土槍】が出現する。真っ青な夏空を背景に、ずらりと槍が宙に浮く光景は壮絶。
これがジュリアの最大射出数だ。最大魔力時に、ほとんどの魔力を費やして撃てる限界数。全ての槍がマンティコアに向けられており、今か今かと発射を待機している。
ジュリアにはたった一つ信じている事があった。
魔法を使うのは、剣を持って戦うよりも簡単かもしれない。命を落とす危険も少ないかもしれない。
しかし強力な魔法ほど味方誤射のリスクは高く、当てずに当てる技術が必要だ。
加えて限られた魔力量の中、使用する魔法の選択、タイミング、魔力変換効率を考えて詠唱の長短を調節するなど、考えることは山ほどある。最高の結果を求めて、常に考え続けなければならない。
火力馬鹿と呼ぶ人は魔術師という職を解っていない。
強い魔術師には馬鹿はいない。最高の魔術師が"賢者"と呼ばれる様に。
それを今、私が証明してみせる。
「行けっ!」
アル様をまさに攻撃しようとしている瞬間を狙っての一投目。空を切る音と共に射出された巨大な槍は、激しく動き回るマンティコアの左目へと吸い込まれる様に向かう。
ドンピシャ………!
ガンッ!
当たると確信したジュリアだが、左目には命中しなかった。
今までジュリアが戦ってきた魔物達とは、動きの速さと言う点において格が違う。そう思わされるほどの反応の速さ。
目に当たる寸前で顔を背けられた事で、槍は顔の側面に当たる。目に見えるダメージはほとんど無い。ジュリアの魔法、しかも初級の【土槍】では、例えまともに当たっても刺さるかどうかも怪しいレベル。
しかしその結果に、ジュリアはニヤリと笑う。
どこまで誤魔化せるか分からないが、ジュリアもアル様の矛となり、盾となれる。
エルサ様製の精神回復薬を飲みながら、ジュリアは槍を放ち続けた。
「って何これ!苦いっ!」
*
アルの全身を撫でる風は、酷い臭いがする。
ドブの様な臭いの吐息がかかる程の距離にマンティコアはいた。きっとその悪臭も攻撃のうちに違いない。
レベル差はやはり圧倒的だった。以前にヒュドラと戦った時と同じ9レベル差。やはりスピードが違う。パワーが違う。しかし、今回は以前とは決定的に違う事がある。それはアルが信頼できる仲間と戦っていることだ。
だからアルは全力で戦える。
距離を詰めてきたマンティコア。一瞬のうちに目の前まで接近し、強靭な爪での引き裂き。25レベル以下の冒険者であればこのワンコンボで終わりだ。
それをバックステップで辛うじて躱すと、アルと入れ替わるように岩でできた槍がマンティコアの左目へと向かった。
それをバックステップの直前から察知していたアルはすぐに前進。
真っ直ぐ眼球に向かってくる物体は、避けざるを得ない。マンティコアが【土槍】から顔を背けた一瞬、その僅かな隙がアルとシオンの反撃のタイミングだ。
【斬撃】で左前脚を斬りつける。そしてすぐにその場から離脱。
今度は離れたアルを追うようにマンティコアの尾がしなる。
しかし棘が射出される直前でまたもや【土槍】が尾の先端に直撃。棘はあらぬ方向へと飛んでいく。
「よう当てるもんじゃの…!」
シオンが尾の根元を白い短剣で斬りつけた。
アル、シオン共に、これだけの攻防でようやく一太刀。
アルはジュリアが放つ【土槍】の命中率に舌を巻いていた。ジュリアが狙っている所は二ヶ所だけだ。目と尾である。図体に似合わず高速で動き回るマンティコア。【土槍】は正確に、その瞳に放たれる。棘を射出する前にしなる尾の先端に的確に命中する。
まるでマンティコアの方が槍に当たりに行っているのではないかと思ってしまう程だ。
そしてその攻撃は常に、アルの動きを中心としたタイミングだった。アルが動き出すタイミング。攻撃を躱すタイミングで目に向かって飛んでくる槍に、マンティコアはどうしても数瞬反応せざるを得ない。
アルだけでも駄目、ジュリアだけでも駄目だが、ジュリアの培ってきた技術で、二人合わせて一太刀を食らわせる事ができる。
これが、魔術師。
魔力を注ぎ込んで高威力の魔法を使うだけではなく、こんな風に初級の魔法だけで前衛職と一緒に戦う事も出来るのだ。
恐らくジュリアのレベルでは、魔法によってマンティコアに大したダメージを与えられないのだろう。本当ならば念願の相手をその手で仕留めたいと思っているはずなのに。
その気持ちを抑えて、ジュリアはアルとシオンのサポートに回っている。
互いの持ちうる力を、互いのために最大限発揮する。それによって強大な敵に立ち向かえている事が、無性に嬉しくなる。
アルが求めていた戦いが、間違いなくここにある。
楽しくなってきた………!
「【斬撃】!」
アルはさらにペースを上げていく。
マンティコアがどこまでついてこれるのかを試す様に。ジュリアがどこまでついてこれるのかを試す様に。
頭が、身体が徐々に熱を帯びていく。まだまだ速くなれる。もう一撃多く、叩き込める。
シオンも共に速くなる。
ジュリアはそんな中でも必中だ。【土槍】も二人の動きについてきている。
三人とも顔が笑っている。
この緊迫した戦いの中で、成長していく。
自分の可能性を広げていく。
しかし、その時間は唐突に終わりを告げた。
急にジュリアからの【土槍】が飛んで来なくなる。
「ジュリア…!?」
振り返ると、ジュリアは蒼白な顔で息を切らしていた。魔力切れだ。戦闘開始からおよそ十分。精神回復薬で魔力を回復しながらの戦闘だったが、精神回復薬も万能ではない。短時間で連続して飲むと、効果は半減していく。
「よそ見をするでない!」
マンティコアの猛攻は続いている。
ジュリアからの援護が無くなった事で、二人は目に見えて劣性になった。この十分間はなんとか互角の戦いが出来ていたが、それでもアル達の攻撃はマンティコアの動きを鈍らせる所まで至っていない。根本的に攻撃力が足りないのだ。
アルも体力、魔力的に苦しくなって来ている。
唯一の救いは、シオンがマンティコアの尾にそこそこのダメージを与えている事だ。尾を振ると痛むのか、棘攻撃はしてこない。そのため攻撃パターンは爪と噛みつき攻撃に絞られている。
「まずい………!」
思わずそんな悪態が漏れる。
爪を避けるのが難しくなってきた。もともと短剣でどうにかできるレベル差ではないため、【盾】を使いながら避けるしかない。
「仕方ないか………」
シオンからそんな言葉が聞こえた時だった。
ドゴォォォォオオオッ!
マンティコアの左顔面で小爆発が起きる。
続いて右の顔面には何か透明の刃の様な物が直撃。それは水魔法だった。隣で起きた爆発で蒸気が巻き起こる。
その二発で、マンティコアを一瞬だけ怯ませることに成功する。
「アルフォンス!待たせたな!」
怯んだマンティコアから一度距離を取り、声のした方を確認する。ベルモンドさんを始めとして、クープ中の魔術師がそこに整列していた。
「皆さん!他の魔物は………?」
気付けば辺りの魔物はほとんど殲滅され、至る所で死体の小山が出来上がっている。クープの冒険者達が勝利したのだ。ダンジョンの入口から出てくる魔物も、今は落ち着いているらしい。
ベルモンドさんは斧を天に突きだすと、掛け声とともに勢いよく振り下ろした。
「やっとあのデカブツに一泡ふかせられるぞ野郎共ォォォ!土魔法!てぇぇぇい!!」
「「「「「【岩縛棘】」」」」」
土魔法の使い手が一斉に魔法名を唱えると、マンティコアの足元から岩で出来た棘がいくつも突き出し、その動きを見事に封じた。
「次は火魔法だ!てぇぇぇい!!」
「「「「「【火壁】」」」」」
火魔法スキルを持つ魔術師達から火が放たれる。
マンティコアを中心として一面が火の海だ。時々ヘルハウンドの火炎袋に引火して爆発まで引き起こしている。
「風魔法!火力を上げろ!」
「「「「「【風刃】」」」」」
風で形成された刃がマンティコアの身体を斬り裂く。
直接的なダメージに加えて【火壁】の火力が増幅される。
「後は適当にぶっ放せ!数で圧倒しろ!のこのことこの街まで上がってきた事を後悔させてやれ!」
様々な詠唱が重なって耳鳴りとなれば、色々な魔法がマンティコア目掛けて発射される。
魔術師達の一斉攻撃はまさに壮観。属性が入り乱れているため所々で変な反応が出ているが、ダメージは間違いなく入っている。
一発一発は致命傷まで至らないが、それが何十と浴びせかけられれば、さすがに動けないらしい。煙の中でうっすらと、もがくマンティコアが見える。
「奴は動けてねぇぞ!このまま追い詰めろ!」
勝てる………!
倒せる!
このまま!攻撃を止めなければ!!
キュィィィィィィ………
その音に気付いたのは、誰が最初だっただろうか。
先程まで唸り声を上げていたマンティコアが、こんな声を出すのか?
それとも死ぬ間際の、断末魔の叫びだろうか。
「効いてるぞォ!」
「いけるぞォォォ!」
「もっとやれ!」
「精神回復薬もっと持って来い!」
「前衛職もさぼってんな!」
「斧でも槍でも投げれるもん全部投げつけろ!」
「オラオラァ!もっと哭けコラァ!」
その声に冒険者達の誰もが歓声を上げる。
ますます魔術師の攻撃が熾烈化していく中で、その奇怪な悲鳴は響き渡る。
「まずい………」
シオンは天を仰いでそう呟いたが、そんなことはない。状況はかなり優勢だ。このままいけば遠距離での魔法攻撃でマンティコアを倒せるかもしれない。
「………まずい!退け!全員を退かせるんじゃ!」
急に慌て出すシオン。
アルを含めて、周りにいたベルモンドや魔術師達もその様子が理解できない。
「何だと!?このまま押しきらないでどうする!?」
「一度自由にしたら手がつけられんぞ!」
「うるさい!お主等にはあれが見え………」
「まずいぞ!抜けられた!」
前から、そんな慌てた声がする。同時にどたどたという地鳴りも。
魔術師達の集中放火に穴があったのか、それともシオンの言葉で躊躇った魔術師がいたのかは分からない。しかしマンティコアがその一瞬の隙を抜けてきたのだ。一気にこちらに突進してきた。
「やばいぃぃぃ!」
「散れ散れ散れ散れ!」
「逃げろ!」
慌てて前に立とうと踏み出すが、それをシオンに止められた。
「シオン!僕達じゃないと止められない!」
「待て!行けば死ぬぞ!」
キュィィィィィィィイイ!!!
そこで初めて。その叫声がマンティコアからの物でないと言うことに、誰もが気付いた。マンティコアは低い唸り声をあげながら走ってきているのだ。
その声は空からだった。
天を見上げると巨大な影が太陽を覆った。
誰も届かない高みに君臨する、絶対的な王者。
竜が、直下降してくる。翼を畳み、弾丸の様に。
真っ直ぐ――――――――――大地に、激突する。




