38話 ピスタチオとバナナは精がつく
「この街は三区画から成るの。一つはこの街の中心とも言える歓楽区。そして市場や商業店舗が建ち並ぶ商業区。最後に住宅区よ。どこから見に行きましょうか」
隣を歩く総帥様から分かりやすい説明が飛ぶ。
「えーっと、まずは商業区からお願いします。と言うか、わざわざ総帥様自らが案内してくださらなくても大丈夫ですよ?これならライナーさんだけでも十分では?」
「何言ってるの。奴を見つけたとしても逃げられたらどうするのですか。レベル40に太刀打ちできるのはこの街では私くらいなもの。それに私の事はローリで良いわ。今度総帥様って言ったら歓楽区の女達全員で回すから覚悟しなさい」
「横暴ですね!?」
「わかったわね?」
「えっと………せめてローリ様でお願いします」
ナイツ・シュバリエの本部から十五分ほどかけてやって来た商業区は、歓楽区の通りと同じか、それ以上の規模があった。昼前と言う時間帯もあるのか、かなり人が多い。
基本的には買い物目的の主婦が大半だ。野菜やら肉やら日用品を買い込んでいる。
「あ、ローリ・ナイツ様だ」
「え?ホントだ!ナイツ男爵様だ!」
「ローリ殿下!」
「姫様!今日は新鮮な魚が入ってますのでどうぞ持っていって下さい!」
「フルーツでもいかがでしょうか!?」
ローリ様があっという間に人だかりで見えなくなる。
歓楽区での女性達にもそうだったが、それ以外の住人にもかなりの人気みたいだ。そんなに頻繁に顔を出している訳でも無さそうだから、その功績が人々に認められているのだろう。
「本当に慕われてるんですね」
「その通り。しかしだからこそ盗賊ウィードを早く捕まえねばならん。このまま盗賊ウィードの話が冒険者や商人に広まれば、この街は廃れてしまうかもしれない。そうでなくとも、総帥の管理不足と見なされる可能性もある。
今あの御方を失うわけにはいかん。あの御方はこの街にとって必要な方だ」
自分の事のように誇らしいのだろう。ライナーさんは今日も仮面姿のため、表情は読みにくい。それでもその声音からは惜しみ無い思慕が読み取れた。
「バナナと、それからピスタチオもくださいな」
「まぁ、さすがローリ総帥殿!精のつく食べ物を知ってるねぇ」
八百屋のおばさんと話していてるローリ様はどこか輝いて見える。それにしても………やや下ネタが多いのは、この街では普通なのだろうか?
アル達三人は、そのまま商業区で遅めの昼食を取った。
数は少ないが飲食店もいくつかあり、魔物の肉をメインとした料理が多めだ。アル達がここに来るまでに通った森や、この街から東側にあるドクの森で魔物が獲れるんだとか。味は十分に満足できる物だった。
商業区の次は居住区を見に行った。
貧困の差はあるが、基本的に浮浪者等はおらず、道端では子供達が遊んでいる。きっとそんなに治安も悪くないのだろう。
この街の人口は三千人程だそうだ。住人の男女比はニ対八で女性が多い。加えて世帯で言えばほとんどがシングルマザー。これは歓楽区の影響がかなり大きいとか。
居住区も回り終わったアル達は、最後に歓楽区へと向かった。
時刻はもう夕方だ。ちらほらと店が開き始めるが、大通りには男はあまりいない。
「あー!今朝の坊や!………とローリ総帥様!?」
そこで偶然、今朝出会った、防具で身を固めた四人組に出会う。彼女達はローリ様の存在によって今朝以上に姦しく騒ぎ始めるが、なんとその奥から何食わぬ顔でひょこっと顔を出したのはシオンだった。
「あれ?シオン?宿で寝てるんじゃ無かったの?」
「勝手に決めつけるな。お主が油を売って回っている間に、妾は森で経験値と小銭稼ぎをしておったのじゃ」
油を………って人聞きの悪い。ただ、空いた時間でも一人で森へと行ってくるなんて珍しい。宿で一日寝ていても良さそうなものだが、何か思うところでもあるのかもしれない。
「あれ?シオンちゃんこの坊やと知り合いだったの?」
「知り合いも何も、パーティを組んでおる間柄じゃ」
「え!?それじゃもしかしてこの坊やもかなり強いの?」
「へぇー!すごいねボク!」
「まぁまだまだじゃがの」
ボクって………。坊やからさらに格下げされた気分だ。
「かなりの素材を持ち帰ったわね。今日はかなり頑張ったみたいね?」
ローリ様は四人の背嚢を覗き込みながら、称賛の声をかけていた。確かに、全員が"持てるだけ持ってきた"みたいに荷物はパンパンだ。
「いえ、ローリ様。私達はいつも通りだったんですが、こちらのシオンちゃんとたまたま森で会って話を持ちかけられまして、大量の魔物の死体を格安で売ってもらったのです。何でも解体の技術もなく、素材を持ち帰るのも面倒だから、とかで」
それはまた、シオンらしい………。この人達がたまたま近くにいなければ、下手をすれば放置して帰ってたのではなかろうか。シオンはどこ吹く風と言った風に、少しずつ開き始めた店を眺めていた。
「あ、まずい。私達も早く帰って準備しなきゃ」
「あ、そうだった。………それではローリ様。失礼致します」
「はい、頑張って下さいね」
四人が去っていくと、ローリ様はその背中をじっと見ていた。その横顔は、今までの物とは違う。まるで我が子を見守る母親の様にも見えた。
「さて。この通りの詳細は説明の必要はないわね?
この街のメインストリートと言っても過言ではありません。だいたいの店は夕方からですが、昼間も日替わり交代で何件かは開いています。
ちなみに日中、女達は寝ている訳ではないのよ。東にあるドクの森や西にある騎士の森で魔物を狩る者が多いと思うわ。歩いても三十分とかからないし、レベル10台にはぴったりの狩り場だから」
「それは、大変ですね………。日中狩りをした上に、深夜まで働くなんて。失礼かもしれませんが、彼女達はそんなに生活に困ってるんですか?」
実際に夜の仕事内容がどんなものか、アルは全く知らない。想像もつかない。だが、間違いなく精神的、身体的両面で大変だ。それだけは分かる。
「いえ、この歓楽区で働く女性達はみな裕福。平均して月に五十万は稼いでるからね。夜の仕事だけでよ。十年前はその半分以下だった。レベルの高い冒険者や、名のある商人、貴族に代金を踏み倒されてね。
でも今は違う。女だって力をつけて自衛すれば対抗できる。そのためのナイツ・シュバリエなのだけれど、彼女達自身も私達を見て感じる所があるみたい。日中は魔物を倒しに行ってる子がほとんどと聞くわ。ダイエットや体型維持を目的にやってる子も多いみたいだけどね」
最後は少し冗談ぽく締め括った。
平均五十万。月の稼ぎとしてはかなりの額だ。そしてそのお金を落とすのは全て冒険者や商人。つまり外からの人間。彼女達が稼いだお金をこの街で使うことで、街全体が潤っていくはずだ。これはローリ様が子爵になる日も近いかもしれない。
「この街はまだまだこれから。教育機関の創設、貧困層の生活補償やシングルマザーへの生活支援など。まだまだやらなければならない事は沢山あります。盗賊なんかにのさばらせるわけにはいかないの」
ローリ様の目は本気だった。彼女は自らの人生を賭してこの街を救う気だ。ローリ様と一日行動してみて、この人が住人達から慕われているのが分かった。当たり前だ。こんな人が好かれない訳がない。もし憎む人がいるとすれば、それは己の利益だけを考えた強欲な者だろう。
彼女の覚悟は嫌と言うほどに伝わった。その覚悟に、アルも精一杯応えよう。
「今日はローリ様直々にありがとうございました。早いうちに何とかして見せます。明日の朝また伺います」
「………えぇ、ありがとうね。それでは私達はここで失礼するわ。あ、あとこれ。もしもウィードとばったり出会ったら、これを使って。糸を引いて空に投げるだけよ。すぐにかけつけるわ。それでは、ごきげんよう」
ローリ様の優雅な一礼に、アルもそれ以上の深い礼で返す。アルに手渡されたのは掌大の球。紙でくるんである。しかしそこでやっと、ウィードからローリ様に伝言を預かっている事を思い出した。一連のどたばたですっかり忘れていた。
「あ!そうだローリ様!盗賊ウィードから伝言を預かっているのを忘れてました」
「ウィードから………伝言?」
「えぇ。昨日の去り際に。貴女に謝っといて欲しいって。
確か"すまないと思ってる、あんたの事は嫌いじゃないんだよ"だったと思います」
ライナーさんは明らかに怒っている様子だが、ローリ様は狂気的に微笑っただけだった。
「早く会いたいわ」
その笑顔を見たときアルは、何故かウィードと彼女を引き合わせてはいけないと感じたのだった。
*
夜。時間は九時頃になるだろうか。
アルは息を潜め、建物の物陰に隠れていた。場所は居住区。一件の住宅を睨みながら既に三十分。標的がそこに入ってから出てきて無いのだ。
ゴールドナイツは周辺に大きな森があるためなのか、夜はかなり涼しい。武器と防具をしっかりと身に付けているが、もう少し暑ければアルは今頃蒸されていたかもしれない。
少し離れた歓楽区の方からは、空まで照らす様な灯りが煌々と立ち昇り、男達を誘い込む坩堝と化している。
対してここらの通りには人影は全く無く、極めて平穏な刻が流れていた。
建物では人が動いているような気配はない。明かりはついている。窓から覗いてみるか。それとも思いきって押し入ろうか。もしかして裏口から出られたのではないか。そんなあれこれを思い始めた頃だった。
「おや、あんたは昼間にローリ総帥殿と一緒にいた………」
背後でした声に、アルは瞬時に両腰に提げた二本の剣を抜きながら跳びずさって距離を取る。薄暗い路地、アルが先程まで立っていた場所には、小太りの中年女性が立っていた。
「あんた、それ本物かい?そんな物振り回してちゃ怪我するよ」
その右手に提げた袋からは大根と葱が見えている。
彼女は昼間に商業区でローリ様と話していた、八百屋のおばちゃんだ。おばちゃんは剣を抜いたアルにビックリした様子だが、それでも構えと緊張は解かない。
何を隠そう、三十分前まで尾行していたのはまさにこの人だったのだ。確かに家に入るのを見たし、その後も周囲は警戒していた。だから何故この人がアルの背後から姿を現したのか全く分からなかった。
「さすがですね。僕は追跡と監視に関してはずぶの素人ですので。やはり本業の盗賊には敵いませんよね」
「監視?おばちゃんを監視してたのかい?それから何だい?盗賊だって?最近噂になってる、あの?どっちでも良いけど、探偵ごっこなんてやってたらトラブルに巻き込まれちまうよ?」
見事な返しだ。その演技力に、自信を無くしかける。しかし先程の隠密の練度で、すでに私ですと言っている様なものだ。
「もう演技は必要ないですよ?盗賊ウィードさん。今日は貴女にお願いがあって来たんです。大人しくこの街から出ていってはくれませんか?それが丸く収まる解決策だと思うんですが」
おばちゃんは一瞬ぽかんとすると、ニヤリと歪に嗤った。
「ふふふ………何故、私がウィードだと?」
声が急に変わる。一昨日の夜、耳元で聞いたあの声だ。
「理由はいろいろありますが、決定的なのは僕のスキルです。もっとも、最初に引っ掛かったのは貴女とローリ様が話していた時です。
今日一日、ローリ様と行動を伴にしていましたが、総帥殿と言う敬称をつけていたのは貴女だけだったんですよ」
もっと決定的だったのは、彼女だけステータスが見えなかった事だ。【変装】スキルで姿を変えていればスキルが見えないと言うのは、アルテミスで既に分かっていた事。
「ククク…アハハハ!
あんたやっぱり面白いよ!確かにそれはあたいのミスだ。よく気づいたね」
我慢しきれないと言う様な高笑いが闇夜に響く。野菜の入った鞄を落とし、洋服を脱ぎ始めると、みるみる内に昨日のスリムな美人へと変わっていく。ここまで別人の様に変わる事ができるのも【変装】スキルのおかげなのかもしれない。
心のどこかで八百屋のおばちゃんの方が本来の姿だったらどうしようと思っていたのは内緒だ。
「たまたまですよ。僕もローリ様の事を何と呼べば良いのか悩んでいたので、貴女の言葉が気になっただけです」
「でもあんた、賢いのか間抜けなのかわかんないね。
一昨日に手も足も出なかったあたいと一対一で話しに来るなんてサ。………あ、もしかしてあんた」
盗賊ウィードは容赦無く距離を縮めてくる。アルは剣を二本も構えていると言うのに、彼女はまるで警戒した様子もない。
いや、警戒はしているのだろう。もしアルが攻撃しようとしても、それ以上に速く動ける。そう言っているのだ。ただ近寄ると言う行動だけで、アルを威圧している。
彼女はアルの剣先が触れるかと言った程の距離に立ち、とどめに顔だけ迫った。
「あの時の約束を守れってな感じ?」
「や………約束?」
「またまたぁ、トボけちゃって?あたいを捕まえる事ができたら、あんたの好きにしていいよって奴さ。アハハ。本気にするとは思わなかった!」
「ブッ!いや、ちがっ!あれはそっちが一方的に言ってただけでしょうが!」
「なぁに、照れちゃって?まぁあんたなら………良いよ?あたいの事黙っててくれるんなら、好きなだけ相手してあげる」
あぁ、近寄るなー!触るなー!
あ、すごい柔らかい。そんでもって良い匂いがする。
………じゃない!こいつは八百屋のおばちゃん!八百屋のおばちゃんだ!八百屋のおばちゃんを思い出せ!
「や、やめ!やめろー!あ、あ、あぶ、危なかった…!この街ほんとにヤバい……!」
「なんだいつれないねぇ。約束を果たすためじゃないなら、結局あんた何で一人で来たのさ?」
その疑問はもっとも。しかしアルもみすみす命か貞操を奪われるために一人で来たのではない。
動揺を無理矢理に呼吸で整え、落ち着きを取り戻すと、アルは最高のキメ顔で言ってやった。
「取引です。こっちにはあなたを強制する手段があるって事なんですよ。シェイラさん」
この言葉に、今までの揺るぎなかった彼女の自信に罅が入る。彼女の表情からピキピキと言う音が聞こえてくる様だ。
急に視線は鋭いものへと変わり、腰に差してあるであろうナイフへと手が伸びかけている。
「それを、どこで?」
慎重に言葉を選んでいるのが手に取る様に分かる。
「それは言えません。しかし僕はあなたのレベルやステータス、スキルでさえも、ある程度知っています。そしてもし僕が帰らなければ、その情報は僕のパーティメンバーからナイツ・シュバリエへと渡り、国中に指名手配されるでしょうね」
「へぇ、あんたやるじゃん。そのあんたが持ってる情報ってのが本当ならね?」
カマをかけていると思っているのか、不敵に微笑んで挑発する。
意外と用心深いみたいたが、今回に限ってはハズレだ。
「レベルは40近い。主なスキルは暗殺、潜入、斥候に役立ちそうな物がちらほら…。ステータスもパワーよりスピード寄りですね。それから、かなりの量のスキルを持ってるみたいですけど、きっと盗んだ物でしょ。商人や冒険者から。ダンジョンで極低確率でドロップする、スキルが得られるアイテムかな?
ねぇ、どんな形してるんですか?後学のために教えて下さい。僕まだ見たことないんですよ」
アルは普段はしないような早口で一気にまくし立てる。こっちは全部知ってるんだぞと言う威嚇。相手に思考と選択の余地を与えない。
「ふぅん。どうやら嘘ついてる訳でもなさそうだね」
「嘘は苦手なんですよ」
嘘が苦手なのは本当だ。だから本当の事しか言っていない。
シェイラさんはアルの心を見透かすようにじっと見つめると、まるで相談するように指先をナイフに沿わす。
「あぁあ………ったく。いいよわかったよ。今回はその度胸に免じて、あんたの勝ちにしといてあげる。この街からは大人しく出てくとするよ。あとあんた、どこであたいの情報を手に入れたか知んないけど、バラすんじゃないよ。これは契約だからね。
もし破ったら覚悟しな。捕まる前にあんただけは殺しに行くから」
「せいぜいうっかり口を滑らさない様に気を付けます。もっともその時は正面から闘り合っても負けないくらいにはなってるつもりですが」
アルの憎まれ口に、シェイラさんは狂暴な笑みで返した。
………やった。なんとか戦闘無しでこの街から追い出す事は出来そうだ。アルが心の中でガッツポーズをしたその時だった。
「あらあら、もう話し合いはすみましたか?」
冷涼な風を突き抜け、風鈴の様な声が響き渡った。静寂の中でその声は拡声され、耳元で囁かれたかの様な錯覚に陥る。
「ごめんなさいね、アルフォンス。私の立場としては、彼女を見逃す訳にはいかないのよ」
彼女はシェイラさんの背後から悠々と現れた。ゴールドナイツの統治者であり、ナイツ・シュバリエ初代総帥。鮮血の様な深紅の着物を身に纏い、荘厳な弓を携える、レベル42の元冒険者。その名をローリ・ナイツ。
一見して彼女の目は冷淡な執行者だが、その瞳の中には狂気がチラついて見える。アルは知っていた。感じていた。彼女の中で破裂せんばかりに膨らみ、そして今にも溢れ出さんとしているそれを。
スイッチが入る。
「アッハハハハハハ!!!
こんな上物久しぶりィィィ!!この緊張感たまんないィ!!!早く!!!早く殺りましょォォォ!!!」
血を無くして、彼女は止まらない。




