49話 罠
とんとん――――――――とんとん。
ジュリア・アレクサンドリアの毎日は、いつもこのノックの音で始まる。数秒前までは、確かにイケメンのおじさま騎士の腕に抱かれていたはずなのに。それが現実でないと知らされた衝撃がゆっくりと脳に染み渡る。
そして夢だったならばもう一度あの世界に戻りたいと言う切望も止まない。
とんとん。
薄目を開けると、目の前にはベッドの天涯。毎朝の、いつも通りの光景だ。
軽く寝返りをうつ。自身の白く細い腕が目に入る。冒険者になってかれこれ六年。もっと太く、逞しくなるかと思っていたが思ったようにはいかない。
それはそうだ。前線に立って剣を振るった事もなければ筋トレをしようと思った事もない。いつも後ろの方で呪文ばかり唱えているだけで、身体が鍛えられる訳もなかった。
とんとん。
もう少し寝ていたい気もするが、そろそろ起きなければならない。先程からメイドがひっきりなしに扉をノックしている。
「お早う、入って良いわよ」
扉に向かって声をかけると、扉の開く音と何人かの足音が慌ただしく部屋に響く。
「お早うございますお嬢様」
「お早うございますお嬢様」
「お早うございますお嬢様。朝食の用意が出来ております」
カーテンを勢いよく引かれれば夏の陽射しが肌を刺す。夏の暑さもピークは過ぎたが、それでも日光は朝寝坊を明確に咎めてくる。薄手の掛け物を取り上げられた所で、降参した。
メイドに手伝ってもらいつつ素早く着替えを済ませると、朝食の席に着く。テーブルには誰もいないし、食事も一席しか準備されていない。これは六年以上も前からの事だ。そのくせ、給仕の使用人だけは常に二人か三人いて、食べるのを黙って見守っている。この不自然な沈黙にすら慣れっこだ。落ち着きさえ感じてしまう。
朝食を済ませると、身だしなみを整え、いざ外出の準備が整った所で二階の一室へと向かう。その部屋はこの広い屋敷で最も明るい部屋だった。このクープへと引っ越してきた十年前に、そういうコンセプトで作られた部屋らしい。
入室すると、そこには窓の目の前に置かれた大きなベッド。
ベッドに身体を預けつつも、上半身を起こしている人物はこちらを見ると穏やかに笑った。伸びきった白髪にすっかり痩けてしまった頬。それでもその笑顔には溢れんばかりの優しさが見えた。
いつも通り、眼鏡をかけて本を読んでいる。
「おはよう。ジュリア」
「お早うございます、御父様!今日は何の本を読んでおられるのですか?」
ジュリアは務めて元気な声を出す。飛び跳ねる様な足取りでベッドへと飛び乗ると、御父様の真横を陣取った。
「ジュリア様、はしたのうございます」
横に控える執事にたしなめられるのも毎朝の事だ。御父様はベッドの横に置いてある瓶から包みを一つ出して中身を一つ口に放り込むと、何時ものように嬉しそうに笑った。
「今日はな、童話を読んでいるのだ。冒険者がドラゴンを倒す物語だ。実は子供向けの本なのだがな。懐かしくてつい手に取ってしまった」
「まぁ!御父様でもそんな本をお読みになるのですね!」
ジュリアの御父様。つまりアレクサンドリア伯爵家の当主、バートン・アレクサンドリアは、若い頃は冒険者の様に旅をしたこともあったらしい、貴族としては変わり者だった。
彼は恥ずかしそうにしながらもその本を置こうとはしなかった。
「ドラゴンを倒すなど。この儂にもついぞ叶わぬ夢だった」
「しかし御父様。ここでは二日に一度はドラゴンを見ておりますが、あれを倒せる者などおりませんわ。第一あんな高い所を飛んでいては手出しできませんもの」
「そうだな、確かに。ドラゴンが戦う気がなければ、我々は手出し出来んだろう。しかしいざ戦いとなれば、近付いて来ない訳ではない。ドラゴンが息吹を吐くために降下してきた所に魔法を当てて翼を使えなくしまうんだ」
「翼をですか?しかしドラゴンとはもともと魔法に強い耐性があると聞いておりますわ。可能なのでしょうか?」
「ドラゴンにも数多くの種類がある。それにより耐性は違うが、大抵のドラゴンは魔法に対して強い耐性がある。ジュリアの言う通りだ。しかし翼の付け根部分はかなり耐性が薄い。私達も前に」
「お嬢様。そろそろお時間ではないですかな?」
「ん?おぉっと………そうだったな。私の可愛い冒険者よ。頼んだよ。気を付けてな」
執事が急に話に割っていった事で、その部屋から閉め出される事になった。明るかった部屋の中とは対照的に、その廊下は暗い。
電気の一つもつければ良いのだが、残念ながら当家には財政的に少しずつ余裕が無くなっている。節約と言う言葉が使用人の間で使われるくらいには裕福ではない。
メイドから、既に一張羅となってしまったコートを受け取ると頭から被る。御父様が買ってくれた、雷鳥という魔物の羽で出来たコート。【魔法防御Lv4】が付与されているかなりの一品だ。それにダイアモンドのチョーカー。【致命傷回避Lv4】のスキル。これだけは必ず装備すると言うのが、冒険者になるための御父様からの条件。
「うっ。暑い………」
火で炙られているかの様な陽射しに思わず声が漏れた。フードを目の前まで引っ張り降ろす。もともとクープは高度が高いため、直射日光はかなり身体に悪いと言われている。
乾いた大地をブーツで踏みしめ、いつも通りにギルドへと向かう。
「あ」
「あ」
そこで鉢合わせたのは、例の少年少女二人組だ。
珍しい黒髪に細身の冒険者。成人とも言えない年頃、青年と言うべきか。そして彼の隣にはジュリアと同じくらいの年齢、身長、体型の獣人の女の子。そして何より悔しいのがその二人ともが皆の目を惹く程に見目麗しい事だった。
もちろんこの年齢の冒険者はここでは珍しいのもあるが、それを差し引いても彼らは異色。
特にジュリアが気になるのは、彼等のレベルだ。自慢出来る話ではないが、ジュリアはこの年代ではかなりレベルが高い方だと思う。この20レベル帯のクープの街に同年代がいないのが何よりの証拠だ。
一言にジュリアがここまで強くなれたのは、金の力だ。そう。高い装備、レベルの高い仲間。スキルだって半分は買ったものだ。そうして重課金のもと、ジュリアは強くなった。
そしてジュリアは現在、八層まで攻略済み。大金を注ぎ込んで、ここまで来るのに六年かかったのだ。それをこの二人は、最初こそ浅い階層で遊んでるかと思えば、一ヶ月そこらでジュリアと同じ所まで攻略してきた。しかも二人きりのパーティで。
正直言うと、すごい興味はあった。出来るものなら仲良くなって、いろんな話を聞いてみたい。この年代でしか出来ないような話だってある。
最初こそ失敗しているが、気軽に話しかけて謝れば、まだ関係修復は可能なはずだ。ダンジョンという共通の話題だってある。"今日もダンジョンに行くんですか?二人きりのパーティで八層を回せるなんてすごいですね!"
うん。良い。これだ。
言うのよ私!
「あら、また今日も二人で八層に?自殺願望?」
何なの私!!
頭で考えている事と口から出る言葉がまるで一致しないと言う不可思議がジュリア自身を苛む。アルと呼ばれる青年が頭を抱えて天を仰ぐ。ジュリアも同じ心境だった。
「妾達が死ぬとしたら背後から他の冒険者に襲われた時くらいかの」
「あ、あれはデュラハン一体に手こずっておられる様でしたので、手伝って差し上げたまでですわ。素直に礼が言えないのは育ちの悪い証拠ですわね」
先日の一件について、ジュリアの言い分は本当だった。あの時、ジュリアはアルを助けようと思って魔法を放ったのだ。
ばったりと出くわしたあのシーン。レベルはジュリア達よりも下だと思っていた二人。この人達があの階層にいるはずはないと思っていた。そして戦っているのは一人だけ。もう一人は詠唱もせず傍観し、その足元には回復薬の小瓶が転がっていた。
窮地に陥っているのだと思った。今にもデュラハンの大剣が、青年を両断してしまうと。こんな所で彼等を死なせたくない。
その一心でジュリアは魔法を放った。
人に当てない様に魔法を放つのは得意だった。なんなら冒険者になって以降、それしかしてこなかったからだ。
実際に青年の動きははっきりと見えており、一発目でデュラハンを無力化し、二発目で仕留めた。
感謝の言葉をかけられる。そう思っていた。しかし青年の顔を見てそうではないとすぐに解った。そして助けようと思ってした事だと伝えるのも、尖った言い方になってしまい………。結局謝罪も出来ずにいる。
「金で装備ばかり整えて技術もない小娘に、育ちがどうのこうの言われるとはの。どうやら体格に合わせて脳みそもちっこいみたいじゃ」
「もういい加減にしなよシオン。ダンジョンの中では冒険者は助け合わないといけないってリアムさんも言ってただろ」
「む!お主はまたそうやって女の肩を持つ!もう知らん!今日は別行動じゃ!妾は帰って寝る!」
シオンという女の子は、ぷりぷりと肩を怒らせて帰ってしまった。少年とジュリアで並んでそれを見送る。
またやってしまった………。一言謝れば良いものを。どんどんとややこしくなっていく。
「あの…。すみませんでした。なんかあいつも意地になっちゃってるみたいで」
「え!?あぁ、わ、私は悪くないからね!」
優しい言葉をかけてもらえた。それに内心喜んでいる間に、また憎まれ口が働いてしまう。そしてその次の言葉を待たずして、その場から逃げ出してしまった。
*
「あーあ………。マジ自己嫌悪」
今日のダンジョン探索は、いつも以上に気が乗らない。
「お嬢、今日は一段とおっかねぇなぁ」
「どうせまた誰かに突っかかって、一人で後悔してんだろ」
ダンジョンではジュリアと常に行動を共にしている大男三人組。
三兄弟で兄からダン、デグ、ドムと言う名前だ。一日幾らかの報酬を上乗せしてパーティを組んで貰っているのだが、ジュリアが冒険者になった時からなのでもう六年の付き合いだ。
最初こそ雇い主と雇われの関係だったが、ジュリアのレベルが追い付いてきた最近では友人の様な関係になりつつある。
「貴方達うるさいわよ。ほらデュラハンが来たわ」
三兄弟が剣を抜き、デュラハンと接敵。巨大な剣での一振りを、デグとドムが迎え撃つ。流石兄弟と言わんばかりの息の合ったタイミングで打ち出された二つの剣は、見事にデュラハンの一撃と拮抗して見せた。
止まった剣腕に、長男のダンが間髪入れず一撃を見舞う。
デュラハンの鎧はかなりの硬さで、物理攻撃耐性が高い。ダメージが入っているとしても僅かだろう。
ジュリアは敵対心により標的が三兄弟に固定されたのを確認してから、杖を掲げて魔法の詠唱を始める。
「"土よ。その恵みを以て哀れな者に大地の慈悲を"」
魔法の詠唱が完了する。その魔法は初級的な土魔法ながら最も精密な上に最速。使い慣れた、ジュリアの十八番だ。
デュラハンと揉み合う様に戦闘している三人の動きを見つめる事三秒。
「【土槍】」
ジュリアの頭上から放たれた魔法は、デュラハンに振り払われた長男ダンの脇をすり抜け、三男ドムの肩を掠め、見事デュラハンの胸に命中した。
その衝撃でデュラハンの動きが止まった所に、三兄弟が襲いかかった。倒れ込むデュラハンをタコ殴りにした所で、デュラハンはダンジョンに取り込まれていった。
「今日やっぱりお嬢、機嫌わりぃな………」
「あぁ………【土槍】。当たりたくねぇなぁ………」
ジュリアはそれを聞き流し、ダンジョンの地図を取り出す。
地図屋から買った最新の地図だが、上下階段の二ヶ所を結ぶ最短ルートに、毛が生えた様な程度の情報しかない。それをジュリア達は自分達で埋めていっている。その量としては広大なダンジョンのほんの僅かな物だが、それでもやらなければならない。
「さぁ、今日はこの左側を埋めるわよ!」
そこから二時間かけて、ナーガ四体、デュラハン五体、リザードマンの集団四つを倒した。行き止まりがかなり多くなっている事から、体感でほぼダンジョンの端までやってきた。
普段はあまりここまで来ることはない。迷うというリスクもあるし、他の冒険者が極端に少ないため何かあった時に助けを求められない等のリスクもある。
「せっかくここまで来たんだから、隠し部屋でがっぽり儲けるわよ」
ずんずんと進むジュリアに不平たらたらながらも、ちゃんとついてきてくれる三人。容貌は粗雑ながらも、三人とも良い男だ。そうでなければこんなダンジョンの誰も来ない様な所に一緒に来たりはしない。
ダンジョンの端に沿って曲がり角を曲がると、遠目にデュラハンが見えた。しかし様子が変だった。どうやらすでに戦闘体勢となり、デュラハンの向こう側にいる冒険者に突進して行っている様だ。
「こんな所に冒険者たぁ、珍しい」
「だな。俺達以外にも人がいるなんてなぁ」
その冒険者の影はやや細身ながらも、デュラハンの大剣と十分に打ち合っていた。しかも単独で。
物好きもいたものだ。デュラハンの鎧はまともに打ち合うにはかなり硬い。これは見物するにもそこそこ時間がかかるぞ………。
そう思ったのも束の間。冒険者の剣は易々とデュラハンの装甲を抉り、腕を落とし、あっと言う間に倒してしまった。
なんだろう、あの剣術は………?あの剣だろうか?きっとそうだ。恐らくあの両手に装備している剣がおかしい。デュラハンの鎧をあんなにもやすやすと断つなんて、どんな金属で出来ているのか。
ジュリアは、走って近寄る。誰が………?
いや、何となくだが予想はついていた。まさかあの影は。
しかしその冒険者は、デュラハンがダンジョンに取り込まれ始めたのを見るとすぐに、よりダンジョンの奥の方へと走っていってしまった。その速さもかなりのもので、血に餓えた猛獣の如く、次の獲物を探しに行ったに違いない。
ジュリアがその場にたどり着いた時には、すでに吐き出されたドロップアイテムだけが転がっていた。
単独で。しかもジュリア達の半分程度の時間でデュラハンを倒してしまう。そしてドロップアイテムは放置。広大なダンジョンの片隅で、まるで幽霊でも見たかの様な気分になる。
「な、なぁ、こっちに行かねぇか?」
ドムは先程の冒険者が向かった方とはちがう方向を指していた。
「おめぇまさかさっきの奴にビビってんのか?」
「ダン兄見ただろ?一人でデュラハンをゴリゴリ削ってたぞ?あんなん化け物に違いねぇって!そうでなくともこんなダンジョンの端の方まで一人で駆けずり回ってんだ。正気でねぇって!」
それは間違いない。ダンジョンのこんな所を一人でうろうろしてる様な奴は正気じゃない。
「そうね。確かに一理あるわ。無意味な接触は避けましょう」
そうして、四人は違う方向へと向かった。その道は、やけに分岐の無い一本道だった。道中でデュラハンを一体倒した。
「おいおい、ここまで来て行き止まりかよ?」
行き着いた先は壁だった。つまり、戻って先程の冒険者が行った道に行かなければならないと言う事だ。まぁ今から同じ道を行っても追い付くことはないだろう。
魔物が一掃されていたら話は別だが。
「ん?待てよ?これ………やっぱりだ!おい!こっちの道が当たりだったみたいだぞ!」
デグが何かに気付いた。突き当たりの壁に手を当てたかと思うと、次の瞬間にはその巨大な姿が消えた。
「デグ。お手柄ね」
ジュリアはデグに続いて壁をすり抜ける。後ろでは三人の中でも一番大柄なダンが苦労しながら抜けてくる声がする。
「ほほーう!こりゃ良いぞ!デカイ箱がある!」
ジュリアも抜けてびっくりした。大きな部屋の奥には、ジュリアがすっぽりと入ってしまいそうな程の大きさの箱があった。
三兄弟が宝箱に走り寄る。ジュリアも三人を注意しながら後を追う。
「ちょっと!罠かもしれないわよ!」
「わぁってるって!罠だとしても箱に触らなければ大丈夫なんだろ?」
「まったく………この部屋の大きさじゃどんな凶悪な罠が仕掛け」
ビキッ!!!
背後で鳴ったその音に、全員が足を止め固まった。