40話 真夏の夜の流星群
シェイラは困惑していた。
この状況で防具を全て脱いでしまう。その意図が分からない。どころか、神経を疑うと言っても過言ではない。確かにあの威力を考えると、防具はあってないような物だが………。近距離戦で少しでも優位に働くと考えたのだろうか。
しかし、そのどちらでも無かった事がすぐに分かった。彼はシェイラにだけ聞こえるように言った。
「そのコート貸してください。魔法防御少しでも積みたいので。
これからさっきの黒い壁を全力で出します。壁の後ろから攻撃して、出来るだけ壁を持たせてください。その後ですが、後ろを取ったら全力で後頭部を殴って下さい。くれぐれも殺さないようにお願いしますね」
コート………?
あぁ、あたいの装備してる黒蝶繭のコートの事か。でも何でこいつ【魔法防御Lv4】のスキルが付いてるって知ってんの?それに背後を取ったらって何?取れるわけないでしょ。あたいの素早さでも勝負にもならなかったのに。
「ねェねェ、何してんの。舐めてんのォ!?"風よ貫け"!」
「うっ!【盾】」
今度は右肩をも射抜かれる。青年の両腕はだらりと脱力し、もはや剣など振れまい。そんな彼に一体何が出来ると言うのか。
「シェイラさん!早くッ!」
しかしそれでも、彼は諦めていなかった。その瞳には真っ直ぐな闘志が映っていた。シェイラは若干投げやりになりながらも、コートを少年に被せた。
「それ高かったんだから後でちゃんと返しなよ!」
憎まれ口も忘れない。本当は盗品だが。
「はーァい、もういい。二人まとめて消し飛ばしてあげるねぇェェ!」
総帥殿がついに痺れを切らしたらしい。彼女は右手を開いて見せる。
「"火よ貫け"、"雷よ貫け"、"風よ貫け"、"大地よ貫け"、"氷よ貫け"」
連続詠唱。彼女が詠唱する度に、親指から順に魔力の光が灯っていく。何と右手の五本の指全てに五色の光が灯る。五指それぞれに魔法を溜めている!
「おいおいあんなのを止めるなんてできんのかい!?」
「やるしかないでしょ!【投擲】でできるだけ防いで下さい!行きますよ!」
青年は掛け声と共に何か丸い物を思い切り上に向かって投げた。何だアレは?さっきは何も言ってなかったが………。
「何だァ!?小癪なァ!」
十数メートルも上空に投げられたそれを、総帥殿は寸分の狂い無く撃ち抜く。放たれた火の矢がそれに命中した瞬間、そこを中心に火の花が咲いた。矢の爆発だけではない。色とりどりの火花が円となって空中に散りばめられる。花火だ。
なんで花火………?とますます訳が分からなくなるが、その美しさに数瞬見とれてしまった。
しかしどうやら、その花火の意味を理解できなかったのはシェイラだけの様だ。花火によって照らされた総帥殿の顔には、少し苛立ちが浮かんだ。
「クソがぁぁァァ!」
「【盾】!!!」
怒声と共に、矢の二発目が放たれたのと同時。人一人がギリギリ隠れられる黒い壁が現れた。夜の空中に浮かぶそれは薄暗い中でもはっきりと分かる程に深淵な黒。
こうなったらヤケクソだ。総帥殿の攻撃は始まってしまった。もう今となってはこれに賭けるしかない。シェイラは【透視】を使って壁の向こうを確認する。
雷の矢が壁に衝突。黒い壁に罅が入る。貫通はしていない。一本止めただけでも、上出来だ。シェイラは【透視】を使ったまま、壁の後ろから総帥殿に向かって針を投擲する。
最優先で狙うのは飛来する矢。それに当たらなくとも総帥殿自身に当たれば恩の字。【投擲Lv3】を信じながら、一心不乱に投げる。
「"火よ貫け"、"雷よ貫け"、"風よ貫け"、"氷よ貫け"!」
総帥殿も、撃ちながら各指へと魔法矢を装填している。本来単発攻撃の弓矢のはずが、まるで五人も六人もいるかの様な間隔で飛んでくる。
矢の迎撃率は五割強。十秒足らずで、五本は壁に命中している。壁はもはや罅だらけとなっているが、まだ一本も貫通していない。この魔法まじですげぇ。
彼はと言うと、魔力不足で顔面蒼白になりながら壁の後ろにうずくまっていた。何かぶつぶつと囁いているが聞こえない。しかし、それどころではない。ついに矢が黒い壁を貫通し始めた。
「キャハッ!"風よ貫け"、"風よ貫け"、"風よ貫け"、"風よ貫け"、"風よ貫け"、"風よ貫け"、"風よ貫け"、"火よ貫け"」
穴が空き始めたのを見て、恐らく最も貫通力の高い風の矢で、壁が蜂の巣にされていく。
ヤバい。迎撃しきれない。そのままじゃ壁ごと撃ち抜かれる。
そう感じた瞬間に、青年に地面に押し倒された。
シェイラが下になり、彼が上からのし掛かる体勢で地面に伏せる。
目の前には彼の顔があった。冷や汗を垂らしながら息も絶え絶え。若干の幼さは残るが、その体勢も相まって酷く色っぽく見える。彼の肩越しに緑色の矢が何条も通りすぎていく。まるで流星群。幻想的な光景に思えた。
そしてここまで近づいて、やっと彼が何かを詠唱している事に気がついた。
「これでおしまいィ!」
既にほとんど原型のない壁に、火の矢が刺さる。青年のその黒い瞳に、シェイラ自身の姿が映って見える。吸い込まれそうだ。
"行きますよ"
吐息さえ感じる程の距離で囁かれたその言葉は、シェイラの脳を今度こそ焦がした。
「【空間転移】」
世界が反転する。
身体が宙に浮いている。
焦げ付いた脳がついにショートしたのかと思った。
だがそれは勘違いではない。本当に浮いているのだ。
青年に身体の向きを変えられる。それにより初めて状況が把握できた。
暗闇で一瞬何が何やら分からないが、地面から十数メートルの所に二人はいた。そう認識した瞬間には重力に従って、二人は落下する。
真下付近で、小さな爆発が起こった。その明かりに照らされるのは、一つの人影。弓を構えているあの姿は、総帥殿だ。間違いない。
しかもこのままだと、総帥殿の真上に着地する。
"後ろを取ったら後頭部を殴れ"。
十分に考える暇もなく、地面が近付いてくる。
シェイラは針を取り出した。
"くれぐれも殺さないように"
シェイラは針を投げる。針は総帥殿の足元に着弾。
総帥殿が針を見た。それによりその綺麗なうなじが露になる。
彼女の身体がぴくりと反応した。針の刺さった角度から真上を割り出したのだ。
しかし、既に遅い。シェイラの手刀が、首筋に直撃した。高所からの落下分も加わった一撃により、総帥殿は顔面から地面へと沈む。
そして幸いにもそのまま起きてくる事は無かった。
死んではいない………と思う。死んでなかったらいいな。
シェイラも立ち上がろうとするが、足首を痛めていた。いくらステータスが高いとは言え、十数メートルの距離から無理な体勢で落下したのだ。無傷とはいかない。
そして、すぐそばには彼の青年も倒れていた。気を失っている。落下で気絶したのか、魔力欠乏によって空中で気絶していたのか。後者ならば受け身が取れなかった分、心配だ。何とか這い寄って仰向けにすると、息はしていた。出血もしていなさそうだ。良かった。
安堵と共に、青年への愛しさが込み上げてくる。
彼の正義感が無ければ、間違いなくシェイラは死んでいた。誰かに護られる。そんな経験をしたのは初めてだ。
この青年の後ろ姿が、脳裏に焼き付いて離れないでいた。
頭に広がる甘酸っぱい思いのままに、シェイラは眠る青年へと顔を近付けた。
その十数秒後、三人の元へ複数の足音が押し寄せた。
*
「一体何が起きておるのじゃ。ちょっと目を放せばすぐ問題に巻き込まれおって。更には毎回美女と一緒と言うのが一番腹立たしいわ」
「それは一昨日も聞いたって」
アルが目覚めると、目の前にはシオンがいた。彼女の銀色の髪と瞳はいつ見ても美しいが、特に生死の境目を乗り越えた後では尚更輝いて見える。そして最近気づいたのだが、彼女が怒っている時は、普段ピンと立っている耳が右側だけぴくぴくする。
「美女と分かればほいほいと出張って行きおって」
「いででで!そこ痛いって!」
「五月蝿いわ!お主盗賊ウィードがあれほどの美女と知っておったな!しかも妾に隠しておったであろう!このっこのっ!」
「痛い痛い痛い!」
容赦なく治ったばかりの両肩を執拗に責められる。ここはナイツ・シュバリエの本部。その中にある治療室だと、先程までいた騎士の人が教えてくれた。非常に清潔で、ベッドもふかふかである。
きっとあのローリ様の元にいたら、生傷が絶えないんだろうなぁ。なんて考えたりもする。
「魔力切れで倒れたのは初めてじゃの?」
「うん。いつもは少し気分が悪くなるくらいで止めてたからね。まだちょっと身体が怠い………」
「当たり前じゃ、まだ十分に回復はしとらん。空気中の魔素を少しずつ取り込んでおる段階じゃ。ほれ、向こうを向け」
シオンに背中を向けると、小さな手が背中の真ん中に置かれた。段々と手が置かれた辺りが温かくなってくる。すぐに全身がぽかぽかと暖まる感覚。
あぁ~なんじゃこりゃ。たまらん。
「おぉ。怠さがかなりマシになった」
「妾の魔力を分けたからの。元はと言えばお主の魔力なのじゃがな」
確かに、身体に魔力が戻ってきている。先程よりもかなり身体が動かしやすく感じた。
「そんな事もできるんだね」
「魔力を吸えるのじゃから、返せるのは道理」
その時、部屋の扉が開いた。そしてなんとそこから現れたのは、誰あろうローリ様だった。
一瞬身構えるが、ローリ様が武器を持っていないのに加えて、すぐ後ろからライナーさんを筆頭に五、六人が完全武装で入ってきた。それを見てとりあえず安心する。
「アルフォンス。この度は誠に申し訳ない事をしました。誰かを尾行しているアルフォンスを、興味本意で尾行したまでは覚えているのですが、そこから先は正直言うとあまり覚えていません」
【戦闘狂】恐るべし………。まぁあの感じは多分自我とか意識とかそんな物も全部ブッ飛んでる気がしたけど。
「そうなると分かってて、何故一人で出てきたんですか?」
冷静に聞いてみる。アルとしてはあの場にライナーさんがいなかったのが不思議でならない。
「いやーそれは、その………。なんと言うか………」
「どうせ彼とウィードの戦闘でも見てやろうと思ったのでしょう。私が一緒ならばそんな事は絶対に許しませんからな」
「うっなんで分かるのですか!」
「総帥殿の考える事ならだいたい分かります」
どうやらアルのスキルがどうしても気になってと言う事らしい。遠くでこそこそ見ていたら、どうやら二人は闘わずに終わりそうだと分かり、戦闘狂の一面が顔出したと………。
ただ経緯はともあれ、結果としてウィードだけではなくアルまでも殺そうとした事には変わりない。それに関しては彼女を始めとしてライナーさん達もかなり深刻に事態を受け止めている様だった。
「私にできる事なら、何でもするので言ってください」
深々と頭を下げるローリ様。そして後ろに控えている人達も揃って頭を下げる。こんなに大勢に頭を下げられるなんて初めての経験だ。
視界一面で仮面の面々が御免ってしてて、ちょっと面食らうな。なんていってる場合じゃないんだろうが、何でもすると言ってくれているのだ。せっかくなので何かしらねだろうと思う。
「シオン、何か欲しいものある?」
「そうじゃの。欲しいものはあるがここでは何も貰わぬ事とする。代わりに恩を売っておくとしよう。いずれ妾達が困った時に返してもらうとしようぞ」
その言葉にローリ様は苦笑いで返した。正直言って一番イヤな返事かもしれないからだ。それで、アルも一つ思い付いた。
「それなら僕からは今叶えられるお願いをしようかな?」
場所は変わって地下牢。
「こんばんは、シェイラさん。僕はアルフォンスと言います」
アルの目の前には盗賊ウィードがいた。いや、シェイラさんが。
薄暗い地下牢でうずくまっている姿はまるで少女の様にも見える。明るい所で見ると髪の毛はうっすらと赤みがかった茶色だった。そしてその肌はほんのりと光っている様に見える程に白かった。
「………何で逃げなかったんですか?」
檻の中の彼女は、黙ってアルを見据えていたが、すぐにボソボソと話し出した。
「何でって………足首をやってたからね。それにあたいが逃げたらあんたも共犯だと思われるかも知れないだろうからね。こう見えても恩を仇で返すような事はしないよ」
そうだろうと思った。この人はきっと、今までにたくさん悪い事をしてきた。それこそ人だって殺してきたかも知れない。多分それが立証されれば、きっとこの人は処刑される事になるだろう。立証されれば、だが。
「あなたにお話を持って来ました。ここの総帥殿に仕えてみませんか?」
「………は?仕える?ってのは、あの総帥殿の下で働くって事?あたい殺されかけたんだけど?」
まぁそうなるでしょうね。逆の立場なら僕だって嫌だ。いつ爆発するか分からない爆弾を抱えて寝る様なもんだ。
「でもまぁギリギリ殺されなかったわけですし。今回僕まで殺そうとした事を言い触らさない代わりに、シェイラさんを罪に問わず、ここの諜報員として雇う事にしてもらったんです。もちろんシェイラさんさえ良ければですが」
牢屋の中でうーんうーんと頭を捻るシェイラさん。しかし彼女にはその道しか残されていないのだ。
「ウィードとして犯した罪が、この街だけで五件あるそうですね。全て窃盗。三人が商人。二人は貴族の方でした。御丁寧に名乗りまで上げていたのですべてウィードの犯行と認められています。ライナーさんに確認した所、少なくともこのまま四十年は投獄されても」
「分かった分かった分かった!やれば良いんでしょ!やれば!」
まぁ最初からこうなると思っていた。彼女はプライドを守って死ぬようなタイプじゃない。それに実はアルが総帥殿に出した要求はシェイラさんの無罪放免だったりする。しかし、もしもシェイラさんを説得できれば、ローリ様に使えさせると言った条件だったのだ。
ただ、せっかく説得できたので、無罪放免の事は当分黙っておこう。
「ったく。勝手にあたいの人生決めやがって。
………それならあたいはあんたと一緒に行きたかったよ」
「ははは。それは有り難い話ですが、僕らのレベルはまだ20ちょっとなので、シェイラさんきっと退屈ですよ。僕達がもっと強くなったら、またお願いしますね」
不満げに鼻を鳴らす彼女は、やっぱり拗ねている子供の様だ。
しかし一緒に来たいと思ってくれた事自体は嬉しい。彼女であれば既に【空間魔法】の一端を見せてしまったし、ちょうど良いとも思える。しかしあまり上手くは言えないが、彼女にとってはここで仕える事が、今は一番良い事の様に思えるのだ。
「あ、そういえばあんた。あの魔法、結局何?あの時どうやって一瞬で総帥殿の真上まで移動したの?」
「そ、それは。また次に会った時にでも教えるよ」
いきなり容赦ない質問が飛んできて、慌ててはぐらかす。あれはレベルが23になった事で修得したスキルなのだが、実はまだ一度も使ったことのないものだった。あれしか無かったと言いつつ、使ったアル自身もかなりビックリした程だ。
「ふぅーん。ま、いいよ。あたいのスキルも内緒にしてくれるなら、他の人には黙っといてあげる。
でも。……………その代わり、一つ約束して」
シェイラさんの白い絹のような肌がほんのり紅く染め上がる。
「強くなったら、迎えに来てよね?」
頬を真っ赤にして照れる彼女はなんとも新鮮で、そして可愛らしかった。それを真っ直ぐに向けられたアルも、きっと顔を真っ赤にしていただろう。ここにシオンが居なくて本当に良かった。
「うん。でも、その頃にはシェイラさんも強くなってないと、連れていかないから」
「ふふ、挑む所」
こうして盗賊ウィードは、ナイツ・シュバリエの諜報員となった。特にそのレベルは総帥殿に次いで高く、戦闘能力の面でも申し分ない。また隠密行動や情報収集等に長けている。それによりナイツ・シュバリエが得られ難い多くの情報を集め、ゴールドナイツの治安改善に大きく貢献する事になるのだが、それはもう少し先の話。
そして翌日、アルとシオンはゴールドナイツを後にした。
目指すはクープ。




