55話 陸の孤島
うっすらと目を開けると、そこは薄暗かった。
最後の記憶は十一層。
僅かに嫌な汗をかくが、すぐにふかふかのベッドで寝ている時点で、ダンジョンの中ではないと理解する。
アル達が借りている宿だ。どうやら無事ダンジョンからは抜け出せたらしい。外の様子は薄暗い。夕方か。はたまた明け方か。どちらか分からないが、ダンジョンの中でないなら、どっちにしてももう少し寝ていて構わないだろう。
アルは再び目を閉じた。
再び目を覚ました時、そこにはシオンがいた。ベッドの横に椅子を持ってきて腰かけ、窓から外を見ている。まだ早い時間だろうか、窓からは少し涼しい風が入ってくる。
「ようやっと目を覚ましおったか。待っておれ。今エルサを呼んでくる」
シオンが出ていった後で一人で身体を起こしてみるが、調子は良さそうだ。マンティコアにやられた肩と脚も治っている。
誰か回復術士が治してくれたのだろう。シオンがエルサって人を呼びに行ったから、もしかしたらその人が治してくれたのかも知れない。
「ん………?エルサ?」
「はーい!呼んだー!?」
扉からどたばたと入ってきたのはカラフルな元白衣に身を包んだ少女だった。彼女はルスタンの街の凄腕錬金術士。助手のギャニングさんも一緒だ。
「アル君!マンティコア見つけたんだってー!?どんなだったー!?毒食らったんだよ!どんなだったー!?死にかけてたんだよ!どんなだったー!?」
「エルサ先生!いけません!」
アルに馬乗りになりながら質問攻めにしてくるエルサを、ギャニングさんが慌てて止めに入る。アルも起き上がり、ベッドに腰掛けると、来客にも座るよう促した。
「毒で死にかけたって…?マンティコアの?でも僕、解毒剤飲みましたけど?」
「あーやっぱりだー!どうりで使い物にならなかった!」
エルサが何故か怒った様にアルを指差した。
「え?使い物に?」
「えぇ、赤毒病の治療薬です。古い書物によると治療薬にはマンティコアの毒が必要なのですが、アルフォンスさんの体内から抽出した毒では上手くいきませんでした。恐らく解毒剤の成分がマンティコアの毒を解毒しきれないまでも、多少は中和した様です。と、先生は仰いました」
「あぁ、それで怒ってるんだ。でもそれをぼくに怒られても困るんですけど………」
加えてアルには【毒耐性Lv1】のスキルもある。それも抽出がうまくいかなかった一因だろう。
「ちなみにそのマンティコアの毒でお主は二晩ほど死にかけた」
「なおさら僕に怒らないで貰えるかな!?」
二晩も寝てたのか。
「と言うかここってクープだよね?何でエルサさんがいるの?」
「来た!」
「マンティコアが出現したという事と、アルフォンスさんが解毒剤で解毒できない毒に侵されていると聞いてやってきたのです。と、仰っています」
「あぁ、そうでしたか。それはありがとうございました」
「ま!」
「まぁマンティコアの毒が一番の目当てでアルフォンスさんはついでだったので構いませんよ。と、仰っています」
ギャニングさん、一文字でそこまで解るんですか。それにその内容なら訳してもらわなくて結構でした。
エルサとギャニングさんの二人は、一通りアルの身体を調べ終わると、どたばたと帰っていった。マンティコアが討伐された時にすぐに研究できる様にと、当分はここに滞在するらしい。
「結局あれからどうなったの?」
「マンティコアから逃げ切った後か?
階段の近くで魔法使いの魔力が回復するのを待ってから全員で戻ってきたのじゃ。妾も力を使い果たして、お主の上に乗っておっただけじゃ」
「良かった。みんな無事なんだ」
「そうじゃ。じゃからもう入ってこい。別にアルは怒っておらぬ」
シオンが扉の方へと声をかける。一体誰に声をかけているのか分からなかったが、扉の陰からちらりと覗いたのはジュリア・アレクサンドリアだった。
「あの…、私………その………」
彼女は口ごもっていたが、彼女のそれが言葉になる前にアルの方から声をかけた。
「ジュリア………ごめん。マンティコア。せっかく見つけ出したのに、倒せなかった。僕達逃げることしか出来なくて………。ジュリアは立ち向かったのに」
完全に自身の力不足だと感じていた。
なにせ、あのヒュドラの時と何も変わってない。
たった10レベルの差を覆すことも出来ず、逃げ出すことしか出来なかったんだ。マンティコアのレベルを見た瞬間に、逃げることしか頭に無かった。この何年もマンティコアだけを探し求めてきたジュリアを無理やり止めてまで、逃げ出した。
何発か殴られるくらいの覚悟はある。しかし。ジュリアの反応は、アルが思っていたのと大きく違った。
「何となく、アル様ならそう言うと思ってましたわ。しかし、それは少し傲慢というものです。私だって冒険者ですわ。魔物を倒せなかった事を人のせいにするつもりは毛頭ありません。
………私が思うことは、私自身の無力に対する悔しさと。それからアル様への感謝です」
彼女はどこかふっ切れた様な顔で、アルに感謝していると言ったのだ。
「感謝………?僕は逃げることしか出来なかったのに」
「アル様は、"逃げる"と言う、冷静で正しい選択をしたのです。私はただ激昂して、考えることを止めただけです。最も愚かな行為でした。そして逃げ延びたからこそ、私はマンティコアと闘う事が目的なのではなく、倒してお父様の病気を治す事が目的なのだと間違いを正せたのです。
それに、私はアル様が力不足だとは思いません。あのマンティコアから、私達と言う荷物を護りながら逃げ切ったのですから」
逃げると言う、正しい選択。確かに調査隊に被害が無かったのは何よりだが、マンティコアに勝てなかったのも事実だ。
「それから、シオン…さん。これまでの数々の無礼をお許しください。あなたの力が無ければ、調査隊は一人残らず死んでいました」
シオンが珍しく、鳩が豆鉄砲をくらった様な顔をした。そしてその耳をぴくぴく動かしながらそっぽを向く。
「お主に礼など言われる筋合いはない。それにかしこまった口調をやめい、鳥肌が立つわ」
「ふふ、そうね。ありがとう、シオン」
シオンの照れた顔を見れただけでも、アルは生き延びた甲斐があったと思った。そしてやっと、シオンとジュリアの関係が進み始めた事にも安堵する。
「何をニヤニヤ笑っとるお主!お主は早う身体を治さんか!」
「分かってるって。それに身体ならもう大丈夫だよ。どこも痛くないし」
「それなら早う立て!ギルドに行くぞ!」
照れたシオンに何回か叩かれながら、アルは普段通りの格好に着替えた。ギルドには、アルが起きる直前にシャルロットさんから呼ばれたらしい。
今日は調査隊がダンジョンから帰ってから三日目。調査隊が持ち帰った情報により、ギルドからダンジョン内への立ち入りが禁止となっているとか。
「まぁ、最近休みも少なかったからの。ダンジョンにも入れんとなったら三日くらい寝ておってもちょうど良かったという所じゃ」
「こんな事言ってるけどね、シオンったらアルのそばから離れようとしなかったんだから」
「ええい小娘!余計な事を言わんでいい!それにしてもそうじゃ。まさか【斬撃】を飛ばせる様になっておったとはの。やるではないか」
「あぁ、あれすごいでしょ?まだ成功したの二回目なんだけどね?」
「何!?そんなイチかバチかじゃったのか!?」
ダンジョンの悲鳴はあれから一日三回くらいのペースで続き、住人もドラゴンと同様に慣れっこになりはじめているとか。そしてそのドラゴンも、最近は悲鳴の度にやって来るらしい。
冒険者ギルドに着くと、先に入れとジュリアに促される。
アルが扉を開いて中に入ると、中はすごい数の人だった。
ダンジョンが立ち入り禁止となっているためか、冒険者達が全員詰めかけているのではないかと言う程だ。
そして何故か。入り口に近いアルの姿を見つけた人から沈黙が伝染していく。数秒で、ダンジョン内が嘘の様に静かになった。
え?何?確か初日もこんな感じに………。
その静寂の中で、何人かが椅子を倒しながら立ち上がった。それは、調査隊のメンバー達だ。
「「「「「うおおおおあああああああああ!!!」」」」」
耳がおかしくなったかと思った。それほどの大声量がギルド内に巻き起こる。調査隊の面々が走り寄ってきて、代わる代わるでアルを叩いた。
「おめぇこの!助かったぞ!」
「なんつー奴だまったく!」
「お前等がいなけりゃ、今頃皆揃ってダンジョンの養分だぜ!」
「おい、あれが噂の………」
「あぁ、迷宮主を瞬殺した魔物と渡り合ったって…」
「おい!エールだ!ありったけ持ってこい!」
「宴会だ!飯もじゃんじゃん持ってこい!」
「見てくれ!捨ててきた防具、全部新調したんだぜ!?」
「こいつあの時、女房に叱られるって俺の背中で泣いてたくせになぁ!?」
「結果は脚がねぇの見て女房が泣いたんだってなぁ!」
「生きてりゃそれで良いんだよ!うるせぇな!」
「迷宮主も横のかわい娘ちゃんと二人で倒す寸前だったらしい…」
「二人で!?嘘だろ!?何レベルだよ!」
「二人とも27らしい」
「どんなスキル持ってんだろ。俺聞いてみようかな」
「おいお前やめとけ!殺されるぞ!」
「マンティコアと出会った時は正直チビったぜ!」
「まじでもうダメかと思ったもんなぁ!」
「あいつ絶対レベル40はあるぜ!絶対!」
「あの!すみません!どんなスキル持ってるんですか!?」
「え!?僕ですか?教えませんけど………」
「ですよね!?すみませんでした!」
「お前勇気あるな!んで何て?何て?」
「教えてくれなかった」
「だろうなぁ!まぁよくやった!飲め飲め!」
「あ!おい!メッツ!ベル!こっち来いよ!」
「おぉぉぉ!アルフォンスじゃねぇか!もう大丈夫なのか!」
「まったく三日も寝込みやがって!心配したぞ!」
「メッツさんあの時はありがとうございました」
「何いってんだ!礼を言うのはこっちだっての!」
「いえいえ、命拾いしましたよ。僕らには火種が無かったので」
「妾の【雷】があろう」
「いや雷で火がつくのか自信が無かったからさ」
「にしても、火炎袋をまとめて即席の爆弾にするたぁ、よく思いついたもんだな。どんだけの死地をくぐってきてやがんだ」
「もう身体は大丈夫なのか?」
「えぇ、もう万全です」
「爆弾で飛ばされた時ぁ、死んだと思ったぜ。なぁ?」
「十一層から運んで下さってありがとうございます」
あの時大怪我をしていた冒険者や、脚を失っていた冒険者も、今ではすっかり良さそうだ。皆、口々にアルへと礼を言ってくれる。
やっぱりあの時の"逃げた"判断は、間違いではなかった。
アルは自分が間違えていなかったと、彼等の笑顔を見て初めて思えたのだった。
「アルフォンス君、シオンちゃん。お祝いムードの所悪いけど、少し時間を頂けるかしら?宴会はその後にして頂戴」
シャルロットさんの声で人垣が割れる。
アルとシオンは皆に断りを入れてから彼女について行った。
*
書斎に着くなり、シャルロットさんはこちらを振り返る。
二十センチ以上の身長差があるため、少し怖い。
「アルフォンス君。まずはあなたにお礼を言わせて。本当にありがとう」
そして立ったまま、九十度頭を下げた。
「いや、ちょっとシャルロットさん!何もそこまで………」
「いえ、これは心からの感謝と、そして謝罪よ。あなた達を危険な目にあわせてごめんなさい。私の見立てが甘かったわ。
それから………彼等を無事に返してくれてありがとう。あなたの活躍は聞いたわ。あなたを調査隊に入れてたのは不幸中の幸いだった」
「そこら辺で良いじゃろう。あまり誉めると調子に乗るぞ。ところで何の用で呼んだのじゃ」
シャルロットさんはアルにもう一度笑いかけると、自分のデスクへと戻っていった。その際にアメを一つ拾い上げて口に放り込む。
「あなたが前に言ってたでしょ?マンティコアについての古い文献が見たいって。だから複写を頼んで送ってもらったのよ」
「む?あぁそんな事も言っておったかの。まぁマンティコアを見つける方法が分かればと思っておったのじゃが、それも必要なくなってしまったの」
シオンは彼女なりに考えてくれていたらしい。こう見えて何というか義理堅い所はあるんだよなー。
「そう。まぁどっちにしろ数百年前のなんとか文字で書かれてるから読めないわよ。専門家ですらぜーんぜん読めてないんだから。辛うじて解読できたのが最後の一文。"名をマンティコア、希望は天上にあり"だけよ。それでマンティコアが天上の街と呼ばれるこのクープにいると言われてたのよ」
「あぁ、これは古代ブル帝国のブラニッシュ語じゃの」
そう言ってシオンはその紙に目を通し始めた。
もしかして読めるのだろうか?
「シオン読めるの?」
「うるさい。こいつらはいちいち暗号化したがる故に時間がかかるのじゃ。話しかけるな」
いきなり不機嫌になるシオン。今は話しかけない方が良さそうだ。シャルロットさんもシオンに何か聞きたがった様子だったが、首を振って止めた方がいいと促した。
「あぁ、あとそう。あなた達もうDランクに上げといたから」
「え?そうなんですか?」
「えぇ。今回挙げた功績はDランクどころか、Cランクにしてもいいくらいだもの。とりあえずギルドカードを後で受付に出しといてね」
その時、部屋の扉が激しめにノックされる。
そしてシャルロットさんの返事も聞かずにギルド職員が一人慌てて入ってきた。
「ちょっと!レディの部屋に勝手に入ってきてどう言うつもりだ殺されてぇのか!?」
焦り顔のギルド職員を、シャルロットさんの怒号が出迎えた。
今のはボケなのだろうか?どっちにしろアルには突っ込む勇気はないので流しておく。
「すみません!それが、緊急で!連絡通路が無くなったんです!」
「連絡通路?」
アルはいまいちピンと来ていないが、シャルロットさんは弾ける様に立ち上がった。蒼白な顔をしている。
「無くなったとはどういう事!?」
「衛兵の話ですが………。通路部分の内側の壁が、通路以外の外壁までせり出して来た様です………!」
その言葉で、アルはやっと"連絡通路"がどこの事なのか分かった。このクープの街に入るために、登ってきた通路だ。断崖絶壁の壁に螺旋状に掘られ、上下を往来できる唯一の道。
「通行していた人達は………?」
シャルロットさんのすがるような声に、職員は首を振る。
最悪だった。断崖絶壁を歩いていると、内側から壁がせり出して来る。徐々に無くなる足場。その恐怖は想像を絶する。
「シャル……………」
沈黙の部屋に響いたのはシオンの声だった。
「今話しかけないで貰えるかしら。連絡通路が無くなるなんて前代未聞」
「シャル!"悲鳴"は何回じゃ!?」
シオンは古代ブラナントカ語の書類を投げ捨て、シャルロットさんに詰め寄った。彼女のここまでの慌て様は、今までに見たことがない。
アルも思わず立ち上がっていた。
「な、何?えーっと、悲鳴の数?一日三回くらいだから………十二回とかじゃない?」
「十四回です」
自信たっぷりに答えたのはギルドの職員だった。
「一番最初は四日前、最後は昨晩。数えて十四回。確かです」
「まずい!早く冒険者を集めて防衛ラインを作るのじゃ!」
「防衛ライン?あなた何の事を言ってるの?理由も無しに冒険者が指示に従うわけ無いでしょ?」
シオン以外の三人が置いてけぼりになる中、シオンだけが尋常でないくらいに焦っている。そして彼女は床に落ちていた書類を拾い上げると、シャルロットさんの目の前に突きつけた。
「良いか!妾はブラニッシュ語が読める。この古文にはこう書いてある。
"最上の街ヴルムクヴィストに、悪魔の叫声が響く。迷宮より出でし怪物、空を目指す。叫声は迷宮の導き。時満ちれば孤島となり、溢れし絶望は、全てを無に還す。怪物の名をマンティコア、望みは天上にあり"じゃ!」
アルは頭の中でゆっくりと咀嚼するが、理解が追い付かない。
残りの二人もそうだ。いまいちピンと来ていない。
「良いか!?
怪物は空、つまり上の階を目指しておる!叫び声は迷宮の導き、つまり普段は通れぬ階段を通れるようにする合図…!時が来ればこの街は孤島となり………」
「………溢れし絶望は全てを無に還す」
「溢れる………?一体何が溢れるって言うのよ?」
「階段が拡がった階は、魔物が上がってきてた………」
「今までの悲鳴は十四回。三回の時点で十二階まで来てて、そこから十一回分の悲鳴があったってことは………」
「一層………まで来てるのか?」
「そうじゃ!あと一度の悲鳴で、ダンジョンの入り口が開く!マンティコアを含めたダンジョンの全ての魔物が溢れ出してくるぞ!住民の避難と全冒険者をダンジョンの入り口へ………」
かたかたかた…
一同の視線が、部屋のある一点に吸い込まれた。
何だ………?棚のティーセットが揺れてる…?
"ギギギギャャャァァァァァァァアアアアア"
無慈悲に、その叫声はクープの街に響き渡った。




