54話 迷宮主
このタイミングで………。
そう思わずにはいられない。
十一層まであと少しと言うこの場面で、待ち構えていたかの様にそいつは現れた。
巨大な蜘蛛だ。蜘蛛ならアラクネを何百と倒したが、スケールが違った。アラクネが赤ちゃんサイズに思える。
全身をびっしりと黒い短毛で覆われたその体長は、五メートルもあるダンジョンの通路を塞ぎそうな程に大きい。ここにいる冒険者全員がすっぽりと収まりそうな巨大な腹に、そこから伸びる鋭利な脚が八本。脚の先はかなり鋭く、立っているだけでダンジョンの床を砕いている。
通常の蜘蛛の頭がついておらず、頭部分から人間の上半身の様な物が生えていた。その顔面には目が横に八つ並んでいる。
控えめに言ってもかなり禍々しい姿だ。
「殺るしかない。妾達は逃げ切れるじゃろうが、後ろが無理じゃ。何か知らんがかなり殺気立っておる様じゃしの」
「彼等だけでも先に行かせる?」
「いや、今のあやつ等で無事階段までたどり着けるかどうか怪しい所じゃ。一緒におった方がよかろう」
アルは後ろで立ちすくむ集団に向かって叫ぶ。
「とりあえず五分下さい!後ろから別が来たら任せます!時間を稼いでください!」
アルは迷宮主に向き合うと【鑑定】を使った。
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名前:アラネア・ダンジョン
Lv:30
スキル:【物理攻撃上昇Lv2】【物理攻撃耐性Lv2】【魔法攻撃耐性Lv3】【自然回復Lv3】【筋力上昇Lv3】【素早さ上昇Lv3】【体術Lv2】【硬質化】【視野拡張】【威圧】【裁縫Lv5】【気分屋】【臆病】【逃げ足】
武器:なし
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ステータスからは特殊な攻撃方法は見つからない。
しかしアラクネと同様に粘着性の糸を出してくる可能性はある。【臆病】とか【逃げ足】とかがあるのを見て、今回も逃げてくれないかな、等と希望的な感想を抱いてしまう。
しかしシオンの言う通り、アラクネは何故かかなり殺気立っていた。まるで闘牛の様に後ろの脚で地面を掻いている。
「来るぞ…脚から削るのじゃ」
少し屈むと、一気に突進してくる。八本の鋭い脚でダンジョンの床を砕きながら、猛烈な脚運びで衝撃的に気持ち悪い。
アルは全力で【威圧】を発動しながら、突進を横に転がる。
すぐに転がり起きると身体を回転させながら一番後ろの脚を斬りつける。
「ぐっ!」
「ぬっ!」
二人の苦しい声が漏れる。まるで金属同士が衝突するような激しい音を二つ、ダンジョン内に響かせる。アルの短剣は、アラネアの後ろ足を弾いただけだった。
アルと反対側ではシオンが同様に後ろの脚をナイフで狙った様だ。
一瞬ぐねりと曲がった脚だったが、再び向き直った時には全く負傷していない様子だった。
「硬いの。【硬質化】のスキルか。まだ【斬撃】の方が入りやすいであろう。遠慮なく使え」
「らじゃ。シオンは?」
「妾は力で持っていく」
今度はこちらから攻める。
巨大で不気味なアラネアの正面に立つと思うと、腰が引けそうになるが、こちとら時間がないのだ。とにかく全力で削っていくしかない。
アルの接近に対してアラネアの八つの目が光った。前の二本を振り上げては、上から突き下ろす。今まであまり経験のない真上からの攻撃だ。鋭利な脚が霞む様なスピードで頭上から襲いかかってくる。
しかしアルは、二本を使って連続で打ち下ろされる脚をたった一歩で躱していく。まるで、"躓きそうな木の根を跨ぐ"が如く、アルにとっては難しいことではない。
"空間把握"を入れれば、頭上からの攻撃とて認知できる。そしてその攻撃はその速さと鋭さ故に直線的。
アラネアが攻撃が当たらない事に苛立ち始めた頃、反撃に出る。突き下ろされる脚に【斬撃】でダメージを与えていく。【硬質化】の影響か、【斬撃】を使っても一度で断ち斬るのは難しい。
それでもダメージはダメージだ。振り下ろされる脚の同じ高さに何度も何度も【斬撃】を入れていく。
五、六度でかなり傷が深くなった。あと一押しで断ち斬れると言う所で、【瞬間加速】を使ってバックステップ。後ろに下がるとすぐにまた【瞬間加速】で距離を詰める。
不可解な行動に疑問を持つアラネアに、特大の【雷】が突き刺さった。アラネアを襲うのは、全身が焼けるような痛みと、そして致命的な硬直。
「だりゃああぁぁぁぁ!!!」
数瞬遅れて、最高速度からの二連【斬撃】。アラネアの右前脚を半ばで完全に粉砕した。
甲高い悲鳴の様なものがアラネアから発せられる。そしてその直後に、アラネアが立ち上がった。いや、まさか二本脚でバランスをとっている訳ではない。後ろ側の脚四本で器用に体重を支え、前の四本を浮かしている。そして前方から二列目の脚二本も攻撃に参加してきたのだ。
砕かれた一本を除いた、三本の脚がアルを襲う。先程より明らかに余裕が無くなるが、短期決戦は臨む所。
アルも全力で迎撃する。まさに正面切っての殴り合いだ。一撃でももらえばその直後にはアルは串刺しだろう。しかしそんな命の駆け引きなど、今となっては怖さもない。
放出されるアドレナリンに身を任せ、身体を加速させる。瞬きの間に繰り出される三本の死を掻い潜りながら、【斬撃】での斬り傷を深くしていく。
脳が加熱する。身体が加速する。
アルは笑っていた。楽しくてしょうがない。もっと来い。もっと早く。もっと鋭く。全部躱してやる。一本残らず砕いてやる。
しかしそんな楽しみが終わりに近付いている事にも、アルはしっかりと気が付いていた。
「二人だけで楽しむでない」
その声は、アラネアの後方から。シオンが後ろ脚を一本もぎ取っていた。
アラネアがバランスを崩す。
その隙に頭から伸びている人型の部分へと斬りかかる。
【斬撃】での二連撃は、【硬質化】した腕に止められる。不意打ちが決まったと思ったが、【体術】もそこそこだ。
「何か変じゃ!一度離れろ!」
「いや!このまま落とそう!」
脚を三本無くしてバランスを崩したアラネアを追撃する。
まともに立てていない程だ。上半身を二人で攻めればあっという間にかたがつくはずだ。
「待て!アル!……………下がれ!!!」
シオンの声に、咄嗟に身体が反応した。アラネアに猛攻をかけようとした直前で踏み止まり、すぐに後方へと跳びずさるが、遅かった。
「うぐぅっ」
無数の棘の様な物が、飛来する。短剣程の大きさもあるそれは、アルの右脚と左肩に深々と突き刺さった。
すぐさま棘を抜き、回復薬を取り出してかける。
「傷の深さは?」
「大丈夫。少し動きにくいけど。出血はそうでもない」
今の攻撃は何だ?アラネアは糸じゃなく棘を出すのか?
巨大蜘蛛のお尻から棘が猛烈な勢いで撃ち出されるとんでもない映像が頭を過るが、それはすぐに間違いだと否定される。
「アラネアが………」
何故なら、その棘はアラネアにも刺さっていたからだ。と言うよりアルの方に流れてきたのは僅かで、ほとんどはアラネアが盾になっていた事が分かる。今や棘だらけの大蜘蛛は、ハリネズミに見えるほどだ。
アラネアがダンジョンに取り込まれ始めた。あの棘で息絶えたらしい。
そして取り込まれる巨体の奥から、違う影が姿を現す。
ダメージを負っていたとは言え、アラネアを一瞬で倒す程の力を持った魔物。
「こいつか、妾がずっと感じていた奴の正体は」
そいつはアラネアに負けず劣らずの巨体だった。しかしその身体から発せられるプレッシャーはその比でない。
四足歩行の巨獣。ほとんどは獅子の容貌だ。ただその尾だけが違う。尾の先はぷくっと膨れており、先程飛来した棘がびっしりと生えている。悠然と歩み寄るそいつは、一本一本がシオンの身長ほどもある牙を剥き出しにして、その獰猛さを隠そうともしない。
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名前:マンティコア
Lv:36
スキル:【物理攻撃上昇Lv3】【魔法攻撃上昇Lv2】【物理攻撃耐性Lv3】【魔法攻撃耐性Lv2】【筋力上昇Lv1】【素早さ上昇Lv1】【威圧】【咆哮】【猛毒】【器用】
武器:なし
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「こいつが………」
「マンティコア………!」
アル達の背後で、一人の冒険者が息を飲むのが聞こえた。
しかしそちらには構っていられない。こいつのレベルは36。恐らく万全のアルとシオンでさえ勝てない。
「まずいの…。これは逃げるしかあるまい」
「そうだね。でも彼等をまずは逃がさないと。僕がなんとか殿を務めるから、シオンは皆を先導して」
アルが腹を括った時だった。
「"土よ。その恵みを以て哀…」
静まり返ったその空間に、突如詠唱が響き渡る。
アルも思わず後ろを振り返ってしまう。そこには鬼の形相で魔法を詠唱しているジュリアがいた。
「まずい!!!」
シオンの言葉にアルも我にかえる。正面を向き直ると、マンティコアの視線がジュリアへと吸い込まれた瞬間だった。
アルはジュリアへと走り出す。
まだ治癒が始まったばかりの脚を叱咤して、なりふり構わず走った。
背後で生じた大地の揺れが伝わってくる。
ジュリアのもとに到達したのは、マンティコアと同時だった。
「【盾】ッ!」
大量の魔力を込めて発動した防御魔法は、マンティコアの牙を受け止めた。生臭い息だけが突き抜けて二人の髪を凪ぐ。
ジュリアを後ろに庇った瞬間、マンティコアの前脚での薙ぎ払いを喰らう。爪は両手の双剣で防いだが、衝撃は到底止められず、二人して弾き飛ばされた。
すぐに起き上がり、マンティコアへと向き直る。ジュリアが攻撃をもらえばそれこそ一撃で即死レベルだ。片腕と片脚を引きずってでもやるしかない。
マンティコアが【盾】を噛み砕いた。
しかしこちらへと向かってこようとした所で、真横に数メートル弾かれる。シオンの飛び蹴りが横っ面に入ったのだ。しかしシオンの全力蹴りを完全に不意打ちで入れても、倒れもしていない。圧倒的な身体能力。
「小娘を連れていけ!お主もその傷では邪魔じゃ!」
「マンティコアァッ!絶対ここでッ仕留める!」
「ジュリア!今は無理だ!退くしかない!」
杖を振り回しながら狂乱するジュリアを、アルは無理やり抱え上げる。
その時、アルの足元がぐらりと揺れる。
視界も少し回り始める。まずい………これ、毒か。
今の爪か?それともさっきの棘、あれに毒がついてたのか?
「シオン!毒があるかも!」
そう叫ぶが、横目でシオンが弾き飛ばされるのが見えた。
ダンジョンの壁に埋もれる程の衝撃。しかしすぐに立ち上がりマンティコアへと飛びついていく。あのシオンでさえ、一秒一秒が命懸けだ。
「走れ!!!逃げろ!!!」
アルは自分も走りながら他の冒険者を声で急かす。
幸い、他の魔物は現れていない。階段までの最短コースはマンティコアの向こうだ。迂回して行くしかない。
後ろでシオンもついてくるのが見えた。
マンティコアを背にして、時折攻撃を避けながらなんとかついてきている。アルは【保管】から以前に買っていた解毒剤を取り出して煽る。眩暈に加えて頭もくらくらしてきた。
「まずい!前方に敵だ!」
誰かの声。見ると前方にデュラハンとナーガが一体ずつ現れる。
担いでいたジュリアをダンさんに投げ渡すと、デュラハンの目前に【盾】を創り、ナーガをデュラハンの方に力ずくで蹴り飛ばして、もう一枚【盾】を創って二体を閉じ込める。
「行け行け!!」
あまり長くは持たないが全力ダッシュで通り過ぎるくらいは出来る。後ろではシオンがまたも前脚で弾き飛ばされるのが見えた。それに立ち止まりかけるが、シオンがすぐに復帰した事から先を急いだ。
下手に止まると、その分シオンが危ない。
先程から考えたら不思議なほどに魔物が付近に少なかったため、一行はノンストップで走り続けた。
「あれだ!階段だ!!!」
先頭の冒険者が叫んだ。
確かに階段が見える。その階段は下の階層のそれらと違って広くなってはおらず、マンティコアも追ってこれない。
直線で二百メートル程か。
「棘じゃ!」
シオンの苦しそうな声だ。
振り返るとマンティコアが尻尾を鞭のようにしならせているのが見えた。その先にびっしりと生えている棘が通路を埋め尽くす程に飛んで来る。
「【盾】ッ!」
ありったけの魔力を込めた【盾】は通路の大半を覆い、なんとか冒険者達を棘から護った。
大量の魔力を一度に消費した事で目眩が生じるが、アル自身もなりふり構わず階段へと走る。
階段の直前まで来て後ろを振り返るが、シオンが来ていない。遠目に、マンティコアと混戦になっているのが見えた。
「メッツさん!メッツさんはどこですか!」
「ここだ!どうした!?」
「手を貸してください!」
アルは魔術師であるメッツさんに手短に作戦を伝えて階段の下に待機させると、【保管】から、ある魔物の素材をありったけ取り出した。
アラクネの粘着糸でそれらをぐるぐる巻きにして固定する。それを見てメッツさんも自分が何故呼ばれたか理解した様だ。
「一発でいいので!合図したら!」
アルはそれをまた【保管】に納めるとシオンの元へと走り出す。彼女はぎりぎりで均衡を保っていた。
恐らく背後からの攻撃を避けながらと言うのも限界にきていたのだろう。
「シオン!離れて!」
「む!」
「【斬撃】!」
放った瞬間に嘔吐しそうになるほどの気分不良が襲う。
魔力切れだ。まさに最後の一撃。特大の【斬撃】がマンティコア目掛けて飛んでいく。
そしてそれはなんと幸運にも、マンティコアの左目に直撃した。
「早く!」
シオンと合流し、階段へと疾走する。
疾走と言っても速度はほとんど出ていない。二人とも満身創痍だ。毒と魔力切れで目が回る。脚に力が入らない。
階段でメッツさんとベルモンドさんが必死に呼んでいた。しかし二人の顔が急に青ざめる。
「後ろ!!!」
マンティコアが暴れていた。
尾を振り回し、四方八方に棘をバラ撒いている。
そしてその棘が真っ直ぐこちらに。
避けられない。
ドンッ。
横から押された。
押したのはシオンだ。
………何で。
何で、シオンの方がびっくりした顔してるんだよ。
【筋力上昇Lv5】の力で弾かれながら見たのは、シオンがとんでもない量の棘に埋もれていった光景だった。
壁に叩き付けられたアルは床に這いつくばり、動けない。
肺から空気が全部絞り出された感じだ。
目の前には床を埋め尽くす程の棘が見えた。
あの量は避けられない。
アルの心を絶望が染み渡っていく。
指先一つ動かせなくなってしまう。
棘山の中からシオンの銀色の耳が見えた。
しかし何だ?何時もより小さい気が…?
その時。耳がひょこひょこと動いた。
違うあれは…!
アルは立ち上がった。
無理やりに空気を取り込み、身体を動かす。
棘だらけの中から、シオンを拾い上げると、必死に階段を目指す。
「まったく…!死んだかと思ったよ!」
「何故妾がお主のために死なねばならんのじゃ」
ミニシオンの姿となった彼女が、アルの両手に爪を立ててしがみついていた。
憎まれ口が聞けて嬉しい。そんな事は口には出さないが、安堵が身体中を駆け巡る。
「まだ来てるぞ!」
マンティコアだ。まだ追ってくる。しつこい。
アルは【保管】から、先程アラクネの糸でぐるぐる巻きにした物を落とした。
そして必死に走る。
階段では、メッツさんがこちらを見ていた。
マンティコアが近付いてくる。
アルはメッツさんに親指を立てて見せた。
「【火球】!!!」
アル達とすれ違う様に、メッツさんの放った【火球】は後ろへと向かう。
そして着弾する。
糸で束ねた数十のヘルハウンドの"火炎袋"に。
爆風と熱風がアルとシオンを階段まで弾き飛ばした。
アルはシオンを胸に抱え込む。
上下も分からないほど揉みくちゃに飛ばされたが、衝撃は思ったほど無かった。ベルモンドさんとメッツさんが受け止めてくれていたのだ。
目を開けたら、そこは既に十一層だった。アルの意識は、そこでぷつりと途絶えた。




