28話 騙されてみよう
「な、なんでここに…?」
セシリアさんは一瞬だけ微かに頬を弛めたが、すぐに表情を引き締めた。セシリアさんの背後では、"烈火"のパーティメンバーであるクレイさんがヒュドラと高速の近接戦闘を繰り広げている。
「話は後で。イザベラ!」
「ほいほぉーい!いやぁいやぁアルフォンス君!半年ぶりだねぇ!見違えたよ、こんなにいい男になって。片腕も無いしね。その片腕は今やられたの?ならいけるね。腕はどこ?あぁあれね。ちょっと取ってくるね。…………………うーんそれ以外の傷口は?右脚に左脇もか。どっちも貫通してるね。【上級回復】かなぁ。動かないでね。
"癒しの神よ。その慈悲深き御心を以て、痛み苦しむこの者に祝福の詩を贈りたまえ"【上級回復】」
イザベラさんはアルに手を翳すと、滑らかに魔法を詠唱した。エマさんの回復魔法を受けてきたから分かるが、かなり詠唱速度が速い。修練でここまで出来るものなのか、それとも何らかのスキルか。
そして身体には、暖かい毛布で身体を包み込まれる様な感覚。傷が癒えていくのが分かる。
「よしオッケー。参戦しちゃだめだよ。後は任せて休んでて」
「は、………はい」
イザベラさんの言葉は、アルの身体を心配してのものだっただろう。しかしそんな心配はなかった。あんなのに手を出せる訳がない。"烈火"の戦闘は、先程までのアルのそれとは格が違った。手を出しても邪魔になるだけだ。
「ひゃっほーォ!オラオラどうしたァ!?捕まえてみろってんだァ!」
斥候兼攻撃役のクレイさんは、ヒュドラの頭部をいとも簡単に躱しながら、狂喜的に叫んでいる。あんなキャラの人だっただろうか。その手にはナイフ程の短剣が一つ。やっている事はアルと同じだ。ヒュドラの攻撃を避けながらの攻撃。しかしその速さが違う。そして短剣から繰り出される一撃の深さも。
ヒュドラも先程までとは桁違いのスピードを持つ相手に、息吹まで多用している。しかし近距離で放たれるそれすら当たらない。一体どういう判断能力をしているのか。まるでヒュドラの全ての攻撃パターンを知り尽くしているかの様な動き。語らずとも、彼が幾漠もの死線を潜り抜けてきた事が分かる。
クレイさんが強烈な一撃をお見舞いした後、一度距離を取る。そこへヒュドラがここぞとばかりに息吹の体勢。
アルの目には炎と氷。二つのそれが焼き付いている。距離を取ってしまうと流石にクレイさんでも避けきれない圧倒的な質量である事を知っていた。
今にも暴力的な攻撃が放たれんとした瞬間。しかし、爆発したのはヒュドラの方だ。
多段的に射出された炎弾は三十にも及ぶだろう。全てが誘導弾らしいそれは、弧を描きながら苦痛にもがいて暴れまわるヒュドラの頭に喰らいつく。リアムさんの攻撃魔法だ。恐らく火属性であるその魔法は、普段の彼からは想像できない程に荒々しく、獰猛に獲物を焦がしていく。
「やはり魔法耐性もそこそこに高い。セシリア」
「任せて!」
セシリアさんが、光速とも呼べる速さで迫る。
もがくヒュドラは首を鞭の様に振り回している。アルだと近寄るなんて到底できないし、そもそも首の位置が高くて届かない。跳んで攻撃すると言う選択が愚行であることは既に体験済みだ。
しかしセシリアさんは跳んだ。
その跳躍はなんと、この十五メートルはあろうかと言う高い天井に届かんばかりの高さだ。
そしてまたもや空中を足場にするかの様に軌道を変えると、その手に持った細剣で斬りかかった。
ヒュドラの首の動きに合わせて一閃。易々と首の一つを落として見せた。
本来細剣という武器は、その細さ故に、斬るよりも突く方が得意な武器であると聞いたことがある。易々とヒュドラの首を斬り落としたのはその材質が特殊なのだろうか。
響き渡るヒュドラの絶叫。そして残りの頭が、怒りのままにセシリアさんへと迫る。セシリアさんは宙を蹴り、ヒュドラの首すら足場にしながら躱すと、次々とヒュドラを斬りつけていく。
機動力がまるでちがう。彼女の姿とその太刀筋は、既にアルの肉眼では朧気にしか捉えられない。ただ、宙に残る青藍の残像を見つめるしかなかった。
空中までも自在に使ったその戦闘は、常識からはほど遠い。
これが………Aランク冒険者。
「何を見とれておるのじゃ」
急に横からした声にアルは驚きを隠せない。その言葉通り、完全にセシリアさんに見とれていた。
「まったく、いつもお主は妾と離れるとすぐに死にかけおって」
シオンの声音はいつも通りで、酷く安心した。"烈火"の皆に護られ、シオンに優しい言葉をかけてもらう。それに安堵する自分に、嫌悪感を感じてしまう。
「まぁ今回は妾のミスでもある。良く生き残ったの。あのヒュドラ相手に大健闘じゃろう」
大健闘………。あれ相手に良くやった。確かにそうかもしれない。アルよりレベルが9も上だ。しかも宝箱の罠であるため普通よりも上位種のばず。【ステータス成長率増加】を加味しても、到底勝てる相手ではない。
もしも、アルが助けを求められた側の立場だったなら。例えば他の冒険者がヒュドラに襲われている所を救うことが出来るか。
―――到底無理だ。一緒に殺されるのがオチだ。もっと強さがいる。現にアルはこの街に来てから二度も死にかけているのだ。いつも"運"が良いとは限らない。
「シオン。僕、もっと強くならなきゃ」
呟くように溢れたその言葉は、焦りや劣等感を含んでいた事に言ってから気付く。シオンが発した言葉は、それに対する答えではなかった。
「アルよ………あの女傑のステータスを見たか?」
女傑。セシリアさんの事か。
アルは顔を上げて、彼女が一瞬止まった所で【鑑定】した。
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名前:セシリア・バルネット
Lv:48
生命力:5000
魔力:4950
筋力:4700
素早さ:5000
物理攻撃:4900
魔法攻撃:4850
物理防御:4700
魔法防御:4750
スキル:【剣術Lv3】【空歩】【鑑定】【直感】【初期ステータス上昇】
【水魔法】………【水弾】【水壁】【水鎧】】【水癒】【水刃】【水牢】【暴風雨】【破戒滝】
武器:"薄氷"【剣術Lv4】【不壊】
防具:"冷蒼"のハーフアーマー【物理耐性Lv4】
その他:ダイヤモンドの指輪【魔法耐性Lv4】
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セシリア・バルネット。苗字を持っているという事は、彼女は実は貴族だったのか。いや驚くべきはそこではない。
レベルが………48。……………強すぎる。
そのレベルに起因するステータスも飛び抜けているが、スキルも笑えないほどに戦闘向きのものが揃っている。剣術だけではなく水魔法も使えると言う万能ぶり。
「流石、セシリアさんだな………」
「アルよ、お前が目指すのはあれではない。あれの"先"じゃ」
「………え?」
シオンの言葉に耳を疑う。あのセシリアさんの………"先"?そんなものがあるのかどうかすら疑わしい。しかし、シオンは真剣だった。その表情には、アルをバカにした様子も、おちゃらけた雰囲気もない。その直後、いつも通りにニヤリと笑って言った。
「二年じゃ。二年であれに並べ。そして越えるのじゃ」
ヒュドラが一段と悲痛な叫びを上げる。既に残り一つとなった頭が、力無くその首を横たえていた。
その傍には油断無く様子を窺う四人、"烈火"のパーティが勇ましく立っている。その身には傷一つ無い。アルが全身全霊をかけて戦っても勝てない相手を、彼等は赤子の手を捻るように倒してしまった。
彼等と肩を並べて戦える日など来るのだろうか。アルが強くなる分だけ、彼等も強くなる。追い付くことなど夢物語ではないのか。
「無駄なことは考えるな。お主には妾がついておるのじゃぞ?」
シオンは未だ不敵に笑っている。まるで彼等を通過点としか見ていない様な不遜な態度。もっと言えば彼等を越えた、その先の誰かを見ているようだった。そんなシオンを見ていると、自分の小ささに気付く。
「ふっ…いいよ。シオンのその言葉は到底信じられないけど、騙されててあげるよ」
「妾は滅多な事では嘘はつかん」
シオンの手を取り立ち上がる。右腕も右大腿の傷もすっかり良くなっており、服に穴が空いているだけだ。身体のどこにも違和感はない。
まだだ。まだまだ戦える。
「アルフォンス君っ!」
大音量の声が部屋に反響した。セシリアさんがこちらに駆けてくる。やはり怪我はどこも無さそうだ。感謝を伝えなければと頭を下げようとするが、正面から両肩を掴まれ止められる。
驚いて顔を上げると、彼女の目は輝いていた。
「何このレベル!どうやってこんな短期間にそこまで上げたの!それから君のスキル!スキルよスキル!!どういう事なの!何を隠してるのねぇ!教えて!」
「やべェ!止めろ!」
「セシリア落ち着くんだ!」
猛烈に息を荒くして詰め寄られる。美人に詰め寄られるのは悪い気はしないが、その鼻息の荒さに多少恐怖感すらある。そんな彼女を、クレイさんとリアムさんが慌てて止めに入った。
「セシリア。何はともあれ、とりあえずギルドに行ってからにしようよ?連れていかないといけない人達もいるんだし?」
その場を収集したのは、イザベラさんの言葉だった。セシリアさんは未だキラキラした目を向けているが、イザベラさんの方が強いみたいだ。
帰りの道中、ダリウスとグリフォンを"烈火"の面々に任せきったアルは、彼等にどう対応するかシオンと相談するのであった。
*
「まさかこんな事になるとは」
アルとシオン、そして"烈火"の面々が並ぶ前で頭を抱えているのはルイさんだ。彼が座っている椅子もかなり豪華だが、今そこに座る彼からは威厳というものをあまり感じない。
ここはいつもの相談室とは違う、受付カウンターの横にある扉から入った所。きっとギルドマスターの書斎とでも言うべき場所だろう。部屋の中には立派なデスクと、ソファが二脚。壁は窓以外は棚に囲まれており、本やら資料やらが並んでいた。
アルはソファの一つに、シオンとセシリアさんに挟まれて座っていた。
「だ、誰も怪我は無かったんですか?」
そう確認するのは、ルイさんの隣で立って話を聞いていたミアさんだ。何故か少し冷ややかな視線は、明らかにアルへと向いており、"無茶しないでね"と言われたことを思い出して目を逸らしてしまう。
「大丈夫だよ。あの二人もアル君も全部私が治したから。
みんな重症だったけどね。特にアル君なんか凄かったよー。駆けつけたときには止めの一撃をもらいかけてたし、なんならその一撃を受けなくても五分くらいで死んでたし。そもそも右腕なんか離れたところに落ちてたし」
うわーイザベラさんやめてください………。
ミアさんの目が見開かれる。咎めるような視線はアルに釘付けだ。これは後でなかなかのお叱りを受けることになるだろう。しかしミアさんが何かを言う前に、アルが話題をすり替えた。
「あの………分からない事があるんですが。ダリウスさんはあの隠し部屋で、捕らえた人達を殴っていました。それに何の意味があったんでしょうか?」
その言葉にやっと顔を上げたルイさんは、顔をしかめたまま話し出した。それはいつもの自信気な様子ではなく、まだ考察中であるかの様な話しぶりだった。
「ダリウス本人に聞いた話なんだが、彼は【魅了Lv1】と言うスキルを持っている。私も先程少し調べてみたんだが、かなり古い書物にその記載があった。内容としては【魅了Lv5】を持った魔物が古代ブル帝国南部の森に出現。その魔物と接触した者は思考力を奪われ、魔物に従う下僕となった、と。幸いそれは【剣術】や【魔法】スキルのようにレベルが上がっていくスキルでは無いらしいから、ダリウスがそこまでの力を持つことは無いだろう。
そこで今回の件に戻るんだが………。ダリウスが言うには、そうすることで【魅了】スキルへと劇的にかかりやすくなった。と言っていた。確かに捕らわれた彼等を見ると、思考力を奪われている様に見える。書物にあった記載と類似する」
「【魅了】スキルに劇的にかかりやすい?殴る事がですか?」
アルの中ではその二つは結び付かなかった。しかしその疑問に対するヒントはアルの横から述べられた。
「アルよ、思い出せ。あやつはただ殴っておったのではない。殴って傷つけた後に回復薬をかけ、そして抱き締めておったであろう」
「………そうみたいだねぇ。僕も今回の鍵はそこだと思っているよ。アル君は今回、回復魔法を受けたね?………どうだった?右腕が繋がる瞬間。身体に空いた穴が癒えていく感覚。まるで母の腕に抱かれている様な心地よい感覚があったんじゃないかい?回復魔法には、一種の中毒性みたいなものがある。傷が癒える瞬間の快楽や安心感には依存性の様なものがあるんだ。
ダリウスは………彼等を傷つけ、そして回復薬で傷を癒す中で、そういったものに"自らを滑り込ませた"んだと思う。………つまり回復によって得られる快楽や安心感に合わせて抱擁することで、その依存性を用いて【魅了】スキルの効果を増幅させたのではないかと思う」
アルはあの時の吐き気がするような嫌悪感を思い出していた。
あの行為はまさに………"洗脳"だった。その者から思考力を奪い、従順な下僕とする。
「アルよ。あの誘拐の方法の要点は、"誘拐を捜査の目が届きにくいダンジョンの中で出来る"と言う事じゃ。
一番の完全犯罪は、犯罪に誰も気付かない事。という訳じゃの。しかしそれを成そうとした場合、彼等を"躾る"必要があった。
あの隠し部屋まで連れていくのは騙せば何とでもなる。しかしそこから連れ出すのは?連れ出される時にもダンジョン出入り口の騎士の横を通る。一言も喋らず、誰にも助けも求めない様に調教しなければならぬ。よってダリウス達にとってあれは必要不可欠な工程だったのであろう。逆にそれありきの方法だったとも言える」
アルは、奴隷として既に売り飛ばされてしまった人達の事を想った。何も考えることが出来ないまま、一言も喋らず、あの薄暗いダンジョンを連れ回される。彼等は今、どこで何を思って過ごしているのだろうか。
「既に奴隷として売り払われてしまった人達の捜索は開始している。ファレオ共和国にも国とギルドを通して交渉している所だ。ところでアルフォンス君。私はまだ君に聞いていないことがある。
何故………君達二人があの場にいたのかだ。いや、あの場所を見つけることが出来たのか。
話を聞くと君達二人は、バド君達"竜喰"のメンバーが行方不明と知ってから、真っ直ぐにその監禁場所に辿り着いた。何故分かったんだい?そして君はダリウスが犯人と言うのも感付いていた様に思う。我々としても彼はマークしていたうちの一人だが、いまいち決定的な瞬間を押さえることが出来ずにいたんだ。それをどうしてこうも簡単に君達が見つけたんだい?」
アルは返答に困ってしまった。
ここに帰ってくるまでの道中でシオンと話は合わせている。細部までは決めていないが、いざとなればシオンが上手いこと合わせてくれるだろう。
しかしアルは黙ってしまう。目の前の人達に対して嘘をつき続ける。それが本当に正しい事なのか、ここにきてアルは確信できずにいる。そして何も言えないまま、半分無意識にだがシオンを見てしまった。彼女はその紅い瞳でアルを見返すと、やれやれ、と言った様子で眉を上げた。
「妾はどちらでも良いぞ。少なくとも、すぐに敵に回りそうな面子でも無かろうからの」
彼女の言葉選びは本当に巧みだ。この言い方ならまだ、当初の予定通りにスキルをでっち上げて嘘をつく事も出来る。
しかし、アルは決めた。
アルが信頼できると感じた人達には、嘘はつくまいと。
「分かりました。僕が………僕達が何故彼等の元へと辿り着けたのか、そして先程までの話で誤魔化していた事。
そして、僕達が隠していた事を全てお話しします」
そして話すからには後悔はしない。
例えもしも、彼等が敵に回る様な日が来たとしても。




