46話 ヴィーヴルの祝福
「ぐっ!【斬撃】!」
アイアンパペットの攻撃を右の短剣で弾き、別の奴の胴体を左の短剣で両断する。その間に脇腹を殴られた。その衝撃のままに横に転がるとさらに二体が眼前に迫っている。
およそ十匹の鉄人形に囲まれ、その鉄拳を必死に躱していた。
「【盾】!グフッ!【斬撃】【斬撃】っ!」
四、五発喰らいながらも、何とか全てのアイアンパペットを倒しきる事に成功する。荒くなった息を大きく吐いて呼吸を整える。
こいつらの鉄の拳はかなり痛い。骨折まではしていないが、五ヶ所ほど打撲傷となっただろう。もしかしたらヒビくらいは入っているのかもしれない。一応回復薬を一瓶飲んで、身体の動きを万全にしておく。
「ん………?この奥にまた何かあるぞ」
シオンさんの小さくて可愛らしい鼻がひくひくと上を向いている。こういう時はだいたい隠し部屋を見つけた時だ。なんでも宝箱の箱に使われている木や鉄の匂いがするらしい。
シオンの誘導についていくと、本当だ。また隠し部屋があった。行き止まりにみえるそこには、近寄ってみないとわからない様な通路がある。少し細めのその道に身体をねじ込みながら、中へと進む。きっとこの細い通路には、重厚な鎧や装備等は外さないと入れないようにする意味もあるのではないかとアルは睨んでいた。
六層でアイアンパペットを集中的に狩り始めてから十日程が経っていた。その間アイアンパペットからのドロップはほとんど拾っておらず、収入はゼロかと思われたが、実はそうはならなかった。
シオンが見つけ出す隠し部屋とそこに置いてあるお宝で、日々の出費分と、それにプラスしてお小遣いを作る程度は稼いでいる。もちろん宝箱から出る品はギャンブルと一緒だ。金か石かは分からない。
その隠し部屋はそこそこの広さだった。一辺が十五メートル程の四角い部屋。ここのダンジョンに来てからここまで広い部屋は初めてだ。宝箱は例のごとく部屋の奥に置いてある。
「これは………」
「うむ。何か出るであろうの」
広い隠し部屋には罠がある。それはアルテミスのダンジョンで十分に、嫌と言うほど味わった。あのヒュドラと戦った時の事はたまに悪夢として見る程に、アルの魂に焼き付いている。
アルとシオンは宝箱に近付く。宝箱に触れなければ罠は発動しない。
ビキッ!
………ハズだった。
部屋の中心まで来た所で、部屋の入り口の方から音がする。
振り返ると、ダンジョンの天井や床から、魔物が現れていた。アラクネと、アイアンパペットだ。合わせて二十体はいる。そして宝箱の方からも、カーティルが三体とスタンピードが一体現れている。
「これはまさか…魔物の巣窟!」
魔物の巣窟とはダンジョンの中に存在する魔物が群れている箇所の事だ。中級の冒険者が最も命を落とす可能性の高いと言われる罠。
同じ魔物ばかりの時もあれば、様々な魔物が入り交じっている時もあるが、今回は後者。
「これは………久し振りに命懸けの戦いになるのう」
隣でシオンが呟く。シオンが命懸けと言うのは珍しい。
それこそヒュドラと戦った時くらいしか、彼女の中では"命懸け"ではないらしい。
「今までと比べてかなり手厳しいんじゃない?まだ宝箱に触ってもないんだけど………」
「罠はダンジョンのレベルが上がる程に容赦ないものとなっていく。何にせよ今それに文句を垂れても仕方ない。右の短剣も鞘から抜け。双剣修行の第二ステップじゃ。右と左、交互に攻撃するのじゃ。良いか。"双剣"をしようと思うな。その段階までは至っておらぬ。"左右交互に片手剣をしろ"。
あと、早う"空間把握"を使わんと死んでしまうぞ」
"空間把握"。それはアルの切り札。
だがそんな事は言われなくても分かっている。だから既に"入っている"のだ。五感を限り無く研ぎ澄ました上で、さらには空気や魔力の動きまで感知する意識。今もアイアンパペットの関節部分が軋む音から、背後でカーティルがその巨大な尾節を揺らしているのまで解る。
アルテミスを出てから一ヶ月。常に自分の中で練習してきた。
今では十秒もあればスイッチを入れられる。
しかし意識的に切り替えられる様になったことで、多少の問題も浮き彫りとなった。どういった原理かはわからないが、どうやらこの状態は魔力まで徐々に消費しているらしい。加えてこれの最中は精神的にもかなり疲れる。魔力的には一時間が限界だが、それ以前の問題で精神的に三十分が限度だ。
左右の剣を交差させると、左の短剣で右の短剣の鞘を飛ばした。鞘がダンジョンの床に落下した直後。全ての魔物が動き出す。
最速で当たるのはアイアンパペットだ。この敵の中では最も機動力が高い。十体以上のアイアンパペットだが、半分はシオンに向かっている。
二体同時に拳が迫る。左で一つ受け止め、右の短剣で一体斬り裂く。久し振りに振った右の短剣は左手のそれよりも確実に鋭く、的確に魔物を両断する。
そんな動きの中でもアルの知覚は周囲の変化を捉えている。目の前の二体だけでなく、奥から来る三体、もっと言えば隣でアイアンパペットの脚を掴んで振り回すシオンや、背後から迫るカーティルまで全てを把握している。
故に、動きにも余裕ができる。どう動けば効率が良いのかが割り出しやすい。
右の短剣を外に振り抜いた所から、背後に迫っていたカーティルの鋏を左手で受ける。最近は受け止めきれていたはずが、そのまま弾き飛ばされた。
すぐに立ち直り、アイアンパペットの猛追を迎撃する。
「重心が右に流れておる!手だけで振るでない!もっと一撃ずつ丁寧にせい!」
襲い掛かる鉄拳と巨大鋏の隙間からシオンの檄が飛んでくる。その言葉を噛み砕きながらも、回避と迎撃に専念し、好機を待つ。
拳、拳、鋏、尾、糸、拳、鋏、拳、ムカデの突進。ここだ。
スタンピードの突進で敵の魔物もバラけた所で、攻勢に出る。
右脚に体重と回転を乗せ、左の短剣でカーティルの鋏を片方斬り飛ばした。その直後に襲い掛かるアイアンパペットを右手の【斬撃】で処理する。
時間にして十秒という短い時間。
十数撃もの攻撃を耐え忍んで、カーティルの足一本とアイアンパペット一体。ほんの僅かな成果だが、確かに削っている。こちらが手傷を負うまでにあとどれだけ削れるか。なんにせよスタンピードは最後だ。あの突進のタイミングを利用しない手はない。
視界を埋めつくす凶器、鈍器、毒刃。
滂沱となって襲い来るそれらに皮一枚の傷を負いながら、十数手の後の一手に命を掛け続けた。
*
「やっと地上だー!」
いつもより長く感じる階段を抜けた先、そこに広がる夕焼け空はより鮮やかに思えて、目を奪われる程だった。思わず倒れ込みたい気持ちをぐっと抑え、天を仰ぐ。
夏も本番と言った所で、陽が沈んでもかなり暑い。ダンジョンの中の方が涼しいくらいだ。
「大袈裟じゃの。まぁ、あれだけひぃひぃ言うとったらそれも仕方ないか」
「僕は逆に、何でシオンがそんなにけろっとしてるのか不思議で仕方ないよ」
魔物の巣窟の魔物全てを倒し終わった時には、アルはぼろぼろだった。魔力を使い切って気分不良をきたしていたし、精神面でもくたくたになっていた。言わずもがな、身体は傷だらけで糸だらけで毒だらけだ。
シオンは何ヵ所か傷を受けて息切れもしていたものの、アルのように満身創痍ではなかった。回復薬で傷を治した後、「やはり、たまにはこういうのも必要じゃの」と笑った姿を、アルは当分夢に見るだろう。良い意味でも悪い意味でも。
その足で今日も二人はギルドへと向かった。宝箱から出たアイテムの換金と回復薬の補充が目的だ。
「レベルアップ目安の二週間まであと三日?だっけ?」
「そうじゃ。じゃが今回はかなりの効率でアイアンパペットを狩っておるからの。もしかしたら明日くらいには到達するかも知れん」
冒険者ギルドは、今日も酔っぱらいで一杯だった。
一応、アル達は誰よりも早く、そして長くダンジョンに居る。かなりストイックに活動している方だ。そのため、たいてい冒険者ギルドに来る頃にはほとんどの冒険者が既に出来上がっていた。
絡んでくる酔っぱらいを殴りながら、シオンは真っ直ぐシャルロットさんの所へと向かう。殴られるのが日課になりつつある冒険者達は、何故か嬉しそうに気絶していく。
「シャル。またアクセの買取を頼むぞ」
シャルと呼ばれた巨大な男は、今日も飴玉を口の中で転がし、ウインクで出迎えてくれる。
「あらまた?あなた達と言ったら本当にダンジョン泣かせね?これだけ毎日お宝取られちゃダンジョンも商売上がったりよ」
今日持ってきたのは【魔法威力増加Lv2】の指輪だ。買うと金貨十枚は下らない。売れば金貨四枚だ。今日はかなり当たりな方。
最近の稼ぎは良い日と悪い日を平均すると金貨二枚いかないくらい。高い宿に泊まっているせいでその日の生活費に毛が生えたくらいだ。
「それはそうとあなた達。Dランク昇格の任務を受けられるって通知が来てたわよ」
「Dランク………?ん?あ………あぁ!Dランクね!」
レベルの事ばかり気にしていて、冒険者ランクの事をすっかり忘れていた。換金によって蓄積されるポイントがランクアップに値するほど貯まったのだ。忘れていたことを見抜かれたシャルロットさんに、呆れ顔で見られる。
「昇格の任務って、ここのギルドでも受けられるんですか?」
「えぇ受けられるわよ。昇格専用の任務なんてものがあるわけでもないし、Dランクの依頼の中から一つ達成すれば昇格だからね。ちなみにここで受けるなら………はい。これDランクの依頼の束ね」
シャルロットさんはカウンターから少し離れた棚から依頼の束を持ってきてくれる。しかし束と言っても全部で三枚しかない。一つずつ目を通す。
「えーなになに?最初はサラン魔法王国の首都、セレーヌまでの護衛依頼。かかる日数は四日。四日かぁ。まぁ一回首都まで行っててもいいかもね。時間かかるけど。んで、その次は。ここから十数キロメートル離れた森にいるポイズンリザードの毒鱗を二十個納品。ポイズンリザードはまだ会ったことないね。場所はここから馬車で半日だ。えーっと?最後が………マンティコアの毒袋の納品?」
最後の紙を読み上げた時、シャルロットさんの雰囲気が少しだけ変わった。先程までの死闘で感覚が鋭敏になっていなければ、気付かないほどの僅かな変化。
ちらりと見るが、表情は変わっていない。先を読み進める様に片眉をあげて見せる。
「場所は………?あぁ、これはここのダンジョンの中だ。期限は特に書いてない。依頼主は、アレクサンドリア伯爵?」
アレクサンドリア伯爵って、確かあのジュリアって子と同じ苗字だ。何か理由があるのだろうか。シャルロットさんの表情は依然として変わらず、彼女からは何も読み取れない。
そして何より、ここのダンジョンでマンティコアと言う魔物が出るなんて聞いたことはない。
「シャルよ。このマンティコアと言う魔物。ここのダンジョンについて尋ねた時、お主から聞いておらぬぞ。何層から出てくるのじゃ」
シオンからの直球"口撃"。シャルロットさんは品定めするようにこちらをじっと見つめると、両目を閉じて、降参とばかりに両の眉毛を上げた。
「わかったわ。言うわよ。ここに街が出来てからはそんな魔物見たって人はいないわ。ただ、そういう文献があるのよ。はるか昔の文献だけど、このダンジョンでマンティコアと言う魔物が出たって文献がね。それでそのマンティコアの毒が貴重な錬金術の素材になるみたい。
もっとも、その文献って言うのも、この街が出来るもっと前の話みたいだし………大昔の文字で書かれてるからほとんど解読出来てないのよ」
へぇ。面白い話だ。読めない文献に、誰も見たことがない魔物と、それの依頼を出す伯爵。
「このアレクなんちゃらとやらは、その伝説じみた書物を信じて依頼を出しておるのか?何故?」
「あら、それは個人的な情報だから私からは言えないわ?本人に聞きに行ってみたらどうかしら?」
シオンとシャルロットさんが見つめ合うこと数秒。観念したのはシオンの方だ。
「まぁ良い。マンティコアとやらがもしもダンジョンの中におるのなら、別にこちらから何かする事もあるまい。見つけて倒した時に素材を持ってくれば良かろう。Dランクの任務の件は機会があったら受けるとしようぞ」
シオンのその言葉で、ランク昇格任務については見送りとなった。
その後は、先程の見つめ合いという名の睨み合いなど無かったように和気あいあいと雑談をし始める二人。ここら辺りの切り替えの早さは、女性特有の物だろうか。男には分からない領域だ。
ちなみに蛇足だが、シオンがここまで人と打ち解けるのは珍しい気がしたので、一度シャルロットさんのどこが気に入っているのか聞いたことがある。シオン曰く「奴は自分に嘘をつかないタイプ。だから信用できる」だそうだ。これもアルには分からない領域だ。
そんな時、ギルド内が突如静まり返った。騒がしかった大勢の酔っ払いが、急に神隠しにでもあったのかと疑う程の静寂。驚いてギルド内を見渡すと、酔っ払いは神隠しになどあっておらず、確かにそこにいた。そして入り口の一点を見つめている。
注目を集めているのは、ギルドの入り口で夕陽の赤い灯りを背に立つその人物。逆光でシルエットしか見えないそれに、"人物"と表現して良いものかどうか逡巡する。それほどに、その影は異形を成していた。
その影は静寂に躊躇う事なくギルド内へと足を踏み入れる。
ギルド内の蝋燭に照らし出された姿に、ギルド内が僅かに喧騒を取り戻した。
「なんだありゃあ」
「おいまさか」
「こんな所でお目にかかるとは」
「まじかよ、ドラゴニュートだ…!」
その人物の身長は二メートル近く、スラッとした肢体ながらも彫刻の様な筋腹が見てとれ、強靭な筋肉が内包されているのが分かる。背中に背負ったとんでもなく大きな弓と相まって、無言で周囲を威嚇していた。
彼の"異形"の理由として、防具で覆われた体幹から伸びるその頭部や手足は、全て赤黒い鱗で覆われていた。明らかに人ではない。しかし唯一。その金色の瞳だけが、彼を魔物と画す知性を示していた。
集められる視線を気に留める事もなく、その人物は受付カウンターへと向かってくる。あの荒くれ者達が、その人物に少しでも視線を向けられると目を逸らしていく。あのベルモンドでさえ絡もうとはしない。
「む?貴君はもしや、アルフォンスか」
と、急にこちらに気付いた竜人は声をかけてきた。やっぱりそうだ。その低く深い声にも聞き覚えがある。アルは名前まで覚えてもらっていた事に嬉しくなり、夢中で手を振った。
「やっぱりガルムさんでしたか!お久し振りです!」
竜人のガルムさんは進路を僅かに変えてこちらに近付いてきた。近くで見るとさらに大きく見える。
「シオン殿も久しいな。御二方とも、壮健であったか?」
「はい。何とか元気でやってます。ガルムさんもお元気そうで」
ガルムさんは抱えていた荷物を床に降ろすと、アルに手を差し出した。その手を取って握手を交わすと、ガルムさんは歯を剥き出しにして笑った。鱗で覆われた手はもっとごつごつしているかと思ったが、意外と柔らかくて温かかった。
「ふむ。何となくだが、あの時より強くなっておるな。全く…ヒトの成長と言うのはまこと早いものだな」
ガルムさんと出会ったのは、まだアルテミスにいる時だ。Eランク昇格任務の時、乗り合い馬車で一緒になった。ほんの数時間だったが、一緒に盗賊と戦った間柄だ。
「まさかまた御会いできるとは思いもしませんでした。竜人の方に会うことだけでも珍しいのに。何か用事ですか?」
「いや、用事などはない。手前は好奇心だけで自由気ままに流浪している身であるからな。良ければ一緒に飲もう。いつかの礼もまだだ」
そこから何故かシャルロットさんまで加わり、四人で机を囲む事になった。アルだけ果実水を、三人は酒を注文した。珍しくシオンも酒を飲んでいた。シャルロットさんはまだ仕事中じゃないのかと思ったが、それを咎める事の出来る人はいないらしかった。
シャルロットさんとシオンは二人で盛り上がっていたが、ガルムさんはアルに彼の"目的"について話してくれた。
「手前は魔物の生態について興味があるのだ。どこにどんな魔物が棲息していて、どんな技やスキルを使うのか。それを研究し、いずれは書物にまとめたいと思っている。そのために津々浦々を旅しながら実際に魔物と戦い、そして日誌に記している」
という事らしい。運ばれてきた料理をかっ込みながら、興奮した様子で話す彼はまるで夢を語る青年の様だった。アルと同年代にすら思える程にはしゃぐ様子はそれまでの堅苦しいイメージをすっかり変えてしまった。
竜人は長生きな人で千五百年も生きるそうだ。そう考えたらガルムさんはまだ成人して間もない若者と言えるのかもしれない。
そんな事を考えていたら、ガルムさんに感じていた近付き難いイメージもすっかり消えてしまった。いつの間にか他のどのテーブルよりも賑やかに、四人は親睦を深めたのだった。
そしてその二日後。アルはレベル26に到達する。