32話 迷宮主
アルはリアムさんの言葉に、何となく背筋を正す。
これは、大きな転機だと感じた。この選択が、今後アルの人生を大きく左右すると。
アルのそんな受け止め方が伝わったのか、リアムさんは少し訂正した。
「まぁまぁ、アルフォンス君。そんなに構えなくても良いよ。
セシリアも前に言っていたと思うが、君達さえ良ければ僕達と行動を共にすると言う事もできる。ってだけだよ。
私とセシリアは諸手を挙げて歓迎するし、イザベラとクレイも君達の事は気に入っている。反対はしないだろう。
もちろんパーティメンバーになれと言う事でもない。私達を上手く利用できると考えれば良い」
「そう言って頂けるのは僕としても嬉しいです。でも、利用…ですか?」
もちろん、こんな凄い人達と仲良くしてもらえているだけでも有り難いのに、一緒に来ないか?と誘われて嬉しくない訳がない。ただ、この人達を利用すると言う意味が全くもって分からなかった。
そのアルの疑問に答えたのはセシリアさんだ。
「………そうだね。例えばの話だけど、私達の次の目的地はファレオ共和国よ。今回、ダリウスが誘拐して奴隷になった人達を捜しに行くつもり。そしてその道中にあるテンゴールと言う街の近くには、適正レベル28~36のダンジョンもあるの。だからアル君とシオンさんが次にそこでレベリングをすると言うのなら、ファレオ共和国まで同行できるし、そしてテンゴールのギルドにも私達から口利きしてあげられる」
なるほど、利用と言うのはそういう事か…。
確かに、もしも今から迷宮主を倒せたとして。アルとシオンの二人はこのアルテミスを出て、初めて遠出をする事になる。
仮にファレオ共和国まで行くとして、その道程がどのような物となるのか、アルは知らない。何が要るのか、何を知っていなければならないのかすら分からない。それをこの人達に頼れるなんてのは、正直言ってかなり楽だろう。
加えてAランクパーティである"烈火"の名前があれば、向こうのギルドの対応もかなり違ってくるに違いない。
「あと…そうだね。それに加えて、君達のパーティを私達の"クラン"にも招待できるわ。そうなればダンジョン攻略にあたって、必要な時は私達が実際の戦力として協力してあげられる様にもなるし」
「クラン………?すいません、クランって何ですか?」
「話はそこまでじゃ。そろそろ行くぞ。日が暮れてしまうでの」
ここでシオンストップが入った。珍しく寝ることもなく黙って話を聞いていたシオンだが、急に立ち上がってお尻の埃を叩きはじめる。
単純に先を急ぐ言葉なのか、それともクランについて話を先延ばしにしたいのかは分からないが、とにかくこの話は一旦終了だ。
「そうね。ごめんなさいアル君。クランについては契約事だし、先入観を持たせないように私達以外の第三者から説明してもらう方が良いかも知れないわ。またミアにでも聞いておいて」
「はい…ありがとうございます」
結局クランについての詳細は分からないまま、アル達はこのダンジョン最後の安全階層を後にした。
迷宮主のいる階層は十八層。
このダンジョンの最下層であるそこに迷宮主は鎮座している。十八層は一部屋だけという構造らしいため、十七層からの階段を降りていくとすぐに迷宮主との戦闘となる。
しかし、多くのパーティを悩ませる問題はこの十七層だった。当たり前だが、この層を攻略しなければ迷宮主への挑戦権を得られない。別に目新しい魔物が出てくる訳でもないこの層の最大の特徴は、その"広大さ"だ。今までの層の二倍から三倍もあると言われている。
歩き回っているうちに、防具を削られ、装備を削られ、魔力を削られる。迷宮主との戦闘に備えて温存しておきたい思惑とは裏腹に、消耗を余儀なくされるのだ。浅い層とは違って地図の流通も少ない事もその一因と言えるだろう。
しかしそんな事情も、うちのシオンさんには関係のない話だった。全く迷う事のないその足取りは、あのセシリアさんをして「一パーティに一人欲しい」と言わしめた程だ。
そして十分も歩いた頃、あっけない程にその階段を見つけたのだった。
「アル、先頭を行け。階段を降りた途端に戦闘開始という可能性もあり得る。ここから気を引き締めて行け」
階段を降りた途端に殴り潰されると言う嫌な想像をしてしまうアルだったが、ここで怖じ気づく訳にはいかない。
背中に冷たく伝う様な緊張と、そして僅かな興奮を圧し殺す様に、短剣を握り直して、階段へと足をかけた。
段数は、今までの階層にあった物とほとんど変わらなかった様に思う。そして階段を抜けた先は、やはり広い部屋だった。あのヒュドラと戦った隠し部屋を彷彿とさせる様なドーム型。広さも同じくらいだ。
そして部屋の反対側には………間違いない。
あれが迷宮主だ。大きな椅子に座っている。その椅子の造りは豪華で、玉座と言っても過言ではない。そしてその巨大な椅子に座る巨体は、座っているにも関わらずアルの身長の三倍はあるだろう。
全体的に肉のついたシルエット。顔に不釣り合いな程に小さく、そして曲がった耳。潰れた鼻と横に大きな口。全身の筋肉の上を厚く覆う脂肪。その上から部分的に鎧を纏っている。
貪欲さが滲み出るような濁った目がこちらを捉えた。
今まで上層で幾度となく屠ってきたオーク。彼等の怨念が宿るかのようなその目は、アルを見据えて離さない。
オークキング。オークの中の頂点に立つその存在は、待ち詫びたと言わんばかりに横に置いてある黒い武器を取った。………鉈だ。巨大な身長の使い手に劣らないほど巨体なそれは、ダンジョンから発せられる光を鈍く反射している。自然とアルも短剣を握り直した。
地響きを立てながら立ち上がる迷宮主に【鑑定】を使う。
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名前:オークキング・ダンジョン
Lv:23
スキル:【剣術Lv2】【筋力上昇Lv2】【物理攻撃上昇Lv2】【物理攻撃耐性Lv1】【魔法攻撃耐性Lv1】【咆哮】【威圧】【雑食】【大食い】
武器:迷宮魔鉄の鉈
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確かにあのヒュドラに比べたら可愛いものではある。が、それでも実際に向かい合うとその威圧感は生半可ではない。オークキングはと言うと、玉座から数歩前に出たところで立ち止まった。迷宮主と言うだけはある。悠々とした所作は、自分が強者だと言う確信から来るものだ。
少しだけ、相手の巨大さにビビっている。ヒュドラの時には、突撃しなければ死ぬと言う切迫感が身体を動かした。"やらなければ死ぬ"と吹っ切れる事がどんなに楽なことだったのかを思い知る。
「多少の援護はする。安心するがいい。一撃で死ななければ何とでもしてやる」
シオンから容赦のない一言がアルの背中に突き刺さる。
しかしその言葉で、アルは意を決した。もとよりアルの背後には死神が立っていると思い出したのだ。
それにアルが感じているのは恐怖心だけでもない。少しの興奮と高揚感が、滲み出すようにアルの心臓を小突いている。
アルは進み出した。
ゆっくりと。
歩みは少しずつ小走りへ。
そして疾走となり、やがて恐怖心を置き去りにする。
オークキングは鉈を振りかぶる。極太の腕に浮き立った幾つもの筋繊維がしなった。【剣術Lv2】の恩恵もあるのか、繰り出されたタイミングも完璧だ。寸分の狂いなくアルを真っ二つに出来る太刀筋。
レベルから考えて、彼我のステータス差はほとんどない。受ける事が出来るはずだ。これを避けるようではきっと逃げ癖がつく。
アルは迫り来る巨大な刃を、馬鹿正直に短剣で迎え打った。
金属と金属が重なり合い、響く高い音。
拮抗する………!しかしそう思ったのはアルだけだ。気付けば足の裏が地面から離れている。アルは短剣を打ち合った体勢のまま、見事に後方に弾き飛ばされていた。
「ぐぇっ!」
錐揉み回転の後、背中から落下してそんな声が漏れる。幸いにして今の落下以外にダメージはない。多少手から背中にかけてが痺れている程度だ。
「おいこりゃ!まったくお主は阿呆か!筋力ステータスは同じでも質量が違い過ぎるであろう!まともに打ち合えばそうなると、やる前に気付け!」
「アル君、いきなり無茶し過ぎ………」
真横でシオンとセシリアさんの声がした。なんと、アルは初期位置まで飛ばされたらしい。多少の恥ずかしさもあって、短剣を床に突きながらすぐに立ち上がると、アルは再び突貫した。何も無意味と言う訳ではない。先ほどの一合は確かにアルの中で自信となった。迷宮主とまともに打ち合っても力負けはしないという自信に。
【瞬間加速】で再度接近するが、やはりオークキングの横薙ぎのタイミングは完璧だ。アルの動きをしっかりと確実に捉えている。しかし完璧だからこそ、それは先程と全く同じ太刀筋。走りながら倒れ込む様に前傾すると、短剣を高く構える。
ギャッっという激しい音と衝撃の後、すぐ頭上を大質量の金属が通り過ぎていく。なんとか一撃を受け流したのだ。
すぐに身体を起こし、振り抜いた敵の右手に一閃。短剣に確かな手応えを感じるが、直後に衝撃に見舞われた。
「ぐっ…!」
何か攻撃をもらったと、はっきり分かった。数回ダンジョンの床を跳ねた後で、やっと受け身を取る。左半身に鈍い痛み。蹴られたのだ。あの短い脚で器用なもんだ。右腕を斬られ、咄嗟の行動だったのだろう。距離は取らされたが、アルにほとんどダメージはない。
すぐに立ち上がり構え直すが、しかしアルが与えた剣傷も些細なものだった。厚い脂肪の上を少し斬っただけだ。奴にとっては薄皮一枚、滴るほどの血も出ていない。
硬い。ヒュドラの鱗とは違う感覚の硬さだ。しかし刃が立たない訳ではない。
アルは再び接近する。しかしそこからは、後手に回ってしまう事になった。オークキングが明らかに、鉈を小さく、そして細かく振るい始めたのだ。大振り後の隙は不味いと学習したのか、体勢と力を調節している。隙は少なく、かつアルにダメージを与えることのできる威力で鉈を振るってくる。
アルもそれを何とか避け、受け流す。
しかし巨大な刃物相手に完璧とはいかず、何度も弾き飛ばされる。アルの身体にだけ、一方的に傷が増えていった。せっかく修理した剣も防具も既にぼろぼろになりつつある。
「くっ…この!【盾】!」
魔法の力を借りて、今度こそ巨大な鉈を綺麗に受け流す。アルの体勢も崩れていない。【瞬間加速】で一気に詰め寄ると、今度は足元へと潜り込む。いつかのオーガにしたように、その下腿三頭筋腱を断ち切らんと短剣を薙いだ。
「【斬撃】!」
ガッと言う音と共に短剣を持つ手に振動が伝う。
確かに傷は浅くない。しかし改めて見れば、腱などどこにも浮き出ていない。ガサついた固そうな皮膚と、分厚い脂肪の塊だった。
「…豚足かっ!」
またもや迫るオークキングの蹴りを避けながら、一度距離を取る。敵の動きが鈍る様子はない。アルの斬撃もどこまでダメージが入っているのかは分からない。それでも、アルには今の【斬撃】以上の威力の高い攻撃方法などないのだ。少しずつ斬痕を積み上げていく以外にはない。それでもきっと、アルのダメージの方がきっと先に限界を迎えるだろう。
これが迷宮主だ。異常な程の耐久性。
しかし、負けたくない。なんとかこいつと斬り結びたい。アルの興奮は、既に抑えきれない程に膨れ上がっていた。
*
セシリアはいつの間にか武器を取り出していた。
膝を曲げ、重心もやや前傾している。まだ、たったの五分程度しか経っていない。その間に一体何度、助けに入ろうかと思ったことか。
遠くでこのダンジョンの迷宮主であるオークキングと向かい合っているのは、珍しい程に黒い髪の毛、そして冒険者と言うにはやや華奢な後ろ姿の少年。手には相手の持つ鉈と比べたら玩具ほどの大きさしかない短剣。
アル君は無謀にもオークキングと打ち合うが、またもや後方に押し戻されている。
「シオンちゃん。早く援護を…!」
思わず、少年唯一のパーティメンバーである少女に声を荒げてしまう。この少女は聞く所によれば遠距離魔法攻撃が主体のアタッカーだ。それなのに彼女はこの数分間、全くと言って良い程に何もしていない。ただ傍観していた。
「まぁ待て。ああ見えてしぶといからの。もう少し様子を見る。手を出すでないぞ」
「シオンさん。私からもお願いする。既にアルフォンス君は傷だらけだ。このままでは致命傷を貰いかねない。君と二人であればもっと安全に倒せるはずだろう…!」
"五月蝿い"とでも言わんばかりのシオンちゃんの言葉に、リアムも耐えきれず援護を促す。
アル君の武器や防具、そして防具をつけていない所も既に傷だらけだ。劣勢にあるのは火を見るよりも明らか。通常のパーティであれば前衛を交代し、一度後方に下がらせて回復薬や回復魔法を使うべき状態だ。
「そうよシオンちゃん。迷宮主は普通の魔物とは違うわ。全員が迷宮主と同レベルかそれ以上の四人パーティで挑めと言うギルドのランク付けなんだから…!」
アル君の場合は、スキルによって現状レベル23程度のステータスを持っているのは知っている。しかしそれでも迷宮主に一人で挑むのはまさに無謀。それほどに迷宮主は強い。何より………"堅い"。その巨体には、斬っても斬っても致命傷まで至らず、ダメージが通らない。現にアル君も数太刀入れているが、オークキングの動きが鈍った様子は御世辞にもあるとは言えない。
「倒すだけならいつでも出来るであろう。アルの求めておるのはこのダンジョンを制覇したと言う実績ではない。純粋な"力"じゃ、"技術"じゃ。見るがいい。あやつの素早さと【瞬間加速】のスキルがあれば、あの鉈を避ける事も出来るじゃろう。しかしあやつはそれをしない。
あの鉈を"受け流せる"様になる。そう決めておるのじゃ」
この血生臭いダンジョンの中で、まるで清流のように聞き心地の良いシオンちゃんの言葉。それは、到底信じがたい物だった。
迷宮主で…練習している?何を?相手の攻撃を受け流す技術を?たった一人で立ち向かいながら?………いやいや、無茶でしょ。誰がするのそんな事?見たことないよ。誰もしないでしょ。一撃でも貰ったら即死するんだよ?
シオンちゃんは混乱するこちらを放置して、唐突に足元にあった石を拾い上げた。シオンちゃんの手にすっぽりと収まるそれは決して大きくはないが、小さくもない。
「見ておれ」
シオンちゃんはそう言うと、何度かタイミングを測りながらそれをオークキング目掛けて真っ直ぐ投げた。その石はそこそこの速さで飛んでいくが、残念ながらオークキングにダメージを与えることなど到底出来そうにない。人間で言うと豆を一粒ぶつけられた様なものだからだ。
「痛っ…!」
セシリアは一瞬我が目を疑った。
その石は、鉈に力負けして飛ばされてきたアル君の後頭部に、偶然にも当たったのだ。オークキングにダメージどころか、味方に的中。
敵は正面だけに非ず。アル君にとってはまさに前門の虎後門の狼である。今回前門に立つのは豚で、後門は狐だが。
「ほれ見てみい。あやつ全然"解って"おらんわ。
………アル!相手の武器だけに捕らわれるなと何度言えば分かる!リザードマンとの戦いで何を学んだのじゃ!」
「え!?ちょっとシオンちゃん!?何してるの!?まさか最初からアル君を狙って!?」
あの乱戦の中、アル君の飛ばされる方向とタイミングを予想して頭に石を当てる。そんな事、流石にセシリアでも無理だった。単純なステータス以外の"技術"だ。未来予知と言っても過言ではないレベル。
偶然と思っていたそれはまさか、狙いすまされた物だったのだ。
「まぁ落ち着け。美人が台無しじゃ。ほれ、見てみい。ようやく目が覚めた様じゃ」
セシリアが戦闘に目を戻すと、依然としてアル君は劣勢に立たされていた。何も変わっていない。
あえて言えば、アル君の表情が引き締まったくらいだ。
またしてもアル君は正面から突っ込んでいる。
最初と比べると速度も遅く、一歩一歩の力強さも無い。しかしアル君はまたしても短剣を振りかぶる。最初にまともに打ち合って吹き飛ばされた光景がセシリアの脳裏に鮮明に過る。
オークキングの鉈はまたしても完璧なタイミング。血に濡れつつある大鉈がアル君と接触した直後。その真っ直ぐな太刀筋の軌道が僅かに屈折した。
「え?」
思わず声が漏れる。
しかしアル君の体勢も僅かに崩れていた。一歩分でも後ろに下がらされている限り、反撃には不十分だ。
オークキングが直ぐ様、刃を返して一閃。
またしても巨大な鉈は、アル君と接触した所から綺麗に屈折する。
決して、大きく弾かれた訳ではない。オークキング自身もそれに気付いていないであろう程の変化。しかしその変化は確実に、アル君の半身分、太刀筋をずらしていた。
オークキングは、鉈を振り抜いた筈なのに上半身と下半身が離れていないアル君を見て疑問に思いつつも、その手は止めない。
そして今度こそ、アル君は完全な体勢で受け流す事に成功する。
オークキングの猛攻を数度凌いだ後、距離を一瞬で詰めて右腕を斬りつける。
「………わかったか?
あれが【空間魔法】の使い手、アルフォンスの真髄じゃ」




