53話 脱出
アルは構えていた双剣を鞘へと納める。
迷宮主の部屋へと足を踏み入れたのは二度目だったが、以前と比べてその異変は明らかだった。
「迷宮主がいないなんてこと、有り得るの?」
「まぁ現におらんのじゃ」
その部屋はアルテミスの時と同じくかなり広い部屋だったが、見事に迷宮主は消えていた。何の痕跡も残ってはいない。
「まぁ考えられるとしたら、誰かが倒した直後。ってくらいでしょうね」
「あぁなるほど。確か一時間くらい現れないんでしたっけ?」
「そうだ」
アル達がここに来る一時間以内に誰かが倒したと言う可能性。
あり得なくはない………けど。
「可能性は低いな。俺達以外で迷宮主を倒せるようなパーティは今はクープにいないはずだ。それに俺達は階段から階段の最短を真っ直ぐに来た。その道中で誰も会わなかったのもおかしい。基本的には迷宮主と闘った後は真っ直ぐ帰るからな」
ベルモンドさんのパーティメンバーの魔術師が言うことももっともだ。このダンジョンには帰還結晶が無い。迷宮主を倒した帰路も徒歩なのだ。
「となると………」
全員はアルの呟きとともに後ろを振り返る。
そこには不自然に拡張された階段がある。ここにいる誰もが恐らく気付いていたが、口にするのを避けていた可能性を指摘せざるを得ない。
迷宮主がダンジョン内を彷徨いているという可能性に。
「まずいな………。早く戻って知らせよう」
その時、再度悲鳴が轟く。
やはりこの音の発生源はダンジョン自体だと、理解した。音は三百六十度から生じ、部屋中に反響してびりびりとアル達の身体を震わせる。
「くそが!いつ聞いても嫌な音だぜダンジョンの中だと余計にうるせぇな。おい!さっさと撤退だ!何が起こるか分かりゃしねぇ!」
ベルモンドさんの言葉には微かに焦りや不安が感じ取れるが、それはこの場の全員の心情を代弁していた。
アル達はすぐに階段を登り、残っていたパーティに事実と可能性の話を伝えた。
「迷宮主がうろついてる!?」
「冗談じゃねぇ!」
「この階層の雑魚だけでもやべぇってのに!」
「はや、早く逃げねぇと…!」
「おめぇら!!!うるせぇぞ!!!」
ざわつく調査隊を一言で黙らせたのはベルモンドさんだった。
ビリビリと空気が震える程の声で一喝。調査隊は静まり返る。
「迷宮主がわざわざ出てきてくれたんだ!恐らくこの人数で相手しても二体目が出てくるこたぁねぇ!こっちには人数の利があるし、二人だけで倒せるなんて言うガキもいるんだぞ!?なにビビッてやがる!迷宮主を獲れるチャンスと思え!」
「おぉ…確かにそうだ!迷宮主と言えどこの人数なら怖くねぇ」
「全員で魔法ぶっ放せば余裕じゃねえか?」
ベルモンドさんの言葉で冒険者達の士気が変わり始める。
「それに一番あぶねぇのは俺達じゃねぇ。俺達以外にこのダンジョンにいるやつ等だ!それなら俺等が殺らねぇといけねぇぐれぇだろうが!」
「そ…そうだ!俺達が倒さねぇと被害が出るかもしれねぇ!」
「こんなに早く迷宮主を倒せるなんざラッキーだぜおい!」
「迷宮主狩りだああ!!」
傾き始めた調査隊の空気を、見事に変えてみせた。
ここの連中が彼に頼る理由も分かる気がする。彼には冒険者の使命感や、魂を揺さぶられる。それは彼の根底が善人だからに違いない。気付けばアルも他の冒険者に混じって叫んでいた。
「よっしゃあぁぁぁ!最短ルートでダンジョンを抜けるぞ!野郎共ォォォッ!!!」
「「オオオオオォォッ!!!」」
………あれ?
「あの…迷宮主を探して倒すんじゃ?」
調査隊が意気揚々と準備する中、こそっとベルモンドさんに話しかける。
「あ?俺達の目標は悲鳴の原因を探す事だ。倒すことじゃねぇ。まずはこの異常事態を上に知らせる事が先決だろうが」
ベルモンドさんはちゃんと冷静だった。
あんなに熱く皆を鼓舞してたのに、自分だけは何が優先なのかをしっかりと分かっている。こう言う所はアルも見習わなければならない。
こうして調査隊は迷宮主を探しつつ、最短での帰り道を行く事になった。
しかし敵は迷宮主だけではない。十四層、十三層で現れる魔物達もかなりの脅威である。疲れが出始めているのか全員の動きが多少鈍い。アルとシオンも援護に奮戦するが、ごろごろと怪我人が出始めた。
「脚がっ!脚がああぁぁぁ!」
「そいつこっちに下げろ!」
「お前も手伝え!」
「正面デュラハン二体追加!」
「後方からナーガとアラクネ二体ずつ!」
「早くしろ!引きずっても構わねぇ!」
「デュラハンは僕が!シオンは後ろお願い!」
「ジュリアも後ろ援護してくれ!」
「ドム!おめぇもアルの前で盾役してこい!」
「あいよ!ダン兄!アルの兄貴!お供します!」
「ソーサラ―!まだ魔力残ってる奴は!」
「魔力がねぇなら杖で殴れ!」
「剣が折れちまった!」
「デュラハンの板金でも盾にしてろ!」
「くそ!なんでこんな次から次へと!」
「こいつら、普段より凶暴になってるぞ!」
「そこ気つけろ!粘着糸あるぞ!」
「誰か回復薬か精神回復薬残ってねえか!」
「僕まだ!何個か!持ってます!けど!」
「アルフォンスとシオンは自分達に使え!」
「お前等がいねぇと壊滅だ!」
「炎の息吹注意!」
「あちぃぃぃ!息吹の向きくらい誘導しろ!」
「まずい!横道からもマンティスだ!」
「そちらは岩で閉じますわ!下がって!」
「まずい!ナーガの奥から追加でアイアンパペットが五!」
「小娘!パペットじゃ!」
「分かってますわ!こっちが先よ!命令しないで!?」
「嬢ちゃんいいぞ!また吐くんじゃねぇよな!?」
「な!?それは言わないでと言っているのに!」
「前デュラハン完了!」
「アルフォンス!そのまま前方の索敵と迎撃!」
「ダンとデグもアル様を援護して!」
「岩壁破ったマンティスが追ってきてるぞ!」
「後ろは妾と小娘でどうとでもする!とにかく進むのじゃ!」
「聞いたなぁ!?進むぞお前等!!」
「まだ脚が残ってる奴は自分で歩け!」
「魔力切れてる奴は脚がねぇ奴おぶれ!」
「とにかく前に進め!」
「十二層の階段までもうすぐだ!踏ん張れ!」
「「「「「「「「進め!!!」」」」」」」」
怒濤の時間が続く。
既に一時間が経過しているがまだ十三層だ。
動ける人員が少ないと言う事もあるが、明らかに往路より魔物が多い。戦闘中に次から次へと現れては向かって来るのだ。
アルは部隊の先頭に立ち、来る敵を双剣で刻み続ける。数が多い時には"空間把握"も入れながら、がむしゃらにではなく、努めて冷静に最小限の動きで対応する。
まだ先は長い。ここで無理をすれば最後まで持たない。考えろ。最小限の動きを。最適な倒し方を。様々な魔物の行動パターンを組み合わせながら、その隙間を縫いつつ削っていく。前からやってきた事だ。
「その角を左だ!」
後ろから地図を持った冒険者の声が聞こえてきた。
デュラハンを十秒程で始末し、ダンさんとデグさんが相手にしていたマンティスとヘルハウンドを背後から斬って捨てると、先陣切って左折する。
見えた!
十二層への階段だ。全ての魔物が混在して出現するのは十三層以降。十二層はデュラハンとマンティス、モスキートに限られるので、まだ対処としては楽に決まってる。
そして階段の目の前まで到着すると、先に他の冒険者を上階へと上げた。ダンさんとデグさんを始めとして怪我人やそれを背負った冒険者達が階段を通り抜けるのを見守る。
横道から現れる魔物達の迎撃も忘れない。
「アルフォンス!何人通った!」
「あとベルモンドさん達とシオン、ジュリアで全員です!僕はシオンと残りを掃討して上がります!先に!」
最後尾は壮絶だった。
シオン一人対ヘルハウンド五体、アラクネ四体、ナーガ二体、カーティス三体、マンティス四体、アイアンパペットとモスキートは合わせて十五体はいる。
あのシオンでさえ苦しそうな顔をしており、身体中に傷を負っていた。ジュリアが魔法を撃ち込んでいるが、焼け石に水だ。
「ジュリア先に上がって!」
「でも!」
ジュリアの返事を聞かず、"空間把握"のスイッチを入れた。
双剣を構えて魔物の群れに突貫する。
今までにない程の魔物の量に、脳の処理がギリギリだ。神経回路が焼けるのではないかと思うほどの情報量を、無理矢理回転させる。
シオンから半数の魔物の標的を奪い取りながら、アルは縦横無尽に剣を振った。シオンにさえ当たらなければ、あとは何を斬ろうと敵だ。
斬れ、避けろ、回れ、跳べ、転がれ、躱せ、刺せ、斬れ、斬れ、斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ斬れ!
身体に増えていく傷すら快感に感じるほどアドレナリンが溢れる。アルの周囲には【斬撃】の黒い残滓が舞い踊り、敵の視界を奪うまでになっている。そんな中でさえアルの動きは失われない。
数十秒だったのか数十分だったのかさえ分からなくなるほどの濃縮された時間の後、アルとシオンは死屍累累の中に立っていた。
お互い装備はボロボロで、傷だらけ。そんなシオンを初めて見る。
「ハァ……ハァ……やっぱり、………たまにはこういうのも必要だよね?」
いつかの彼女の言葉をそのまま返す。シオンは力無く笑った。
「お主を頼ったのは、始めてじゃの」
アルは鼻血が出ているのに気がついた。どこかにぶつけたか?いや、きっと脳を酷使しすぎたのだ。
「皆が心配だね、急ごう」
血をごしごしと拭くと、シオンの手を取り、階段を登った。
「アルフォンス、シオン!おめぇ等、あれ全部倒してきたってのか!なんつう奴等だ!回復薬は!?」
「階段上がってくる間に飲みました。状況は?」
怪我人を始めとしたほとんどがそこに座り込んでいた。場所は階段を含めると四つ角の真ん中。
ここにいないのは、ダンデグドムの三兄弟だ。
「とりあえず休憩中だ。三兄弟にはそれぞれの道から魔物が来ねぇか見てもらってる所だおめぇ等も少し………」
ベルモンドさんが言葉を切ったのは、誰あろうその三兄弟の一人、デグさんが走って戻って来たからだ。
「敵か!?」
息を切らしてやって来たデグさんは激しく頷いた。そして衝撃的な一言を放ったのだ。
「あと一分そこらでこっちに来る!カーティスだ!」
その言葉を聞いた全員が凍り付いた。
………カーティス?カーティスだって?マンティスの間違いじゃ?
そして反対側からもどたばたと近寄る音がする。ドムさんが蒼白な顔をして、息を切らしながらこう言った。
「アラクネとヘルハウンドがこっちに来てる!」
「どういう事だ!?ここはもう12層だぞ!?どいつもこいつもこの階には出ない魔物ばかり……………まさか!?」
ベルモンドさんが階段を振り返る。
全員がそれに習いそちらを見るが、理解が追い付かない。
しかし目が放せない。なんだ?何か違和感が………?
あっそうか………いつもより大きいんだ。いやでも、確かさっきここを通った時は普通だったはずだ。
「まさかさっきの"悲鳴"に合わせて大きくなった………?」
「しかもこれを通って下の魔物が、階層を移動してる………ってのか?」
全員が言葉を失う。
あと一分で敵が来ると言うのに、誰も動こうとしない。心が折れかけている。魔物の混ぜられた階層を、あと一階分も行かなければならない。ここまでの二階層だってアイテムを使い果たしてやっと辿り着いたのだ。
"無理だ"。そんな言葉が頭を過っている。
「俺ら怪我人は足手纏いにしかならねぇ。俺達を置いて「仕方ない。もう戦えぬものはここで装備を捨てていけ。そしてまだ戦えるくらい元気のあるやつは怪我人をおぶれ」
「え?」
「ん?装備くらいまた買えば良かろう」
「え?」
「ん?なんじゃ?」
片脚の魔術師が決死の覚悟で何か言おうとした言葉を押し退け、シオンが早口に指示を出した。しかしそれは皆がぽかんと呆気に取られる内容だった。
「おぶれ………って?」
「進む道はアルと妾で作る。全員で全力で走ってついてこい。走れない者は元気な者がおぶるのじゃ」
まぁそれしかないよな………全員が生きて帰るには。アルもシオンの提案に納得する。
「走るったって………横や後ろからだって敵は来るぞ?戦える奴まで減らしてどうするんだ………?」
「後ろの奴からは必死こいて逃げるのじゃ。全力疾走できるくらいの道は開けておく。前は妾とアルで最速で処理する。
後ろの敵が追いついて来たら来たでその時考える。どちらにしろここにおっても状況は変わらんじゃろう。お主等は走ってついてくるだけで良いのじゃから早う準備せい」
誰も逆らおうとはしなかった。先程までも殿で十数匹の魔物を一人で相手していたのだ。その小さな身に宿す力は皆の知る所だろう。
「アル。あと一層分じゃ。いけるなら二層分。そこまでで魔力を使いきるくらいの気持ちでいけ。【保管】の中の物も戦闘に使えそうな物だけにしておけ」
「わかった」
「おい!準備できたぞ!」
「遅れたら置いていくからの!」
全員が走れる体制になった所で、一団は走り出した。アルとシオンが先行する。
ステータスでも飛び抜けている上、他の冒険者は怪我人を担ぎつつ走っているため、その差は大きく開いていく。
「おい!早過ぎるぞ!」
「曲がり角にはアラクネの糸を目印に着けておく!とにかく全力で走ってついてこい!」
後ろからの声はきっとベルモンドさんだ。
距離が離れているのは分かっているがそれでもアル達は先行する。
「左!ナーガが二体!左をやる!」
【保管】からアラクネのドロップアイテムである粘着性の糸を取り出し、後続の目印として壁に貼りつけながら角を曲がる。
ナーガは目の前にいた。
二人同時に【瞬間加速】を使い一気に距離を詰める。右側のナーガの首を【斬撃】で断頭する。少し余計な魔力を必要とするが、これが一番早い。
隣ではシオンが珍しくホワイトサーベルタイガーのナイフを使い、アルより一拍遅れて止めを刺した。
アルとシオンが走り出したと同時に、後方の集団が角を曲がってくる。
「余裕があれば一撃で決めずとも良い!後ろの集団の速度を考えて出来るだけ魔力を温存するのじゃ!」
「了解!」
「次の角を右!マンティスが何体か!妾は左半分!」
角を右折すると、マンティスが二体とデュラハンが一体。
マンティス二体を任せて先にデュラハンを仕留める。加速して突っ込みながら、脳内でマンティス二体とシオンの動きをシミュレートする。
デュラハンの初撃は縦からの振り下ろし。横にマンティスが二体もいれば攻撃のパターンは限られると読んでいた。敵の数が多いからこそ行動が分かりやすくなると言う事もある。ここに来るまでに学んだ事だ。
タイミングを合わせて大剣を躱すと両手の【斬撃】で胸部分を横一閃。胸部分を大きく抉られたデュラハンはそのまま沈む。
すぐにシオンの援護。
マンティス一体を背後から斬りつける。こいつの首はかなり細い。普通の斬撃でも二連撃が入ればほとんど致命傷だ。
一体目は見事に致命傷。
二体目はこちらに気付かれた事で鎌で弾かれるが、そのうちにシオンが反対側の腕を圧倒的な力で切断。
再度アルが飛び付けば【斬撃】で首を飛ばした。
着地した時にはシオンが床でもがいている一体目のマンティスに止めを刺しており、角から後ろの集団がタイミングよく現れる。
また走り出す。止まらない。走っては倒し、走っては倒す。
魔物の行動を全て把握し、手玉にとる。
逃げる魔物は追わず、時には行動不能にして道端に捨て置く事もある。
双剣での戦闘が、アルが理想としていたそれにかなり近付いている事に、アル自身は気付かない。
思い通りに自分と、そして相手を動かす。
それにスリルと危険性を孕んだ享楽さえ感じる。
時間が経つにつれて、シオンの動きも手に取るように分かってきた。これは敵の動きを読むのとはまた違う。
二人の意識が混ざり合い、一つの思念となっているかの様な体験。まるで右手と左手の様に思考が溶け合っていく。
十一層への行程。
そのほとんどを十分程度で走破する。
流石にアル達二人も、肩で息をする程には疲れていた。常に全力疾走に近いダッシュと、最速での魔物の撃破。こんなペースで魔物を倒し回ったのは初めてだった。
しかしそこまで走り続けた二人の足が、同時に止まった。
後方の集団も少し離れて止まる。何故二人が走ることを止めたのか。
それを咎める者はいなかった。
ただ、二人の目の前に立ち塞がる試練を茫然と見つめながら、荒い息で空気を貪る事しか出来なかったのだ。
アル達の目の前にいるのは、本来こんな所では遭遇するはずの無い孤高の存在。
迷宮主が、調査隊の前に立ち塞がった。




